湖面にホテルの優美な姿が映し出されている。
しかし、ルルーシュにはそれを堪能している余裕がなかった。
「ルルーシュ!」
この呼びかけと共に信じられない人物が自分の方へと駆け寄ってくるのが見えたのだ。
「ユ……フィ?」
皇女殿下、と呼びかけそうになって慌てて言い直す。彼女の表情から、ここではただの知人として扱って欲しいのではないか、とそう判断をしたのだ。
それは正解だったらしい。
「本当に会えるとは思いませんでしたわ」
満面の笑みと共に彼女はルルーシュに抱きついてくる。
「ル……ルル?」
反射的にその体を支えるように手を回せば、シャーリーが訳のわからない声を上げた。しかも、手を口元に添えている。
「いつの間にそんなカワイコちゃんと知り合ったんだよ」
リヴァルはリヴァルでこんなセリフを投げつけてくれた。悪友のこの言葉に、ルルーシュは小さなため息をつく。
「義父さんの関係だよ」
実際に顔を合わせたのはこの前だ、と続けた。その言葉は嘘ではない。
「……あぁ。ダールトン将軍のお知り合いのお嬢さんなのね」
こう言ってくれたのはミレイだ。
アッシュフォードは今は没落したとは言え、以前はかなりの勢力を持った貴族だったはず。あるいは、その縁でユーフェミアのことも知っていたのではないだろうか。その可能性は否定できないな、とルルーシュは心の中で呟く。
「そうですわ」
ユーフェミアも、またこう言葉を返している。
「ここで行われる式典に招待されましたの。みなさまもそうなのですか?」
ルルーシュに抱きついたまま、彼女はさらに言葉を重ねた。その様子は本当に親密としか見えないのではないか。自分たちだけならばまだいいが、他の者が見たらどう判断をするのだろう。それが不安でならない。
しかし、さりげなく周囲を見回せば、彼女のSPらしい者達がさりげなくこちらに誰も来ないように気を配っている。ならば大丈夫なのだろうか。
「とりあえず、パーティだけに潜り込んだ、というのが正解だな」
苦笑と共にルルーシュはそう告げる。
「酷いわ、ルルちゃん。ちゃんと正式な招待状を貰ってあるわよ」
みんなはついでだけど、ちゃんと許可は貰ってある。ミレイは即座にこう主張をした。
「……理事長宛、でしょう、それも」
まぁ、招待状そのものは正式なものでしょうが……とルルーシュは言い返す。
「ともかく、立ち話もなんだから……ホテルの中に入らないか?」
そちらの方が護衛も楽だろう。そう思ってルルーシュは提案をする。
「そうですわね。その方がゆっくりとお話が出来ますわ」
ユーフェミアはこう言って微笑む。そのまま彼女は視線をミレイ達へと向けた。
「わたくし、このエリアに来たばかりで……ルルーシュともう一方以外、同年代の知り合いがおりませんの」
だから、仲良くして欲しい。そう言って微笑む彼女は、シャーリーやカレン、ニーナと代わらないように思える。そんなことを考えながらさりげなく視線を彼女たちへと向ける。
その瞬間だ。
カレンが憎々しげな視線をユーフェミアへと向けているのに気付く。しかし、それはすぐにかき消された。
「カレンさん?」
今のは見間違いだったのだろうか。そう思いながらもルルーシュは問いかける。
「何?」
いつものおしとやかな表情でカレンが聞き返してきた。
「静かだから、また体調を崩したのかな、と思ったんだが……大丈夫か?」
いったいどちらが本当の彼女なのだろうか。そう思いながらもルルーシュは無難な言葉を口にする。
「心配してくれたの? ありがとう」
カレンは柔らかな微笑みを浮かべる。
「ひょっとして、中で……と言ってくれたのも、私を気遣って?」
さらに問いかけられて、今更『違う』とも言えない。
「それも理由の一つ、かな?」
せっかく来たのに、体調を崩しては楽しめないだろう? と微笑み返した。
「ルルーシュは、本当に優しいのですね」
カレンに対する対抗心だろうか。ユーフェミアは抱きしついている腕に力をこめながら口を挟んでくる。
「ルルちゃんは女の子や小さい子には優しいわよね。動物も好きだし」
ミレイが即座に言葉を口にしたのは、険悪な空気にならないようにという気遣いからだろうか。
「そうよね。ルルってば、女の子のエスコートは完璧だもん。だから、ダンスパーティの時にはみんなに申し込まれるのよね」
でも、基本的にルルーシュは誰とでも踊るがパートナーは決めないから、とシャーリーがため息をつく。
「……でも、おかげで私たちもいじめられないですんでると思うよ、シャーリーちゃん」
ルルーシュがそうやって特別な相手を作らないから、とニーナが苦笑と共に口にした。
「それはそうなんだけど……」
でも、やっぱり一回は独り占めしてみたいわよね……とシャーリーが言い返している。
