ルルーシュが手元に来てから、自分の世界は華やぎをましたような気がする。それは、きっと、目の前の何にもまして大切な微笑みのせいだろう。
「おはようございます、兄上」
 少しはにかんだような表情で、ルルーシュは毎朝、挨拶を送ってくれる。
「おはよう、ルルーシュ」
 そんな彼の額にキスを贈るのが最近の日課になっていた。
 いや。本当はもっと別の場所にキスを贈りたい。そうも考えてしまう。しかし、そんなことをすれば、この可愛い子供はきっと逃げ出してしまうだろう。だから、今は我慢するしかない。
 それに、別の場所へのキスなら、既に数え切れないほど繰り返しているのだ。
 もっとも、それをこの子供に知られるわけにはいかない。少なくとも、今は……の話だが。いずれ、自分の感情をルルーシュが理解できるようになるまでは、何も言わずにいよう……とシュナイゼルは考えている。
「今日もナナリーの所かな?」
 そう声をかければルルーシュはしっかりと頷いて見せた。
「はい。ようやく、話をしてくれるようになったんです」
 だから、と嬉しそうに告げるルルーシュは本当に可愛らしい。だから、シュナイゼルにしてもそれを止めようとは思わない。
「よかったね」
 頷いてやれば、ルルーシュはさらに嬉しそうに微笑む。この表情が見られるのであれば、多少のことは妥協できるだろう。ナナリーに向けられるそれとは違うが、ルルーシュは自分には信頼と尊敬を滲ませた笑顔を見せてくれるのだし、ともシュナイゼルは考える。
「時間が取れたら、私も見舞いに行こう。ナナリーにはそういっておいてくれ」
「はい。シュナイゼル兄上」
 ナナリーも喜びます、とルルーシュは口にする。
「あぁ、このままでは朝食が冷めてしまうね。ルルーシュはまだ小さいのだから、しっかりと食事を取らなければいけないよ」
 そうしないと、大きくなれないからね……と付け加えれば、彼は小さく頷いた。
「いいこだね」
 言葉とともに、そっと黒絹の髪に指を絡める。シュナイゼルが毎晩、きちんと手入れをしてやっているからだろうか。それは絡むことなく、さらさらと指の間を通り過ぎていく。その感触が心地よい。いつまでも繰り返していたいと思うが、それではルルーシュに朝食を食べさせてやることができなくなってしまうだろう。そう考えて、手を引く。
 しかし、その瞬間、ルルーシュは少し寂しいというような表情を作った。
 それはきっと、自分の手が彼から離れてしまったからだろう。そう考えただけで、シュナイゼルの体を歓喜が走り抜ける。
 そのまま、もっともっと、自分に依存すればいい。
 自分の手の中で花のように綺麗に微笑んでいればいい。
 そして、自分がいなければ生きていけなくなってくれればいい。
 こんなことも考えてしまう。
 しかし、自分のこんな気持ちはこの子供に気付かれてはいけない。だから、今はまだ微笑みだけを向けていた。

 そんな至福とも言える時間が、不意に取り上げられるとは、思ってもいなかった。自分のなしてきたことを考えれば、この程度のワガママは許されるとそう信じていたのかもしれない。
 だが、それは幻想だった。
 新しいエリアの侵略と構築。それを命じられて、シュナイゼルはルルーシュとナナリーを残して国を離れていた。そして、時を同じくしてロイドもまた別の地へと派遣されていた。
 まるでその隙をつくかのように、ルルーシュ達は関係が悪化していた日本へと送られたのだ。
 そして、シュナイゼルがその事実に気付いたときにはもう、ブリタニアの日本侵攻が始まっていた。
 ルルーシュ一人であれば何とかなったのではないだろうか。あの子は聡い子供だから、自分で自分の身を守ることも可能だっただろう。そして、ロイドがおもしろがってあの子供にあれこれ教え込んでいたことも覚えている。
 だが、あの体の不自由な妹が一緒ではどうなのだろうか。
 せめて、もう少し早くその事実を掴んでいれば、信頼できるものを送り込めたのに……とそう思う。
 だが、もう遅い。
 戦火の中に、愛おしい存在は消えてしまった。

