目の前に現れたのは、長い石段だった。その先には赤い鳥居が存在している。
 この光景を自分は確かに《知って》いた。しかし、これがいつどこで見た光景なのか、それは思い出せない。
「これは、過ぎ去った時間の幻影だよ」
 誰かがルルーシュの隣に姿を現す。視線を向ければ、まだ十代前半とおぼしき姿の相手だった。ゆったりとした服を身に纏っているせいで、性別まではわからない。
「……貴方が?」
 問いかければ、その子供は頷いてみせる。
「見かけは気にするな。僕は既にお前の何倍も生きている」
 そういう存在なのだ、と彼は笑って見せた。
「そう、ですか」
 何と答えればいいのかかからずに、ルルーシュは頷いてみせる。
 その時だ。
『こっちだよ! 早く来いよ!』
 子供の声が耳に届く。
『少しはこちらの事情を考えろ! この体力バカ……』
 その後に続いたのは、自分の声だろうか。そう思って視線を向ければ、茶色の癖毛の子供の後を追いかけている、幼い頃の自分を確認できた。
「あれは、スザク……」
 記憶がよみがえったわけではない。でも、あの少年が《スザク》だと言う認識は自然と出てきた。
「本当に、俺たちは幼なじみだったのか」
 その事実がわかっただけでも、嬉しい。
『ナナリーが待っているんだろう?』
 こう言いながら、子供の頃のスザクが真っ直ぐにルルーシュの方へと駆け寄ってくる。そのままぶつかる、と慌てた瞬間、彼の体はルルーシュのそれを通り抜けていった。
「……えっ?」
 呆然としていれば、過去の自分もまた同じようにルルーシュの体など存在していないかのように通り抜けていく。
「これは、過去の記憶の残滓。あの魔女の力を強引にねじ曲げた結果よ」
 ルルーシュが見たくはない光景の代わりに、その間逆の光景を映し出しているだけだ……と子供は口にする。
「……もっとも、そのせいで安定しておらぬようだ」
 その言葉とともに周囲の光景が揺らぐ。
「……あ……」
 待って欲しい、とルルーシュは思わず声を漏らしてしまう。もっと、この光景を見ていたい。二人の会話から判断をすれば、この後、ナナリーの姿を見られるはずなのだ。
 自分の記憶の中にある彼女の姿は、血の気を失った人形のような姿だけ。
 スザクが少し写真を見せてくれたが、それだけでは、あの子がどのような声をしていたのかわからないのだ。
 その願いが叶ったのだろうか。
『ナナリー!』
 二人が声をそろえて一つの名を呼ぶ。
『お兄さま! スザクさん!!』
 お帰りなさい、と続けられたその声が耳に届く。その瞬間、ルルーシュの頬を涙が伝い落ちていった。

 次の瞬間、目の前に現れたのは、現代とは似ても似つかぬ光景だった。もっとも、見たことがないわけではない。歴史の教科書にはこれとよく似た光景を描いた絵が掲載されている。
「……中世、か?」
 だが、タイムスリップなど出来るわけもないのに。そう心の中で呟いたときだ。
「……ここにとばされたとは……」
 予想以上に、魔女に浸食されていたか……と子供は吐き捨てる。
「……ここは……」
「おそらくは、あの魔女の記憶、だろうな」
 子供はこう言って顔をしかめた。
「悔しいが、あの魔女の方が僕よりも長く生きている」
 自分は、この時代にはまだ生きていなかった……と言う言葉をどこまで信じていいものか。だが、実際に自分の目の前にその光景は広がっている。
 目の前にいたのは、現在でもよく顔を見るブリタニア第二皇子にどこかに通った青年だ。もっとも、その身に纏っている雰囲気は――自分が感じる限り――目の前の人物の方が厳しいものだ。
 だが、ルルーシュ書きになったのはその前にいる相手の方だった。
「……あれが……」
 一目見ただけでも忘れられないその容貌は、自分に触れてきたあの女のもの、そのままだ。と言うことは、あれが《魔女》とこの子供が呼んでいる相手なのか。
『貴様……あの方を、あの方のお命を!』
 相手をにらみつけながら魔女はこう叫ぶ。
『人聞きの悪いことを言わないでくれないかな?』
 その言葉に、青年は冷笑を浮かべる。
『あの方のお命を奪ったな! ブリタニア公ジョン!!』
 だが、それすら気にすることなく魔女はさらに言葉を口にした。
『あの方を……私たちが待ち望んだ、あの方を……己の欲のために……』
 許さない! と彼女はさらに怨嗟の声を上げる。
『何を言っているのかわからないね』
 どのみち、君にはこれ以上何も出来ないが……とブリタニア公と呼ばれた男は笑みを浮かべた。
『あちらが、君の身柄を欲している。それで、こちらとの手打ちに応じてくれる、と言うのでね』
 こちらもあちらも、多大な被害を被ったのだ。これ以上の戦は無意味だと言うことだ、と彼はさらに言葉を重ねる。
『それは、貴様にとっての話だろうが!』
 呪われろ! と魔女は言葉を吐き捨てた。
『私を殺すことは出来ん』
 必ず、お前達に仇なして見せよう……と言いきる。
『世迷い言を』
 しかし、ブリタニア公は気にする様子も見せない。
『たとえそうだとしても、我らには神のご加護がある』
 そして、何よりもこの国に生きるものの支持がある。それがある限り、自分たちは何度だろうと貴様を討ち滅ぼすだろう。彼はそういいきった。
『我らには、魔女の導きはいらぬのだよ』
 それが、彼が魔女の怨嗟を受けてまで排除しようとした理由なのだろうか。ルルーシュがそう考えたときだ。  再び目の前の光景が遠ざかっていく。
「……また……」
「場面が変わるようだな」
 子供が冷静な口調で告げる。
「今度は、どこに……」
 自分は元の世界に戻れるのか。
 せっかく、スザクに話したいことができたのに。心の中でそう呟いた瞬間、ルルーシュは首をひねりたくなる。
 どうして自分は、彼のことだけを考えているのだろうか。ダールトン達だって、きっと心配してくれているはずなのに。それなのに、どうして、と。
 その答えがわからないまま、ルルーシュ達は次の世界へと放り込まれてしまった。