「なら、今度、それを賞品にお祭りをしましょうか」
さらりとミレイがとんでもない提案をしてくれた。
「やめてください、会長!」
そんなことをするなら、その日は欠席をします! とルルーシュは宣言をしておく。もちろん、予告なしで祭りを開催されれば逃げようがないのだが。それでも、宣言しておけば少しは状況がマシなのではないだろうか。
「それこそ、このような場所で話をする内容ではないのではありませんか?」
学園に戻ってじっくりと話をしましょう、とルルーシュはミレイを真っ直ぐに見つめながら口にする。
「状況次第では、生徒会を辞めさせて貰います」
さらにこうも続けた。
「ルルちゃん?」
「義父さん達もこちらに来て、それなりに忙しいですから。部活は幽霊部員でも構わないところに所属すればいいだけですし」
そうなったら、誰があの書類を整理するのでしょうね、とにっこりと微笑みながら付け加える。
「ということで、中に入りましょうか?」
ユフィ、と自分の腕にすがりついている少女に視線を向けた。
「そうしましょうか。ゆっくりとお話をしたいですわ」
彼女もまた笑みを返してくる。
「そうそう。お姉様にこの前のことをお話ししましたら、自分も食べてみたいとおっしゃいましたの」
簡単なお菓子でもいいので、作ってくれないか。ユーフェミアはこう問いかけてきた。
「……お口に合うかどうかはわかりませんが、いいですよ」
後で、ダールトンにコーネリアの好みを聞いておこう。そう思いながら頷いてみせる。
「お願いしますね」
ユーフェミアが嬉しそうに微笑んだのを確認してからルルーシュは体の向きを変えた。もちろん、ユーフェミアも一緒に、だ。
「では、お先に」
ミレイ達にこう言うと、そのまま歩き出す。
「ちょっと、たんま! 俺も一緒に行くから」
即座にリヴァルが追いかけてくる。
「私も行くわよ!」
「ルル、待ってってば」
「ルルーシュ君!」
他の三人も歩き始めた。だが、ルルーシュはあえてその声に振り向くことはない。
「ルルーシュ?」
「ここできっちりとしておかないと……後でつけあがりますから」
その結果、自分の負担が大きくなるのはわかりきっている。だから、今は甘い顔を見せるわけにはいかない。
「後で、フォローをするから大丈夫ですよ」
微笑みと共にこう告げれば、とりあえずユーフェミアは納得したようだった。
トウキョウ租界と違い、夜になればホテルの周辺は闇に包まれる。
それは都会の喧噪と明るさに慣れた人々には新鮮なのかもしれない。だが、逆に言えばそれは近くまで見知らぬものが近づいてきていても気が付かないと言うことではないだろうか。
「何もなければいいんだがな」
窓から外を眺めながら、ルルーシュはこう呟く。
「何か言った?」
それを聞きつけたのだろう。リヴァルがこう聞き返してくる。
「何でもない、と言えればいいんだろうがな」
ため息をつきながらルルーシュは窓の外から彼へと視線を移動させた。そうすれば、ベッドの上でごろごろとしている彼の姿が確認できる。彼らしい態度を見ても、少しも和めない自分に、またため息が出てしまう。
「ただ、何か嫌な予感がするんだ」
もちろん、何もないかもしれないが。苦笑と共に彼は付け加える。
「でも、さぁ」
体を起こしながらリヴァルは口を開く。
「杞憂って可能性もあるわけだろう?」
それに、と彼は目を細める。
「いざとなったら、俺だってそれなりに役に立つから。ルルーシュと女性陣の盾ぐらいにはなれるって」
こう言われて、ルルーシュは反射的に顔をしかめた。
「リヴァル……」
低い声で呼びかければ、その意図がわかったのだろう。
「もちろん、死ぬ気はないって。ただ、俺の方がルルーシュよりも体力があるからさ。ニーナぐらいなら抱えて走れるかなって思ったんだよ」
水泳部と掛け持ちのシャーリーはもちろん、ミレイだってルルーシュよりも体力があるだろうから……と付け加えられて、さらに渋面が深まる。しかし、反論が出来ないというのも事実だ。
「大丈夫。あんまり考えすぎない方がいいと思うぞ」
そう考えたい、とルルーシュも思う。
しかし、どうしても不安をかき消すことが出来なかった。
それでも、その不安が現実になるなどとはまったく考えてもいなかった。
少なくとも、眠りにつくまでは、だ。
夜陰にまぎれてホテル内に侵入してきた者達に、誰も気付くことはなかった。
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08.08.22 up
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