桃色の髪をゆらして、ドアの前まで駆けて。しかし、そこで一旦足を止める。
 自分の服や髪の毛に手を置いて乱れていないかを確認した。
 一瞬、ここに鏡があればいいのに、とそんなことも考えてしまう。そうすれば、もっときちんと自分の服装を確認することが出来るのに、と心の中でも付け加える。
 しかし、ないものはないのだからしかたがない。
「多分、大丈夫」
 どこもおかしいところはないはず。だから、あの人の前に出ても大丈夫だ。それでも、深呼吸を繰り返してしまうのは、きっと、緊張しているからだろう。
 そんなことを考えながら、アーニャは静かにドアをノックする。
「誰?」
 中からよく通る声が誰何の言葉を届けた。
「アーニャです」
 自分にしては大きな声で言い返す。しかし、それが相手の耳に届いているだろうか。いつも不安になってしまう。
「開いているよ」
 しかし、それは杞憂だったらしい。入っておいで、と優しい声がさらに続いた。
「失礼します、ルルーシュ殿下」
 ドアを開けると、お辞儀と共にこう口にする。
「そこまで堅くならなくていい、っていつも言っているだろう?」
 ここはそこまで堅苦しくないのだから、と彼は微笑んでくれた。
 彼がそんな風に言ってくれるのは、間違いなく自分が彼の妹であるナナリーと同じ年だからだ。だから、彼に取ってみれば、自分は妹当然かのかもしれない。
 だが、とアーニャは心の中で呟く。
 自分の気持ちは多分違う。
 それが故意なのかどうか、まだわからないけれど。
「お茶にしませんか、とマリアンヌ様が」
 そんなことを考えながら、アーニャはここに来た用事を忘れずに口にする。
「もうそんな時間?」
 それとも、誰か来たのかな? とルルーシュは微笑みに少しだけ苦いものを滲ませた。
「いいえ。マリアンヌ様の他にはナナリー様だけです」
 アーニャの言葉に彼はほっとしたような表情を作る。
「なら、アーニャも一緒に」
 こう言ってくれる彼に、アーニャは微笑みと共にしっかりと頷いて見せた。

 ヴィ家の三人が暮らすアリエス離宮は他の后妃達が暮らす離宮と比べて勤めている人間が少ない。しかし、だからこそその者達の結束が堅いのではないか。
 同時に、自分のように行儀見習いに来たものも主である后妃や皇子達とお茶の席を共にすることが出来るのだ。
「今日のタルトはちょっと自信作なのよ」
 そして、こんな風に后妃がお手製のお菓子を振る舞うことも、だ。
「おいしいです、お母様」
 早速一口食べたナナリーが、満面の笑みと共にこう告げる。
「……少し、アルコールが多すぎませんか?」
 しかし、ルルーシュは首をかしげながら言葉を口にした。
「僕はともかく、ナナリーやアーニャには強すぎるのでは……」
 自分ですら、少し『きつい』と思うのに。彼がさらに言葉を重ねる。
「そうかしら?」
 マリアンヌが逆に聞き返している。
「そうですよ。父上やダールトンなら、これで十分だとは思いますが」
 見かけによらず甘いもの――と言うよりはマリアンヌの手作りだから、だろうか――その二人の顔をアーニャはぼんやりと思い出していた。
 このアリエス離宮に行儀見習いに来て、自分はまだ半月ほどだ。だから、その二人にはまだ一度しか会ったことがない。もっとも、その姿だけならば何度の目にしていたが。
 しかし、彼等がこんな風にマリアンヌお手製のお菓子を好むとは思っていなかった。
 あの二人であれば、どのような有能なパティシエであろうと呼び寄せることが可能だろう。それでもマリアンヌのお菓子の方がおいしいらしい。
 きっと、この雰囲気もその理由の一つなのではないか。
 どこかふわふわとしている脳裏で、アーニャはそう考えていた。
「そんなことないわよね、ナナリー?」
 納得できないのか。マリアンヌは己の娘に問いかけている。彼女を味方につければ、ルルーシュに勝ち目がないとわかっているからかもしれない。
「はい」
 このくらいがおいしいです、とナナリーは微笑んでいるのがわかる。
 しかし、それがどこか夢の中の出来事のように思えてならない。それはどうしてなのだろうか。
 そう考えた瞬間、世界が大きく歪む。
「アーニャ?」
 慌てたようなルルーシュの声が聞こえる。
 しかし、それに言葉を返すことが出来ない。
 彼女の体は、ゆっくりとその場に倒れ込んでいた。

 頭が痛い。
 中で破鐘を叩かれているように感じるのはどうしてなのか。
「本当に酔っぱらうなんて思っていなかったのよ」
 それにマリアンヌの声が拍車をかけてくれる。それはどうしてなのだろう。
「ご自分を基準にしないでください」
 ついでに、自分たちもだ……とルルーシュがため息をついている。
「あら、どうして?」
「僕たちはある程度なれていますが……アーニャは来たばかりですよ?」
 それに、アールストレイムから預かっている存在ではないか。そのあたりを考えて行動して欲しい。そう彼は続けた。
「わかっているわよ、その位」
 まったく、うるさい子ね……とマリアンヌはすねたような声音で言い返している。しかし、彼女の声には間違いなく我が子に対する愛情が滲んでいた。
「確かに、ちょーっと多かったかもしれないわね。お酒の量は」
 子供相手ではなおさらだろう。
「しかし、大丈夫かしら」
 流石に倒れられては反省をしないわけにはいかない。そう言外に付け加えながら、マリアンヌは問いかけている。
「二日酔いのようなものですから、おそらく」
 明日には元気になっているのではないか。そう告げたのは、いつも親身になってくれるメイドだ。
「そう。ならいいのだけど……」
 ナナリーが大丈夫だったのに、とまだ釈然としていないようだ。
「それは……僕とナナリーは母さんと父上の子供だから、じゃないですか?」
 二人の血を引いていれば、アルコールに強いのではないか。それに、初めて口にするわけじゃないし。そうルルーシュは反論をしている。
「それもそうね」
 しかし、それでマリアンヌは納得したようだ。
「となると、これからはアーニャを基準に考えないといけないわけね」
「そうしてください」
 でなければ、安心してお茶に誘えない。ルルーシュは小さなため息とともにこう告げる。
「あら、ルルーシュ」
 それに、どこか楽しげな口調でマリアンヌが反応を見せた。
「そんなにアーニャが気に入った?」
 なら、お嫁さんにする? と付け加える。
「母さん!」
「でも、そうするとアッシュフォードのミレイちゃんとのことも考えないといけないし……」
 どうしましょう、とマリアンヌはさらに楽しげに告げた。
「母さん!」
 そんな彼女に対してルルーシュは本気で焦ったような声を上げる。
「あらあら。そんな大声を出してはアーニャがかわいそうよ」
 きっと、彼女はわかっていてルルーシュをからかっているのだろう。それでも、と心の中で呟いてしまうのはいけないことなのか。
 そんなことを考えながら、アーニャはまた、眠りの中へと落ちていった。

 その後、ナナリーだけではなくユーフェミアやミレイも巻き込んでルルーシュのお嫁さんの座争奪戦が口広げられることになるのだが、それはまた別の話と言うことで。

ちゃんちゃん



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10.04.12日記より移動