二人の足音以外、何も聞こえてこない。風の音も、だ。
その事実に、ルルーシュは次第に不安になってくる。
「大丈夫ですよ、ルルーシュ様」
そんな彼の不安を察したのだろうか。ビスマルクが静かに話しかけてくる。
「この先に、陛下がお待ちです。後少しですから、我慢してください」
心配してくれるのはわかった。でも、と思いながらルルーシュは口を開いた。
「るるは、なにもしんぱいしてない!」
自分はそんなに子供ではないぞ、と言い返す。妹だっているんだし、も付け加える。
「これは失礼を」
微苦笑と共にビスマルクは言葉を返してきた。同時に、その声に微笑ましいという感情が滲んでいるのは否定できないだろう。
「わかったなら、いい」
それに関しては妥協するしかないか。そう判断をして、ルルーシュはまた歩き出す。
しかし、本当にここは太陽宮殿の中なのだろうか。
ふっとそんな疑問がわき上がってくる。
確かに、自分が普段暮らしているアリエス離宮よりはここの方が広い。だからといって、これだけ歩いても目的地にたどり着かないというのはおかしいのではないか。
第一、ここはどこなのだろう。
そう考えると同時に脳裏に宮殿の内部構造図を思い浮かべる。それを、今まで歩いてきたルートと重ねた。そうすれば、既にここは外でなければおかしいという結論に達する。
それとも、自分の知らない場所があるのだろうか。
心の中でそう呟いたときだ。目の前に、大きな扉が現れる。ビスマルクが二人縦に並んでも一番上に手が届かないのではないか。そう思えるくらい、それは大きい。
「着きましたよ、ルルーシュ様」
ビスマルクが足を止めるとこう言ってくる。
「残念ですが、私はこの先に立ち入ることを許されておりません。お一人で大丈夫ですね?」
入れば直ぐにシャルルの姿を見つけられるはずだ。そう彼は付け加えた。
「もちろんだ」
扉の向こうに彼がいるのであれば、何も心配はいらない。だから、ルルーシュは胸を張って言葉を返す。
しかし、自分にこの重そうな扉を開けられるだろうか。
どう見ても、ビスマルクは手伝ってくれそうにない。
でも、ここから引き返すのはいやだ。そんなことをしたら、間違いなくギネヴィアが悲しむだろう。だから、とルルーシュは唇を引き結ぶ。
そのまま、彼は扉へと手を押し当てた。
「えっ?」
次の瞬間、信じられないくらいあっさりとそれは開く。重さがないののではないか。そう思えるほどの軽い動きに、ルルーシュの方が驚いた。
「行ってらっしゃいませ」
そんな彼の背中をビスマルクの声が押してくれる。それに頷き返すと、ルルーシュは足を踏み出した。
「……ほんとうに、ここはきゅうでんのなかなのか?」
霧のようなものが立ちこめているが、とルルーシュは首をかしげる。
「来たか、ルルーシュ」
そんな彼の耳に、穏やかな声が届く。
「ちちうえ!」
その声に、ルルーシュの中の疑問が吹き飛んだ。いや、それだけではない。彼の回りにまとわりついていた不安も、どこかに行ってしまった。
ぱっと表情を明るくすると、ルルーシュは彼へと駆け寄ろうとする。
だが、二・三歩進んだところでその歩みを止めた。
アリエス離宮では許されることも、この太陽宮殿では許されない。そのことを思いだしたのだ。
ルルーシュのその態度で彼が何を考えているのかわかったのだろう。
「構わぬ」
傍によるがよい、とシャルルは少しだけ口元をゆるめて告げる。それにルルーシュは大きく首を縦に振って見せた。そして、今度こそシャルルの傍へと駆け寄っていく。もっとも、最後の最後で見えない何かにつまずいてバランスを崩してしまったのはご愛敬というものだろう。
「そんなに焦らずとも、父はどこにもゆかぬ」
小さな体を軽々と片手で支えながら、シャルルは言葉を口にする。
「……でも、ちちうえをおまたせしてはいけないって、かあさんが……」
だから、とルルーシュはシャルルを見上げた。
「そうか、マリアンヌが……」
そこまで堅苦しく考えなくていいものを、と彼はため息とともに告げる。
「でも、そう言うところは彼女の父親にそっくりじゃない?」
その後に続いて、楽しげな声が耳に届いた。
いったい、誰のものだろう。
そう思いながら、ルルーシュは視線を向ける。そこには、どこまで続いているのかわからない階段があった。
その上から、自分よりは年上だがクロヴィスよりは幼いのではないか。そう見える年齢の少年がゆっくりと降りてくる。
