枢木家の隣には小さな空き家があった。 そこに、ブリタニア人の母子が越してきたのは、つい先日のこと。 別段、それはどうでもいい。いや、相手がブリタニア人である以上、嫌悪の感情を向けられるのが普通だ。 理由は簡単。 今の日本とブリタニアは決して関係が良好とは言えない。だから、石を投げられたりはしないものの、ブリタニア人は嫌がらせをされるのが当然だった。 だから、スザクも最初からそのことをわからせてやろうと思ったのだ。 「あら。ひょっとして、近所の子かしら」 しかし、そこにいたのは綺麗な女性と彼女の子供らしい可愛らしい子だった。 「多分、そうだと思います」 しかも、二人とも完璧といえる日本語を口にしている。そういうところが他のブリタニア人と違っていた。 「……日本語……」 ぼそり、と呟いてしまったスザクに向かって、二人は苦笑を向けてくる。 「話せないと困るでしょう?」 ここで暮らすのであれば、と綺麗な女性は笑みを深めた。 「やっぱり、ここに越してきたんだ」 そういえば、この家をブリタニアの人間が買った、と大騒ぎになっていたっけ……と今更ながら思い出す。でも、こんな美人の人たちならばいいのではないか。 でも、これが演技ではないと言い切れない。 こんな風に考えてしまうのは、大人達が話しているブリタニア人の悪口を聞いていたからなのだろうか。 「そうよ」 よろしくね、と女性が手を差し出してくる。おそらく、握手を求めているのだろう。しかし、スザクはすぐにそれを握り返すことが出来ない。 「あら、どうしたの?」 そんなスザクの態度に、女性は首をかしげてみせる。 「日本人には、握手の習慣がなかったのですか?」 母さん、と子供が問いかけの言葉を口にした。 「そんなことはないはずよ」 少なくとも、自分が知っている日本人達は手を差し出せば握りかえしてくれたわ、と子供に言い返している。 「……名前も知らない人間なんて、信用できるか!」 二人の視線が自分からそれたのが面白くない。そう感じた瞬間、スザクはこう叫んでいた。 そのせいで、相手が態度を豹変させるかもしれない。そう思いあたったのは自分の声を聞いた瞬間だ。 そんなことを口にした瞬間『自分の名前を知らないのか』と言って殴られた、と言う話を聞いたような気がするのは、じぶんの記憶違いだろうか。もちろん、そう簡単に殴られてやるつもりなんてないが。 しかし、やはりこの二人の反応は予想していたものと違った。 「言われてみれば、そうね」 「確かに、まだ名乗っていませんでした」 納得というように頷きあっている。 その様子は見ていてうらやましい。自分は父とも母ともこんな会話を交わしたことがない。もっとも、母は物心が付いたときにはいなかったけど、とスザクはこっそりと拳を握りしめた。 「私はマリアンヌ、よ。マリアンヌ・ランペルージ。この子はルルーシュ。後一人、この子の妹とその主治医がいるのだけど、二人とも今は病院なの」 退院できたら一緒に暮らせるだろうが、それまでは二人だけで暮らすのだ、とマリアンヌは付け加える。 「それで、あなたのお名前は?」 教えてくれる? と彼女は首をかしげた。そうすれば少し癖のある黒髪がさらりと音を立てる。どうせなら、ルルーシュも伸ばせばいいのに、とついつい心の中で呟いてしまった。 「枢木スザク」 それでも名前を口にする。それは、当然の礼儀だと思ったからだ。 だが、それと同じくらいやだな、と思う。自分の名字を聞けば、自分の親が誰であるのかわかるに決まっている。その瞬間、態度を変える人間を山ほど見てきたのだ。そうでなかった人間と言えば、本当に一握りだと言っていい。 「枢木スザク、くんね」 しかし、マリアンヌが態度を変えることはない。 「よろしく」 もちろん、ルルーシュもだ。 「……お前達って、変?」 思わず、スザクはこう言ってしまう。 