深い森の中。
 人気のないその場所が、自分が選んだ隠れ家だった。
 ここに、自分が生きていくための《唯一の理由》を隠している。
 ここを知っているものはほとんどいない。そして、知っている人間達はみな自分が信頼できる、と思っていた者達だ。
 だが、今もそうだろうか。
 自分たちを取り巻いている世界は、あの日、大きく変わってしまった。
 一番信頼できると思っていた存在に裏切られた以上、誰も信頼できない。あの存在を守れるのは、あくまでも自分だけなのだ。
「……取りあえず、誰の気配もないな」
 仕掛けていた罠もそのままだ。
 だから、大丈夫だろう。
 それを確認して、ようやく肩から力を抜いた。
 しかし、すぐに表情を引き締める。そして、自分が仕掛けた罠に引っかからないように慎重に足を進めていく。
 やがて、小さな祠のように見える小屋の前にたどり着いた。いや、実際に祠なのだ。だが、今は自分たちが暮らす家でもある。この奥に、それなりの広さがある建物があるのだ。もっとも、それは表からは見えない。ここなら自分一人でも警戒が可能だ。
 それに、彼も異論を挟まなかった。だから、そのままここに居着いている。
 しかし、いつまでもここに隠れているわけにはいかないだろう、ということもわかっていた。だからといって、どうすればいいのかもわからない。
 ともかく、今は何とか手に入れてきたものをしまって、それから彼の顔を見たい。
「ただいま」
 しかし、すぐには足を踏み入れない。代わりに扉を開ける前にそう声をかける。しばらくして、祠の奥からようやく人の気配が伝わってきた。
「お帰り、スザク」
 柔らかな声がすぐに耳に届く。
 どうやら、本当に彼は無事だったようだ。それが確認できて、スザクの顔にも微笑みが浮かぶ。
「ただいま、ルルーシュ。今日は野菜とそれからナシが手に入ったよ」
 後で魚を釣ってくるから……とそうも付け加える。
「それなら、わ――俺も行く」
 そうすれば、ルルーシュは即座にこう言い返してきた。
「ルルーシュ」
 たしなめるように彼の名を呼ぶ。どこに誰がいるのかわからないのだ。少しでも危険を避けるためにはあまり出歩かない方がいいのではないか。そう思うのだ。
「そこの海岸だろう? スザクも一緒なら大丈夫なんじゃないのか?」
 人前に出るわけじゃないから……とルルーシュは言葉を重ねてくる。
「この中にいるのに、厭きたんだ」
 少しだけふくらまされた頬に、彼がどれだけ我慢をしているかがわかった。
「……そうなんだけど……でも、この側にも避難してきた人がいるから……」
 流石にここまでは来る人はいないだろうが、とスザクは思う。来ようとしても、地元の人間達が邪魔をするに決まっている。今でも《枢木神社》は地元の人間達にとっては拝むべき対象なのだ。
 しかし、実際は……とスザクは唇を噛む。
「この奥に階段があった。そこから海岸の洞窟に抜けられたぞ」
 そこでは釣りをしてはいけないのか? とルルーシュはさらに問いかけてくる。
「階段?」
 そんなものがあっただろうか、とスザクは別の意味で悩む。とは言っても、自分はこの場所にそれほど詳しいわけではない。あの時、ルルーシュを連れて逃げ込むのに丁度いい場所、と言うことで思い出しただけだ。でなければ、足を踏み入れようなんて思うこともなかったのではないか。そんな気もする。
「あぁ……お前がいない間暇だったからな。一通り探検した」
 でも、約束通り建物からは出ていないぞ……とルルーシュは付け加えた。その様子が本当にいいわけをしているようで可愛らしい。
「わかっているよ、ルルーシュ。疑ってないから」
 ただ、自分が知らないような場所があったことが気に入らないだけだって……とスザクは言い返す。
「そうだね。確認してから考えるよ。だから、案内して?」
 そして、言葉とともにそっとルルーシュの頬に触れた。そうすれば、彼は明らかにほっとしたような表情を浮かべる。
「あぁ。わかっている」
 ふわりと微笑むと、彼は軽く首をかしげた。そうすれば、肩に付くか付かないかぐらいの長さになってしまった髪がスザクの指に触れる。その瞬間、スザクは思わず顔をしかめてしまった。
「スザク?」
 どうかしたのか? とルルーシュが問いかけてくる。
「綺麗な髪だったのに……」
 あの髪がルルーシュの背中をさらりと流れていく光景を見ているのが好きだった。しかし、今はこれほどまでに短い。その事実が悲しいのだ、とスザクは素直に口にする。
「バカだな、お前は」
 そうすれば、ルルーシュは微苦笑を口に刻む。
「俺は男だぞ。男であんな長い髪をしている人間があまりいないだろう?」
 だから、この長さでいいのだ……と彼は続ける。
「どうしてもお前が長いほうがいいって言うなら……状況が落ち着いたら、また伸ばしてやるから」
 今の状況では無理だ、と彼はさらに苦笑を深めた。
「そうだよな……今は、無理だよな」
 自分の力だけで、どれだけ彼を守れるか。それがわからない以上、迂闊なことは言えない。だから、我慢しなければいけないのだ、とスザクは自分に言い聞かせる。
「スザク」
 そんな彼に不安を覚えたのか。ルルーシュが彼の名を呼ぶ。
「取りあえず、荷物を片づけよう。それから、ルルーシュが見つけた階段を確認して……明け方の方がよく釣れるって言うから、今日はあるもので我慢をしてさっさとねようか」
 そうすれば、明け方には起きられるだろう。いくらルルーシュが朝に弱いと言ってもだ。
「そうだな。あぁ、取りあえずあったもので煮物ときんぴらを作ってみた。味を見てくれ」
 ご飯も炊いてある、と続ける彼にスザクはようやく自然な笑みを浮かべる。
「ルルーシュって、意外といろんなことができるよね」
 料理だけではなく裁縫も得意だし、と口にした。これが刺繍なら、まだ納得できるんだけど……と心の中だけで呟く。
「俺が皇族から離れることは生まれたときから決まっていた、と言っただろう? だから、母上が最低限のことだけは覚えておけとあれこれ教えてくださったんだ」
 父上の元に嫁がれるまでは、母も自分で自分にことはやっていたから、とルルーシュはどこか遠い目をしながら教えてくれる。
「そうなんだ」
 それもこれも、彼が困らないようにだろう。
「ルルーシュは、みんなに愛されていたんだね」
 でも、自分だってその人達に負けないくらい彼を愛している。だから、彼にも同じくらい好きになって欲しい。そう思うのはワガママなのか。スザクはそう考えていた。




以下、発行予定の本へと続く。