いったいどうしてそのような話になったのか。今ではもう、はっきりとは思い出せない。逆に言えば、きっかけはそれだけ些細なことだったのではないか。
「なら、ルルーシュが私の騎士になってください」
 それならば、お嫁さんの座をナナリーに譲って上げます。ユーフェミアか胸を張ってそう言った。
「ダメです! お兄さまは騎士にはなられません!」
 第一、ルルーシュの騎士には自分がなるのだ。マリアンヌのようにナイトメアフレームに乗って彼を守る、とナナリーが言い返す。
 この会話にルルーシュは頭を抱えたくなった。
 しかし、このまま放っておけばこの二人はとんでもない結論に行き着くに決まっている。その後始末をする手間を考えれば、今のうちにきちんと話を付けて諦めさせなければいけない。
「いい加減にしないか、二人とも……」
 そう判断をしてルルーシュは口を開く。
「ユフィ。僕は一応皇族だから、君の騎士になることは出来ない」
 マリアンヌのように騎士候から皇族に取り上げられることはあるかもしれないが……と付け加える。もっとも、それが幸せかどうかはわからない。
「ナナリーも同じ理由で騎士にはなれない。それに、同じ父さんと母さんの血をひいているから、結婚も出来ない」
 たとえ、本人達が望んだとしても、だ。ルルーシュは毅然とした態度で告げる。
「そうなのですか、お兄さま」
「そうだよ、ナナリー。法律が変わるか、僕たちの立場が変われば、また状況は変わってくるかもしれないが……」
 前者は皇帝でなければ出来ないし、後者はすなわち《死》だ。
 だから、不可能だと言っていい。もっとも、そこまでまだ幼い妹に告げるつもりはなかったが。
「……つまらないわ……」
 ユーフェミアにしても理解はしているのだろう。ただ、納得出来ていないようだ。
「騎士にならなくても、ユフィが必要だと言ってくれるなら、いつでも助けに行くよ」
 それではダメかな、と問いかけてみる。母は違っても、彼女もやはり可愛い妹なのだ。
 ルルーシュの言葉を耳にした瞬間、彼女は嬉しそうに笑う。
「……約束、ですよ?」
 必ず助けに来てくださいね、とその表情のままルルーシュの顔をのぞき込んでくる。
「Yes.Your Highness」
 おどけてこう言い返せば、自然と笑い声がそれぞれの口からこぼれ落ちた。


 それは、まだ幼い日の優しい思い出の一つだった。


 エリア11。
 このエリアは、現在混乱の中にある。
 先日、総督であるクロヴィス・ラ・ブリタニアが何者かに暗殺されたのだ。
 人々の表情にどこか不安が滲んでいるように思えるのは、きっとそのせいだろう。
「……無能とはいえ、あの人は高位の皇族だったからな」
 取りあえず、彼の顔を見るだけで安心できた……と言う者は多かったのではないか。誰か――特に軍や警察――に聞かれれば即座に不敬罪に問われかねないセリフを、少年は平然と口にした。
「……でも、あの人の絵は俺も好きだったんだが……」
 彼の性格をそのまま映し出したかのように暖かで柔らかなタッチで描かれていたから、と少年がさらに言葉を重ねたときだ。
「そこの方! どいてください!!」
 頭上からいきなりこんな言葉が降ってくる。
「ほわぁっ!」
 いったい何がと考えていたせいか。それとも今、自分の目に映っている光景が信じられなかったからか。少年の体はその場で凍り付いてしまった。昔から、自分がイレギュラーな事態に弱いとは自覚していたが、今は本気でまずかったかもしれない。
「えぇっ!」
 自分がどのような状況に置かれているのかを理解できたのは、何かの下敷きになってからのことだった。見た目に反して丈夫な体に産んでくれた亡き母に感謝したい。こんなことを考えてしまうのも、自分が混乱しているからなのか。
「……あの……」
 そんなことを考えていれば、頭の上からおそるおそると言った様子で声がかけられた。その瞬間、少年は背中に冷や水を浴びせられたような感覚に襲われる。
 それは、恐怖のためだろう。
