その女性を初めて見つけたのは、まちがいなく自分だった。
 そして、彼女に恋情を抱いたのも、まちがいなく自分の方が先だったはずだ。
 確かに、それは子供が抱く淡いものだったかもしれない。それでも、いつかはあの女性に自分の隣にいて欲しい。そう思ったとしても罪はないはずだ。  それなのに……あの男は自分が《皇帝》というだけで、あっさりと自分の前からあの女性を奪い去ってしまった。
 父のものになってしまったのであれば、諦めなければいけない。
 それはわかっている。
 でも、そうできないのはどうしてなのか。
「……あぁ……まだ、私にもできることがあったな」
 あの女性を手に入れるために。
 もちろん、それが周囲にばれれば身の破滅を招くと言うことはわかりきっている。しかし、その時は相手の女性も一緒だ。それは自分があの人を永遠に手に入れられる、と言うことでもあるはず。
 破滅が待っていたとしても、この気持ちは止められない。
 いや、それだからこそ余計にふくらんでいくのだろうか。

 その答えがわからぬまま、禁忌を犯した。

「……何故、ですか……殿下」
 何故、このようなことをしたのか、と彼女は問いかけてくる。
「貴方を手に入れたかったからですよ」
 それに彼は平然と言い返した。
「ですが……」
 これは許されないことだ、と彼女は涙をこぼす。
「だが、これで貴方は私を忘れない。貴方の中に、私という存在が刻みつけられたのなら、今すぐ、父上に死を命じられたとしても本望です」
「……殿下……」
「貴方に罪はない。罪があるのは、私だ」
 自分の気持ちを抑えきれなかった、と囁きながら静かに涙をこぼす彼女の体を抱き寄せる。
「本当は、私の方が貴方と先に出会っていたのに……」
 地位と年齢さえ父に負けないものであれば、と耳元で囁く。
「……それでも、私はただの平民です。殿下のお側にあがることもできませんでした」
 本来であれば、と彼女はそう口にした。
「それでも、私には貴方が必要だったのですよ、マリアンヌ」
 貴方さえ側にいてくれれば、それでよかったのだ。そういえば彼女の涙はさらにあふれ出す。
「……シュナイゼル殿下」
 それでも、許されることではない。彼女はそう告げる。
「ですから、二度と、殿下とはお会い致しません……今日のことも忘れさせて頂きます」
 はじめから夢だったのだ。だから……と彼女はそっと身を離す。そして、鮮やかな微笑みをその口元に刻んで見せた。
「そのようなこと、許さない」
 自分を忘れるなんて……とシュナイゼルは言い返す。
「殿下」
「貴方を失うくらいなら、世界を失った方がいい」
 だから、どのような手段を使ったとしても、貴方を諦めない。きっぱりとした口調でそう告げる。
「たとえ貴方が誰のものになろうと、私は貴方を諦めない」
 忘れないで……と言うシュナイゼルに、マリアンヌは悲しげに瞳を揺らした。

 その後、彼女は一人の男の子を産み落とした。
 彼女によく似た黒い髪と、皇族の深い紫の瞳のその子は、父よりも自分に似ている。半分しか血がつながっていないのに……と他の者達の言葉に、シュナイゼルはうっすらと口元に笑みを刻む。
「……どうやら、運命は私に微笑んでくれたようですね」
 真実がどうなのかはかまわない。
 ただ、あの子供が自分と彼女の絆をつなぎ直してくれたことは事実だ。
「可愛いルルーシュ……」
 お前のおかげだよ、とシュナイゼルは呟く。
「いずれ、お前も私の手元に呼び寄せよう」
 マリアンヌとともに……付け加えながら彼は視線を外へと向ける。そうすれば、乳母に抱かれて皇帝へと謁見に向かう彼の姿を確認することができた。

 いつからだろう。
 自分の中での比重がマリアンヌではなくルルーシュへと傾き始めたのは。
 そして、自分の母が真実に気がつき始めたのは。
 皇帝の寵愛が深いとはいえ、その身は元平民。そのせいだろうか。彼女の元を訪れるものはいない。そして、彼女はまた先日、新しい命をこの世に誕生させた。それはまちがいなく、ブリタニア皇帝の血をひく子供だろう。
 その事実に、数少ない使用人達の意識は、母子に集中している。
 同時に小さな子供は好奇心旺盛だ。
 一人で置かれた子供がこっそりと離宮を抜け出したとしてもおかしくはない。
 そんな子供に近づくことは、何よりもたやすいことだった。
「だぁれ?」
 真っ直ぐに視線を向けながら、ルルーシュがこう問いかけてくる。
「私か?」
 他に誰もいないであろうことはわかっていても、こう聞き返した。そうすれば、ルルーシュはこくんと頷いてみせる。
「私はシュナイゼルだ」
 微笑みとともにこう告げれば、ルルーシュは首をかしげた。
「しゅにゃーじぇるあにうえ?」
 まだ舌がうまく回らないのだろう。子供らしい口調で彼は確認の言葉を口にする。
「そうだ」
 頷いてやれば、彼は嬉しそうに微笑む。
「あにうえ」
 そして、自分に向けて手を差し出してきた。その小さな体を抱き上げてやる。
「いいこだな」
 腕に伝わる重みが愛おしい。
 この子は、まちがいなく自分の子だ。
 そんな想いがシュナイゼルの中でわき上がる。
 だが、と冷めた思いもあることは否定しない。だから、後でこっそりと確認をさせよう。そして、確信が真実へと変わったときには、自分の全てをかけてでもこの子供を守ってみせる。
 シュナイゼルはそう心の中で呟く。
「あにうえ、るるにいもうとがうまれたのです」
 可愛い赤ちゃんだって、とルルーシュはシュナイゼルの気持ちに気付くことなく、そう告げる。
「ルルーシュも可愛い赤ちゃんだったと聞いているよ」
 自分によく似ていた……と言う言葉をシュナイゼルは口にしない。
「……ほんとう?」
「本当だとも……あぁ、チェスを教えて上げよう」
 少し難しいかもしれないが、ルールを覚えれば楽しいゲームだよ……と彼に告げる。
「あにうえが?」
「そう、私が」
 この言葉に、ルルーシュは本当に嬉しそうに笑った。

