敗戦国の人間がどのような扱いを受けるかは想像が付いていた。
 それでも、せめて民間人達には寛大な態度をみせて欲しい。そのためであれば、自分がどのような扱いをされてもかまわない。
 そう考えて枢木スザクは護送されるがまま、ブリタニアの大地に足を踏んだ。
 しかし、と思う。
「これは寛大といえるのか……それとも、無視をされているだけなのかな」
 広大とも言えるブリタニア宮殿。その片隅にある小さな建物の中に放り込まれたまま、スザクは無為に時間を過ごしていた。それでも、時間が来れば食べ物を与えられるし、着替えも準備されている。そう考えていれば、少なくとも自分を殺すつもりはないのだろう。
 だが、と思ったときだ。
 窓の方から小さな物音が響いてくる。
「……あの、どなたですか?」
 決して流ちょうとは言えないブリタニア語で呼びかけた。
「それはるるのせりふだ!」
 そうすれば、小さな子供の声がすぐに帰ってくる。同時に、ベランダに黒い髪の子供が姿を現した。
「ここはるるのばしょなのに、なんでおまえがここにいるんだ?」
 ベランダに仁王立ちになると、こう言ってくる。
「何でって……ここにいろって言われたから」
 ここにいるんだけど……とスザクは言葉を返す。その他の詳しい事情をどこまで話していいものか。それは悩む。
 それ以前に、彼が誰なのかがわからない。
 ここを自由に歩いていると言うことは、皇族なのだろう。年齢からすれば、年長の皇子達の中の誰かの子供なのだろうか。
「……だれに?」
 ルルと名乗った子供はさらにこう問いかけてくる。
「誰って……最終的には皇帝陛下になるのかな」
 もっとも、そこまで話が言っているのかどうかはわからないが……とスザクは心の中で呟く。
「なら、おまえがるるのあそびあいてにえらばれたのか?」
 しかし、ルルはスザクの言葉を別の意味で受け止めたらしい。
「……あの……」
 なぜ、そういうことになるのか。スザクにはわからない。しかし、ルルは本当に嬉しそうに自分を見つめている。
 そんな子供の表情を曇らせてみたい、という暗い感情が不意にわき上がってきた。
 目の前の子供と同じくらいの子供達――自分も、まだ子供と呼ばれる年代なのは棚に上げておく――が、今エリア11と呼ばれるようになってしまった日本にどれだけいるというのか。そして、そんな子供達はこんな風に無邪気な表情をできる状況にない。
 そう考えれば、無性に腹立たしくなってくる。
 だが、それはこの子供の罪なのだろうか。
「でも、僕はここからでられないんだけど」
 すぐにそう思い直す。そして、スザクは苦笑とともにこう告げた。そうすれば諦めてくれるだろう、とそう思ったのだ。
「べつにかまわん」
 しかし、ルルはきっぱりとした口調でこう言い返してくる。
「どうせ、るるもそこからさきにはでていけないのだ。だからといって、ははうえのおなかにあかちゃんがいらっしゃるから、りきゅうにもおれん」
 だから、ここでいつも遊んでいたのだ……と彼はさらに言葉を重ねてきた。
「そうなんだ」
 母親の胎内に芽生えた新しい命に周囲の者達がかかりきりになっているから、ルルは寂しい思いをしているのだろう。それを紛らわせようとしているのか、と考えれば微笑ましいようにも思える。
「もう、君はお兄さんなんだね」
 微笑みとともにそう言えば、彼は目を丸くした。
「るるが?」
「そう。だから、君は一人でここに来ていたんでしょう?」
 お母さんがゆっくりとできるように……とスザクはゆっくりと口にする。本当はもっといろいろと言いたいことがあるのだが、今の彼の語学力では、これが精一杯だったのだ。
「……そんなことをいったのは、おまえがはじめてだ」
 それに、ルルはこう呟く。
「ゆるすから、なをなのるがよい」
 次の瞬間、彼は胸を張ってこう命じてきた。その態度は、彼の側にいる大人達のマネなのだろうか。そう考えれば、やはり微笑ましい。
「スザク。スザク・枢木」
「しゅじゃく?」
 ルルは確認するようにこう言い返してくる。しかし、発音が違っていた。
「ス・ザ・ク」
 一つ一つの音を区切りながらスザクはまた自分の名を唇に乗せる。
「しゅ……しゅじゃく……」