 エリア11と名を変えた日本に派遣されたのはクロヴィスだった。
 ルルーシュとナナリーを気に入っていたあの弟は、少しでもその痕跡を探し出そうとしているらしい。しかし、手がかりすら見つけられないようだ。
「……ルルーシュ……」
 大切な存在を二度も奪われなければいけないのか。
 そう思えば怒りすらわいてくる。だが、それはすぐに虚無感へとすり替わってしまった。
 ルルーシュがいないというのに、どうして自分はなおも高みを目指さなければいけないのか。もう、その必要はないように思える。
「いや、違うな」
 だからこそ、自分はあの至高の座に着かなければいけないのだ。そして、この手で全てを壊してしまえばいい。それこそ、自分からルルーシュを奪った者達の目の前で、だ。
 その後はどうなろうとかまわない。
 世界が壊れようと何をしようと、それは自分からあの愛おしい存在を奪った者達の罪ではないか、とも。
 それに、とシュナイゼルはうっそりと嗤う。
 その時にはもう、自分は愛おしいあの子の側に向かっているはずだ。
「……いや、それは無理か」
 自分はきっと、あの子達と同じ場所には行けない。自分の手は罪に染まっている。あの子達は無垢なまま天に召されたのだから、きっと、綺麗な世界で幸せに暮らしているだろう。
 それでも、万に一つの可能性がないとは言えないではないか。
「ルルーシュ……見ておいで」
 そして、待っておいで……とシュナイゼルはさらに笑みを深める。それでも、自分は世界を壊して見せようと。そのために、どれだけの血を流したとしても後悔はしない。そう呟いて、彼は低い笑い声を漏らした。

 そんな彼の元に悪友が顔を出したのは、クロヴィスがエリア11に向かってからしばらくしてのことだった。
「で〜んか」
 お願いがあるんですけどぉ……と彼は以前と変わらない口調で言ってくる。
「何だ?」
 ルルーシュがいない自分の離宮に帰ってもしかたがない。何よりも目的のためには、不本意でもブリタニアをさらに反映させなければいけないだろう。そのためには仕事をしなければいけないことも事実。そんなことを考えながら、彼へと視線を向ける。
 そのためには、彼にも手伝ってもらわなければいけない。その報酬の先払いだとするならば、多少の無理は利いてやろうとも思う。
「特派をエリア11に派遣してもらえませんかぁ?」
 だが、彼の口から出たのは予想もしていないセリフだった。
「理由を、聞いてかまわないかな?」
 少なくとも、この男があの愛おしい存在を飲み込んだ場所に足を踏み入れるとは思えない。それなのにどうして、と思ったのだ。
「アッシュフォードが、妙な動きをしているんですよぉ。まるで、埋められた宝物を必死に掘り返しているようだ、と言えばいいのでしょうかね」
 考えてみれば、自分たちはあの存在が本当に失われたかどうかを確認していないのだ、と彼は続ける。
「だから、確かめようかと思いまして」
 ほんの僅かでも可能性が残されているのであれば、とロイドは真剣な表情で付け加えた。
「……アッシュフォードが?」
「そうですよ、殿下。確かに、マリアンヌ様が亡くなられた後、あの家は爵位を取り上げられました。だからといって、本国を離れる理由はないはずです」
 まして、まだ混乱の中にあるエリアに本家を移動する必要はないはずだ、とも。
 理由があるとすれば、ブリタニア本国に置いておくにはまずい《何か》を隠そうとしているからではないか、とも彼は続ける。
「あの子が?」
「可能性は否定できませんでしょう?」
 だから、といってロイドは笑みを浮かべた。
「もし、あの方が迷子になっているのであれば、お迎えに行かないとダメでしょう?」
 シュナイゼルがいけないのであれば、自分が行くしかないでしょう? と彼はさらに笑みを深める。
「……ロイド……」
 微かな希望が、シュナイゼルの中に生まれた。だが、それに飲み込まれてはいけない、と冷静に告げる声もある。下手にそれにすがってしまっては、自分は自分の目的を果たせなくなってしまうだろう。
「わかった。あの地にはサクラダイトがある。それを理由に、クロヴィスの許可を取る」
 だから、自分はいくことはできない。
 その代わりに、今となっては誰よりも信頼できる唯一の存在である彼に行ってもらうしかないか。そう結論を出してこう告げる。
「必ず、よいご報告をお届けできるように努力をさせて頂きます」
 そうすれば、ロイドは正式な礼とともにこう言葉を返してきた。
「期待、しているよ」
 微笑みとともにこう頷き返す。そして、そのままこの場を後にする彼の背中を見送った。

 シュナイゼルの元に、ロイドから歓喜の叫びとともに連絡が届いたのは、彼の誕生日の前日である。
 それは、彼がルルーシュのぬくもりを失ったと知ったあの日から数えて二年近く経っていた。



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