周囲をはばかるように、黒髪の美丈夫がある店の門をくぐる。
「……酒場、か」
 その室内は、お世辞にも整頓されているとは言い難い。だが、妙に居心地がいいことも事実だ。
 それはどうしてなのだろうか。
「いらっしゃい」
 マスターらしい男が目を細めながらこう言ってくる。そのまま、無遠慮に自分の姿を見聞されて文句を言いたくなった。
「待ち合わせの方は奥の個室にいるから」
 だが、彼の言葉にそれを飲み込む。どうやら、たんに確認していたらしいとわかったからだ。
「わかった」
 一言言い残すと、指で示された方向へと進んでいく。そうすれば、目立たないように作られたドアが確認できた。どうやら、ここで内密の話が出来るように最初から作られているらしい。
 それはありがたいのだが、どうしてあちらにいる者達がそれを知っているのだろうか。
 首をひねりながらもドアをくぐる。
「黎星刻殿か?」
 その瞬間、落ち着いた声が投げつけられた。その声に聞き覚えがあるような気がするのは錯覚だろうか。こう考えながら視線を向ければ、薄暗い部屋の中に人影が三つ確認できる。
「そうだが、あなた方は?」
 いったい、と聞き返した。
「……くらいから顔が見えないのではありませんか?」
 先ほどとは別の声がこう言っている。
「あぁ、そうかもしれないですね。明かりを強くしますか?」
 最後の一人がこう言って腰を浮かせようとした。
「あぁ、いい。俺がやる」
 二番目の声の主がそれを制止してさっさと立ち上がる。
「総督閣下の騎士にそのようなことはさせられないからな」
 からかうようなその声音から判断をして、かなり親しい仲なのだろう。同時に、最後の人物が総督の騎士なのだと言うこともわかる。おそらく、あのかわいらしい総督の背後に立っていた青年だろう。
「……確か、枢木スザク、だったか?」
 かの総督の騎士の名前はその出自と共に有名だ。ナンバーズでありながら皇族の騎士になった男、と言うだけではない。皇帝をはじめとした者達の信任も厚い、とも聞き及んでいる。
 しかし、逆にどうして……とも考えてしまう。
「僕の名前をご存じでしたか」
 穏やかな声が響くと同時に、室内が明るくなる。そうなれば、壮年の男性ともう一人、人当たりの良さそうな男性の顔が確認できた。その容姿から判断をして、残りの二人もイレヴン――日本人だとわかる。
「藤堂鏡志朗……」
 声に聞き覚えがあるのも当然か、と壮年の人物が誰であるかを思い出して納得をした。
「なかなか、こちらの事情に明るいようだな」
 低い笑いと共に藤堂が言葉を口にする。
「でも、完璧ではないようですね」
 扇さんのことを知らないのだから、とスザクが笑い返す。
「あれだけ派手に動いていた《黒の騎士団》のリーダーの情報を知らないようですし」
「まぁ、俺たちは顔を隠していたからな」
 藤堂やスザクほど知られていなくても当然だろう。扇と呼ばれた人物がそう言って笑う。
「とりあえず、座ったらどうかな?」
 最後の一人が来ないうちは話を始めるわけにはいかないが、親交を深めることは出来るだろう。藤堂がこう言って星刻を手招く。
「……最後の一人?」
 そういって、改めてこの場にいる者達の顔を見回す。
「そういえば、私に連絡をしてきたブリタニア人がいないな」
 ディートハルトとか言ったか? と星刻は口にしながら、勧められた椅子に座る。
「……あいつ、何をしているわけ?」
「仕事だ、と言っていましたよ。ルルとは関係のない」
 でなければ、自分はここにいない……とスザクは口にする。
「まだ、あれなのか?」
「じゃなくて、ルルがいやがるので……もっとも、今は彼よりも高亥さまの方が怖いようですが」
 ストーキングに関しては諦めるしかないだろう。今でもシャルルのアルバムを充実させるという理由で彼はさりげなく写真を撮っていく。それどころか、総督からの放送も彼が担当をしているのだ。  しかし、逆に言えばそれだけで満足をしているとも言える。
 スザクのこの言葉に、他の二人は納得したように頷いていた。
「ブリタニア皇帝と?」
 あの男は直接連絡を取れるのか、と星刻は眉を寄せる。だとするなら、高亥のことも既に伝わっているのだろうか。
「あぁ、心配はいりません。ルルが『自分で何とかする』と言っているから、と伝えてあるので、皇帝陛下へはまだ報告がいっていないはずです」
 もっとも、とスザクは顔をしかめる。
「大使殿がルルにとって害悪になった場合、自分の権限で無条件で報告をさせて頂きますが」
 そのまま、彼はきっぱりとした口調で言い切った。
「その前に、日本人達がブーイングをぶつけそうだがな」
 ルルーシュの人気は、ブリタニア本国よりも高いから……と口にしたのは扇だ。 「否定はせんな。彼のおかげで、伝統工芸の継承はもちろん、ゲットーの居住環境も向上している」
 もちろん、ブリタニア人とナンバーズの差はある。だが、それでも、他のエリアに比べれば妥協できる範囲だと言っていいのではないか。
 何よりも、ここにはスザクとカレンがいる。
 それだけでも、名誉ブリタニア人達にはもちろん、イレヴン達にも希望を与えるには十分だろう。そして、あるいは自分も、と考えて努力を重ねるものも増えているのではないか。
 その結果、生産性が向上して、よりよい生活が送れる。それが本国にも評価されているはずだ。
「それらは全て、ルルーシュ総督の言葉からだ、と誰もが知っているから」
 笑いと共に扇が口にする。