 しかし、まだ小さな子供ではうまく発音ができないのか――あるいは、ブリタニアの言葉ではこれを発音できないのかもしれない――どうしても、うまく言うことができない。それが悔しいのか、ルルの目尻に涙がにじんできたのがわかった。
「まだ小さいから、うまく言えないんだね。大きくなったら、言えるようになるよ」
 自分の国でもそうだったから……と言いかけて、スザクはやめる。既に《日本》という国がこの世から消えたことを思い出したのだ。
「……しゅじゃく、どうかしたのか?」
 泣いているのか? とルルが問いかけてくる。
「何でもないよ」
 慌てたようにスザクはこう言い返した。しかし、ルルはそれを素直に受け入れてくれない。
「うそをいうな。かなしいときはかなしいといったほうがいいのだ、とあにうえもいっておられたぞ」
 自分ではまだ、何も知れやれないが、それでも側にいてやることだけはできる、とルルは付け加える。
「ごめん……そして、ありがとう」
 言葉とともに、スザクはルルの体を抱きしめた。そのままそっと涙をこぼす。そんなスザクの背中を、ルルの小さな手がそっと撫でてくれた。

 それが原因ではないだろう。だが、ルルはそれから毎日のようにスザクの元へ足を運んできた。
「きょうはこのほんをよめ」
 そういいながら、子供用の絵本を差し出してくる。
「ちょっと待ってね」
 言葉とともにスザクはルルの手から絵本を受け取った。そして、ざっと中身を確認する。読めない単語がないことを確認してからルルを手招いた。
「お膝?」
 それとも、いすに座る? と問いかければ、ルルは当然のようにスザクの膝によじ登ろうとしてくる。それをスザクはさりげなく手助けをしてやった。
「いい?」
 問いかければ、ルルは小さく頷く。
「えっと……昔々、あるところに一人の男の子がいました。男の子の名前はジャック……」
 それは、日本でもよく知られた童話である。もちろん、スザクの頭の中にもその物語はしっかりと記憶されていた。そのせいか、言葉と意味がうまくつながってくれる。
 毎日そんな風にしていれば、自然とスザクの語彙も増えていく。
 ひょっとして、彼はそれを見通して自分に毎日絵本を読ませているのだろうか。そんなことも考えてしまう。
 もし、そうだとするならば、それは彼が考えたのだろうか。それとも、誰かに教えられたのか、と悩む。
 どちらにしても、自分のためにと考えてくれているのだから嬉しい、とそう思う。もちろん、それはルルが自分と自由と話をしたいという理由だったとしても、だ。
「……じゃっくは、どうしておとなをからかえたのだ?」
 読み終わったところで、ルルがこう問いかけてくる。
「たくさん勉強をして、それを応用できるような経験を積んでいたから……かな?」
 うまく言えないけれど……とスザクは申し訳なさそうに付け加えた。自分の語彙では、まだ細かなニュアンスまで伝えられないのだ。
「べんきょうとけいけん……」
 しかし、ルルにはそれで十分だったのか。あるいは、スザクの言葉が彼の中にあった何かを刺激したのか。じっと考え込むような表情を作っている。
「……どっちも、るるにはない」
 やがて彼は悲しそうな表情でこう呟く。
「それでは、ははうえたちをまもれない……」
 この言葉の裏にある感情に、スザクは何と言っていいのかわからない。
 表面だけ慰めることならばできる。だが、それではダメなのだ。
 だから、この前彼がしてくれたように、そっと小さな体を抱きしめる。
「しゅじゃくは、やさしいな」
 ルルは小さなため息とともにこう口にした。
「違うよ。やさしいのは君の方だ」
 だから、側にいるものもやさしくなるんだよ……とスザクは囁く。
「そんなことはない」
 るるは……と彼は何かを口にしようとした。しかし、言葉が見つからないのだろう。悔しそうに唇をかんでいる。
「やさしいよ。誰よりもね」
 力不足だったのは自分だって同じだ。その言葉をスザクは飲み込む。
「だから、力のない人たちの悲しさを、忘れないで……」
 その代わりにこう口にしてしまったのは、自分の弱さなのだろうか。
 スザク自身にも、その答えはわからなかった。

 ふっと顔を上げれば時計が見える。
