「ナナリー。無理をしてはいけないよ」
ベッドの上で先ほどからレース編みをしている異母妹に向かって、クロヴィスがこう声をかけている。
「わかっております、クロヴィスお兄さま」
でも、と彼女はそっと反論の言葉を唇に乗せた。
「ユーフェミアお姉様がお帰りになる前に、完成させたいのです」
この言葉に、側にいたユーフェミアは驚いたように目を丸くする。
「わたくしに、ですか?」
思わず問いかければ、ナナリーは小さく頷いてみせた。
「これならば、お姉様のお側に置いて頂いても大丈夫ではないかと思いますし……」
自分には、このくらいのことしかできないから……と彼女は小さな声で付け加える。
「何を言っているんだい、ナナリー」
「そうですわ。ナナリー。わたくしもお姉様も、貴方とルルーシュが生きていてくれたこと以上に嬉しいことはないのに」
それしかできないなどと言わないで欲しい、とユーフェミアはそっと彼女の手に自分のそれを重ねた。
「それにね、ナナリー。この前、ナナリーがくれたハンカチを持っていっただろう? みなが感心していたよ」
ナナリーの作品は、誰が見ても見事だと言っていたよ……とクロヴィスも口にする。
「以前貰ったものは全て、額に入れて執務室に飾っておいたのだが……姉上に処分されていないだろうか」
ルルーシュから貰ったものもあるのに……と彼は不意に不安そうな表情を作った。
「いや……バトレーがいるから、大丈夫か」
彼であれば、あれらが誰の作品であるかをわかっている。だから、コーネリアが不要と判断をしても、自分の部屋に移動させておいてくれるだろう。クロヴィスはそうも付け加える。
その言葉に、ユーフェミアは先日から何度も足を運んだ総督府の執務室の様子を思い出す。確かに、壁に繊細なレース編みや可愛らしい刺繍が綺麗に額に入れられてかけられていた。
てっきりそれは、この地で彼が見いだしたものかと思っていたのに。
「あれをルルーシュとナナリーが?」
信じられない、とユーフェミアは呟く。
「私に、編み物や刺繍を教えてくださったのはルルーシュお兄さまですわ」
ルルーシュは何でもできるのだ、とナナリーが嬉しげに告げる。
「そうだね。ルルーシュはナナリーのためにいろいろと努力をしているね」
料理だけではなく、ナナリーに教えるために編み物や刺繍もプロレベルまで身につけたからね……とクロヴィスも頷いてみせた。
「……ルルーシュったら……」
相変わらずナナリーが一番なのか、と少し恨めしくなる。それでも、彼等の今までの生活を考えたらそれもしかたがないのか、とすぐに思い直した。
「これでは、わたくしの立場がなくなってしまいますわ」
皇女である、と言うことはもちろん、クロヴィスやコーネリアのように突出した才能があるわけではない自分は、せめて女性らしい趣味でそれなりの技術を身につけようと思っていた。
しかし、どう考えてもルルーシュはもちろんナナリーにも劣っているようにしか思えない。
「ユーフェミア。考えすぎだよ」
クロヴィスはため息とともに声をかけてくれる。
「……お兄さまが覚えられたのは……そうすれば、少しでもお金を節約することができたから、だそうですわ」
自分がこうだから、ルルーシュが全てをしなければならなかったから……とナナリーも顔を伏せた。
「ナナリー……」
彼女にそんなことをさせるつもりはなかったのだ。そして、ルルーシュがどのような理由でこれらを覚えていったのか、想像できなかった自分が恥ずかしいと思ってしまう。
「そういえば……この前のお茶会の時にナナリーが着ていたワンピースも、ルルーシュが作った物だったのだろう?」
ユーフェミアの気持ちを察したのか。それとも、ナナリーに負担をかけてはいけないと思っているのか。クロヴィスが口を開く。
「はい。私には色や何かはわかりませんでしたが、とても着やすかったです」
「大丈夫。色も装飾も、ナナリーによく似合っていたよ」
ルルーシュが作ったのだから、それは当然のことだろうけど……とクロヴィスは笑う。
「あれのデザインは、私がしたのだよ」
そして、こう付け加えた。
「そうなのですか?」
「あぁ」
我ながら、あれはよくできたデザインだった。そして、ルルーシュの技術は本当にナナリーに対する愛情から来るものだろうね、とも付け加える。
「……わたくしも見てみたかったですわ」
ユーフェミアは素直にこう口にした。
「ナナリーが退院するころには、私も元通り執務を取れるようになっているだろうからね。お祝いの席でも設けようか」
公ではなく身内だけで……とクロヴィスは微笑む。そうすれば、ルルーシュとナナリーが同席しても大丈夫だろう、と彼は続けた。
「その時に、ナナリーに着てもらえばいいよ」
もっとも、ルルーシュのことだからそういうときには新作を作りかねないが……と彼がさらに言葉を重ねたときだ。
「俺が、何ですか?」
不意に背後からこんな問いかけが飛んでくる。どうやら話に夢中になっていたせいで、彼等が入ってきたことに気付かなかったらしい。これがコーネリアであればそのようなことはないのだろうが、とも思ってしまう。
「この前ナナリーが着ていたワンピースがよく似合っていたからね。退院するときに、また新しいものを作るかもしれないね、と言っていただけよ」
「……あれですか。兄上ももう少し作りやすいデザインにしてくださればよかったのに」
勝手にアレンジさせて貰ったからいいですけどね、とルルーシュは苦笑を浮かべる。そのまま、そうっと持ってきたバスケットをテーブルの上に置いた。
「……コーネリア、姉上は?」
周囲を見回して、彼はこう呟く。
