他の宮では決して騎士は主と同じテーブルには着かない。しかし、このアリエス宮では違った。スザクも既に家族の一員だから、というマリアンヌの言葉で四年前から一緒に食事を取っている。それは、これからも変わらないのだろうとスザクは思っていた。
 だが、そうではなかったらしい。
「母上」
 食後のお茶を楽しんでいたときだ。もうだいぶしっかりとしてきた――そのくせ、相変わらずスザク限定で甘えてくる――ルルーシュが不意に口を開く。
「何かしら、ルルーシュ」
 マリアンヌが優しげな微笑みとともに聞き返す。
「申し訳ありませんが、本日、家出させて頂きます!」
 もう我慢できません!! とルルーシュは言い切った。
「……ルル、家出って……」
 この言葉にまず慌てたのはスザクだ。いや、スザクだけが慌てていると言った方がいいのかもしれない。
「おにいさま、どこかにいかれるのですか?」
 ナナリーも一緒に連れて行ってください、と妹君は楽しげな口調で口にすれば、
「どこに行くつもりです、ルルーシュ。安全な場所ですか?」
 とマリアンヌはマリアンヌでこう問いかけてくる。
「ちょっと遠いところだから、ナナリーは連れて行けないよ。スザクは一緒だけど」
 にっこりと綺麗な微笑みを浮かべると、ルルーシュは言葉を返し始めた。
「安全だと思います、母上。クロヴィス兄上の所ですから」
 シュナイゼルに相談をしたら、あそこが一番適切だろう、と教えてくださったので……とルルーシュはさらに付け加える。
「エリア11ですか? 確かに、コーネリア様がいらっしゃる場所よりは安全でしょうが……ご迷惑ではありませんの?」
 まだ不安なのか。それとも別の理由からなのか。マリアンヌはさらに確認の言葉をルルーシュに投げかけている。
「クロヴィス兄上の許可はいただきました。いつでも来てかまわないと」
 ロイドも、今、あちらにいるそうですし……と彼は言葉を返した。
「アスプルンド伯が? あぁ、それでシュナイゼル殿下が納得してくださったのですね」
 あの方もいらっしゃるのであれば、なお安心でしょう……とマリアンヌは頷く。
「私も、そろそろ皇帝陛下のなさりようには堪忍袋の緒が切れかかっておりますしね」
 そういいながら、マリアンヌはルルーシュの姿を改めて見つめた。
 今の彼は、ナナリーとおそろいのドレスを身に纏っている。というよりも、ここ数年、彼の衣装は皇帝陛下の命令で少女用のドレスしか許されていないのだ。スザクからすれば、ルルーシュはよくも今まで我慢したものだ、とそう思えるほどである。
「私は、男の子と女の子を一人ずつ産んだつもりでしたもの。確かに、似合いますが……でも、ルルーシュもそろそろ男の子としてのあれこれを身につけないといけない時期ですものね」
 しかも、それが始まった時期と、コーネリアやクロヴィスが本国を離れエリアの統治を任され、なおかつ、シュナイゼルが宰相の地位に就いたのが同時期だ、と言うことに誰かの作為を感じてしまう。
「本国から離れれば、皇帝陛下もすぐに貴方の存在を見いだすことはできないでしょうが……その前に、あの方が貴方を国外に出してくださると思っているのですか?」
 絶対に全ての交通機関を閉鎖するはずだ……とマリアンヌは我が子に問いかけている。
「大丈夫です。既に対策はできています」
 必要なものも、既にエリア11に送ってあるし、国外に出るための方策も整えてある。後は、実行に移すだけだ……とルルーシュは笑う。
「着替えも、スザクに準備して貰ってあるし」
 ね、と視線を向けられて、スザクは無意識に頷いてみせた。
「もっとも、着替えるのは宮殿を抜け出してから、になりますが」
 流石に、宮殿内をあの服装で歩けば、皇帝陛下の耳に入るに決まっている。それではせっかくの計画がダメになってしまう。だから、目的地で着替えができるよう、手配をしていると、スザクは口にした。
「スザクさんが一緒にいてくだされば、ルルーシュは何の心配もいりませんね」
 ふわりとマリアンヌが微笑みを浮かべる。
「そういえば、エリア11はスザクさんのふるさとでしたわね……よろしいのですか?」
 だが、すぐに表情を引き締めると彼女はこう問いかけてきた。その意味がわからないスザクではない。
「はい」