 かつて、この子供の母の元を訪れたときのように、人目をはばかりながらシュナイゼルは小さなルルーシュの元へと足を運んだ。もっとも、誰に見とがめられても困らなかっただろう。
 自分がこの弟を気に入ったのだ。
 そういったとしても、周囲には何を言う権利もない。
 だが、そうなればなったで、この子供に余計なことを吹き込むものがいないとも限らない。それではこの子のためにはならないだろう。
 しかし、まさかクロヴィスまでこの子を気にいるとは思わなかった。
 彼はせっせとルルーシュの元へ足を運んではチェスの勝負を仕掛けているという。しかも、七つも年下の子供に負けるのを楽しんでいるらしいのだ。
「それはそれで、目くらましにはなるであろうな」
 自分があの子供に抱いている感情に。いや、それ以前にあの子供と自分の真の関係の……とシュナイゼルは笑う。
 もっとも、母は気付いているのかもしれない。
 母親という存在は、自分の子供の異変にどうしてこうも賢しく気付くのか。
 だが、彼女にしてもあの子供の母親の存在は気に入らなくても自分の血をひいている存在までは憎めないようだ。
 だから、あの子に関しては大丈夫だろう。
 シュナイゼルはそう確信していた。

 そして、悲劇は起こった。

 宮殿内に忍び込んだテロリストによってマリアンヌとナナリーが襲撃された。ルルーシュが難を逃れたのは、たんにクロヴィスに呼び出されていたからだ。それを促したのが自分の母だと言うことをシュナイゼルは知っていた。
 そして、あの宮にテロリストを導いたのが誰かも、だ。
 しかし、それを口にするつもりはない。
 それよりも先にしなければいけないことがあるのだ。
 マリアンヌは天に召され、ナナリーは重体だという。命が助かっても、二度と自分の足で歩くことはできないのではないか。そう聞いている。
 母と妹を大切にしていた、あの小さな子供にとってそれは大きな衝撃だろう。
 何よりも、後ろ盾を失ってしまった幼い子供にこの場所は伏魔殿のように恐ろしい場所だとしか言いようがない。
 逆に言えば、あの子供を手元に呼び寄せるいい機会だと言える。そう判断をして、シュナイゼルは行動を開始した。
「……シュナイゼル殿下?」
 いきなり現れた第二皇子に誰もが驚愕を隠せない。
「ルルーシュは?」
 そんな彼等に向かって、シュナイゼルはこう問いかける。
「ICUの側にいらっしゃいます」
 ナナリー皇女殿下のお姿が見える場所に……と看護士の一人が告げた。そのまま、シュナイゼルを案内するかのように歩き出す。
 その判断に、シュナイゼルは満足そうに微笑むと後を着いていく。
 しばらくして、大きな窓にすがりつくようにしている愛おしい子供の姿が目に入ってきた。
 立ち止まった看護人を追い越すようにして、シュナイゼルはそんな彼の側に歩み寄っていく。
「ルルーシュ……話を聞いたよ」
 そっとその小さな肩に手を置いて呼びかける。そうすれば、彼が自分を見上げてくるのがわかった。
「兄上……母上とナナリーが……」
「わかっている。犯人は、今探させている」
 だから、何も心配はいらない。そう口にしながらその体を抱きしめる。
「……兄上……」
 張っていた気がゆるんだのだろうか。ルルーシュの声が震える。
「お前達のことは、私が引き取ろう。だから、何も心配はいらない」
 私が守ってやろう……とそうっとその耳元で囁いた。
「兄上……僕は……」
「いいこだ。ルルーシュ」
 そっと髪をなでてやれば、彼はシュナイゼルの胸に頬を押し当てて泣き始める。そんな彼を愛おしげに見つめながら、シュナイゼルの心は歓喜で満たされていた。
 ようやく、大切なものを手にすることができた。
 これは自分だけのもの。
 もう、誰にも渡さない。自分の手の中で、一生、慈しむのだ。
 そのためには、どのようなことでもしよう。
 ナナリーの存在も、そのための枷となってくれるはず。どうでもいいとは言える彼女だが、そのために有効な手段となるのであれば命を長らえさせてやってもかまわないだろう。
「だから、ずっと私の側にいるといい」
 こう囁くと、シュナイゼルは秘やかに笑みを漏らした。




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07.01.25up