神聖ブリタニア帝国第98代皇帝シャルル・ジ・ブリタニアは、実はすねていた。
 傍目からはそうは思えないかもしれないが、本気ですねていた。
 可愛い末息子と末娘だけではなく、近々生まれるであろう孫まで本国ではなくエリア11に行ってしまったのだ。
 もちろん、それが自業自得の結果だと言うこともわかっている。
 自分が我を張りすぎたせいで、コーネリアは確実に心の平穏が得られると思える場所に行ってしまったのだ。
 だが、それだけならばまだ我慢できる。
 それ以上に問題だったのは、売り言葉に買い言葉とばかりに自分が口にしたセリフのせいで、コーネリアの付き添いと称してもう一人、本国からいなくなってしまったことかもしれない。
「……まさか、マリアンヌにまで……」
 出て行かれるとは思わなかった。
 いや、出て行ったというわけではないのかもしれない。妊娠しているコーネリアを心配して付いていった、と言うのが正しいのか。
 だが、と心の中で呟く。
「あのエリアには、ルルーシュとナナリーもおる……」
 それを口実に彼女が彼の地に残りたいと言えば、周囲の者は納得するのではないか。
「……ナナリー……ルルーシュ……」
 父は寂しいぞ、と口にしながらシャルルは人形を抱きしめる。
「ルルーシュは男で優秀だからしかたがないとはいえ……まさかナナリーまで父の側をはなれていくとは……」
 まだまだ嫁に行くような年齢ではなかったから安心していたのに、とそのまま呟く。
「コーネリアですら、嫁に出したくなかったのだが……」
 結果的にコーネリアは皇族のまま、父親としての権利をギルフォードに与えると言うことで妥協をすることになった。しかし、それまでのことは思い出したくもない。
 そうは思うのだが、思い出さずにいられないのは、あの時のマリアンヌのりりしさが格別だったからだろうか。
 何年経とうと変わらない見事な体の線を惜しみなくさらす騎士服のマリアンヌは、后妃にめとる前の姿そのままだった。
 確かに、これではあのコーネリアがあこがれるのも当然だ。
 なぜなら、この自分が一目で魅了されたのだから……と妙なことでシャルルは胸を張った。
「マリアンヌよ。わざわざ面会の許可を求めてまで、この太陽宮に足を運んだのは何故か」
 話があるのであれば、後でいくらでも時間を作ってアリエス離宮に行くものを……と言外に滲ませながら問いかける。
「本当におわかりになりませんか?」
 その言葉に、彼女は婉然と微笑む。そのあでやかさに、シャルルだけではなく周囲の者達も視線を奪われてしまう。
「わからぬ、と言えばどうする?」
 その瞬間、マリアンヌはさらに笑みを深めた。
「そうですわね」
 しかし、何故か周囲の気温が下がっていくような気がする。それは自分の錯覚だろうか。
「取りあえず、陛下にはそのお体でご理解頂きましょうか」
 綺麗に塗られた唇からとんでもないセリフが飛び出す。
「マ、マリアンヌ?」
 いったい、何を言っておるのか……とシャルルは焦る。そのようなことをすれば、いくら彼女でもただではすまないとわかっているはずなのだ。
「ご心配なく。陛下ご自身には傷一つおつけしませんわ」
 もっとも、ご自慢の巻き髪が乱れたら申し訳ありません……と口にしながら、彼女は鞭を手にする――おそらく、腰に付けたホルダーに付けてきたのだろう――その瞬間、謁見の間にいた者達がどよめき出す。
「マ……マリアンヌ……」
「女性が子を身ごもると言うことには、並々ならぬ覚悟が必要です。それでも我が身に子を宿すには、普通の場合、相手の方を愛しているから、ですわ、陛下」
 やはり、その件だったか。シャルルは心の中でそう呟く。
「光栄にも、わたくしは二度も陛下の御子を授かる機会をいただきました。それは、あくまでもわたくしの意志でのことでございます」
 嫌な相手であれば、たとえ皇帝であろうとも子を身ごもるはずがない。言葉とともにマリアンヌは優美な仕草で鞭を振るった。
「あぁぁぁっ!」
 次の瞬間、左右に並んでいた一人の貴族の髪――いや、カツラだろうか――が吹き飛ぶ。確か、あの貴族はコーネリアの妊娠を快く思っていなかったように記憶している。その上で、傷物になった彼女を自分の後添えとして貰ってやろう、と言っていたとかいないとか。
「コーネリア殿下は、今までブリタニアのために尽力を尽くされましたわ」
 また軽く手を振るうことで、マリアンヌは鞭を手元に引き寄せる。
「その方が、初めて口にされたワガママではありませんか。それを受け入れて差し上げるだけの度量をお持ちではありませんの?」
 陛下は、と彼女は首をかしげてみせた。その仕草がルルーシュのそれにそっくりだ。いや、彼の方がマリアンヌにそっくりだといった方が正しいのか。ただ、彼女のこんな仕草は滅多に見ることができないと言うだけである。
「何よりも、あの方の胎内で新しい命は日に日に成長されているのです。いつまでもだらだらと結論を引き延ばされては、御子のためになりません!」
 そのことは、当然わかっておられますよね? と問いかけてくる彼女の微笑みに周囲の気温がまた下がっていく。
「……も、ちろんだ……」
 確かに、このままではいずれ身二つになるだろう。
 しかし、それを阻止したいと思っている者達がいることも事実。その者達を納得させなければと思いつつも、よい方法が見つからない。
 自分が一言言えばいいことはわかっている。
 しかし、どうしてもそれが出来ないのだ。
 もしもコーネリアが事前に相談をしてくれていたならば、と考えていることを誰にも知られるわけにはいかないが。
「まさかとは思いますが」
 マリアンヌがまた鞭を振るう。
「ひっ!」
 その瞬間、今度は左側に並んでいた軍の高官が足を滑らせた。確かあの男は、今すぐコーネリアの腹の子を始末しろと言っていたな……とシャルルは心の中で呟く。
 ひょっとして、彼女はそのようなものだけを狙っているのだろうか。
「陛下は、コーネリア殿下の御子を殺そうなどと考えておられませんわよね?」
 次第に、彼女の微笑みが壮絶なものに変化していく。
「そんなことをお認めになるのでしたら、わたくしは実家に帰らせて頂きますわ」
 それだけではなく、ルルーシュとナナリーの信頼も失うことになると思え……と彼女は続ける。
「ナナリーは、コーネリア殿下の御子が生まれるのを楽しみにしております。陛下がそれを邪魔されたと知ったら、あの子も二度と本国へは戻ってこないでしょう」
 そうなったら、ルルーシュは言うまでもないだろう……と彼女は続ける。
「マリアンヌ……」
 我が子の中で、あの二人をもっとも溺愛しているシャルルとしては、それだけは絶対に避けなければいけない状況だ。しかも、命令をして止めても、あの子達は決して今までのように無邪気な笑みを向けてくれたりワガママを言わなくなるだろう。
 それだけは避けたい。
「ですから、陛下がコーネリアの子供を認めるとおっしゃってくだされば、それでよろしいかと」
 その場に第三の声が響き渡った。
「シュナイゼル殿下」
「何故ここに」
 いったい何をしに来たのか、と思いつつ問いかける。
「ルルーシュに頼まれましたので」
「ルルーシュに?」
 あの子が心配しているのはマリアンヌの方だろう。そう思いながらも聞き返す。
「はい。お二方が仲違いをするのはいやだ、と」
 まさか、その願いを叶えてやらないと言うことはありませんよね? とシュナイゼルは問いかけてくる。
「それに……可愛いと思われませんか? コーネリアの子を抱きしめているルルーシュと、その隣にいるナナリーは」
 しかも、二人とも満面の笑みを浮かべているだろう。その言葉に、シャルルは思わず想像してしまう。
 確かに可愛い。
 三人ともおそろいの衣装を着せればなおさらだ。
「コーネリアとギルフォードの子です。有能なのはわかりきっておりますからね」
 ここまで言われては、もう何も言い返すことが出来ない。
「よかろう! 二人がそこまで言うのであれば、コーネリアのことはお前達に任せる」
 好きにするがよい、とシャルルは口にする。その言葉で皇帝の威厳が保てただろうか。
「ただし、生まれてくる子はは皇族として遇するが、皇位継承権は与えぬ」
 コーネリアにそう言っておけ、と彼は続ける。
「それで構いませんわ」
 大切なのは、コーネリアの子がシャルルに認められることだ……とマリアンヌは頷く。
「では、私はその準備をするために下がらせて頂きます」
 シュナイゼルは微笑みと共にこういった。
「途中でルルーシュに連絡を入れて、安心させておきましょう」
 さらにこう続ける。
「そうしてくださいますか? 私はコーネリア殿下の元へ今後のことを話し合いに行きますから」
 そんなシュナイゼルにマリアンヌが声をかけた。
「では、私も後から行くと伝言をお願い出来ますか?」
「わかりましたわ」
 二人の間でさっさと話をまとめると、そのまま彼等は謁見の間を後にする。シャルルには口を挟む隙もなかった。