 いろいろと思うことはある。それでも、この小さな主が大切だと言うことは否定できない事実だ。それならば、ブリタニアの中から何とかできないか、と考えた方が有意義だろう。そう思うことにしたのだ。
「クロヴィス殿下も、イレヴンには寛大な政策をとっていてくださります」
 だから、何も心配はしていない……とスザクは微笑む。
「大丈夫だ。困ったことがあったら、俺がなんとでもしてやる」
 スザクが側にいてくれるためなら、何でもする……とルルーシュが言ってくれた。それだけでも十分だ、とそうも考える。
「ありがとう。嬉しいよ」
 ルルがそう言ってくれるだけで……とスザクは微笑み返す。
「当然のことだ。スザクは俺のものなんだから」
 スザクのためにできることをしてやるのも、主として当然のことだろう? とルルーシュは口にする。
「そうですね。普段、ルルーシュがスザクさんにかけている迷惑を考えれば、そのくらいは当然のことですね」
 さらにマリアンヌが柔らかな笑い声とともにこういった。
「……おにいさま……しゅじゃくさんに、ごめいわくをかけちゃ、めーなのです」
 それを聞いたナナリーがルルーシュに向かってこんな言葉を投げつける。
「ナナリー……母上も、お願いですから……」
 ルルーシュをこうして追いつめることができるのは、この二人だけだろう。そんな彼女たちが敵に回っていない以上、きっとルルーシュの希望は叶うに決まっている。スザクはそう考えていた。

 数日後、ルルーシュの姿が宮殿内にないことに気付いた皇帝が大騒ぎをすることになるが、それを取り合うものは皇族の中には誰もいなかった。

「……少し、小さかったですか?」
 襟元をしきりに気にしているルルーシュに、スザクはこう問いかける。
「違う」
 だが、ルルーシュは即座にその言葉を否定した。
「サイズに問題はない。スザクがきちんと選んできてくれたから」
 ただ、と彼は言葉を続ける。
「久々だから、襟の感触がなれないだけだ」
 今までは女性用のドレスばかりだったから……と苦笑を浮かべる彼に、スザクだけではなく側にいたダールトンまでもが気の毒そうな表情を作った。
 そう。
 今彼等が乗っているのはコーネリアへの補給物資その他を積んだ飛行艇だ。日本でサクラダイトを受け取ってから中東にいるコーネリアの元へ向かうことになっている。
「まぁ、いずれ馴れるだろう。それよりも、すまなかったな、ダールトン将軍。お前がいてくれてよかった」
 でなければ、こんなにトントン拍子に話は進まないだろう……とルルーシュは笑う。
「流石にこのたびのことは姫様もご立腹でございましたので」
 表だって動けなかったのは、間違いなくユーフェミアが関わっていたからだろう……とダールトンはため息をついた。
「ユフィ姉上もな……ナナリーだけにしてくださればよかったのに……」
 ナナリーが可愛いドレスを着ているのを見ているのは楽しい。そして、ユーフェミアは性格はともかく服装のセンスに関してはルルーシュも一目を置いている。しかし、その対象に自分まで含めないで欲しかった……と言うのが主張だ。
「コーネリア姉上やクロヴィス兄上が任地に赴かれてからすぐというのは、父上と盛り上がったからなのだろうが……」
 だからといって、人の性別まで忘れるな! とルルーシュは拳を握りしめる。
「ルル。わかっているから、落ち着いて」
 ね、とスザクは慌てて彼の手をそうっと包み込む。
「そんなに力をこめて握りしめたら、手のひらを傷つけちゃうよ?」
 ルルーシュの手のひらに傷があるのを見るのは、自分は嫌だから……と口にしながら、そうっと指を開かせた。
「スザク……」
 ルルーシュが真っ直ぐにスザクの目を見つめてくる。
「それに、終わったことでくよくよするなんて、ルルらしくないですよ? エリア11では、クロヴィス殿下がお待ちですし……ルルの好きなことをさせてくださいますよ」
 それならば、楽しいことを考えましょう……とスザクはそんな彼に微笑みかけた。
「そうですぞ、ルルーシュ様」
 スザクの言葉にダールトンも頷いてくれる。
「クロヴィス殿下ご自身はお忙しいとは思いますが、エリア11は安全な場所です。スザクと一緒であれば多少の遠出は許可されるでしょう」
 確か、あの地は自然が美しい場所だったな……と彼はスザクに確認をしてくる。
