目の前に、日本酒の瓶がずらりと並んでいる。
「……とりあえず、こんなものだろうが……」
 しかし、これだけでは彼女一人で飲んでしまうのではないか。そんな確信が藤堂にはある。
「ずいぶんと集まりましたね」
 どうやら、彼はそんなマリアンヌの悪癖――と言っていいのだろうか――を知らないらしい。ジノが単純に感心している。
「ルルーシュ殿下はにっぽ――エリア11に住む者皆から愛されておられるからな」
 危なく『日本』と言いそうになって、藤堂は慌てて言い直す。少なくとも、ルルーシュの側にいる者達の前では『エリア11』と言わなくてもとがめられることはない。しかし、ナイト・オブ・ラウンズの一員である彼はそうではないだろう。そう考えたのだ。
「日本人もルルーシュ様をお好きなのか」
 いいことだ、と言われて、藤堂は逆に驚いてしまう。
「……ヴァインベルグ卿?」
「私が『日本人』と言ったことが、そんなに驚きかな?」
 ふっと笑う彼に、藤堂は頷いてみせる。
「私の友人はあのスザクだが? それに、ルルーシュ様が認めていらっしゃるものを否定する気持ちはない」
 そういって、彼は笑う。その表情を見て、そういえば、彼もまた若かったのだ……と納得をする。
「それに」
 こう言って、彼は表情を悪戯っ子めいたものへと変化させた。
「マリアンヌ様は怖い」
 あの方を怒らせるような言動は出来ない、と彼はきっぱりとした口調で言い切る。
「……マリアンヌ様が、何か?」
「あの方も《日本》や《日本人》を許容していらっしゃいますからね」
 たとえ、その理由が《日本酒》の存在故であろうとも自分たちには従わざるを得ないだろう。真顔でさらに付け加えた。
「もっとも、ここの総督がルルーシュ様でなければ、このようなことは口に出来ないだろうが」
 ここの総督がルルーシュであり、その母がマリアンヌである。だからこそ、こんな軽口も許されるのだが……と彼は笑う。
「もっとも、その特権はラウンズの中でも一部の者達だけに与えられたものだ、と言ってもいいかもしれないね」
 自分とアーニャはスザクと幼なじみだ。そして、マリアンヌに薫陶を受けた人間でもある。そういう意味では、ヴィ家に近しい存在だといっていいだろう。
「と言うことで、多少のことなら目をつぶる。でも、あまりその事実に甘えないでくれると嬉しいな」
 こう締めくくったのは、やはり彼がブリタニアの《騎士》だから、だろう。
「もちろんだ。我々としても、現状を壊したくはない」
 日本人という名前は返してもらえなくても、日本人の《矜持》は持ち続けていられる。それだけでも十分だ、と考えている者達も多いのだ。だから、と藤堂が心の中で呟いたときだ。
「藤堂さん!」
 慌てたような表情で朝比奈が駆け込んでくる。
「大至急、来てください!」
 おそらく、彼では対処できないような、何か予定外の事態が起きたのだろう。しかし、その内容が思い浮かばない。
「何があった?」
 それでも、これからマリアンヌとルルーシュ達が来るのだ。どのような些細な事態であろうとも片づけておかなければいけないだろう。
「来てもらえれば、わかります!」
 と言うか、直接目にしないとわからないのではないか。朝比奈はこう続けた。
「危険は、ないのか?」
 ジノが剣呑な空気を隠さずに問いかけている。
「……少なくとも、大丈夫なはずです。ただ、本当に予想外の事態で……」
 今、仙波と卜部が対応しているが……と朝比奈はため息をつく。
「千葉さんは、完全にフリーズしています」
 その気持ちはわかる、と朝比奈は付け加えた。
「できれば、俺もフリーズしたいです」
 彼までこう言うとは、本当にいったい何が起きているのか。
「わかった」
 こうなったら、自分の目で確かめるしかない。それを怠ったせいでルルーシュ達に危険が及んだとなれば、後悔などと言う感情では言い表せないものにさいなまれるだろう。
 日本がブリタニアに負けたときとは違う――いや、それよりも深い喪失感も感じるかもしれない。
「案内しろ、朝比奈」
 そんなことを考えながら、藤堂はこう命じた。
「私も同行させて貰おう」
 さらにジノも口を開く。
「もちろんだとも」
 言葉を返しながら、藤堂は視線で朝比奈を促す。それに頷くと朝比奈は今来た道を戻りだした。