 そこは、さらに前の時代なのだろうか。
 一人の老女と二人の少女の姿が確認できた。
 そのうちの一人の髪の毛の色があの《魔女》と同じなのは偶然ではないだろう。
「……あの魔女の、過去?」
「おそらく、そうだろうね」
 だとするなら、あの方は……と子供は何か考え込むような口調で呟いている。
「心当たりが?」
「……ある。ただ、確証がない」
 ルルーシュの問いかけに子供はあっさりと言葉を返してくれた。しかし、彼の態度にはどこか違和感を感じる。その理由は何なのか、と考えてすぐに答えを見つけることが出来た。
 初めてその口調が断定調にならなかったのだ。
 と言うことは、この子供も目の前の情景を初めて見ると言うことなのか、とルルーシュは心の中で呟く。
『本当に、我が子ながら嘆かわしい……』
 いや、我が子だからこそ、なのか……と老女は深いため息とともに言葉をはき出した。
『エリアノールさま……』
『リシャールこそ王になるべき存在。それは、あれもわかっておっただろうに……己の欲に負けるとは』
 あやつらの甘言に乗せられるなどとは、愚かにもほどがある……と老女は憤りを隠せないようだ。
『……エリアノール様……』
 もう一人の少女が呼びかけている。
『お怒りはわかります。ですが、それよりも、今はリシャール様のご冥福を……』
『何を言う!』
 それに、先ほどの《魔女》の過去の姿らしい少女が声を荒げた。
『あの方が王になられるのは、我らの悲願! それを打ち壊してくれたあのバカ者は、たとえ、エリアノールさまのお子とはいえ、ただですますわけにはいかぬ……』
 その代償はきっちりと払ってもらわなければいけない、とそういいきる。
『……エリアノール様には申し訳ありませんが……あの者は、苦しんで死ぬでしょう……』
 自分にはそれが見えてしまった。だから、あえて報復をしようとは思えない。そうも彼女は続ける。
 どうやら、彼女もまた《魔女》と近しい力を持っているのだろう。そして、それをエリアノールと呼ばれている老女も知っているらしい。あるいは、彼女もまた同じような存在なのか。
『ジャンがおろかなのは、妾の責任でもある……リシャールにばかりかまけていた、の』
 いくら、あれが我らが待ち望んだ存在であったとはいえ、とエリアノールは深いため息をつく。
『幸い、我が血脈はまだ続いておる。いずれ、また、条件を兼ね備えた存在が生まれてこよう』
 もっとも、とエリアノールは哀しげな笑みを浮かべる。
『妾がそれを目にすることはあるまい……妾は《達成者》にはなれなんだからの』
 己の血族を、そして、己を慕ってくれる領民達を捨てることは出来なかった……と彼女は続けた。
『だから、それはお前達に託そう。重荷を背負わせることになるが、許せよ?』
 言葉とともにエリアノールは二人のものとおぼしき名前を口にする。それに少女達は嬉しそうな微笑みを浮かべた。
『わかっております』
『この身に替えても、必ず』
 先ほどとは打って変わって、彼女たちは異口同音にそう告げる。
 その様子に、エリアノールは苦い笑いを漏らす。
『同じようにお前達が、いつまでも共にあって欲しいと思うぞ』
 ケンカは構わぬ。だが、その日までどちらもかけることなく存在し続けて欲しい。
 それは、祈りのようにも聞こえる。
 何故、彼女はいきなりそんな言葉を口にしたのか。それがわからない。
 わからないと言えば、自分は元の世界に帰れるのだろうか。
 それとも、このままあの魔女の記憶の中を彷徨わなければいけないのか。
 こう考えた瞬間だ。
「ルルーシュ!」
 耳元でスザクが自分の名を呼ぶのが聞こえる。
「スザク?」
 どうして、彼の声が……と思いながら、ルルーシュは周囲を見回した。
「やはり、あれがお前を世界につなぎ止める枷か」
 しかし、子供の方はそれを当然のことと受け止めているらしい。淡い微笑みと共にこう告げる。
「さて、帰ろうか」
 そういいながら、ルルーシュへと手を差し出してきた。
「帰る?」
「そう。彼が路を造ってくれたからね」
 だから、帰れるよ。そういいながら、子供は焦れたようにルルーシュの手に触れてくる。
「帰れる……俺は……」
 帰る! と口にすると同時に、ルルーシュはその小さな手をしっかりと握りしめた。

 予想以上に、暖かな温もりが触れあった場所から伝わってきたことが、ルルーシュのその場での最後の記憶だった。





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08.11.21 up