ゆっくりとまぶたが持ち上げられる。
「お帰りなさい」
 次の瞬間、低いがよく響く声が耳に届いた。
「ただいま、シャルル」
 ふわりと微笑みながら、V.V.は体を起こそうとする。シャルルはそっと手を伸ばすと、その動きを手助けしてくれた。
「あの子は、とりあえず無事だよ」
 安心していい……とそんな彼に微笑みかける。
「そう、ですか」
 実際、シャルルは安堵の色をその顔に浮かべた。そんな彼の態度に自分の努力が無駄ではなかったのだとわかる。
 もちろん、自分も彼があの魔女に奪われなくてよかったと、本気で考えていた。
 彼は覚えていないだろう。しかし、自分も何度も彼とは顔を合わせている。彼にブリタニアの歴史を教えてやったこともあった。
 しかし、だ。
 いくらあの魔女の力があったからとはいえ、あそこまで彼の意識が時を遡るとは思ってもいなかった。
「……もっとも、あいつらがあの子を諦めるとも思えないけどね」
 あれだけの力を持っているのだ。逆に、あの子の存在を手に入れようと連中は謀略の限りを尽くすのではないか。
「学校だけは、安全だと思っておったのですが……」
 アッシュフォードが手を尽くしてくれている。だから、とシャルルは顔をしかめた。
「あれの側にも、信頼できる者をつけていましたが、それでも万全ではなかった、と言うことでしょう」
 ダールトン達が手を抜いたというわけではない。
 ただ、相手の方が上手だっただけだろう……とシャルルが唇を噛む。
「……あるいは、あちらの手の者が既に潜入していたのかもしれませぬ」
 今まで黙って控えていたビスマルクが、静かに口を挟んでくる。他の誰かであれば即座に罰せられるであろうその行動も、全てを知っている彼だけは許されていた。以前は、そうできた者がもう一人いたが、その人物は失われて久しい。その事実を寂しく思うのは、自分がまだ《人間》としての感情を失っていないからだろうか。
「可能性は否定できないね」
 そう考えながらも、V.V.は口を開く。
「ルルーシュの前にいた魔女は、あの学園の制服を身に纏っていた」
 何よりも、あそこのセキュリティを突破するには、外部からだけでは不可能だと言っていいだろう。
「だとするならば、厄介なことになる」
 さて、どうするか。
「お許しいただけるのであれば、後一人か二人、あの学園に手の者を送り込みましょう」
 ビスマルクがこう言ってくる。それに、シャルルは静かに頷く。
「……スリーとシックスが戻ってきておったな」
 そして、彼はこう問いかける。
「はい。ですが、できればスリーに命じて頂ければ、と思います」
「何故だ?」
「シックスは幼い頃のあの方を知っております。そう考えれば、連中にもその顔を知られているかと」
 言外に、自分たちが動いていることを知られかねない。そう伝えてくる彼の判断は間違っていない。
「本当は、君が適任なんだけどね」
 しかし、それこそルルーシュを危険にさらす結果になりかねない。だから、とV.V.はため息をつく。
「まぁ、いい。僕の方も打てる手は打っておくよ」
 微笑みながらそのまま言葉を重ねた。そして、立ち上がる。
「だから、君達も自分たちのなす事をするんだね」
 でも、優先順位を間違えてはダメだよ? と言う一言を残してそのまま歩き出した。

 同じ頃、コーネリアとユーフェミアの元にも、その報告は届いていた。
「……まさか、学園にまで手を伸ばしてくるとは、な」
 あそこだけは安全だと思っていたが……とコーネリアはため息をつく。
「だからといって、騎士を配置するわけにもいかぬか」
 そうすれば、ルルーシュの本来の身分がばれる可能性がある。それでは、彼のためにならない。
「……騎士でなければよいのですか?」
 不意に、ユーフェミアがこう口にする。
「ユフィ?」
「……特派のアスプルンド伯には申し訳ないのですが……スザクを転入させられないでしょうか」
 彼であれば、ルルーシュと同じ年齢だし……実力もわかっているだろう。何よりも、彼がルルーシュを守ろうとしている気持ちは誰も疑う余地がないではないか。そう彼女は主張をする。
「ただ、問題があるとすれば……」
「あの男が名誉ブリタニア人、と言うことか」
 そして、日本最後の首相であった枢木ゲンブの遺児であると言うこと。それさえなければ、自分も目の前の妹のように無条件であの男を信じられたのだろうか。
 しかし、と思う。
「それが最善の策、なのだろうな」
 少なくとも、今は……だ。
「だが、それでルルーシュが納得をするか」
 自分のために、と言う理由でスザクが入学することを、とコーネリアは問いかける。
「……我らが安心して仕事に取り組むためだ、と言えば、納得するでしょうな、あの子は」
 それに言葉を返してきたのは、ダールトンだった。
「そういう子です」
 何をするにも、遠慮をしてしまう。それが歯がゆいと思えるほどに……と彼は続ける。
「そうか」
 それはきっと、彼がアリエス宮にいた頃に身につけたものではないか。マリアンヌが庶民の出であったからこそ、あの子は自分の才能を隠し、ひっそりと生きることを選んでいた。まだ、十歳にならない子供が、だ。
 それまま違いなく、母や妹に危害を加えられないためであろう。
 そんな彼が不憫だった。だが、今はそんな立場から解き放たれているのに、とも思う。それでも、彼の性格は変わらないのか。
 しかし、だからといって、彼を哀れだというのは間違っているはず。それよりも、それをよい方向に伸ばしてやるべきだろう。
 そのためには、まず、彼の身の安全を確保しなければいけない。
「それならば、お前の名前でアッシュフォードとクルルギに話を通すがいい」
 ユーフェミアに視線を向けると、コーネリアはこう告げた。
「わかりました」
 即座に彼女は頷いてみせる。
「わたくしが言い出したことです。わたくしが責任を持ちます」
 こう続けた彼女に、コーネリアは満足そうに微笑んで見せた。

