その日から、少しだけルルーシュの周囲が騒がしくなった。
「……るるはるるなのに……」
 堂々とお茶をしに来るようになったギネヴィアに向かってルルーシュはこう訴える。
「そうね。確かに、あまりにあからさますぎるのはダメよねぇ」
 中には、他の后妃達の息がかかった者もいるのではないか。そう言って彼女はあきれたような表情を作った。
「でも、そのあたりのことはマリアンヌがきちんと処理をすると思うわ」
 だから、彼女の任せておけばいい。
「……かあさん、が?」
「そう、マリアンヌが。彼女だけで手に負えないようなら、わたくしたちも手を貸すわ」
 ナナリーのこともあるし、とそう言いながらギネヴィアはそっとルルーシュの髪の毛を撫でてくれる。
「だからね。あなたはそんなお馬鹿さん達のことは考えなくていいのよ」
 それよりも、きちんとお勉強をして色々なことを覚えなさい。そう言って彼女は微笑む。
「……おべんきょう……」
「あら。ルルーシュはお勉強、嫌いなの?」
 ダメよ、と言えば彼は小さく首を横に振って見せた。
「ルルーシュ?」
 じゃぁ、どうしたの? とギネヴィアはさらに言葉を重ねる。
「おべんきょうはすき。でも……」
「でも、なぁに?」
 教えて? と首をかしげて見せた。
「……せんせいは、きらい……」
 そうすれば、ルルーシュは本当に小さな声でこういう。
「あら、そうなの」
 ルルーシュがそんな風にいうのは珍しい。いや、初めてかもしれない。
 同時に先ほどの会話を思い出した。
 ルルーシュ個人が知っている他人にんげんは驚くほど少ない。それは、この《ヴィ》家が特殊な立場だから、だ。
 だからといって、こんな小さな子供に何をしてくれるのか、とも思う。
「わかったわ。先生のことはわたくしに任せておきなさい」
 うふふふ、と笑いながら言葉を口にする。本当に、こんな小さな子供を自分の出世の道具にしようだなんて考える人間は許せない。
「それと、後でお兄さまと相談をしてご本を届けさせるわ」
 しばらくは、それでお勉強していなさい。そう言えば、ルルーシュはほっとしたような表情で頷いてみせる。
「いいこね、ルルーシュは」
 そう言って微笑んだときだ。
「あら……来ていたの?」
 華やか、というのとは少し違う。だが、聞いていて心地よいと思える艶のある声が耳に届いた。
「ここのところ忙しかったから、ルルーシュの顔を見て気分転換をしようかと思ったの」
 いけなかったかしら? と聞き返す。
「いいえ。あなた方ならいつでも歓迎よ」
 ルルーシュも大好きだものね、と微笑みながら、当然のように彼女は彼の隣へと腰を下ろす。
「あなた方もいらっしゃい」
 そして、入り口の所にいる人影に向かって呼びかけた。
「こぅあねうえ!」
 その一人に向かって、ルルーシュが嬉しそうに呼びかけている。
「あなたも来ていたの、コーネリア」
 いらっしゃい、と異母妹へと向かって呼びかけた。
「あなた達も、マリアンヌの許可があるから同席を許してあげる」
 その後ろにいた彼女の友人達へも声をかける。
 コーネリア以外にマリアンヌが手ずから育てている子供達だ。いずれ、ブリタニアの剣としてこの国を守る存在になり得るのだろう。何よりも、何かを手にするために努力している者達は嫌いではない。
「のね〜、りす、てぃあ! いっしょにおちゃ、しよ?」
 それに、ルルーシュが彼女たちの存在を気に入っているようだ。ということは、馬鹿な人間ではないということだろう。
「ルルーシュが呼んでいるわ」
 早く来なさい、とギネヴィアはさらに言葉を重ねる。
「……いや?」
 さらにルルーシュが哀しげな表情で彼女たちに問いかけた。これを無視できる人間がどれだけいるだろう。
「いやじゃないから、安心しろ」
 こう言いながら、コーネリアが視線で他の三人を促した。
「きょうのおかしは、るるもてつだったんだ」
 そんな彼女たちに向かって、ルルーシュが胸を張ってみせる。
「そうなのか?」
