車の窓から見える光景は、自分の記憶の中にあるものとはまったく変わってしまった。
 以前はその存在を誇示するように並んでいた高層ビルが姿を消しただけで、これほどまでに印象が変わるのだろうか。もちろん、破壊されたのはそれだけではない。無数の民家が瓦礫とかしていることも知っている。ただ、それらはここからは見えないだけだ。
 しかし、それらが見えなくても衝撃的だと言っていい。
 あれこそが、あるいは《日本》という国の反映の象徴だったのではないか。
 たかがビルかもしれない。しかし、それが見られないと言うだけで『本当に日本は負けたのだ』という事実が押し寄せてくる。
 だからこそ、自分はこの国を離れなければいけない。
 父が日本の最後の首相であり、母から皇の血を受け継いでいる以上、それが自分の義務だ。
 そうすることで、自分たちが彼等にもう逆らわないと伝えることが出来るのではないか。
 何よりも、自分を利用しようとする者達の手の届かないところに行ける。そうすることで、多くを失った《日本人》達をこれ以上苦しめなくてすむ。
 そのためならば、自分はどうなろうとも構わない。
 理性ではそう考えていた。しかし、本音を言えばここから離れたくはなかった。
「……でも、しかたがないんだよな……」
 自分がここに残ることのメリットとデメリットを考えれば、後者の方が多すぎる。それに、自分にはもう家族といえる者達はいないのだ。だから、何かあっても逆縁の心配はない。
「……スザク……すまんの」
 その呟きを聞いていたのだろう。隣に座っていた桐原がこう声をかけてきた。
 彼にしても、まだ幼いと言えるスザク一人に責任を負わせたくないと考えてくれていたらしい。他の方法を探して
あれこれ画策をしてくれていたが、かなわなかったのだ、と聞いている。それだけ、ブリタニア側が日本軍を危険視してしていると言うことなのだろうか。
 だからといって、彼がこの国を離れるわけにはいかない。
 彼には皇の神楽耶を守ってもらわなければいけない。そして、馬鹿なことをしようとする者達を抑えてもらわなければいけないのだ。
「しかたがないです……父さんが、責任もとらずに逃げ出したのが悪いんだし……」
 それも、誰の手も届かない所へ、だ。なら、自分が代わりを務めるのは当然のことではないか。
「それよりも、神楽耶をお願いします」
 彼女だけが皇の直系だから。自分は男だから大丈夫だ、と思う。こう言って、スザクは笑ってみせた。
「もちろんじゃ」
 桐原はしっかりと頷いてみせる。
「お前がいつ戻ってきてもよいように、儂が《日本》を守ってみせよう」
 たとえ、その名前は奪われ、矜持を傷つけられようとも、人々の尊厳まで完全に薄な割れたわけではない。
「だから……お前も、息災での」
「……はい……」
 この言葉の後、車内にはただ沈黙だけが広がっていく。
 それも当然だろう。桐原はこう言ってくれたが、自分の命は保証されていないのだ。命だけは助かっても、一生、幽閉される可能性だってある。いや、その確率が一番高いのではないだろうか。
 あるいは、ここに残りたい……と言えば桐原は叶えてくれたのかもしれない。
 しかし、このままここにいても、ブリタニアからの独立をもくろむ者達――その多くが負けを認められない軍人だ――の旗印に祭り上げられかねない。そんなことになれば、必死にこの惨状から立ち上がろうとしている人たちをまた戦禍に巻き込むことになる。多くの者達はそれを望んでいない、というのに、だ。
 だから、これは正しいことなんだ。
「……桜が、見たかったな……」
 あの盛りを迎えると同時に散っていく花を、とスザクは呟く。
 できれば、あの花の下で眠りたい。そう言ったのは誰だったろうか。
「スザク……」
 桐原ならば知っているだろう。しかし、それを問いかけようとは思わない。
「大丈夫じゃ。時移り、人が変わろうとも……花はそこで咲いておる」
 人々の思いがある限り。桐原の静かな声が耳に届く。それに、スザクは小さく頷いてみせた。

 この日、一人の少年がブリタニアに向けて旅立っていった。

「つまらん……」
 いい加減、部屋の中で本を読んでいるのもあきた。だからといって、この大変な時期にメイド達を捕まえて自分の相手をさせるわけにもいかないだろう。
 ついさっき、医者が母の元へと足を運んだのを知っているのだ。
「ははうえのおなかのなかには、るるのおとうとかいもうとがいるのだから、な」
 体の中で子供を育てるのは大変なことだ。だから、彼女に負担をかけるような事をしてはいけない。そして、メイド達には母のことを優先してもらわなければいけないのだ。
 だから、一人でも我慢しなければいけない、と心の中で呟くと、読んでいた絵本をしっかりと抱きしめる。
 それでも、つい数日前までは側には乳母がいてくれた。彼女は決して職務に忠実だったわけではない。自分の乳母になったのも、継承権の高い兄や姉たちと近づきになりたかったから、だろう。でなければ、父の目にとまりたかったから、だろうか。
 彼女が自分の乳母を罷免されたのも、母や自分を心配してこの宮を訪れた父に不埒なことをしたからだ……とルルーシュは聞いている。
「……だが、ふらちなまねとは、いったいどのようなことなのだ?」
 いったいどうすれば、あの父や兄姉たちをあそこまで怒らせることが出来るのだろうか。それが知りしたくて顔を合わせた者達に疑問をぶつけてみたのだが、みな『ルルーシュにはまだ早い』と言って教えてくれなかった。
「るるは、もう、あにになるのに」
 確かに、十以上も離れている彼等から見れば、幼いと言われてもしかたがない。それでも、自分は皇子だし、これから守らなければいけない存在も出来るのだ。もう少し大人扱いをしてくれてもいいのではないか、と考えてしまう。
「……つまらん」
 また、同じ言葉が唇からこぼれ落ちる。
 それもこれも、一人で部屋の中にこもっているからかもしれない。
 一人で本を読むにしても、自室ではない他の場所に行けば、少しは気分転換になるのではないだろうか。
 でも、どこがいいだろう。
 こてん、と首をかしげたルルーシュの脳裏に、先日、父の腕に抱かれて訪れた小さな離宮の存在が思い浮かんだ。
「ちちうえが、るるのひみつきちにつかえ、とおっしゃってくれたよな」
 アリエス宮のすぐ側にあるそれは、ルルーシュの足でも十分に歩いていける。何よりも、この国で一番偉い父がそう言ってくれたのだ。誰にも文句はいられないだろう。
「……おやつまでにかえってくれば、いいよな?」
 そうすれば、誰にも心配をかけずにすむのではないか。
「ほんだけ、もっていけばいいよな?」
 後は、あちらにもあるだろう。だから、とルルーシュは呟くと立ち上がった。そのまま廊下にではなくベランダに出たのは、メイド達に見つからないようにするためだ。
 そのままルルーシュのために作られた階段――以前、ベランダから庭に出ようとして手すりから落ちてしまったのだ――を降りると、芝を敷かれた庭へと出る。そのまま、少し危ない足取りで駆け出す。
 そんな彼の姿に気づく者は誰もいない。


以下、発行予定の本へと続く。