マリアンヌがルルーシュの妹を出産した。
 その報告があったのは、スザクとルルーシュが先日クロヴィスから教えられたチェスをしていたときである。
「……あかちゃん?」
 言葉の意味がわからなかったのか。ルルーシュは一瞬、きょとんとした表情を浮かべた。
「ルルの妹君ですよ」
 マリアンヌの赤ちゃんだ、と付け加えれば、ようやく彼にもわかったようだ。嬉しそうな表情を浮かべる。
「しゅじゃく、あいにいこ! すぐに」
 そして、こう言ってきた。それは、自分の妹を早くみたいという感情からのものだろう。きっと、それはシュナイゼルをはじめとした兄姉たちがルルーシュを大切にしてくれているからだ、とスザクはそう判断をする。
 しかし、ルルーシュの願いをすぐに叶えてやることはできない。
「ルル。赤ちゃんは今、疲れて眠っていますよ。マリアンヌ様もそうですから……せめて、明日まで待ってくれませんか?」
 ルルも、疲れているときに邪魔されるのはいやでしょう? と問いかければ、彼は少し考えるように首をかしげる。でも、すぐに頷いて見せた。
「るるはあにだからな」
 兄は妹をかわいがらなければいけないのだ、と彼は胸を張る。
「そうですね」
 やっぱり、そういう認識だったか、とスザクは柔らかな笑みを浮かべた。
「それでは、クロヴィス様にお手続きをお願いしてきますから……ルルは今日のお勉強をしていてくださいね」
 お兄様になられたのであれば、一人でもできますよね、とさらに言葉を重ねれば、彼はしっかりと頷いてみせる。そんな様子が、とても可愛いとスザクは思った。

 ルルーシュの希望は、最優先で叶えられた。それはきっと、彼が今まであれこれ我慢していたからだろう。
 今、ルルーシュはマリアンヌと久々に話をしているはずだ。あるいは、甘えているのかもしれない。
 しかし、いくらなんでも産後の女性の前に、ほとんど面識がない自分が姿を現して余計なストレスを与えない方がいいのではないか。そう考えて、スザクは挨拶だけで同席することを遠慮していた。
 だからといって、ルルーシュから遠く離れた場所に行くわけにもいかない。
 そう考えて、取りあえずスザクは病室のドアを確認できる庭園のベンチへと腰を下ろす。
 さすがは、皇族が使う病院……と言うべきなのだろうか。日本の庭とは違うが細かなところまで手が込んでいる、とスザクは思う。
「……でも……」
 日本風の、できるだけ自然の姿を残した――だからこそ、逆に手がかけられている――庭の方がやはり好きだな、と心の中だけで呟いた。もっとも、今はそんなことも言えないが。それだけで、帝国批判と言われかねないのだ。
 でも、十二年育ってきた国への愛着は捨てられない。ルルーシュへの気持ちとは別次元に存在していると言っていいのだ、それは。
「桜とか、梅がみたいなぁ」
 このくらいであれば大丈夫だろうか。そう考えながら呟きを漏らしたときだ。
「きゃぁっ!」
 誰かの悲鳴らしきものが耳に届く。
 慌てて視線を向ければ、コーネリアのものよりは淡い色の髪をした少女が木の枝にしっかりとすがりついている。
「大丈夫ですか?」
 慌てて駆け寄ると、スザクはこう声をかけた。
「すみません。帽子を取ろうとしたのですけれど、降りられなくなってしまいましたの」
 それどころか、手を離せばとんでもないことになりかねない。
「ご無礼でなければ、僕が支えさせて頂きますが」
 自分の役目はルルーシュの側にいて、彼を守ることだ。それは彼の兄姉に命じられた唯一の命令だと言っていい。
 しかし、このようなときに女性を助けることは、それとは違った時点での義務ではないかとスザクは判断をする。もっとも、相手が名誉ブリタニア人でしかない自分に助けられるよりはケガをした方がマシだ、というのであれば話は別だ。その時には、誰か他の人間を大急ぎで呼んでこなければいけないだろう。
 そういえば、もうじき、コーネリアもやってくるはず。彼女の騎士であれば、自分の頼みにも耳を貸してくれるだろう。
 しかし、その心配はなかった。