 そして、時間は冒頭のシーンへと戻ることになった。
「……孫も見られん。ナナリーもおらん。ルルーシュの顔も見られん……その上、マリアンヌまで戻ってこなければ、何を楽しみに日々を過ごせばよいのか」
 もし、もっと早くコーネリアの子供とその父親のことを認めてやれば、少なくとも彼女たちはブリタニアにいただろうか。
 そんなことを考えながらルルーシュから贈られた彼によく似た人形を抱きしめる腕に力をこめる。
 現在、自分の周囲からは人を遠ざけていた。だから、このような姿を見られる心配はない。それもあって、シャルルは遠慮なくふてくされ続けていた。
 だが、それを邪魔するものがいる。室内に響いてきたノックの音に、彼は盛大に舌打ちをした。それでも、万が一のことがある以上、応対をしないわけにはいかないだろう。
「誰だ」
 取りあえず、声だけは取り繕って誰何をする。それに言葉を返してきたのは、ナイトオブワンだ。
「何かあったのか?」
 即座にこう問いかける。
「ルルーシュ殿下から通信が入っておりますが、いかが致しますか?」
 そうすれば、こんな言葉が耳に届く。
「会おう。こちらに回せ」
 おそらく、マリアンヌとコーネリアが着いたのだろう。
 その報告をルルーシュにさせるとは、クロヴィスは何を考えているのか。一瞬そう考えたが、ルルーシュの顔が見られるのであれば構わないか。そう判断をして立ち上がる。
 気が付けば、己の顔がだらしなくゆるんでいることにシャルルは気付く。だから、慌ててそれを引き締めた。
 もっとも、それは五分と持たなかったが。

 取りあえず、皇帝陛下の憂鬱は払拭されたのだろうか。
 もっとも、それがすぐに復活したのは言うまでもない事実だった。




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08.03.10up