その日、ブリタニア皇帝は久々に機嫌がよかった。 その理由はどうしてか。 ある意味、それは簡単なことであった。 「何々。昔あるところに……」 己の血をひく子供達の中で、現在、目に入れも痛くないほどかわいがっている息子、ルルーシュを膝の上に座らせながらゆったりとした時間を楽しんでいる。ちなみに、今日はルルーシュの希望で物語を読んでやっていた。 この話は、自分が適当に目を通した中でも比較的まともな内容だと思える。だから、ルルーシュもきっと喜んでくれるだろう。 皇帝はそう信じていた。 しかし、だ。 「やぁぁぁっ!」 読み進めていくうちに、不意にルルーシュが泣き出したのだ。 「ルルーシュ、どうしたのだ?」 さすがにこれには、世界の三分の一を支配しているブリタニア皇帝とはいえ驚きを隠せない。しかも、ルルーシュが泣き出した理由が、彼にはわからないのだ。 「何が気に入らぬ? 父に申してみよ」 こう言うときには、本人の言葉を聞いた方が早い。 そう判断をして、自分にしてはやさしい口調を作ってこう問いかけた。 それなのに、何故かルルーシュはさらに激しく泣いてしまう。 「ルルーシュ。泣いてばかりいては、何をして欲しいのかわからぬぞ」 こんな彼の様子を家臣達が見たらどうなるか。そういいたくなるようなうろたえぶりを見せつつ、腕の中にいる息子をあやそうとする。しかし、彼がそうすればそうするほど、ルルーシュは激しく泣いてしまう。 「ははうえ〜!」 しかも、自分が側にいるというのに他の誰かにすがろうとまでしている。それはどうしてなのか。 「……父がおるであろう?」 何も心配はいらぬ、と言いながらそっとその体を抱きしめようとした。 「やぁだぁ!」 しかし、その腕からルルーシュは逃げだそうとする。 と言うことは、知らないうちに自分が何かルルーシュの地雷を踏んでしまった……と言うことだろう。 しかし、それは何なのか。 いくら考えてもわからない。 だが、わからないと言うことははっきり言ってまずい状況を生み出しかねないのだ。 今だって、この状況を彼等に知られてしまえば、この心休まる時間はきっと、二度と与えられないに決まっている。それだけは何が何でも、全力で避けなければいけない。 他のものであれば命令をしてしまえばそれでいい。だが、ルルーシュではそうはいかないのだ。二歳児にそのようなことをしてしまえば、二度と可愛らしい声で『父上』と呼んでもらえなくなるかもしれない。 しかし、この状況を打破する方法も見つけられない。 皇帝の座について初めて直面する難問に、彼の背中を冷たいものが伝い落ちていく。 こういうことになるなら、もっと他の子供達とも接してくればよかった。そうすれば、このような失敗はしなかったかもしれない。そうは思うが、今さら言ってもしかたがないだろう。 「ルルーシュ……よい子だから、の?」 何とかルルーシュの機嫌を直さなければいけない。 その気持ちのまま、彼は必死にあれこれ行動していた。 しかし、その行動が全て的を外していたのは否定できない事実だろう。 いい加減泣き疲れたのか。ルルーシュの声は小さくなっている。それでも、父の手を彼は拒んでいた。 同じように皇帝の方も万策尽きてしまっている。 それでも、何とかしなければいけない、と彼はそう心の中で呟く。ブリタニアの偉大な皇帝である自分にできないことがあってはいけないのだ。 そう考えて、彼が拳を握りしめた、まさにその瞬間である。 「父上! 何、ルルーシュを泣かしているんですか!!」 言葉とともに飛び込んできたのは、三番目の皇子だ。 「……クロヴィス……」 これがシュナイゼルやコーネリアでなくてよかった。心の中でそう呟いてしまったことは否定しない。 「くりょびしゅあにうえ〜」 だが、ルルーシュが助けを求めるかのように彼に向かって手を差し出したのを見てはそうも言っていられなかった。 「ルルーシュ! 父のどこが気に入らぬのだ?」 反射的にこう叫ぶと、小さな体をしっかりと抱きしめる。 「やぁぁぁぁぁっ! まおうにたべりゃれるの〜〜!」 その瞬間、ルルーシュはこんなセリフとともにまた激しく泣き出す。 「いい加減にしてください、父上!」 これにぷつんときたのだろう。普段はそれなりに父に対する礼儀を持っているはずのクロヴィスが、父皇帝の腕の中から強引にルルーシュの体を奪い取る。 「あにうえ〜〜!」 その瞬間、ルルーシュは彼の首にかじりつくように抱きつくと、さらに大声で泣き出した。 「もう大丈夫だぞ、ルルーシュ。私だけではなく、もうじきシュナイゼル兄上とコーネリア姉上もおいでになるからな」 父上をしっかりと叱って頂こう、と言うクロヴィスに皇帝は何故か、思い切り命の危険を感じてしまう。