目覚めてすぐに見た世界は、まるでカーテン越しに見る光景のように、薄ぼんやりとしていた。現実味のない、どこか夢の中のような光景。いつからそう見えていたのかも覚えていない。
 アッシュフォード学園で生活するようになってからずっと、目覚めるたびにそんな気持ちになっていたことだけは間違いない。
 それはきっと、自分に記憶がないからだ。
 幼い頃の記憶が自分の中からすっぱりと抜け落ちている。きっと、目の前で母と妹を失った衝撃と、その後の日本での経験のせいだろう……と言われても、それすら自分に関わりがあったことだとは思えないのだ。何よりも、今はもう、母と妹の顔すら思い出せない。
 辛うじて思い出せるのは、幼い頃、この国で過ごした記憶の一部だけだ。
「これでは《・・・》が迎えに来てくれてもわからないかもしれない……」
 無意識にこんな呟きをもらす。次の瞬間、ルルーシュは首をかしげる。
「《・・・》って、誰だ?」
 当然、呟く声に答えを返してくれるものはいない。
 だが、その事実がとても寂しく思える。何というか、自分の半分が失われてしまったような、そんな感覚なのだ。
「いったい、何なんだろうな、これは」
 今朝に限って、と続ける。
「ルル様、起きている?」
 その答えを探そうとしたときだ。ドアの外から抑揚の少ない声が響いてくるのが耳に届いた。
「アーニャか? 起きているぞ」
 即座に言葉を返す。同時に、ベッドから抜け出した。
「おはようございます、ルル様」
 同時にアーニャが顔を出す。しかし、きちんと制服は身につけているものの、彼女の髪は結ばれずに背中に流されている。そして、その手にはリボンが握られていた。おそらく、結ぼうとはしたものの、断念したのだろう。
「早いな」
 こう言いながら、彼女を手招く。
「それとも、私が寝坊をしたのか?」
 素直に歩み寄ってくる彼女にこう問いかける。
「……じゃない。ただ、ルル様が魘されてたから……」
 廊下まで聞こえた、とアーニャは言い返してきた。
「そうか……」
 自分では全然わからなかったが、と口にしながらルルーシュはブラシを手に取る。そして、そっとアーニャの髪を解かし始めた。
 ふわふわとした感触が心地よい。同時に、どこか懐かしさも感じてしまう。
 ひょっとして、いなくなってしまった妹もこんな風にふわふわとした髪をしていたのだろうか。そして、今、アーニャにしているように、彼女の髪も結んでやっていたのだろうか、とそんなことも考えてしまう。
 せめて、写真だけでもあればいいのに。
 そうは思うのだが、何故か誰も母や妹の写真を見せてくれない。だから、ますます彼女たちの面影が薄れてしまっているのだろう。そう考えた瞬間、思わずため息がこぼれ落ちる。
「ルル様?」
 どうしたの? とアーニャが問いかけてきた。
「何でもない。ちょっと夢見が悪かっただけだろう」
 覚えていないことを改めて思い知らされただけ、と付け加える。
「……ルル様……」
 その間にも、手は動いて彼女の髪を綺麗に整えた。そのできばえにルルーシュは小さく頷いてみせる。しかし、と思いながら口を開く。
「何故、みんな、私に母さん達の写真も見せてくれないのだろうな……」
 ため息とともにこぼれ落ちた言葉に、アーニャは辛そうな表情を作った。
「……見たら、思い出すから……」
 悲しいことも、と彼女は呟くように付け加える。
「そうしたら、私たちはルル様まで失ってしまう。それはいや」
 あの時の光景を見て、ルルーシュがどのような様子だったのかを自分は覚えている。今度同じ衝撃を受ければ、きっとその心が壊れてしまうような気がするから、と彼女は続けた。
「みんな、同じ事を心配している。だから、許可が出ない」
 誰もがルルーシュを大切に思っているから、とアーニャはルルーシュを見上げてくる。
「……私が傍にいる。それに、私が覚えているから……」
 二人のことを、と彼女は言う。
「……そうか……」
 アーニャは覚えているのか、とルルーシュは言い返す。
「ルル様のことも、ちゃんと覚えている。ずっと傍にいると約束した」
 言葉とともに彼女は淡い微笑みを浮かべる。それにルルーシュも微笑み返そうとしたときだ。
『大丈夫。俺がずっと傍にいるから』
 不意に、脳裏に誰かの声が響く。しかし、その声の主が誰なのか。思い出すことが出来ない。それなのに、どうしてこんなに懐かしいのだろうか。今すぐにでもその相手に会いたい。そんな感情すらわき上がってくる。
「・・・……」
 無意識に唇が誰かの名前を形作った。しかし、ルルーシュはそれを自覚していない。だが、アーニャはそれを見逃さなかった。微かに顔をしかめている。もっとも、それはルルーシュが気付く前に消された。
「ルル様。着替えないとジノが押しかけてくる」
 代わりに、彼女はこういう。
「もうそんな時間か?」
 急がないとジノにこの姿を見られるな、とルルーシュは慌てたように口にする。その脳裏からは、先ほどの感情はきれいに消えていた。



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