目的地が近いのだろうか。先導している男の足取りが緩やかになった。
 同時に、ルルーシュの鼻腔に鉄さびに似た匂いが届く。それが何であるのか、彼は知っていた。しかし、どうしてこの場にそのようなものが漂っているのか、とそうも考えてしまう。
「……ルルーシュ……」
 それを感じ取ったのか。ユーフェミアが不安そうな表情を向けてくる。
「大丈夫ですよ、殿下」
 自分では頼りにならないかもしれないが、それでも、一人ではないのだから。そう言ってルルーシュは微笑む。
「それよりも、しっかりと前を向いていてください」
 相手に侮られることがないように、とそう続ける。この言葉に、ユーフェミアもしっかりと頷いてみせた。
「わたくしは……ブリタニアの皇女、ですものね」
 そして、あの姉と両親を同じくする存在だ。人々を守るためにも、しっかりとしなければいけない。
 彼女のこの言葉に、ルルーシュは微笑み返す。
「その通りです」
 この言葉に、彼女は嬉しそうに目を輝かせる。だが、次には真っ直ぐに視線をドアへと向けた。
「行きましょう」
 そのまま、足をすっと前に移動させる。そんな彼女を己の体でかばうような位置をルルーシュは歩く。
 二人の動きを確認して、ここまで案内をしてきたテロリストがドアを開ける。
 次の瞬間、視界が赤いもので染められた。
「……そんな……」
 反射的に、ルルーシュはユーフェミアを支える。
「何故、自害を……」
 そのまま、彼はこう呟く。
「私の言葉に、逃げ場がないと察したからだろうね」
 その呟きに答えるような言葉が周囲に響き渡った。
「誰だ!」
 反射的に視線を向ければ、特徴的な黒いマントと仮面で正体を隠した人物を確認できる。
 エリア11にいる人間で、その相手のことを知らない人間は赤子以外いないのではないだろうか。
「……ゼロ……」
 ルルーシュは呟くように相手の名を口にする。
「この方が、ゼロ……」
 名前だけは知っていても、実際にその姿を目にしたことはないのだろう。ユーフェミアが緊張を孕んだ声音で呟く。
「いったい、どうしてあなたがここに?」
 この者達の共犯だったのか。言外にそう付け加えながら、ユーフェミアはさらに言葉を重ねた。
「あなたの姉君からきちんと許可はいただいていますよ」
 それにからかうような口調でゼロは言い返してくる。
「我々は、正義の味方、ですからね」
 困っている者達がいれば、どこであろうとも駆けつける……とそうも付け加えた。
 しかし、その言葉をどこまで信用していいのだろうか。
「なら、どうしてクロヴィス殿下を?」
 確かに、彼にも失政といえるものはあった。しかし、その命を奪うほどのものではなかったのではないか。彼をこのエリアから追い出したいのであれば、失脚させる程度でもよかっただろう。ルルーシュはそう問いかける。
「彼が皇族でなければ、考えましたがね」
 安全場所にいて、命令だけを下していた。だからこそ、彼はイレヴンも生きているのだと言うことが最後まで理解を出来なかったようだが、とも付け加えた。
「それに、個人的にブリタニアの皇族は嫌いですからね」
 ゼロの声に隠しきれない憎しみが感じ取れる。だが、それはどうしてなのだろう。
 もっとも、ブリタニアがしてきたことを考えれば、誰かに恨まれていたとしても当然なのかもしれないが。実際、今のエリア11では日常的にテロが行われているし。
「そう言えば……貴方もブリタニアの皇族でいらっしゃいましたね」
 不意にゼロがこう告げる。それを耳にした瞬間、ルルーシュはユーフェミアの体を己のそれで隠そうとした。
「よい騎士をお持ちのようだ。あなたにはもったいない」
 自分が欲しいくらいだ、と口にしながら、ゼロは二人に向けて銃を構える。
「本来であれば、ここでそうしておくべきなのかもしれませんが……残念ながら、時間切れのようだ」
 声音は優しい。
 しかし、その裏に得体の知れない怖さを感じてしまうのはどうしてなのだろうか。それは、相手の正体がわからないから、というだけではないような気がする。
「何をおっしゃりたいのですか?」
 というよりも、何を企んでいる? とルルーシュは恐怖を押し殺しながら問いかけた。
「何だろうね」
 からかうような口調でゼロは逆に聞き返してくる。
 その次の瞬間、足元が大きく揺れた。
「ルルーシュ!」
 とっさにユーフェミアがすがりついてくる。それを支え切れたのは、ある意味奇跡に近いのではないだろうか。
「何を!」
 ルルーシュはそのままの体勢で、また、ゼロへと視線を向けた。
 仮面のせいで、その表情を確認できない。だから、恐怖を感じるのだろうか。
 だが、それだけではないような気がするのはどうしてだろう。自分の失われた記憶が関係しているのだろうか。だとするならば、自分はこの相手に会ったことがあるのか。
「心配しなくていい。人質はみな、無事にお返しする約束だからね」
 君達も、その中に含まれている。低い笑いと共にゼロは言葉を口にした。そして、わざとらしい仕草で銃を下ろす。
 その事実に、安心したのがまずかったのだろうか。
 次の瞬間、彼のマントの下から、白い煙が広がってくる。
「ユーフェミア殿下!」
 反射的にルルーシュは少しでも彼女をそれから遠ざけようと抱きしめた。しかし、この場ではそれから逃れようもない。
 それが、その場での最後の記憶だった。