 どうして、彼女がここにいるのか。
「大丈夫ですか?」
 だが、それを彼女は気付いた様子はない。その事実に、取りあえず少年は胸をなで下ろす。
「大丈夫ですが……できれば、俺の上からどいてもらえませんか?」
 自分は少女の声を知っているが、彼女は今の自分の声を知らないはず。だから、ごまかせるのではないか。
 もちろん、過信はいけない。
 自分が《自分》である事を、この声の主に気付かれるわけにはいかないのだ。だから、と彼は気を引き締める。
「……あっ……」
 しかし、相変わらずどこか抜けているようだ。自分が少年を下敷きにしていることを指摘するまで忘れていたらしい。
「ごめんなさい」
 このどこか浮世離れした言動を目の当たりにして、自分の緊張感がどこまで続くか。そちらの方が問題ではないだろうか。
「まさか、下に人がいるとは思わなくて……」
 言葉とともに少年の上から重みと温もりが消える。
「俺も……上から人が降ってくるとは思いませんでしたよ」
 まさか、自殺しようとしたわけではないでしょう……と言うように、少々辛辣なセリフを口にしてしまったのは痛む体のせいではない、と思いたい。
「こうでもしないと、部屋から出してもらえませんでしたの」
 本当に申し訳ない、と少女は再び謝罪のことなを口にしながら少年へと視線を向ける。
 次の瞬間、今度は彼女が凍り付いた。
 ここからが正念場だ、と少年は心の中で呟く。亡き母から受け継いだ己の容姿が彼女の記憶を刺激しているらしい。そのことが彼女の表情から推測できた。だからこそ、他人の空似ですませなければいけない。
「どうか、しましたか?」
 そう思いながらこう問いかける。
「……貴方、お名前は?」
 これで呪縛がとけたのか、彼女はこう問いかけてくる。
「リヴァルです。リヴァル・カルデモンド」
 親友の名前を口にした。それが一番耳になじみがあるから、反応が遅れることはないだろう。そう判断してのことだ。
「……リヴァル、ですか?」
 彼女は半信半疑という表情でまた問いかけてくる。間違いなく、彼女は自分の言葉を信じていないのだ、と少年は判断をした。
「はい。それが何か?」
 にっこりと微笑みながら逆に聞き返す。
「本当に?」
「嘘を言ってどうするんですか?」
 きっぱりとした口調でこう言い返した。真っ直ぐに彼女の瞳を見つめていたのは、そうすることで自分の言葉が真実だ、と伝えたかったのだ。もっとも、彼女がどこまでごまかされてくれるかは別問題だろう。
「……本当に貴方は……リヴァル、なのですか? 貴方は、私が知っているる……」
 彼女がさらに問いかけの言葉を口にしようとしたときだ。
「こちらではないのか?」
「わからない。だが、無事にお戻りいただかなければいけない」
 焦ったような声がいくつも耳に届く。その大きさから推測をしてまだそれなりの距離があるのではないか。
「歩けますか?」
 表情を強ばらせながら、少女が問いかけてきた。
「……まぁ、一応……」
 自分も彼等に見つかるのは困る。彼女のように自分の容姿を見て疑問を抱くものがいないとは言い切れない。多少の痛みよりもそちらの方が重要だ、と考えて頷いてみせる。そして、そのまま立ち上がった。
「では、一緒に」
 さりげなく離れていこうとした少年の腕を彼女が掴んだ。
「……えっ?」
 だから、どうしてこういうことになるのか。それを聞きたい。
 しかし、それよりも早く少年の腕を掴んだまま少女が駆け出した。
「ほわぁっ!」
 間の抜けた声と共に少年もまた引きずられるように走り出す。
 自分よりも小柄な女の子に引きずられるなんて、とは思うが、ここで抵抗をしても意味はない。できれば、この状況を知り合いに見られることだけは避けたいな、とそんなことを考える。同時に、途中で振り切ってやろうとも心の中で誓っていた。


 しかし、その決意を果たすことは出来なかった。


 少しは慣れた場所にある公園。そのベンチに少年は座り込んでいた。と言うよりも、既に動くだけの体力がないと言った方が正しいのかもしれない。