「そろそろ、来る時間かな?」
 気が付けば、いつの間にかルルがここに来るのを心待ちにしている自分がいることにスザクは気付いていた。それは、彼が可愛いから、というだけではないだろう。
 それだけならば、まちがいなくどうでもいい存在だと思っていたのではないか。ここまで心ひかれたのは、きっと、ルルが弱者の痛みを知っているからだろう。
 あの子供が皇族の一員であることはわかっている。だから、そういう人間がブリタニアという国に増えてくれれば、あるいは母国の人々のくらしはもっとよくなるのではないか。そうも考えるのだ。
「スザク・枢木!」
 しかし、そんなスザクの思考を中断させるような声が耳に届いた。視線を向ければ、自分をここに連れてきたブリタニアの軍人の顔が確認できる。どうやら、猶予の時間は終わったらしい。
「付いてこい」
 この言葉に、スザクは小さなため息を漏らす。
「ルルとの約束、守れそうにないな」
 この呼び出しは無視できない。むしろ、今すぐ行かなければいけないたぐいのものだ。そうなれば、今頃こちらに向かっているであろうあの小さな子供とはすれ違ってしまうことになる。
 そして、結果次第では二度とここに戻ってくることはないだろう。
 そうなれば、あの子供はきっと自分のことを忘れるに決まっている。少しだけ悲しいが、それはしかたがないことだ。そう思いながらスザクが歩き出そうとしたときだ。
「しゅじゃくをどこにつれていくつもりだ!」
 周囲に聞き慣れた声が響く。
「ルル?」
 反射的にスザクは彼の方へと視線を向けた。
「殿下!」
「どうしてこちらに……」
 だが、それ以上に驚いたのは兵士達のようだ。
「ここはるるのばしょだぞ! ちちうえがそうやくそくしてくだされたからな」
 自分の場所に来て何が悪い、とルルは言い返す。
「ここにいたから、しゅじゃくもるるのだ!」
 だから、勝手に連れて行くことは許さない、とも彼は付け加えた。しかし、そんなことを言ってもいいのか、とスザクは不安になる。彼の立場がそれで悪くなるのではないのか、とそう思うのだ。
「ですが……ルルーシュ殿下」
「そのものは……」
 だが、兵士達の様子から判断すればその心配はなさそうである。逆に彼の機嫌を損ねないようにと考えているようだ。
「うるしゃい! しゅじゃくはるるの!! つれてくなら、るるもいくの」
 こう口にしながらルル――ルルーシュはスザクの元に駆け寄ってくる。そして、手にしていた絵本を放り出して抱きついてきた。
「あ、あの……」
「いいの。しゅじゃくはるるのいうことをきいていればいいの!」
 スザクはルルのなんだから、という言葉をどう受け止めればいいのか。それ以上に困っているのはまちがいなく自分を連れに来た兵士達だろう。
「殿下、お願いですから」
 それを連れて行かせてください、と懇願している。
「だから、るるもいっしょにいくの!」
 しゅじゃくといっしょに! と彼は聞く耳を持たない。
「殿下〜」
 困り切ったような兵士の声がスザクの耳にも届く。しかし、彼にはどうすることもできなかった。

 焦った様子で誰かが飛び込んできた。その顔を確認した瞬間、スザクの表情が強ばる。
「ルルーシュ!」
 シュナイゼルとコーネリア。それに確かクロヴィスであっただろうか。スザクはそんなことを考えながらも、そっとルルーシュの背中を叩いてやっていた。
「どうしたのだ、ルルーシュ」
 ぐすぐすとしゃくり上げながらスザクの胸に頬をすりつけている彼にクロヴィスが問いかけてくる。
「しゅじゃくは、るるのなの〜!」
 そんな彼に向かって、ルルーシュは自分の主張を口にした。
「とっちゃ、や〜!」
 さらに付け加えられた言葉にクロヴィスは困ったように視線を彷徨わせる。そして、最終的に兄と姉に救いを求めるように二人に視線を止めた。
「ルルーシュ。それはお前のものではなくて、だな」
「だって、ちちうえがゆったんだもん。ここにあるのはるるのすきにしていいって!」
 だから、しゅじゃくもるるのなの〜〜! と彼はさらにしゃくり上げる。
「……あのバカ父は……」
 何か、聞いてはいけないようなセリフが耳に届いたような気がするのは錯覚か。