 その報告に、ルルーシュは微かに眉を寄せる。
「それで? 何があったんだ?」
 藤堂やジノをはじめとして、この場にいるべき者達は誰も欠けていない。だから、そんなに厄介なことではなかったはず。
 だが、とルルーシュは首をかしげた。
「……片瀬元少将が、これを持ってこられました……」
 こう言いながら、藤堂が差し出してきたのは、一本の一升瓶だ。
「……酒?」
 しかし、どうして彼がこれを持ってきたのだろうか。
「自分で作ったって、言っていましたよ」
 どうやら、軍を離れてから杜氏の世界に飛び込んだらしい。そして、今年、独り立ちをして初めて自分の手で仕込んだのだそうだ。
「その中でも、一番よくできたたるの、初しぼり、だそうです」
 ルルーシュは無理だろうが、マリアンヌには味を見て欲しいのだ。そうも言っていた……と彼は続ける。
 だが、いいのだろうか。
「……品評会は、明日の予定よね?」
 ルルーシュが悩んでいる隣で、マリアンヌは楽しげな口調でスザクに問いかけている。
「はい。ですから、今日はできれば控えて頂いた方がよろしいのではないかと……」
 出なければ、正しい評価は出来ないだろう。彼はさらに言葉を重ねた。
「大丈夫よ。これ一本だし」
 何よりも、とマリアンヌは続ける。
「新しい道を選んだ人の門出は祝わないとね」
 そうでしょう? と微笑む。その言葉はもっともなように聞こえる。しかし、とルルーシュは心の中で呟く。絶対に、今、飲みたいだけだ。そうも感じた。
「これは、明日の品評会には関係ないのよね?」
 そういいながら、既にその手に瓶を握りしめている。
「一応は」
「では、晩酌はこれにしましょう。久々の会席料理楽しみだわ」
 こう言って微笑む母にかなうものは誰もいないのではないか。ルルーシュは心の中でそう呟いていた。

 ルルーシュ達は早々にあてがわれた部屋へと戻った。しかし、自分たちはそういうわけにはいかない。
 とりあえず、周囲は自分たちが固めている。もちろん、ブリタニア側の人間もだ。しかし、その数は極めて少ない。きっと、それはマリアンヌをはじめとして優れた武人がこの場に揃っているからだろう。
 それでも、やはり自分の目で確認しなければ納得できない。
「とりあえず、異常はないようだな」
 一通り確認して、藤堂はこう呟いた。
「それは良かったこと」
 直ぐ側でこんなセリフが聞こえる。
 今まで、誰の気配も感じなかったのに。藤堂は思わず唇を噛む。
 決して、自分の感覚が鈍っているわけではない。相手の技量が自分よりも上なだけだ。
 それがわかっていても、悔しいものはやはり悔しい。
「驚かさないでください。マリアンヌさま」
 ため息とともにこう告げる。
「それにお一人で出歩かれるなど……」
「いや、一人じゃないから安心しろ」
 藤堂の言葉を遮るかのように別の声が耳に届く。こちらも、気配を感じられなかった。
「……ひょっとして、俺の感覚が鈍っているのか?」
 マリアンヌだけならばまだしも、もう一人の気配も感じ取られなかったとは……と藤堂は呟いてしまう。確かに、最近、戦闘がないせいでかなり気がゆるんでいるかもしれない。だからといって、誰かにケンカを売るわけにもいかないし……と悩む。
「彼女も特別な存在だから」
 藤堂の感覚が鈍ったわけではない。その気になれば、ナイト・オブ・ワンですら彼女の気配を感じ取ることは不可能だ……とマリアンヌは微笑む。
「それよりも、ちょっと相談したいことがあるの。付き合ってくださる?」
 ルルーシュには内密で、と彼女はさらに笑みを深めた。
「……ご命令とあれば……」
「命令ではありません。お願いです」
 こう言うところも、彼女の息子によく似ている。あるいは、それも血筋なの、だろうか。
「そういうことでしたら……ただし、酒はありませんよ?」
 一応念を押しておく。
「わかっているわ」
 満面の笑みと共にマリアンヌは頷いてみせる。
「と言うわけで、付いてきて」
 そのまま彼女はきびすを返した。
 一瞬ためらった後に、藤堂もその後に続く。
 しかし、彼女の口から出たとんでもないセリフに『聞かなければよかった』と後悔をすることになった藤堂だった。

 無意識なのだろうか。スザクの布団の方へルルーシュは転がってくる。
「本当にルルは」
 苦笑と共にスザクは彼の体を布団の中へと導いた。
「だから、一人で寝かせられないんだよ」
 本当に寝相が悪いんだから……と呟く。しかし、それが自分が一緒にいるときだけだ、と言うことも、知っている。
「ずっと、僕の腕の中にいてね」
 しかし、何か胸騒ぎがするような気がするのは錯覚だろうか。
 そんなことを考えながら、ルルーシュの体を抱きしめる。触れあった場所から伝わってくる温もりが少しだけスザクの気持ちを安堵させてくれた。





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