「はい。狭い地域ですが、その分、自然が豊かです」
 クロヴィスがそれを気に入って、無駄な開発は禁止しているという。だから、今でも自分の記憶の中にある景色とそう変わっていないのではないか。スザクはそう思う。
「海で泳ぐのもいいでしょうし、山で遊ぶのも楽しいと思いますよ、ルル」
 ブリタニアではできなかったあれこれを楽しみましょう、とさらに微笑みを深めれば、ルルーシュも嬉しそうに笑ってくれた。
「ロイドの新しい機体も見られるだろうし……クロヴィス兄上が遊園地を作ったから……ともおっしゃっていたな」
 ところで、遊園地って何だ? と首をかしげてみせるルルーシュにスザクは苦笑を浮かべてしまう。ある意味箱入り息子の彼は、王宮から出たことがなかったのだ、と今更ながらに思い出す。
「遊園地というのは、そうですね……いろいろな楽しい乗り物がある場所です」
 他にも迷路やお化け屋敷もあるのだろうか。
 クロヴィスが設計に関わっているなら、ものすごくこっているかもしれない……とそうも考える。
「……乗り物? どんな?」
 瞳を期待に輝かせながらルルーシュが問いかけてきた。
「僕が知っているものであれば、ジェットコースターと言って、高低差を付けたり回転をしたりしているレールの上を走る車がありましたし、後は、観覧車とか……そんなところでしょうか」
 メリーゴーランドはナナリーなら喜ぶだろうが、ルルーシュでは物足りないと感じるかもしれない。
「なかなか、楽しそうだな。ナイトメアフレームに乗るのと、どっちが楽しいだろう」
「それは、観点がまったく違います!」
 ナイトメアフレームは、あくまでも兵器であっておもちゃじゃない。だから、遊園地の乗り物と一緒に考えてはいけない、とスザクは口にする。
「第一、ナイトメアフレームに乗れるのは、選ばれた方々だけです」
 ルルーシュであればもう少し大きくなれば乗れるだろうが……と心の中で付け加えながらも言い切った。
「ならいい。スザクに乗せてもらうから」
「……ナイトメアフレームは一人乗りです……」
 第一、そんな危険なマネ、させられない……とため息をつきたくなる。
「まぁ、クルルギも大きい方ではありませんし、ルルーシュ様もお小さいですから、何とかなるかもしれませんが……それなら、姫様におねだりをされるとよいかもしれませんぞ」
 コーネリアもルルーシュであれば喜んで一緒に乗せてくれるだろう、とダールトンが助け船を出してくれる。
「グロースターか? 姉上のは凄く恰好いいよな!」
 コーネリアが操縦しているからなおさらだ、とルルーシュの意識はそちらに向いてくれた。その事実に、スザクはほっと胸をなで下ろす。
「ルルーシュ様がそうおっしゃっておられたと姫様にはお伝えしておきましょう。きっと喜ばれますよ」
 ですから、それが現実になるまでは、スザクに無理を言わないように……と彼は付け加える。
「……でも、スザクはルルの騎士だろう? 兄上に頼めば、スザクの機体も用意してくださるのかな?」
 今度、相談してみよう……と彼は口にした。
「ルル……」
「その時は、クルルギの技量を私めが確認させて頂きましょう。それまでは我慢してくださいませ」
「でないと、姉上にスザクが怒られるのだな。わかった」
 だから、本人を蚊帳の外に置いて話を進めないでください……とスザクは思う。
「その通りです。まぁ、クルルギであれば、すぐに許可が出ますよ」
 こう言ってくれるのは嬉しいが、大丈夫だろうか、と心の中で呟きたくなる。
「ルル。それでは、休んでください。多分、エリア11についたら、クロヴィス殿下が喜ばれて、二・三日は休んでいる時間がないと思いますから」
 もっとも、彼も総督の地位にある以上、それなりの節制してくれるとは思うのだが。スザクは心の中でそう付け加える。
「あぁ、おやつが用意できたようですぞ、ルルーシュ様」
 さらにダールトンもこう言ってくれた。
「わかった。スザク、行こう?」
 一緒に食べよう? とルルーシュはスザクに手を差し出してくる。
「はい、ルル」
 それにスザクは微笑みとともに頷いてみせた。

 こうして、小さな台風がエリア11へと降り立つことになったのだった。




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