「孫と同じ年齢だからな、ルルーシュは。可愛いのはわかるが」
 しかし、とシュナイゼルがため息をつく。
「それよりも、ルルーシュがこんな風にだだをこねるのは珍しいですよ、兄上」
 何かあったのだろうか、とコーネリアが呟いた。
「……ルルーシュの乳母はどうしたのだったかな?」
 すぐに何かに気付いたかのように彼女は問いかけの言葉を口にする。
「先日、父上がクビにしていましたよ。ルルーシュを放っておいて父上を誘惑しようとしたとか」
 無駄だというのに、と口にしたクロヴィスの頭を、コーネリアは遠慮なく殴りつける。
「ルルーシュの前でそのようなことを言うものではない」
 さらにシュナイゼルが弟をにらみつけた。
「ルルーシュ。いいこだから、少しだけ兄様にそれを貸してくれないか?」
 だが、すぐに優しい表情を作るとこう問いかける。
「や〜! しゅじゃくは、るるのそばにいるの!」
 そう命令したの、とルルーシュはさらにスザクに抱きついてきた。
「あにうえもあねうえも、ちちうえやははうえだって、るるのそばにいてくれないもん!」
 だから、とルルーシュはさらに言葉を重ねようとする。しかし、それは涙になって消えてしまう。
「……マリアンヌ様は、いつでもルルーシュの側にいるだろう?」
 彼を慰めようとするかのようにコーネリアが口を開く。
「マリアンヌ様でしたら、昨日、入院なされましたが?」
 しかし、それはこの一言であっさり霧散する。
「ということは、ルルーシュは乳母すらいない宮殿で、一人でいたと言うことか?」
 だからこれなのか、とシュナイゼルは呟く。
「あにうえもあねうえも、きらいだ〜〜!」
 しゅじゃくはるるのなの〜〜! とルルーシュは叫ぶ。
「わかった……わかったから、ルルーシュ」
 そんなに泣かないの、と一番最初に折れたのはクロヴィスだった。
「クロヴィス!」
「しかたがないでしょう、姉上。ルルーシュがこんなに誰かに懐くのは初めてですよ。それに、マリアンヌ様が出産のために入院されたのであれば、やはりルルーシュの側にいる人間が必要です」
 確かにスザクはブリタニア人ではないが、教育次第ではルルーシュの役に立てる存在になるのではないか。何よりも、ナンバーズに忠誠心を埋め込むための試金石になるだろう、とクロヴィスは口にする。
「……と言うのは名目で……これ以上ルルーシュを泣かせると、熱を出すのではないかと思うのですよ」
 だったら妥協した方がいいのではないか。
 彼はそうも主張をした。
「だが、私としてはルルーシュの側にはブリタニアの人間を置きたいのだよ」
 それにシュナイゼルが口を挟んでくる。
「ですが、それではこの子が利用されるかもしれません。ここまで年齢が離れているからこそ、ルルーシュは皇位から遠いとみなされているわけですし……私たちが庇護していても誰も文句を言わないのではありませんか?」
 即座にクロヴィスは彼に反論の言葉をぶつけた。
「何よりも、ルルーシュの希望がそれである以上、聞き入れてやらないと、本気で嫌われます」
 それだけは避けたい。この一言が全ての結論だったのだろうか。
「しかたがない……」
「我々がしっかりと教育の手はずを整えればいいことか」
 妥協するしかないか、と年長の二人はため息をつく。
「と言うことで、お前の身柄は私たちの預かりということになる」
 ただし、とコーネリアはスザクをにらみつける。
「ルルーシュを裏切ってみろ。ただではすまさないぞ」
 わかっているな、と言われて、スザクは素直に頷いて見せた。声を出さなかったのは、腕の中のルルーシュが眠りに落ちそうだったからだ。そんな彼の様子に気が付いたのだろう。シュナイゼル達も声を潜める。
「これで、懸案は終わったと言うことでよいか」
 誰もルルーシュには勝てないからな、という彼に他の二人も苦笑を浮かるしかできないようだ。
 もっとも、自分も同じ状況になりつつあるのだから何も言えない、とスザクは思う。

 こうして、ルルーシュは自分の騎士候補という名の子守を手に入れたのだった。




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07.02.05up