「大丈夫ですか?」
 そんな少年の頬に冷たいものがそっと押し当てられる。何かと思えば、少女のものらしいレースのハンカチだ。どうやら、彼のためにわざわざ濡らしてきてくれたらしい。
「……こんな事態は予想していなかったので……」
 昨夜は徹夜に近かったので、と少年は口にする。決して自分の体力が少女に劣っているわけではない、と言外に付け加えた。
 もっとも、幼い頃は三つ下の妹に体力面でも勝てなかったことを考えれば、実は女性の方がいざというときには強いのかもしれない、と思い直す。
「ごめんなさい……どうしても、自分の目でこの街を、そしてここに暮らす人々を見てみたくて……」
 それも、誰にも邪魔されずに……と彼女は続けた。
「……やめておいた方がいいですよ」
 少女が良家の人間だ、と言うことはその立ち振る舞いを見ていればわかる。租界の中は比較的安全とはいえ、絶対ではないのだ。事実、クロヴィスが先日暗殺されたではないか。
「女性の一人歩きとなれば、何者が近づいてくるかわかりません」
 鬱憤を貯めているものは多いのだから、と言外に付け加える。
「でも……きっと次の機会はないと思います」
 あれだけのことをすれば当然だろう。
「なら、諦められることですね」
 大人しく帰って欲しい。そうすれば、これ以上厄介な事態にはならないのに、と心の中で呟く。
「いえ。それはできません」
 自分はどうしてもこのエリアの人々が普通に暮らしている様子を己の目で確かめなければいけない。少女はなおも主張をする。
「それが、わたくしの義務です」
 きっぱりとした口調で、彼女はこうも言い切った。
「ならば、それこそ周囲の人たちをきちんと説得してから出直してくるんですね。貴方に何かあった場合、彼等は責任を取らなければいけないのではありませんか?」
 それでも自分の我を通すのか、と少年は問いかける。
「……ですから、危険なところにはいきません。少なくとも、今日は」
 それに、と彼女は意味ありげな笑みを浮かべた。それが危険信号だと言うことは、過去の経験からわかっている。もっとも、それを相手に気取られるわけにはいかない。
「でも、わたくしはこの租界のこともよくわかりません。案内して頂けませんか?」
 貴方が安全だと思う場所だけで構いませんから、と少女は微笑む。
「俺が危険なところに貴方を放置するとは思わないんですか?」
 本当に、いったい何を考えているのか。そう思いながら、逆に聞き返す。
「貴方はそんなことはしないでしょう?」
 自分を見捨てることはないはずだ、と少女は言い返してくる。
「違いますか?」
 その自信はどこから来ているのか。
「何故、そう断言できるのですか?」
 自分のことがばれているのだろうか。それとも鎌をかけているだけなのかを確認したくて疑問をぶつける。
「貴方は、何だかんだと言ってわたくしを気にかけてくださっていますもの」
 だから大丈夫だと判断をしたのだ、と彼女は微笑み返してきた。
「それに、わたくしを放り出して逃げ出されたら、貴方がわたくしをそそのかしたとみなに言いますわ」
 そうなった場合、困るのはどちらでしょうか……と微笑んだまま彼女は言葉を重ねてくる。
「……脅迫ですか?」
 こんな性格だとは思ってもいなかった、と心の中で呟きながら少年はため息とともに言葉をはき出す。
「いえ。ただのお願いです」
 本当にいい性格だ、と微かに眉を寄せた。
「貴方なら信頼できると思いました」
「そのわりには、俺の名前を聞いてもご自分は名乗っていませんよね?」
 そんな態度なのに、自分のことを信じていると言われて鵜呑みに出来ると思うか、と言外に付け加える。
「あら……わたくし、名乗っておりませんでした?」
 てっきり名乗ったとばかり思っていたのに……と彼女は真顔で言葉を返してきた。
「残念ですが、俺は貴方の名前を聞いていません」
 名乗らなくても大丈夫だと思っていたのではないか。そう思いながら少年はまたため息を吐く。