「お願い致しますわ。お見舞いに参りましたのに、自分がお医者様のお世話になってしまっては、あの方にご迷惑をかけてしまいますわ」
 それに、早くしないと一番知られてはいけない人にばれてしまう……と彼女は続ける。
「わかりました。では、失礼をします」
 言葉とともにスザクは手を伸ばす。
 彼女の腰あたりにその手が触れた。そう思うと同時に、スザクの腕に彼女の体重がかかってくる。当然と言えば当然だが、ルルーシュのそれとは違う重みに、スザクは微かに眉を寄せた。
 それでも、相手を落とすわけにはいかない。
 半ば意地だけで彼女の足を地面へと下ろす。
「ありがとうございました」
「いえ、当然のことをしただけですから」
 これで失礼をします、とスザクは頭を下げる。
 彼女を下ろしたときに、目の端でマリアンヌの病室のドアが開いたのを捕らえていたのだ。あるいはルルーシュが出てきたのかもしれない。なら、迎えに行ってやらないとと思う。
「それではこれで、失礼をします」
 こう言って、スザクはきびすを返そうとした。
「お待ちください」
 言葉とともに繊手がスザクの肘を掴む。
「あの……」
 困ったな、とスザクは心の中ではき出す。もし、一人で歩いていてルルーシュに何かあったらどうしようと不安になる。それは、既に義務以上の感情だ。だからといって、下手にふりほどいて相手にケガをさせるわけにはいかない。
 どうしようかと、そう考えたときだ。
「貴方は、どなたかにお仕えされていらっしゃいますの?」
 不意にこう問いかけられる。
「はい」
 それだけは胸を張って言えるから、とスザクは即答をした。
「そのお方は、よいご主人ですの?」
 しかし、少女はさらにこんな問いかけを重ねて来る。いったい、その裏にはどのような意図があるのだろうか。そうも考えてしまう。
 引き抜き、にしてはあまりに唐突だ。そうだとしても、自分の主が《ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア》である以上、自分が彼の元を離れるはずがない。
「少なくとも、僕にとってはとてもよいご主人です」
 だから、ためらうこともなくスザクはこう言い切った。
「……困りましたわ」
 そうすれば、彼女は小さなため息をつく。
「私、貴方を気に入ったのですが……それでは簡単に私の元に来て頂けませんわね」
「……はい?」
 まさか、一番可能性が少ないと思っていたことが真実だったなんて……とスザクは呆然としてしまう。普通、初対面の相手にこんなことを言うのか、とも。
 ルルーシュと出会いもかなりのインパクトを持っていたが、彼の場合、まだ小さいから納得できた。
 しかし、彼女はどう見ても自分と同年代にしか見えない。それなのにどうして……と思うのだ。
「貴方の元にいくもいかないも……僕は、今の主に満足しておりますし……」
 彼の兄姉たちも、そんなことを許さないだろう、と考える。
「取りあえず、貴方のご主人のお名前を教えて頂けますか?」
 こうなったら直談判をさせて頂きます! とまで言う彼女に、どう言い返そうか……とスザクが思ったときだ。
 ぼすん、と音を立てて何かが飛びついてくる。
「だめ〜〜!」
 次の瞬間、聞き慣れた声が耳に届いた。
「……ルル?」
 お母様とのお話は終わったのですか? とスザクは呆然と問いかけてしまう。だが、彼の耳には届いていないらしい。
「ルルーシュ?」
 あらあら、と少女が親しげに彼の名を呼んだ。敬称も何も付けられていない、と言うことは、ひょっとして、自分がまだ知らない彼の姉の誰かなのだろうか。スザクはそう思う。
「と言うことは、貴方のご主人というのは、ルルーシュのことなのですか?」
 あらまぁ、と彼女は膝を折る。
「でしたら、ちょうど良かったですわ。この方、私にくださいません?」
 その代わり、ルルーシュが欲しいものを何でも上げますから……と彼女はさらに付け加えた。
「だめ〜〜! しゅじゃくは、るるのなの!」
 取っちゃダメなの、と口にする。
「ゆふぃあねうえでも、だめ!」