「あら、そう?」 それって、ほめ言葉かしら……とマリアンヌが聞き返してくる。それに反射的に頷いた自分の判断をほめてやりたい。後になって、スザクはその思いを強くした。 とりあえずランペルージ家の母子は黙認という名の拒絶にあっていた。それでも、何故か直接的な攻撃に出るものはいない。 「……やっぱ、美人だからか?」 スザクはこう呟く。 「それだけではありませんよ」 現在の枢木家で唯一スザクを諫められる――ゲンブは、公邸から帰ってこないから除外だ――この家の執事が声を挟んでくる。 「そうなのか?」 と言うことは、ほんの僅かとはいえ自分の考えは当たっていると言うことか。確かに、綺麗なものが嫌いな人間はいないだろう。 「はい」 「なら、他にどういう理由があるんだ?」 教えろ、とスザクは問いかける。 「丘の上の病院をご存じでしょう?」 もちろんだ。スザクも今までに何度かお世話になったことがある。しかし、と彼は顔をしかめた。 「あそこ、つぶれたんじゃなかったのか?」 みんなで『困る』と言っていたことも覚えている。 「あの後、ブリタニアの人間があそこを購入したのですよ。スタッフの雇用も保障されていたはずです」 しかも、今までよりもずっと好待遇だだとか。 「……ひょっとして……」 「はい。あそこの奥様が現在の持ち主です」 もっとも、経営はあちらが選んだ日本人が行っているが……と彼は教えてくれた。 「しかも、現在、十二歳以下の子供は無条件で治療費が無料だそうです」 ブリタニア式だとか、と言われれば、目を丸くするしかない。 「そりゃ、迂闊にあれこれ出来ないな」 そうしたせいでせっかくの特権がなくなったらいやだ。そう考える親は多いだろう。 「……そういえば、あいつの妹が入院しているって言ってたな」 そのためにあの病院を購入したのだろうか。 でも、ブリタニアの方が医療技術が上だと聞いたこともあるが、とスザクは首をかしげる。 「分野によりますよ、スザク様」 日本の方が優秀な部分もある、と執事は言った。それは彼の負け惜しみではないのか。そう思ったがあえて指摘をすることはやめた。 ルルーシュとマリアンヌのことが気にかかる。だからといって、積極的に関わろうとしなかったのは、やはり二人が《ブリタニア人》だからだろうか。 それとも、と思いながらスザクは日々を過ごしていた。 そんなある日のことだった。 「……何をしているんだ、ルルーシュ」 買い物籠なのか。籐かごを抱えながら道ばたにルルーシュが座り込んでいる。そんなルルーシュに声をかけてしまったのは、本当にただの気まぐれだった。 「母さんとの待ち合わせだ」 時間があったから、買い物をしてきただけだ……とルルーシュは言い返してくる。どうしれこんなに可愛いのに、ぶっきらぼうな口調なのだろうか。もう少し柔らかい口調で話をすれば、もっと可愛く見えるのに。 「こんな所でか?」 もっといい場所があるだろうに、とスザクは思う。 「ここは一番わかりやすいんだ」 それにルルーシュはこう言い返してくる。 「僕たちは、まだ、このあたりに詳しくないから」 こう付け加えられれば、とりあえず納得できた。 「でも、ここは暑いぞ」 日陰がないから日焼けをするかもしれない。せっかくの白い肌がもったいないだろう、とスザクは心の中だけで付け加える。 「……それはそうだが……」 しかし、移動してしまうとマリアンヌが自分を見つけられなくなるから……とルルーシュが呟くように告げた。 「マリアンヌさんが来たら、俺がとっておきの場所を教えてやるよ」 それまでは一緒に待っていてやる。スザクはそういって笑いかけた。 「構わないのか?」 そんなことをして、とルルーシュは問いかけてくる。そのせいで、スザクが困ったことにならないのか、と言ってくれたのは、自分たちの立場を知っているからだろう。 