それは、ロイドのプリン事件――命名はクロヴィスだ――のすぐ後のことだった。
「君が、枢木スザクくぅん?」
 芝生の上でルルーシュに膝枕をしていたスザクはかけられた声に顔を上げる。その視線の先には、見覚えのない人物が、眼鏡の下の目をまさしく糸のように細めて自分を見つめている姿があった。
「どなたでしょうか」
 僅かに警戒をしながらも、スザクはこう問いかける。自分はともかく、ルルーシュに何かあってはいけない。そう思ってのことだ。
「あはぁ。さすがは殿下達に認められた騎士候補君だねぇ」
 しかし、そんなスザクの行動に、目の前の相手は楽しげに目を細める。
 どうやら、相手は自分を知っているらしい。しかし、自分は彼を知らないのだ。
「……どなたですか?」
 この場所に平然と足を踏み入れられるのであれば、間違いなくブリタニアの貴族だろう。だからといって、安心できるわけではない。ルルーシュはまだ幼いからそのような生臭い話は身近になかったが、シュナイゼルやコーネリアの周囲ではそうではないらしい。
 そのとばっちりでも、ときたのか。そう判断をしたのだ。
「あぁ、ごめんねぇ」
 しかし、相手の方は何かに気付いたかのように大きく頷いてみせる。
「僕はロイド、だよぉ。ロイド・アスプルンド」
 その名前にスザクは聞き覚えがあった。
「……プリンの……」
 思わずこう呟いてしまう。
「あはぁ」
 それに、彼は満足そうな笑みを浮かべた。
「そぉだよぉ。ルルーシュ殿下にはそう思っていて貰っていいかなぁ、今は」
 正式には違うんだけど、と彼はさらに目を細めながら付け加える。その瞳の奥にそれだけではない感情を見つけてしまった。その事実が、警戒を解かせてはくれない。
 そのままスザクはロイドをにらみつけた。
「……取りあえず、合格かなぁ」
 だが、不意に彼の中からその光りが消える。代わりに、人の良さそうな表情だけが残った。
「……アスプルンド伯爵?」
 いったい、何が合格なのか。話が見えないとスザクは思う。
「ごめんねぇ。あの腹黒皇子からあれこれ頼まれたんだけどぉ、僕としては君がどんな相手なのかを確認してからでないと、決められないって思ったんだよぉ」
 特に、ルルーシュにとってふさわしいかどうかをね……と彼は付け加える。
「ルルーシュ殿下は、まだお小さいからねぇ。人の悪意なんて知らないだろうし」
 それから彼を守れる存在でなければ、側にいる価値ないしね……と彼は厳しい言葉を投げつけてきた。
「でも、君は大丈夫だよぉ。技量はともかく、気持ちは合格」
 コーネリアやクロヴィスはルルーシュに甘いから、彼の望みであれば何でも叶えようとしてしまうだろう。シュナイゼルにしても最終的には妥協するのはわかりきっていた。
「だから、万が一の時は、僕が恨まれ役をしようと思っていたんだけどねぇ」
 でも、その必要はなかったね……と彼は優しい微笑みを向けてくる。
「技量や知識に関しては、これから身につければいいしねぇ」
 その手伝いなら、自分もしてやれるし……という言葉に、スザクは微かに首をかしげる。
「あの、伯爵……」
 話が見えないのですが……と申し訳なさそうに口にした。
「ロイドでいいよぉ」
 伯爵だなんて、誰も呼ばないから……と彼は笑う。そして「失礼」と一言付け加えるとスザクの隣に座った。
「よぉするに、ブリタニア国史と一般教養に関して、君に付き合えって腹黒皇子から頼まれたんだよぉ」
 つまり、彼がこれから自分の教師になってくれると言うことなのだろうか。それについては文句はない。ただ、とスザクは思う。
「……腹黒皇子……ですか?」
 誰のことだろう、と本気で考え込む。
「あぁ、君は皇族方の一部しか知らないんだよねぇ。でも、会ったことはあると思うよぉ」
 ついでに、話もしたことがあるはずだ……と彼は続ける。と言うことは、自分が知っているルルーシュの兄弟の中の誰かなのだろう。
 皇子というのだから、当然コーネリアとユーフェミア、そしてナナリーは除外だ。
 と言うことは、シュナイゼルかクロヴィスと言うことになる。
 二人の内どちらか、といわれれば答えは決まっているような気がしてならない。
 でも、それを口に出すのははばかれるだろう。
「……んっ……」
 どうしようか、とスザクが内心焦っていたときだ。まるで救いの手を差し伸べてくれるかのようにルルーシュが小さな声を漏らす。反射的に視線を向ければ、彼がゆっくりと目を開けるのがわかった。
「ルル、起きますか?」
 まだぼーっとしている彼に、スザクはこう問いかける。
「おきる」
 だから、起こして……とルルーシュは甘えるように口にした。
「最近、少し甘えんぼさんですよ」
 ナナリーが帰ってきてから、という言葉をスザクは飲み込む。その代わりに手を伸ばしてそうっと彼を立ち上がらせてやった。しかし、ルルーシュはそのままスザクの胸に抱きつくようにして膝の上に座る。
「だっこ〜」
 そして、こう言ってくる。
「まだ、おねむのようですね」
 小さな笑いとともにスザクはルルーシュの髪をそうっと撫でた。
「……でも、おきるの……」
 でないと、夜に眠れなくなるから……と彼は付け加える。そういうことはだんだん理解できるようになっているらしい。
「そうですか。ルルは偉いですね」
 言葉とともに彼の背中をぽんぽんと叩いてやれば、ふわりと口元に笑みが浮かぶ。
「るる、えらい?」
「えぇ、とても」
 ですから、目がきちんと覚めたらご褒美を差し上げましょうね……とスザクは付け加える。
「ごほうび?」
 なぁに? と問いかけてきた。
「殿下のお好きなプリンですよぉ」
 それにスザクが答えるよりも早くロイドが口を開く。
「ろーど?」
 その声に、ルルーシュは視線を移す。しかし、どうして彼がここにいるのかまではわからないようだ。
「しゅじゃく……なんで、ろーどがいるの?」
 兄上のご命令? とルルーシュはスザクの腕の中で首をかしげてみせる。
「半分あたりでぇす」
 でも、ご褒美はちゃんと差し上げますから……と口にしながら、彼はどこからともなく籐のバスケットを引っ張り出す。そして、その蓋を開けて中に入っているものをルルーシュにみせた。
「ぷりん〜〜」
 嬉しそうにルルーシュはこういう。
「殿下のために、朝から頑張りましたよぉ。それと、これから週に三日、アリエス宮に御邪魔しますからぁ」
 その時にはプリンだけではなくタルトやパイもおもちしますねぇ、と彼は付け加える。
「ろーど、くるの?」
 どうして、とルルーシュは問いかけた。
「シュナイゼル殿下のご命令で、スザク君にお勉強を教えることになったんですよ。アリエス宮なら、ルルーシュ殿下も安心でしょう?」
 その間は、ルルーシュ殿下はナナリー皇女殿下と一緒にマリアンヌ様のお側にいてください……と彼は続ける。
「もちろん、殿下がご希望でしたら、ご一緒でもかまいませんけどぉ」
 一緒にお勉強しますぅ? とロイドは笑みを深めた。
「しゅじゃくといっしょ?」
「そぉですよぉ」
 もちろんじゃないですかぁ、とロイドは大げさな身振りで付け加える。
 その瞬間、手にしていたバスケットが大きく傾く。
「ぷりん〜〜!」
 ルルーシュの叫び声が周囲に響き渡った。