「失礼しました。取りあえず、わたくしのことはユフィと読んでください。リヴァルル?」
「リヴァル、です。るが一つ多い」
 間違いなく、今のはわざとだ。そう判断して言い返す。
「あら、ごめんなさい」
 貴方が自分の知人によく似ているから……とユフィは悪気はなかったのだ、と首をかしげる。
 しかし、それこそが少年にとって一番言われたくなかったセリフだ。
 そのせいで、今の生活が壊れてしまうかもしれない。そう考えれば、このまま逃げ出したくなる。しかし、それではリヴァル本人に迷惑がかかってしまうだろう。
「そうですか」
 だから、冷静さを必死に保ちながらこう言い返す。
「……ともかく、安全な場所だけでいいのでしたら案内します」
 流石に、先ほどの人たちに追いかけ回されるのはごめんだ。そう口にしながら立ち上がる。
「それでよろしいですわ」
 でも、それならばデートみたいですわね、とユフィは嬉しそうに言い返す。
「……どこからそういう言葉が出てくるのですか」
 本当に、ともう何度目になるかわからないため息を付いた。
「ご自由に」
 自分は義務だけしか果たすつもりはない。この言葉とともに少年は立ち上がった。
「では、ご一緒に」
 そのまま優雅な仕草で手を差し伸べる。
「はい!」
 それに彼女は手を重ねてきた。
 次の瞬間、彼女のお腹が可愛らしい音を立てる。
「その前に、何かを口にされた方がよろしいようですね」
「……でも、わたくし、お金を持っていないのですが……」
 どうしましょう、と彼女は首をかしげた。
 自分にしても財布の中身が決して豊かなわけではない。だからといって、空腹の女性をそのまま引っ張り回すのは自分の信条に反する。
 ではどうするか、と何気なく周囲を見回したときだ。あるものが視界をかすめた。
「……普通の生活をごらんになりたいのでしたよね?」
 たとえ口に合わなくても文句を言うな、と心の中で呟きながら問いかける。
「はい。そう申しましたけど……何か?」
「では、クレープ程度ですがおごらせて頂きますよ」
 本国のクレープとは違うが、それでもそれなりにおいしいものだ。そう言いながら先ほど見つけたクレープの屋台を指さす。
「まぁ」
 その瞬間、ユフィが実に嬉しそうに声を上げた。
「あのようなものがあるのですね。ブリタニアでも屋台はありますが、クレープは初めてです」
 おいしそうですわ、と口にする。
「それは良かった」
 どうやら、それなりに外での経験は積んでいるようだが……それにしても、もう少し常識を持ってもらわないと周囲が大変そうだな。そう思う。
 もっとも、自分には関係のないことだ、とすぐに思考を切り替えた。
「では、行きましょうか」
 ついでに飲み物も買った方がいいだろうな。問題は、どこで食べるか、だ。
 雲が切れてきたからベンチでは辛い。実際、さっき座っていたときに直射日光が当たってきつかったのだ。
 なら、芝生の方だろうか。木陰であれば日焼けも心配しなくてすむだろう。
 そんなことを考えながら、少年は歩き出す。ユフィは当然のように彼に並んで歩き出した。
「あの……」
 ふっと思いついたというように彼女が口を開く。
「何ですか?」
 今度はいったい何を言い出すつもりか、とそう思いながら視線を向ける。
「失礼でなければ、腕を組ませて頂いても構いませんか?」
 今だけで構わないので、とユフィは続けた。
「理由をお聞きしても?」
「……貴方には申し訳ありませんが……貴方に似ている方は、わたくしの初恋の方でしたの」
 もっとも、今は行方がわからないのだが……と彼女は少しだけ悲しげな色を微笑みに加えた。
「ですから……今だけでいいのです。その方と一緒にいる夢を見たいのです」
 こう言われてダメだといえる人間がどれだけいるだろうか。
「わかりました。でも、今だけですよ?」
 これは夢なのだから。そして、夢はいつか覚めるものだ、と心の中で呟く。
 それは自分に言い聞かせていたのだろうか。
「……俺にとっても、君は初恋の相手だったんだがな……」