「その程度で、俺にどうこう言える人間はこの辺にはいないって」 だから安心をしろ。こう言ってスザクが胸を張った瞬間だ。 「あなた達! いい加減にしないと、本気で怒るわよ」 マリアンヌの声が響いてくる。 「母さん?」 慌てたようにルルーシュが立ち上がった。 「俺が見てくる」 「いや、僕も一緒に行く」 マリアンヌがぶち切れていたら止められるのは自分だけだ。そうルルーシュは続ける。 「だって……マリアンヌさんだろう?」 あんなに優しそうな人なのに、とスザクは目を丸くした。 「見た目だけで母さんを判断するな。あの人にかなう存在は、ブリタニアの軍人にも皆無だと言っていい」 何の訓練も受けていない人間なら、一分と持たないはずだ……とルルーシュはさらに言葉を重ねる。 「それに、母さんは……女性や子供に理不尽な攻撃をしかけてくる人間が大嫌いだからな」 遠慮をするはずがない。 「……本当かどうかはわからないけど……放っておくわけにはいかないよな」 そういうと、スザクは声がした方に向かって駆け出す。その後をルルーシュもまた着いてくる。 しかし、その速度はかなり遅い。 待つべきか。それとも自分だけ先に行くべきか。 「いいから、先に行ってくれ。ひょっとしたら、君の顔を見て正気に戻ってくれるかもしれない」 それでなくても、目撃者があれば多少は理性を取り戻してくれるはずだ。 自分よりも彼女のことをよく知っているルルーシュがそういうなら確かなのだろう。 「わかった」 スザクはこの言葉とともに全速で駆け出す。 「恥を知りなさい、恥を!」 さらにマリアンヌの声が耳に届いた。しかも、何かが壊れるような音も、だ。 同時に、スザクは信じられない光景を目の当たりにした。 「……嘘だろう……」 地面に転がされている連中は、このあたりでもたちが悪いと有名なバカどもだったはず。しかし、それでも放任されていたのは、それなりに腕に覚えたあったからと聞いていた。 それなのに、とスザクは思わず目を丸くしたままその場に凍り付いてしまう。 「上には上がいると、自覚できたかしら?」 しかも、マリアンヌはまったく息を切らせた様子もない。 「……母さん……」 むしろ、ルルーシュの方が息も絶え絶えだ。 「大丈夫よ。死んではいないし、骨も折ってないわ」 せいぜい、しばらく打ち身が痛む程度よ……とマリアンヌが微笑む。その表情は初めて見たときと変わらない。 「あら。スザク君も一緒だったのね」 仲良しになったのね、と彼女はその表情のまま歩み寄ってくる。 「よかったわ」 そちらの方が重要なんですか……とスザクは思う。 「……ともかく、あれはどうするんですか?」 ここはブリタニアではないのですよ? とルルーシュが言い返している。 「だから、大丈夫よ。スザク君さえ黙っていてくれれば、あいつらが何を言っても信じるものはいないわ」 確かに、自分だって信じたくはない。と言うよりも、マリアンヌがあの連中をほんの僅かな時間で動けないほど叩きつぶしたなんて今でも信じられないのだ。 それでも、この場には自分たちとマリアンヌしかいない。 自分ではないし、ルルーシュには無理だろう。 そうなれば、やはり彼女しかいないのではないか。? 「さて、帰りましょう」 そんな彼の気持ちに気付いているのかいないのか。マリアンヌはさらに笑みを深める。 「そうですね」 ルルーシュも頷いて見せた。 「何か、飲み物程度なら直ぐに出せるぞ?」 よっていくか、とそのまま視線をスザクへと向けてくる。 「そうだな」 こいつらに付き合っても意味はない。だからとスザクは直ぐに判断を下す。 「そうさせて貰っていいのか?」 「もちろんだ」 スザクの言葉に、ルルーシュは微笑みながら頷く。 「では、帰りましょう」 そして、マリアンヌの言葉を合図に、彼等は歩き出した。 こうして、スザクはルルーシュ達と仲良くなったのだった。 |