 ともかく、そういうことでロイドがスザクの教師として週に三日ほどアリエス宮を訪れるようになったのは事実だ。そして、そのたびにルルーシュにあれこれ差し入れを持ってくるのも定番になってしまった。
 それについてはかまわないのではないか。少なくとも、ルルーシュが大喜びをしているし、ロイドが持ってくるものは文句なしにおいしいから……とスザクは考えている。
 だが、これが一騒動を引き起こすことになるとは思わなかった。
「……ロイドが?」
 ルルーシュにチェスを教えに来たシュナイゼルに、スザクがロイドのことで礼を言った瞬間である。彼が驚いたように目を見開く。
「はい。とても丁寧に教えて頂けるので、とてもありがたいです」
 シュナイゼルのおかげだ、とスザクは付け加えた。しかし、その言葉に、彼の眉間にしわが寄っていく。
「あの……シュナイゼル殿下?」
「……あの男は……ルルーシュにいい印象を与えようとあれこれしているのは知っていたが、とうとう君にまで手を出したか」
 ぼそっと呟かれた言葉が恐い。
「……あの……」
「あぁ、君は心配しなくていい。君が悪いわけではないのだからね」
 ただ、自分はここではなく自分の宮でスザクの勉強を見るようにといったはずだったのだ……とシュナイゼルはいつもの表情を作ると口にする。
「まぁ、それについてはあとであの男としっかりと話し合おう。まぁ……ルルーシュの様子から判断をして、そのままと言うことになるだろうが」
 だからといって、勝手なことをされて黙っているわけにはいかない……とシュナイゼルは笑う。その表情は、はっきり言ってかなり恐いものだ。
「あにうえ〜〜」
 しかし、ルルーシュの言葉でそれはあっさりと消える。
「ななりーがおきたの〜〜。ははうえが、よかったらあってくださいって。しゅじゃくもいこ?」
 このお願いを断れる人間は、アリエス宮にはいないだろう。
「もちろんだよ、ルルーシュ。今日は私が抱っこをしてやろう」
 言葉とともに立ち上がるシュナイゼルに、ルルーシュは一瞬、考え込むような表情を作った。
「ルル。せっかく、殿下がこうおっしゃってくださるのですから。甘えてもかまわないのですよ」
 そんな彼の背中をスザクはこう言って押してやる。それで迷惑ではないと判断をしたのだろう。
「あにうえ」
 言葉とともにルルーシュは彼の側に歩み寄る。そして、手を差し出した。
「いいこだね」
 満足そうな微笑みとともに、シュナイゼルは彼の体を抱き上げる。
「では、行こうか」
 満足そうな微笑みを浮かべるとシュナイゼルは歩き出す。その肩越しにルルーシュがスザクに手を振っている。それに微笑み返すと、スザクもまた歩き出した。

 数日後、時間になって現れたロイドの右目には、しっかりと青あざがついている。そして、その後に顔を出したシュナイゼルの頬は微かに腫れていた。
 それだけで何があったのか想像が付く。
 しかし、それを確かめてはいけない。
 懸命にもそう判断をしたスザクだった。




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07.04.10up