「お姉様でしたら……もうじきいらっしゃるお時間ですけど」
少なくとも、約束した時間にはなっている。だが、何かあったのかもしれない、とユーフェミアは心の中で付け加えた。
「……たいがいのことは、バトレーとダールトン将軍が対処してくれるはずだが……」
どうにもならないとすれば、本国からの連絡か。クロヴィスがこう告げた瞬間だ。陶器がぶつかるような音が周囲に響く。
「あっ……」
その後に慌てたようなルルーシュの呟きが続いた。
「……ルルーシュ、大丈夫だよ」
お皿、割れてないから……とスザクの声が周囲に響く。視線を向ければ、どうやらルルーシュが手を滑らせて落としてしまったお皿をスザクが受け止めたらしい。
「すまない、スザク」
その事実に、ルルーシュがほっとしたような表情でこう告げる。
「気にしないでいいよ。ルルーシュのフォローなら、いくらでもしてあげるから」
堂々とできるのが嬉しいくらい、とスザクは微笑みとともに言葉を返した。
「スザク」
「はい、お皿」
そんな彼に何かを言い返したい、と言うような表情をルルーシュは作っている。しかし、スザクの方は平然とした表情を作って彼にお皿を差し出した。
「……あ、あぁ……」
虚をつかれたのか。ルルーシュは頷くことしかできないらしい。そんなことができる人間がナナリー以外にいるとは思わなかった。
「あのタイミングの見極め方を、是非とも教えて貰いたいものだ」
同じ事を考えていたのだろう。クロヴィスがこう呟いている。
「スザクさんのあれはほとんど本能だそうですから、お兄さま方では無理ではないかと……」
ナナリーがさりげなくものすごいセリフを口にしているような気がするのはユーフェミアだけだろうか。
「スザクさんも、はじめはお兄さまと衝突されてばかりだったのですが……武道の延長でできるようになられたとか」
頭で考えていてはルルーシュのタイミングを掴むのは不可能だ、と彼女は微笑んでみせる。
「私も、考えているわけではありませんから」
だから、やはり本能かもしれない……とナナリーは微笑む。
「……むずかしいものだね……」
クロヴィスがため息とともにこう呟く。
「そうですね。やはり、側にいられる時間が絶対的に少ないのでしょうか」
しかし、それは……とユーフェミアはため息を吐いてしまった。
その間にもルルーシュはお茶会の準備をしていたらしい。
「取りあえず、こちらのプリンと焼き菓子は特派の方々用だから……ロイドが来たときに渡せばいいか」
今日はあちらに行かないのだろう? と彼はスザクに問いかけている。
「うん。でも、そこまで気を遣わなくてもいいのに」
人数が多いから、作るのが大変だったのではなかったのか……とスザクが聞き返した。
「焼き菓子の方は日持ちがするからな。毎日少しずつ作っていただけだ」
一人でクラブハウスにいるとどうしても手持ちぶさただから、とルルーシュは苦笑とともに告げる。
「なら、言ってくれれば僕が泊まりに行ったのに」
「人の気分転換方法に文句を付けるな」
これ以上何か言ったら、お前の分はないぞ! というのは脅迫になるのだろうか。
「わぁぁ! ルルーシュ、ごめん!」
いや、十分になるのか……と、目の前の様子から判断をする。
「ナナリー。苺のムースと桃のムースのどちらがいい?」
スザクに言葉を返す代わりに、ルルーシュは妹へと声をかけた。
「……なら、桃のムースを」
「わかった。兄上はどれがよろしいですか?」
一応、ムースも複数作ってきたから、余裕はありますが……と今度はクロヴィスに問いかけている。
「彼ではないけれど、あまり無理をしてはいけないよ、ルルーシュ」
これだけ作るのにどれだけ時間がかかったのかな、と彼は問いかけた。
「それほど手間はかかっていません。スポンジケーキがあれば別ですが、今回はタルトがメインですから」
それに、これだけあればバトレー達にも行き渡るだろう。そういってルルーシュは微笑む。
「……綺麗でおいしそう」
その事実にどう反応をすればいいのか。
「……ずるいですわ」
無意識のうちにこんなセリフが唇から転げ落ちてしまう。
「ユフィ?」
「ユーフェミアお姉様?」
「何が『ずるい』のかな、ユーフェミア」
三人からこう問いかけられる。
「ナナリーはしかたがありませんわ。でも、クロヴィスお兄さまだけ、ルルーシュの手料理を堪能していたなんて、やはりずるいですわ!」
自分も食べたかったのに! というのは八つ当たりだとわかっていた。それでも、と思ってしまうのだ。
「……ユフィ……」
「わかっています! でも、やっぱり悔しいんですもの」
この悔しさをどうすれば解消できるのだろうか。
「ユーフェミア……私の分も食べるかい?」
おずおずとクロヴィスが提案をしてくる。
「そういう問題ではありません!」
確かに、二つというのは魅力的だ。それでも、後々のことを考えればそんなことをするわけにはいかない。
「……ユフィ、兄上を困らせるな」
ルルーシュがため息とともに言葉を口にする。
「俺の手料理が食べたいなら、また作ってやるから」
そういう問題でもないのだが、と思いつつ、彼の提案はとても魅力的だ。
「ただし、ぷにぷにになっても責任は取れないぞ」
「ルルーシュ!」
その一言は! と文句を言うユーフェミアに、ルルーシュが声を立てて笑う。それは、コーネリアやロイドがやってくるまで続いた。
「もう、許しませんから……見ていらっしゃい、ルルーシュ」
こうして、ユーフェミアはコーネリアが総督を務めている間このエリアにいられるようにあれこれ工作を始めたのだった。
それが功を奏したかどうかは、また別の話だろう。
07.09.28up
|