「広めたのは、黒の騎士団ではないのか?」
「キョウトもそうではありませんか?」
 藤堂の言葉に即座にスザクが言い返す。
「僕としては、ルルと出逢えた奇跡に感謝するだけですけどね」
 それがなければ、きっと、今の状況はなかった。自分はもちろん、他の民衆ももっと悪い状況に置かれていたのではないか。そう彼は続ける。
「そういう事ですので、このエリアでルルの事についてあれこれ言われるときは気をつけてくださいね。それこそ、テロの標的になったりしますから」
「しかも、それをブリタニア本国も黙認するでしょうな」
 第四の声が室内に響いた。それが誰のものであるのか、確認するものはいない。
「本国に連絡をしたのか?」
 厳しい声でスザクが問いかけている。
「……皇帝陛下ではなく、シュナイゼル殿下に、内密に……ですが」
 流石に、シャルルに連絡を入れたらとんでもないことになるだろう。そう彼は続けた。
「最近は、シュナイゼル殿下からも内密の依頼が来るようになりまして……あぁ、もちろん、皆様方のことではありませんので、ご心配なく」
 そのようなことをすれば、ルルーシュに嫌われるとシュナイゼルが一番よく知っているから……と彼は付け加える。
「……それについては、後で聞かせてください。ルルに内密にと言うことであれば、そうしますが、知らないと困るかもしれませんから」
 総督補佐の権限で、ルルーシュの会見を映す権限を他の局に移しても構わないのだ……とスザクは笑いながら付け加えた。
「それは!」
「ミレイさんが他の局においでですからね」
 あの人がどうしてそのような選択をしたのかはわからない。だが、ルルーシュはミレイに懐いていたし、彼女の方もルルーシュをよく知っている。そう考えれば、彼にとってどちらが楽かは明白だろう。
「皇帝陛下のご希望はともかく、マリアンヌ様を味方につけることができれば、その位は簡単だしね」
 にっこりと微笑みながら、さらにスザクは言葉を重ねた。そのたびにディートハルトの表情が曇っていく。
「あの方に勝てる人間がブリタニアにいるかどうか……」
「少なくとも、私は知らないな」
 扇と藤堂がそれぞれこんな言葉を口にしたことがとどめになったのか。ディートハルトは完全に凍り付いた。
「それがいやなら、きちんと情報を流してくださいね」
 把握しておくだけでいいのだ。スザクはそういって微笑む。
 かわいらしい顔をしているが、やはり伊達や酔狂で総督の騎士の座を得ているわけではないのか。星刻は心の中でそう呟きながらスザクの顔を見つめる。
「もちろん、こちらからの依頼もきちんと果たしてください」
 それに気付いているだろうが、彼はそんなそぶりも見せることなく言葉を重ねていく。
「流石に、戦争などという状況は避けたいですから」
 何よりも、ルルーシュがそんなことはしたくないと言っている。
「あの小さな総督閣下が?」
 黙っていようと思ったにもかかわらず、星刻はついついこう呟いてしまった。
「そうです。それに、小さいと言ってもルルーシュはもう、十五歳ですから」
 何よりも、彼はもっと幼い頃から世界の表も裏も見つめている。だから、見かけだけで判断をしないで欲しい。彼はそう続けた。
「それでも、彼は優しい。このエリアの人々がまた、戦禍に巻き込まれないようにと考えているのだろうな」
 それでも、必要とあれば非情な判断も出来る。もっとも、それを向けられるのは自分たちの敵である者達に、だ。
「そうですね……ルルが本気になれば、シュナイゼル殿下やコーネリア殿下レベルでないと戦略的には互角の戦いが出来ないかと」
 戦術的レベルであれば、自分たちで十分に対処が出来る。
 その間に、ブリタニア本国からの増援も来るだろう。
「ラウンズにも無条件で押しかけてきそうな連中がいるし……それよりも、マリアンヌ様がおいでになるのが怖いよ、僕は」
 そうなった場合、相手が中華連邦であろうとも無事ですむはずがない。そのスザクの言葉が誇張でないと星刻も知っている。
「……確かに、それだけは避けたいな」
 そのために、自分はこうして危険な橋を渡っているのだ。
「ともかく……申し訳ないけれど、大宦官の方々には早々に消えて欲しいんだよね」
 ルルのためにも、そして中華連邦のためにも……と微笑みながらスザクはディートハルトを見つめる。
「うまくいったら、ルルとマリアンヌさまとナナリー様が揃っている写真の撮影許可が出るかもしれませんよ」
 そのまま付け加えた言葉にディートハルトの目が輝き出す。
 やはり、彼は侮れないな……と星刻はスザクの笑顔を見つめながら心の中で呟く。
「物事がうまく進めば、その時には是非とも天子様とお会い頂きたいものだな」
 総督閣下と共に、と口にしたのは、星刻なりの最大の評価のつもりだった。
「神楽耶が仲良くして頂いているそうですから。機会があれば、是非」
 微笑みながら頷いてみせる彼に、星刻はとりあえず頷き返す。
「その前に邪魔者は排除してしまいましょう」
 それが大前提だ、というスザクに、その場にいた者達はみな同意をした。

 この日から、ディートハルトが中華連邦の領事館へとたびたび足を運ぶことになった。しかし、その彼も高亥には嫌悪感を見せていたらしい。
「同族嫌悪って奴か?」
 玉城のこの一言に、誰もが同意をしたことは、本人にだけ内緒だった。




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08.10.27up