「どうしても、ですか?」
「ぜったいに、や」
 言葉とともに、ルルーシュはスザクにすがりつく腕にさらに力をこめた。
「僕はどこにも行きませんよ、ルル」
 安心してください、とスザクはそっと彼の肩に手を置く。
「困りましたわね……私もそういって頂きたいですのに」
 本当にダメですの? とユフィはさらに問いかけた。
「ぜったいだめ〜〜!」
 そんなことを言う姉上なんて嫌い! と言うルルーシュの叫びが周囲に響き渡る。
「ルル!」
 これは泣く。絶対に泣く、とスザクは慌てて彼の体を抱き上げた。
 しかし、時既に遅し。
 ルルーシュの瞳からは大粒の涙がこぼれ落ちた。

 中庭から聞こえてくる子供の泣き声に、コーネリアは思わず眉を寄せる。その声に、思い切り聞き覚えがあったのだ。
「……何かあったのか?」
 可愛い末弟がこんな風に泣きわめいているとは……と彼女は呟く。スザクが側についてからというもの、こんな風に彼が泣くことなどなかったのに、とも思いながらまずはそちらに足を向ける。
「これでは、マリアンヌ様も心配されているだろうに」
 確認をしてから見舞いに行った方がいいだろう、とそう判断をしたのだ。
 だが、中庭に出た瞬間、目に飛び込んできた光景には彼女の予想外のものだったと言っていい。
「……ユフィ?」
 何故か、自分の同母妹が末弟に攻撃をされている――とはいっても、スザクが抱きしめているせいで彼の手足はユーフェミアには届いていないが――のだ。
「あねうえなんてきらいだ〜〜!」
 しかも、彼はこんなセリフまで口にしている。
「ルル。僕はどこにも行きませんから! 落ち着いて」
 そんな彼を必死になだめようとスザクがこう囁いている声も聞こえた。
「……ユーフェミア……ルルーシュに何を言ったのだ?」
 この状況で判断できる事態は一つしかないだろう、とそう思って、コーネリアは可愛い妹に問いかける。
「お姉様」
「こーねりああねうえ〜〜! ゆふぃあねうえに、るるからしゅじゃくをとらないようにゆって〜〜!」
 彼女の声を耳にした二人が即座に反応を返す。
「だって、私もこの方を気に入ってしまいましたの。年回りを言えば、私の方が近いですわ」
 だから、くださいません? とユーフェミアはルルーシュに問いかけている。
「ユフィ……それはルルーシュのものだ。既に、そう認知されている」
 第一、お前にはたくさん友達がいるだろう、とコーネリアはため息をついた。
「でも、お姉様」
「ユフィ? ルルを泣かしてまで欲しいのか、本当に」
 そんな風に育てなかったぞ、と問いかければ、彼女は意味ありげな笑みを浮かべる。
「気に入ったのは事実ですわ。でも、ルルーシュから取り上げようとは考えておりません」
 そして、きっぱりとした口調でこういう。
「なら、どうして……」
 スザクが唖然として問いかけている。
「だって……」
 小さな笑いとともに彼女はさらに言葉を口にした。
「泣いているときのルルーシュは、本当にかわいらしいんですもの」
 このセリフを耳にした瞬間、コーネリアは思い切りため息をついてしまう。
 やはり、自分はこの妹の育て方を間違えてしまったようだ。確かに、ルルーシュの泣き顔は可愛いが、それ以上に笑顔の方が可愛いのに……とそう思う。
「ルルーシュ。この姉がスザクを取り上げさせん。だから、泣き止め」
 それに関してはあとで何とかするとして、今はこちらを優先させなければ。その判断は間違っていないだろう、とそう思いたいコーネリアだった。

 その後、ルルーシュがユーフェミアの姿を見ただけでスザクに抱きつくようになったのは、間違いなく、今回のことが原因だろう。
 それがまた可愛い、とユーフェミアが喜んだことは別の話であろうか。
「……マリアンヌ様……私はユフィの育て方を間違えたかもしれません」
 ただ、コーネリアが胃を抑えながらこう嘆いていたことだけは間違いない事実だった。




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07.02.28up