 ユフィの視線が屋台に向けられていることを確認してから少年――ルルーシュは唇だけでそう告げる。もちろん、それは彼女の耳に届いてはいけない呟きだ。
「まぁ。ずいぶんたくさんありますのね。どれがおいしいのでしょう」
 実際、ユフィはルルーシュの呟きに気付いていない。
「そうですね……俺の知り合いの女性陣は生チョコバナナか生ストロベリーブルーベリーと言ったところが好きなようですが……」
 自分は生チョコプリンのクレープが好きだが、とそう付け加える。
「あら。プリンがお好きですの?」
「きらいじゃないですよ」
 あの食感が好きなのだ、とルルーシュは苦笑と共に言い返す。同時に、今のはまずかったかもしれない。しかし、どうせ食べるなら好きなものの方がいいし……と開き直る。
「俺の場合、おやつはプリンが多かったですから」
 果物は手に入らなくても、牛乳と卵、それに砂糖は何とかなった。だから、それで作っていたのだ。ナナリーも食欲がなくてもそれだけは口にしてくれたし。しかし、それを彼女に告げても意味はない。
「そうでしたか」
 失礼なことを言ってしまいましたか? と彼女は不安そうに問いかけてくる。
「お気になさらず。この年で甘い物が好きな男は珍しいらしく、よく言われますから」
 特にリヴァルには、と心の中で付け加えた。
「そうなのですか? わたくしのお兄さま方には甘いものがお好きな方が多いのですが」
 誰だ、それは……と記憶の中にいる異母兄たちの顔を思い浮かべる。すぐに思い当たったのは、先日死んだクロヴィスだけだ。しかし、ユフィの言葉では他にもいるらしい。ひょっとしたら、自分の面識のない相手ではないかとルルーシュは結論づける。決してあの人であって欲しくはない、と言う願望があったのかもしれないが。
「それは良かったですね」
 確かめるのも怖いから、こう言ってお茶を濁すことにした。


 どうやら『屋台のクレープ』という皇族にはふさわしくないはずの食べ物だが、彼女の口にはあったようだ。嬉しそうに生チョコバナナのクレープを口に運んでいる。
「……あの……」
 その様子を見ていたことに気付いたのか。ユフィが食べるのをやめて首をかしげてみせた。
「どうか、なさいましたか?」
 そのままこう問いかけてくる。
「貴方の口に合うかどうか、心配だっただけです」
 気にしないでくれ、とルルーシュは微笑んでみせた。
「おいしいですわ。でも、そちらもおいしそうですわね」
 一口いただけます? と無邪気そうな口調で彼女は問いかけてくる。
「ユフィ?」
「いいですわよね?」
 彼女の笑みに勝てるものは、ナナリーのそれだけだろうか。結局、自分は妹に弱いのだ、とルルーシュはため息を吐く。
「あまり品のいい行為だとは思いませんが」
 言葉とともに彼女の口元へと自分が食べていた生チョコプリンクレープを差し出す。それに嬉しげにユフィが口を付けようとしたときだ。
「見つけた!」
 不意にこんな声が周囲に響く。それを耳にした瞬間、ユフィの表情が凍り付いた。
「どうかしたのか?」
 こう問いかけなくても、何が起こっているのかは理解できている。彼女の護衛の一人が自分たちを見つけたのだろう。問題なのは、いったいどうやって自分が無関係だと理解させるか、だ。
 ルルーシュがそれを考えている間に声の主は二人に近づいてきていたらしい。
「ダメじゃないですか。お一人で勝手な行動を取られては」
 すぐ側から先ほどの声が聞こえてくる。その声を聞いたことがないのに、どうして自分は既視感を感じているのだろうか。
「で、そちらの方は?」
 誰なんですか? とその声の主がルルーシュの顔をのぞき込んでくる。次の瞬間、相手が息をのんだのがわかった。もっとも、ルルーシュにしても動揺を押し隠すのは精一杯だったと言っていい。
 何故、彼がここにいるのか。
 それよりも、何とか彼が自分の名前を口にすることを阻止しないと。それにはどうしたらいいだろうか、と考える。取りあえず、視線だけで合図を送ろうか。いや、昔決めた符丁の方がいいだろう。そう思ってさりげなく行動してみる。