 目の前でホテルがゆっくりと崩壊をしていく。
「ルルーシュ!」
 あと一息で、彼を救い出せると思ったのに。
「……俺は、また、間に合わなかったのか?」
 スザクは思わずシートを殴りつける。
 だが、その表情はすぐに驚愕へと変わった。そのまま、食い入るようにモニターをにらみつける。
「あれは……人質か?」
 いくつものボートの上にブリタニア人と思える人々が乗り込んでいた。その身なりから判断をしてそうなのではないか、とスザクは判断をする。
「なら、ルルーシュとユフィも?」
 あのボートのどれかに乗り込んでいるのだろうか。それを確認したくても、ランスロットは水面を移動するように出来ていない。
「……ちっ」
 どうせなら、そういう機能もつけてくれればいいのに。心の中でそう呟く。
 それでも彼等――彼の姿を確認したくてセンサーの倍率を上げる。そうすれば、夜目にも鮮やかな桜色が確認できた。その隣に、闇を纏った痩躯もある。
「セシルさん!」
 とっさに、スザクは特派のトレーラーでこちらをモニターしている相手に呼びかけた。
『こちらでも確認したわ』
 すぐに彼女がこう言い返してくれる。
『今、グラストンナイツの皆さんに連絡を入れた所よ』
 だから、心配しなくても大丈夫……と彼女は続けた。だが、スザクにしてみれば、今ひとつ納得できない。ルルーシュにとって彼等が安全だと言える人物だとはわかっている。でも、できれば彼を助けるのは自分でありたかったのだ。
「ワガママだってわかっているけど……」
 でも、と小さな声で呟く。
「俺は、君の騎士になるって約束したから」
 だから、自分がルルーシュを守りたかったし、助けたかった。
 もちろん、彼がこの約束を忘れていることはわかっていたが。しかし、ナナリーのこと同様、自分が覚えていればいいことだ。 「……やっぱり、もう少し自由に動ける立場でないと無理かな」
 でも、と呟いたときだ。
「何だ?」
 いきなり、湖面の一角が明るくなる。しかし、それはブリタニア軍が人質達を救出するためのものではなかった。
「……ゼロ……」
 スポットライトの中央に、あの独特のシルエットが浮かび上がる。
 蕩々と述べられる、その演説。
 だが、それがどこか虚構に思えるのは錯覚だろうか。
「お前の言葉は、真実じゃない」
 父をはじめとした大勢の議員を見ていたからわかる。ゼロは、人々にとって耳障りのいいセリフを並べているだけだ。決して、本心からそう言っているわけではない。
 国会議員の公約のものではないか。
 自分の目的がかなった瞬間、口にした言葉を忘れる。
 そういう人種だ。
 理由はないが、スザクはそう感じていた。それに比べれば、まだブリタニア皇帝の言葉の方が信頼できるとすら思える。
「それ以上に、ダールトン将軍やグラストンナイツ、それにユーフェミア殿下の言葉の方が信じられるけどね」
 少なくとも、ルルーシュに関することは……とそうも呟く。
『力あるものよ、我を怖れよ!
 力無きものよ、我を求めよ!
 世界は、我ら黒の騎士団が裁く!』
 ゼロの声が周囲に響き渡っていた。

「ずいぶんとまた大きく出たものだな」
 二人きりになったところで、C.C.がこらえきれないというように笑いを漏らす。
「お前が裁きたいのは、ただ一人だけだろう?」
 さらに付け加えられた言葉に、ゼロは唇に笑みを刻む。そのまま、仮面を外した。
「わかっているなら、聞かなくてもいいのでは?」
 それに、それはお前も同じ事だろう? と聞き返す。
「確かに、な」
 ただ一人を裁きたい。そのためだけに、自分たちはこのように手の込んだことを始めたのだった。そうC.C.も頷いてみせる。
「そのためには、やはりあれを手に入れないとな」
 もっとも、その前に絶望を感じてもらわなければいけないが……と彼女は続ける。その声に、少しだけ憐憫の響きが混じった。
「その後で、思い切り甘やかしてやればいいだけのこと」
 それが出来る自信があるからこそ、今回は見逃したのではないか。ゼロのこの言葉に、C.C.はさらに笑みを深める。
「そうだったな」
 ブリタニアに、絶望を。
 言葉とともにC.C.は笑みを浮かべる。それは、永遠を生きる《魔女》というにふさわしいものだ。
「あやつらが忘れても、我らは忘れない」
 同じ笑みを《ゼロ》もまた、その秀麗な顔に浮かべていた。






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08.09.12 up