はっきり言って、目の前の息子はともかく、その兄姉となれば、自分が何者なのかを忘れているのではないかと言いたくなる行動を取ってくれるのだ。そして、その理由はまちがいなくあの愛し子の存在故だと言うことも事実であろう。 「私は、ルルーシュのために本を読んでやっていただけだぞ」 みっともないと思われようと何であろうと、ここでしっかりと釈明をしておかなければきっと、ルルーシュに触れさせてもらえなくなるのではないか。そんなことすらも考える。 「……父上……そのお心は立派ですが、二歳児に読んで聞かせる本ではありませんよ、それは」 小さな子には、その年齢にふさわしい本を読んでやらないといけないのだ! とクロヴィスは口にした。 「しかも、それは原典ではありませんか! まだ、子供向けに改変されたものであれば、救いがあったものを……」 よりにもよって原典だなんて! とクロヴィスはさらに叫ぶ。 「ルルーシュにトラウマができたらどうされるおつもりなんですか!」 かわいそうに、とクロヴィスはルルーシュの頬に自分のそれをすり寄せた。 「……あにうえ……」 ぴすぴすと鼻を鳴らしながらルルーシュはそんな兄にさらに抱きつく。 今であれば逃げ出せるかもしれない。 皇帝としてはあるまじき行動かもしれないが、それ以上に優先しなければならないことがあるのだ。 逃げるが勝ち、という言葉もあるしな……と心の中で呟きながら、皇帝は立ち上がろうとする。 「どちらに行かれるおつもりですか、父上」 だが、タイミングがいいのか悪いのか。コーネリアの声が室内に響き渡った。 「幼子を泣かせたまま逃亡ですか? それは支配者としてどうなのでしょうね」 さらにシュナイゼルの声もその後に続く。 それを耳にした瞬間、皇帝はこの後、己の身に何が起こるのか悟ってしまった。 「……と言うわけで、皇帝陛下からルルーシュに何かプレゼントが贈られてきたとしても、直接あの子に渡してはいけないよ?」 中に何が入っているかわからないからね、とクロヴィスは口にする。 「はい……」 それよりも、父とはいえ皇帝にそのような行為を働いてもいいのだろうか。スザクはそう考えてしまう。 「それと、もしご本人が直接足を運ばれたときには、すぐに私たちの中の誰かに連絡を寄越してくれ。その後は、何があってもルルーシュの側から離れないように。皇帝陛下に何か言われたら、私たちからの厳命だ、と答えていいから」 文句はこちらに言うように、とも彼は付け加える。 「かしこまりました。ですが……」 そうしろと言うのであれば、それは命令を聞くしかない。だが、とスザクは思う。だから、確認させてもらおうと口を開いた。 もっとも、それは相手がクロヴィスだから、と言ってもいいかもしれない。 「何かな?」 にこやかな口調とともにクロヴィスは次の言葉を促してくる。 「殿下のご命令の時にはどうすればよろしいのでしょうか」 ルルーシュの命令を第一に考えなければいけないのであれば、受け入れなければいけないような気がするのだが、と言外に付け加えた。 「それはないよ」 しかし、クロヴィスは即座にこう言ってくる。 「クロヴィス殿下?」 「君はルルーシュのことを愛称で呼ぶことを許されているのだろう? それだけ気に入られている、と言うことだからね」 出て行けと言うことはないだろうな、と彼は笑う。 「それでもそういわれたなら、即座に私たちに連絡を寄越せばいい。手が空いているものがすぐに駆けつけるよ」 一番可能性が高いのは自分だろうがね、とクロヴィスは付け加えた。 「わかりました」 そうまで彼が断言するのであれば大丈夫だろう。スザクはそう考える。 「他にもいくつか注意をしておかなければいけないことはあるが、一番重要なのはこれだよ」 皇帝陛下には要注意だ、と肝に銘じておくように。そういう彼にスザクは頷いてみせる。 「くりょびしゅあにうえ〜。しゅじゃく、まだ、だめ?」 その瞬間、ドアの外からこんな声が届く。 「おやつはもう食べちゃったのかな?」 そんな彼に向かって、クロヴィスはこう問いかける。 「しゅじゃくとたべる。だから、まぁだ?」 るる、おなかがすいたの……と彼は付け加えた。 「しかたがないね」 お子様にしては我慢した方か……とクロヴィスは苦笑を浮かべる。 「あにうえもいっしょにたべよ?」 しかし、この一言であっさりと彼の目尻は下がってしまった。 「と言うことだから、また後でね」 「はい、殿下」 スザクの返答に頷き返すとクロヴィスは立ち上がる。そして、ドアを開けてやった。 「しゅじゃく〜」 次の瞬間、ルルーシュが真っ直ぐに駆け寄ってくる。そんな彼の体を、スザクはしっかりと抱き留めてやった。 終 BACK 07.02.13up・07.02.16修正 |