 しかし、だ。目の前の相手にはそれが通用しなかった……と言うよりも、相手も動揺していただけなのか。
「ルルーシュ! 生きてたんだね!!」
 周囲に響き渡る、などというものではない声でこう叫んでくれた。だけならばまだしも、まるで拘束をするように抱きついてきた。
「おっ……おい! 放せ!!」
「やだ! そのせいで君がまたどこかに行ってしまったら困る」
 いったい、どこの駄々っ子だ。それよりも空気を読め、空気を! と思うが、考えてみれば彼にそんなことは出来ない。空気が読めないどころかその場の空気を壊す人間だった、と今更ながらに思い出した。
「やはりルルーシュでしたのね」
 ユフィが嬉しそうにこう言ってくる。
「きっとスザクが一番に見つけてくれると信じていました。引き留めておいて正解でしたね」
 つまり、今までのことは全て計算ずくの行動だったのか。
 その事実を告げられてルルーシュはショックのあまり呆然としてしまう。いや、ひょっとしたらスザクに力一杯抱きしめられているからかもしれない、と思い当たったのは、次第に意識が遠のき始めたときだ。
「枢木。ユーフェミア様は見つかったのか?」
 聞き覚えがあるような声が聞こえる。しかし、これは誰のものだっただろうか。
「ちょうど良かったですわ。ルルーシュを見つけましたの! 大至急、お姉様にご連絡をとってください」
 それと、彼を連れて行きたいから車も、と指示を出しているユーフェミアの声が次第に遠くなっていく。
「ルルーシュ?」
 この問いかけが誰のものだったのか。それすら確認できないまま、ルルーシュの意識はブラックアウトしてしまった。


 気が付いた場所は、どうやら政庁の中の一室らしい。それも、皇族のプライベートエリアではないか。そう判断したのは、幼い頃に過ごしたアリエス離宮によく似ていたからだ。
 しかし、それよりも今は、いったい何時間自分は気を失っていたのかの方が気にかかる。
「ナナリーが、心配しているな」
 小さな声で、こう呟いたときだ。
「では、ナナリーも元気なのですね?」
 すぐ近くでユーフェミアのする。視線を向ければ、枕元にイスを用意してルルーシュの寝顔を見つめていたらしい。
「……貴方は……」
「そんな他人行儀な口調はやめてください。昔通り『ユフィ』で構いません」
 そうでなければ許さない、と彼女は言い切る。
「残念ですが、殿下。既に俺たちは皇族ではありません」
 第一、死んだことになっている人間だ。何よりも、自分もナナリーも、二度と皇族に戻るつもりはない。そう言いきる。
「ですから……」
 もう二度と会わない方がいいだろう。そう付け加えようとしたときだ。
「それならば、ルルーシュはわたくしの騎士になれるわけですね?」
「……何を……」
 いきなり言い出すのか。体を起こしながらこう問いかける。
「だって、向かし言っていたでしょう? ルルーシュがわたくしの騎士になれないのは皇族だからだって」
 だから、と彼女は満面の笑みを向けてきた。
「今ならば構わないでしょう?」
 ルルーシュは《自分の兄》ではないのだから、とユーフェミアは手を叩く。
「そういう問題ではない!」
 自分たちがどうして隠れていたのか、それを考えて欲しい。ルルーシュはそう口にする。
「俺もナナリーももう政治の道具になるのはごめんだ! ここでひっそり暮らして行ければ、それでいい」
 だから、クロヴィスが自分たちを捜していると知っていても名乗りでなかったのだ。
「ルルーシュ……」
「……俺たちはもう死んだはずの人間だからな。どう利用しても構わない。そう考える人間がいてもおかしくはないと言うことだ」
 皇帝であれば、丁度いい駒が戻ってきたというに決まっている。心の中でそう付け加えた。
「だから……俺たちのことは忘れた方がいい」
 再会できたのも、一瞬の夢だったと……とルルーシュは続けようとする。
「いやです!」