しかし、彼の髪は母のそれよりも長い。いったい、その長さになるまで伸ばすのに何年かかるのだろうか。
「だれ?」
そんなことを考えながら、ルルーシュは問いかける。
「僕は……そうだね。V.V.と呼んでくれればいいよ」
本当の名前は別にあるけど、内緒、と彼は笑う。
「……兄さん」
そんな彼に向かって、シャルルはこう呼びかけた。
「ちちうえの、にいさん?」
だって、とルルーシュは首をかしげる。
「ほらほら。まだ何も説明していないのにそんなことを言えば、ルルーシュが混乱するよ」
くすくすと笑いながらV.V.はそう言った。
「そうかもしれませんが……」
珍しくシャルルが弱気になっている。
「かあさんいがいにもちちうえがかてないひとがいるんだ」
凄い、とルルーシュは思わず呟いてしまう。
「ルルーシュゥ!」
「そうだよ、ルルーシュ」
だから、自分の質問に答えてね、とシャルルを無視してV.V.が声をかけてくる。
「なぁに?」
何を聞かれるのだろう。そう思いながらルルーシュはV.V.の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「ここに入ってくるとき、扉を開けるのに苦労しなかった?」
その言葉に首をかしげる。
「どうして?」
何故、そんなことを聞くのか……とルルーシュは聞き返す。
「ちょっと気になったから、じゃダメかな?」
それに、彼はこう言い返してくる。きっと、彼には彼なりに聞かなければいけない理由があるのだろう。だが、それは自分にはまだ、理解できない内容なのではないか。
マリアンヌも、時々彼と同じような言葉を返してくることがあるのだ。
「すぐにあいたの。ぜんぜんおもくなかった」
だから、それ以上問いかける代わりにこう告げる。
「重くなかったんだ」
よかったね、と彼は微笑んだ。しかし、その表情の裏に何か別の感情が隠れているような気がするのは錯覚だろうか。
そう思いながら、ルルーシュは何気なく周囲に視線を彷徨わせた。
その時だ。階段の奥に何か柱のようなものが見える。しかし、それが柱でないと直ぐにわかった。
「……あれ、なぁに?」
ならば、いったい何なのだろうか。そう思って問いかけの言葉を口にする。
「あれ?」
あれって、何? と逆に聞き返された。
「あれ……あそこにあるぐるぐるのながいの……」
何と言えばいいのか。ぴったりとする表現を見つけられなかったので、ルルーシュはそれを指さした。
反射的にシャルルとV.V.がその方向へと視線を移動させる。
「……ルルーシュよ」
シャルルが重々しい口調で呼びかけてきた。
「あれが、みえるのか?」
その口調に苦渋の色がはっきりと感じ取れる。ひょっとして、あれは自分が見てはいけないものだったのだろうか。そう思いながらもルルーシュは頷いてみせる。
「どうやら、この子は《達成者》になれる資格を持っているようだね」
しかし、逆にV.V.はどこか満足そうだ。
「さすがはマリアンヌの産んだ子供だ」
そう言いながら、彼はルルーシュの髪の毛を撫でてくれる。
「でも……それならばどこかに《ワイヤード》となるべき存在がいるはずだね」
自分にとってのシャルルのように、とV.V.は付け加えた。
「そうですね」
どこか不本意そうにシャルルは頷いている。
「ちちうえ?」
自分は何か失敗しましたか? とルルーシュは彼を見上げながら問いかけた。
「あぁ。お前が悪いわけではない」
言葉とともに彼はルルーシュの体を抱き上げてくれる。
「ただ、いずれお前が儂から離れていくかもしれない。そう思っただけだ」
その日が少しでも遅いことを祈ろう。そうも彼は続ける。
「るるは、ちちうえとかあさんとななりーとあにうえやあねうえたちといっしょにいます」
どこにも行きません、と言いながら、父の頬に手を添えた。
「いずれ、子供は親の側から離れていくものだ。男の子ならなおさらな」
ルルーシュにもいずれわかる。
「……るるにはわからないことばかりです」
もっと勉強しないとダメですね、と口にすれば、シャルルは「よい子だ」といいながら頭を撫でてくれた。
その温もりが嬉しい。
もっとというように、ルルーシュは父の胸に頬を押しつけた。
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09.09.18 up
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