「……ごめんなさい。こんなに重い荷物、持ったことがないから……」
カレンは言葉とともにはんなりと微笑んでみせる。それは、病弱な人間が浮かべてもおかしくはないもののはずだ。
「まぁ……お嬢様ならそうかもな」
はいはい、と口にしながらリヴァルは代わりにファイルを一番上の段へと並べてくれる。
その背中を見て、カレンは少しだけ良心が痛む。
本当は、彼に頼まなくてもこの程度は簡単に終わらせられる。しかし、今は彼をここにとどめておかなければいけないのだ。
いや、正確には少し違う。
ルルーシュの元に誰もいかないようにしなければいけない。
他の者達は自分とおなじようにファイルを棚に収めている。だから、すぐには彼の元に足を運ぶことはないだろう。そう考えれば、一番可能性があるのが彼だ、と言うことになる。
しかし、普段は面倒だと思っていた設定がこんな風に役立つとは思わなかった。
そんなことを考えていたときだ。
「俺の中に、入ってくるな!」
周囲にルルーシュの叫びが響く。
「ルルーシュ?」
その声に、リヴァルがはじかれたように振り向いた。それだけではなく、手にしていたファイルを放り出して駆け出していく。
「リヴァル君!」
そんな彼を止めるべきだったのだろう。しかし、ルルーシュの様子も既に尋常とは思えない。それを無視して彼を引き留めたら何と言われるか。
何よりも、自分も気になってしまったのだ。
だから、嘘がばれないように彼の後を付いていく。
そうすれば、崩れ落ちたファイルの中に半ば埋もれるように倒れているルルーシュの姿を見つけてしまった。
「ルルーシュ!」
いったい何があったのか。
周囲を見回しても、そこにはC.C.の姿はない。
その事実にはほっとする。しかし、それだけにルルーシュのことが気にかかってしまうと言うことも否定は出来ない。
あまり積極的に認めたくはないが、自分も彼に好意を持っているのだ。もっとも、それは自分たちの目的を捨て去るほどのものではないのだが。それでも彼に傷ついて欲しくはないとは思う。
「いったい、何が……」
彼を傷つけないと言ったのに、とカレンは心の中だけで呟く。
「……ともかく、ルルーシュを移動させないと……」
ここで寝かせておくわけにはいかないから、とリヴァルは口にしながら、慎重にルルーシュの体を抱き上げる。その仕草で、彼が予想以上に力持ちなのだとわかった。
「生徒会室に運びましょう」
でも、その後はどうしようか……とミレイが呟く。ルルーシュの場合、記憶の一件もあるから迂闊な医師に診せられないのだ、と彼女は続ける。
「会長。ゲストID、ください。俺、スザクを呼んできますから」
彼はルルーシュと同じマンションに住んでいると聞いたし、軍人だからルルーシュの家族に連絡を取ることも可能ではないか。何よりも、彼は大学部の構内にいるから……と彼は続けた。
「あぁ。特派の彼ね」
ルルーシュの幼なじみだという……と続けられたミレイの言葉で、カレンもその存在を思い出す。同時に、心の中に嫌悪感がわき上がったことは否定できない。しかし、それを表情に出せないと言うことも事実だ。
「わかったわ。ルルーシュを移動させたら、大至急呼んできて」
その間に、自分はルルーシュの義兄達の誰かに連絡をつけるから。彼女はそう付け加えた。
「そうしてください。あ。シャーリー。ブランケット探してくれるかな。後は……クッションでいいか」
「枕、持ってくる?」
ようやくショックから抜け出したのか。ニーナが口を挟んできた。
「あるの?」
「あたしの、仮眠用のでいいなら……」
実験の進行状況によっては、校内に泊まり込むこともあるから……と彼女は平然と口にする。
「……ニーナ……」
小さなため息とともに彼女の名を呼んだのはミレイだ。
「だって、ミレイちゃん……」
「悪いとは言わないけど、ちゃんと連絡だけはして。でないと、ご飯抜きになるわよ」
食事を抜くのは認められません、とまるで母親のようなセリフを彼女は口にする。
「でも、どうしたのかしら、ルルちゃん……」
彼に限って、食事を抜くという行為をするとは考えられない。となると、やはり誰かが侵入したと言うことだろうか……とミレイは秀麗な顔をしかめる。
「会長、それって……」
シャーリーが不安そうに口を開いた。
「まぁ、いいわ。後でセキュリティと防犯カメラの映像を確認すればいいだけのことだから」
ここにも防犯カメラは設置してあるし……と言う言葉に、カレンは微かに表情を強ばらせる。と言うことは、自分が彼女と話をしている場面もデーターとして残されているかもしれない。その結果、自分のもう一つの顔がブリタニア軍にばれたらどうなるだろうか。
シュタットフェルトがどうなろうと構わない。だが、そのせいでゼロや黒の騎士団にまで追求の手が及んでは悔やむに悔やみきれない。
しかし、C.C.は『ゼロの指示だ』と言っていた。
ならば、それに関しても対策がとられているのではないか。
いや、きっとそうに決まっている。
だから、何も心配はいらないのだ……とカレンは心の中で呟く。それに、ひょっとしたらこれは彼を連れ出す好機になるのではないか。
「なら、さっさと行動を開始しましょう」
ミレイのこの言葉を合図にそれぞれが動き出す。カレンはともかく、リヴァルやミレイと共に生徒会室へと向かうことにした。
「……それにしても、ルルちゃんがこんなにショックを受けるなんて……」
本当に、何があったのだろうか。心配そうな表情でミレイがこう呟く。
「俺に言われても……」