 絶対にいやだ、とユーフェミアは叫ぶ。
「そうだな。私もそれはごめんだ」
 それに同意をするように聞き覚えがある別の声が耳に届いた。
 さびたブリキ人形のようにどこか不自然な動きで視線を向ければ、そこにはユーフェミアの同母姉がいた。
「……コーネリア姉上……」
 そして、そのは囲碁にスザクの姿も見つけてしまう。
「まだ、姉と言ってくれるのだな」
 嬉しげにコーネリアがこう呟く。そのまま彼女は真っ直ぐにルルーシュの側へと歩み寄ってきた。
「お前もナナリーも生きていてくれたとは……大丈夫だ。お前達も私が守る」
 そのまま、彼女はしっかりとルルーシュを抱きしめる。ユーフェミアと違い、彼女の腕力は軍人として鍛え上げられているものだ。さらに体勢の関係でルルーシュの顔は彼女の胸に押しつけられることになってしまう。
「ユフィの騎士になるならないはお前の自由だ。だが、できれば側にいて欲しい」
 その方が守りやすいから、と言われても、頷くことも出来ない。
「お前とユフィが出会ったのは、間違いなくクロヴィスの最後の贈り物だろうな」
 感激してくれているのは嬉しいが、酸欠になる前に放して欲しい……とルルーシュは心の中で呟く。第一、同じ父の血をひいているとはいえ、自分は健全な肉体を持った男だ。こんなことをされて困る状況になるとは考えないのか。
「お姉様! ダメです。ルルーシュはわたくしに優先権があります!」
「いいではないか。お前はずっとルルーシュの寝顔を見ていたのだろう?」
 それに、自分よりも先にナナリーとも再会できるではないか、とルルーシュを抱きしめたままコーネリアが言い返している。
「それに、お前はルルーシュとデートをしてきたではないか」
「それはそうですが……でも、そんな風にルルーシュを抱きしめていません!」
 せいぜい腕を組ませて貰っただけだ、とユーフェミアは言い返す。
「だから、返してください」
 言葉とともに背後からルルーシュに抱きつく。そして、全身の力でコーネリアから彼を引き離そうとした。
「ユフィ。少しぐらいかしてくれてもいいだろう」
「いやです!」
「けちけちするな」
 頭の上で会話されるだけならばまだしも、こんな風に取り合いの対象にされては本気でまた意識が遠のきそうだ。
「……あの、殿下方……」
 珍しく空気を読んだのか。それとも、またあのエアクラッシャーぶりを発揮するつもりか。どちらなのかわからないがスザクが口を挟んでくる。
「何だ?」
「どうかしましたか?」
 ふっと二人の腕の力が少しだけだが抜けた。ユーフェミアのおかげで、コーネリアの胸から顔が離れていたから、これで呼吸が出来る、とルルーシュは思う。
「ルルーシュの顔が真っ青です……そのままだと、最悪、窒息するのではないかと……」
 良くいってくれた。今回だけは感謝をしよう。ルルーシュは心の中でそう呟く。
「あぁ、すまん、ルルーシュ」
「大丈夫ですか?」
 慌てたように二人はルルーシュを解放してくれる。
「そう思うなら、もう少し状況を考えてから行動してください!」
 本当に、どうしてこういうことになったのか。そう思いながらも、ルルーシュは目の前の相手をしかりつける。
「だって……ルルーシュはわたくしに優先権が……」
「死んだと思っていた相手に再会できたのだ。これほど嬉しいことはないに決まっているではないか。まして、お前はマリアンヌ様の子供なのだし……」
 二人はそれぞれいいわけを口にする。そんな彼女たちに何と言い返すべきか。
 それ以前にはたして彼女たちは自分の言葉に耳を貸してくれるのだろうか。貸してくれないような気がしてならない。こう結論を出すとルルーシュは小さなため息を吐いた。


 ルルーシュがユーフェミアに押し切られるまで、そう時間はかからなかった。
 その結果、彼は当然のように彼女に振り回されることになる。だが、それはまた別の話だろう。







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