 こんな風に甘えてくるルルーシュは初めてかもしれない。そう思いながら、スザクはすがるように自分の服の裾を握りしめている彼の指を外した。代わりに自分の手で彼の手を包み込む。
「ルルーシュ、大丈夫だから」
 そして、こう囁いた。
「……スザク……」
 その言葉に、ルルーシュは困ったような表情を作る。いや、困ったと言うよりは泣き出しそうな、と言った方が正しいのか。
「何?」
 どうしたの? とそんな彼の感情を出来るだけ刺激しないように優しい声音を作りながら、問いかける。
「……ヒマワリ畑、は……どこにあったか、覚えているか?」
「ルルーシュ?」
 しかし、彼の口から出たのは予想もしていないセリフだった。
「ヒマワリ畑、だ……覚えてないのか?」
 不安そうにルルーシュがまた問いかけてくる。
「覚えているよ。でも、どうして?」
 そのころのことは覚えていないって聞いていたから、とスザクは言い返す。
「……俺にも、よくわからない……でも、見たんだ……」
 小さい頃の自分とスザクだと思える人物が、ヒマワリ畑を走っているのを。そして、その先でナナリーが待っていた。ルルーシュは泣きそうな声音でそう告げる。
「最後に、ナナリーのものと思える声が聞こえたんだ……しかし……」
 それが本当にナナリーの声なのかどうか、自分には判断できないから。こう言いながら、彼はスザクの顔を見つめて来た。その何よりも高貴なアメジストが不安で揺れている。
「……ヒマワリ畑の中を走りながら、ナナリーの所に戻ったことはあるよ。確か、あの時は……ナナリーが見つけた小鳥を森に返しに行ったときだ」
 ナナリーには、森の中は危険だったから待っていて貰ったんだ。そうスザクは口にする。その瞬間、ルルーシュは顔を歪めた。
「なら、あれがナナリーの声なんだ……」
 この言葉とともに彼の頬を光る物が伝い落ちていく。
「ルルーシュ……」
「ようやく、ナナリーの声を思い出せた……」
 それが嬉しい。ルルーシュはそう口にする。
「それに、小さかった頃のお前の顔も」
 体力バカ、だったんだ……と頬を濡らしながら彼は微笑む。きっと、それは嬉しいからなのだろう。しかし、見ている自分はそう思えない。
「……悪かったね……」
 確かに、あのころから自分は《体力バカ》だったことは否定しないけど、とスザクは頬をふくらませる。
「でも、そのおかげで君と再会できたんだよ?」
「……それは、そうかもしれないが……」
「だから、別にいいでしょ?」
 自分が体力バカでも……と付け加えれば、とりあえずルルーシュは頷いてみせる。そのころにはもう、涙も乾いていた。
「……でも、何故、俺なんだ?」
 連中が欲しがっているものは何も持っていない。それなのに、とルルーシュは呟く。
「……自分にとってはどうでもいいことでも、相手にとって重要だって言うことはあるんじゃないかな?」
 こう言いながら、スザクはそうっとルルーシュの体を抱きしめる。拒まれるかと思っていたが、彼は素直にスザクの腕の中に収まってくれた。
「僕が、君を守るから」
 自分にとっては、ルルーシュの存在が何よりも重要なのだ。だから、とスザクはさらに言葉を重ねる。
「お願いだから、もう、僕の前から消えないで……」
 この言葉に、ルルーシュは小さく頷く。
「……俺は、ここにいる……だから、お前もいなくなるな」
 言葉とともに、彼はスザクの胸に頬を押し当ててきた。





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08.11.28 up