 大股に歩み寄ってきたコーネリアが驚いたように聞き返した。
「粉をふるって型抜きをしたのよ」
 最近、何でもやり違って大変だ。そう言いながらもマリアンヌは楽しそうだ。
「ルルーシュが作ったのはどれかしら」
 多少形が悪かろうと何だろうと、オデュッセウスに持っていかないと彼はふてくされるのではないか。そう思いながら、ギネヴィアは呟く。
「そこの少し形が悪いのよ」
 でも、まだたくさんあるから安心して……とマリアンヌは微笑む。どうやら、彼女には自分が何を考えているのかわかったようだ。
「……本当に、ルルーシュとユーフェミア、足して半分にしたいくらいだ」
 不意にコーネリアがこう呟く。
「……ユーフェミア様はコーネリア様のマネをされたいだけですよ」
 くすくすと笑いながらベアトリスが指摘する。
「……でも、お二人を足して割ったら……その結果、男と女、どちらになるんだ?」
 小声でノネットがベアトリスに問いかけた。
「……先輩……」
 あきれたように言い返されても、本人の耳に届いていなければ意味はないだろう。
「そうね。どちらになるのかしらね」
 しかし、しっかりと耳に届いたらしいマリアンヌが真顔でこう呟いている。
「でも、ブリタニアの皇族は、どちらかといえば女性の方が身体能力は高いような気がするわね」
 ナナリーの方がルルーシュよりも体力があるし……と彼女は付け加えた。
「かあさん……」
「もちろん、ルルーシュが男の子なのは、母さんが一番よく知っているわよ」
 でも、ルルーシュはシャルルに似たが、ナナリーは自分に似たのだ。だから、しかたがないのかもしれない。そう言って彼女は柔らかな笑みを浮かべる。
 それは、自分たちがまだ幼かった頃から何度も目にしていたそれだ。
「大丈夫。ルルーシュが躓いても、誰かが助けてくれるから」
 もっと大きくなったら、オデュッセウスやギネヴィアのように自分の騎士を持つことも許されるだろう。そうしたら、その人が必ずルルーシュを守ってくれる。そう彼女は続けた。
「もちろんだ。この姉が傍にいるときにはちゃんとフォローしてやるからな」
 そう言ってコーネリアも頷いている。
「もっとも、あなたの場合、ユーフェミアの方が優先でしょう?」
 即座にギネヴィアが指摘した。
「……それは……」
「まぁ、転ぶとしたら、ユーフェミアよりルルーシュの方が先でしょうけど。その時は、当然助けて上げてくれるのよね?」
「もちろんです」
 ほっとしたようにコーネリアが頷く。
 その時だ。小さな子供の泣き声が耳に届いた。
「……かあさん……」
「ナナリーがお昼寝から起きたみたいね」
 見てくる、といってマリアンヌは立ち上がる。
「ルルーシュはギネヴィア達のお相手をしていてね」
 そして、ルルーシュの頬を撫でると彼に向かってこういった。
「はい、かあさん」
 マリアンヌのその仕草が嬉しかったのか。それともやることを与えられたからか。ルルーシュは嬉しそうな表情で頷いている。
「ギネヴィア」
 言外に、ルルーシュのことを頼む……とマリアンヌが告げてきた。それは、自分が絶対に彼を傷つけないと信じているからだろう。
「わかっているわ。わたくしも久々にナナリーの顔も見たいもの。機嫌が直ったら、連れてきてくれる?」
 ルルーシュが一番。それでも、マリアンヌが産んだ、まだ、純粋な感情だけで動いている末の妹は可愛いと思う。だから、と微笑んだ。
「もちろんよ」
 マリアンヌは言葉とともに部屋を出て行く。
「あねうえ」
 その後ろ姿を見送っていれば、ルルーシュがかわいらしい声で呼びかけてくる。
「なぁに?」
 視線を向ければ、彼は小さな手で焼き菓子をギネヴィアの皿の上に移動させた。
「これ、ぼくがつくったの」
 だから、食べて、という彼が可愛い。
「ありがとう」
 ふわりと微笑み返せば、ルルーシュはさらに顔を輝かせた。

 こんな風に、穏やかな日々がいつまでも続くのだ。
 少なくとも、ギネヴィアはそう信じていた……








09.09.25 up