こうなるとわかっていたら、ルルーシュのそばから出来るだけ離れないようにしていたのだが……とリヴァルは言い返す。
「その前に、こんなこと、しなかったわよ」
ルルーシュを一人にするような状況を生み出しかねないことなんて、とミレイは呟く。
「ルルちゃんを傷つけないし、傷つけさせないって……ナナリーちゃんと約束したのに……」
それなのに、こんな事になってしまうなんて……と彼女の唇からこぼれ落ちる言葉には、複雑な感情が含まれていた。
「会長?」
しかし、まるで二人が古くからの知り合いのようではないか。
「ひょっとして、会長って……記憶を失う前のルルーシュと知り合いだったとか?」
ためらっているカレンとは違い、リヴァルはストレートに問いかけていた。それは、親しさの差だろうか。
「……否定はしないわ」
ミレイは囁くような声でこう告げる。
「でも、本当に知っているだけなの。ルルちゃんとは顔見知りでも何でもなかったし……」
だから、きっとスザクの方がルルーシュのことはよく知っているはずだ。そうも彼女は続けた。
「私は、ルルちゃんが知りたいことは何も知らないようなものだもの」
ルルーシュに告げなかったのはそのせいだ……と彼女は言葉を重ねる。
「だから、内緒にしていてね?」
軽い口調で付け加えられたミレイのこの言葉が、カレンにはとても重いものに感じられた。
それはリヴァルも同じだったのではないだろうか。その後は、誰も口を開くことはない。
やがて、三人は生徒会室へとたどり着く。とりあえず、と言う様子でリヴァルはルルーシュの体をソファーの上へと下ろした。
「会長」
そのまま、リヴァルはミレイへと視線を向ける。
「ちょっと待ってね」
それ頷き返すと、ミレイは戸棚の方へと駆け寄っていく。そして、普段はロックされている引き出しを操作して開けた。いったいどのような操作をしているのか確認したかったのだが、残念なことに、彼女の体の影になっていて目にすることは出来ない。それとも、わざとそうしているのだろうか。
カレンがそんなことを考えている間に、彼女は戻ってくる。
「はい、リヴァル。生徒会用のゲストIDよ」
これがあればスザクはこちらに入ってきても通報されないから……とミレイは口にした。
「了解です。ついでにオートバイの走行許可もください」
その方が走るよりも速い、と彼は続ける。
「もちろんよ! ただし、さっさと戻ってくること! いいわね」
「はい、女王陛下」
言葉とともにリヴァルはきびすを返す。そのまま、外へと走り出ていった。
後は、ミレイがいなくなってくれれば、あるいは……とカレンは心の中で呟いてしまう。
C.C.が何をしたのかはわからない。
だが、ゼロの元に彼を連れて行けば、きっと適切な対処を取ってもらえるはずだ。そして、その方がルルーシュのためにもなる。
何よりも、C.C.の言葉が真実であるのなら、自分たちのために必要なのではないか。
だから、出来るだけ早く、彼をここから連れ出したい。うまくいけば、どこかにいるかもしれないC.C.とも合流できるのではないか。
「ルルちゃん……」
しかし、ミレイはすぐには動こうとはしない。
彼の側に膝を着くと、そっとその手を握りしめる。
「ごめんなさい……私の不注意のせいで……」
でも、もう二度とこんなことはさせないから……とまるで祈るような口調で彼女は告げた。その様子は、とても神聖なものに見える。話でしか聞いたことはないが、騎士が主に誓約するときの光景というのは、このようなものなのではないか。カレンは意味もなくそう考えてしまう。
同時に、口を開くことはおろか呼吸をすることすらはばかられてならない。
自分がそんな気持ちになるなんて……と思いながらも、カレンはただ、静かに目の前の光景を見つめ続けていた。
そして、それは、ニーナとシャーリーが戻ってくるまで変わらなかった。
二人が戻ってきたのを確認してミレイは連絡を取るために生徒会室から出て行く。それは当然の行動のように思える。だが、引っかかりを思えないわけではない。
「……ひょっとして、警戒された?」
自分とルルーシュを二人だけにさせないためにミレイはここに残っていたのだろうか。
しかし、自分は彼女に警戒されるような何かをしてしまっただろうか……とカレンは首をかしげる。
「そういえば、会長、何を言っていったの?」
同じような疑問を抱いていたのか。シャーリーがニーナに問いかけた。
「ミレイちゃん? あのね。まだ不審者がいるかもしれないから……その時には誰かが連絡をしてって」
せめて一人はルルーシュの側にいて欲しい。そういっていたのだ……とニーナは答えている。
つまり、自分が疑われているわけではなく、万が一のことを心配してのことだったのか。
ほっとすると同時に、とっさにそう考えられる彼女はやはりただ者ではないと認識を新たにする。
ますます、迂闊に動けなくなった。後でゼロに相談しなければ……と心の中でそう呟く。
「うっ……」
その時だ。室内に苦しげなうめき声が響く。
「ルル?」
「ルルーシュ君……」
二人が慌てたように彼の顔をのぞき込む。
「いやだぁぁぁ!」
それを拒むかのように、ルルーシュの悲鳴が周囲にこだました。
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08.11.07 up
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