マリアンヌは、表向き、平民出身と言うことになっていた。
 しかし、彼女の強さと美しさに憧れを抱いていたものは多い。
 それだから、だろうか。彼女の国葬には多くの臣民が集まった。もちろん、その中には皇帝やオデュッセウス達ににらまれないようにと内心の不満を押し隠して参加したものもいただろう。
 しかし、それをこの末弟に告げる必要はない。オデュッセウスはそう考えていた。
「母さんは、多くの人たちに慕われていたのですね」
 献花に訪れている人々の姿を見つめていたルルーシュが、静かな声でこう告げる。
「あぁ……きっと、他の后妃達がなくなられても、これだけの人々は集まらないだろう」
 自分の母も含めて、と心の中だけで付け加えた。それは、この弟が知らなくていいことだ。
「……ナナリーも、この光景を見たら、少しは誇らしいと思ったのでしょうか……」
 今だ、意識が戻らない妹の名をルルーシュは辛そうな表情で告げる。
「きっと、そうだと思うよ」
 自分は推測することしかできないが。そう付け加えながら、オデュッセウスはルルーシュの肩にそっと手を置いた。
「だからね。君はそんなマリアンヌ様に恥じない行動を取らなければいけないよ」
 そのまま、優しい笑みを彼に向ける。
「もっとも、それは式典の間だけでいい。私たちの前では、普通の子供でいいのだからね」
 特に、自分やギネヴィアの前では……とそう付け加えた。
「オデュッセウス兄上」
「大丈夫。私たちは傍にいる間は、誰にも何も言わせないよ」
 だから、胸を張っていなさい。そうも続ける。
「はい」
 それに、ルルーシュは静かに頷いて見せた。
「僕がしっかりとしていれば、誰も母さんのことを悪く言いませんよね?」
 そのまま、彼はこう問いかけてくる。
「もちろんだよ」
 誰もが彼女の死を悼んでいるこの日に、そんなことを言わせるつもりはない。もっとも、自分が行動を起こす前に、シャルルがそうすることは目に見えていたが。
「でも、気負うことはないからね」
 ルルーシュはルルーシュのままで言い。そう付け加えれば、彼はまた、小さく頷いて見せた。

 マリアンヌの国葬の席でルルーシュが見せた所作は人々を感嘆させ、また、それだからこそ母を失った皇子に同情の念が寄せられた。
 それが気に入らなかったのか。バカどもはまたあれこれ画策しようとしていたようだ。
 もっとも、それをシャルルが許すはずがない。
 ビスマルクの指示の元、その者達は全員捕縛された。それ自体は喜ばしい。だが、とオデュッセウスはため息をつく。
「まさか、本当に后妃方が関わっておられたとはね」
 主犯として上げられたのは、ルルーシュの直ぐ上の皇子の母后とその実家の伯爵家だ。しかし、その他にも子を産むことがなかった妃方が多数関わっていた。
「ルルーシュに、何と告げるべきだろうね」
「真実を告げれば、よいのではありませんか?」
 そう言ってきたのはギネヴィアだ。
「君はそう言うが……」
「隠しておこうとしても、いずれあの子の耳に入ってしまうでしょう? 誰かから適当なことを吹き込まれるよりも、わたくしたちの口から真実を伝えた方がよいとは思いません?」
 悪意で歪められた話を聞かせられるよりは、と言う彼女の言葉はもっともなものかもしれない。
「……だが、何と伝えればいいのか……」
 ルルーシュに比べて我が子の待遇が劣っていることを逆恨みをして計画を立てたのだ。そうストレートに告げるわけにはいかないだろう。
「あの子がわたくしたちに好かれているのは、あの子だから、ですのに。身分に見合うだけの努力をしない子供なんて、わたくしたちが好きになるはずがないと、どうして気付かないのかしら」
 しかし、それをルルーシュに伝えるわけにはいかないというのも否定できない事実だ。ギネヴィアもそれに関しては同意らしい。 「いっそのこと、シュナイゼルに押しつけてしまいましょうか」
 彼ならば、ルルーシュが必要以上に悲しまないように言葉を選んでくれるのではないか。そう言いながら、彼女は首をかしげた。
「でも、あの子も今は忙しいだろう?」
 ルルーシュの所に足を運んでいる暇があるだろうか。そう考えれば押しつけるのは難しいだろう。
「やはり、私の口から伝えるしかないだろうね」
 しかし、今まで経験した中で一番の難問かもしれない。ため息とともにそうはき出す。
「とりあえず、皇位継承権の問題だ、ということにしておこうか」
 マリアンヌがいなくなれば、シャルルの目が自分に向けられるかもしれない。そう考えた馬鹿者の仕業だとでも言っておこう。そう続ける。
「どちらにしても、あのこの事だ。自分を責めずにはいられないだろうね」
 自分たちの存在が、そんなあの子の慰めになればいいのだが。半ば祈るようにオデュッセウスはそう口にした。

 だが、さらに彼が頭を悩ませる事態が待っていた。
「ルルーシュを婿に?」
 しかも、他国に? とその話を聞いた者達は一同に驚きの声を上げる。
「……この国に置いておくよりも安全だ、と判断したのだ」
 シャルルがどこか口惜しそうな声音でそう言った。
「それに……あれには生まれたときより負った義務がある」
 それも関係しているのだ。そう彼は続けた。
「何よりも、表沙汰にはなっておらぬが、ブリタニアの皇族と彼の国の宮家とは深い繋がりがある」
 古より、二つの血族は血を会わせることで新しい力を手にしてきたのだ。そうシャルルは続けた。
「もっとも、正確には婿にやるわけではない……あちらの姫との間に子を作ればいいだけのこと」
 子供さえできれば、それでルルーシュは義務を果たしたことになる。そうでなかったとしても、自由に里帰りして構わないのだ。
 それに、必要ならば彼の国に一個中隊を駐中させよう。そうもシャルルは口にする。しかし、その言葉は自分たちではなく己に向けて告げているようにも聞こえるのは錯覚だろうか。
「それで、あの子は納得しますか?」
 だが、一番の問題はそれではないか、と思ってオデュッセウスはそう問いかける。
「……納得して貰わなければならぬ。せめて、事が全て終わるまでは、だ」
 これから起きることを、あの子には見せたくない。
「ユーフェミアも、母と共にエリア1の視察へ向かわせる。ギネヴィア。お前は病院にいるナナリーの傍へおれ」
 ルルーシュがこの国を離れ次第、全てを片づける。そうシャルルは宣言をした。
「此度のことは、あくまでも顔合わせ故、直ぐに呼び戻す」
 ルルーシュにもそう告げる。そう言いきると、彼はきびすを返した。
 そのまま遠ざかっていく背中がとても小さく見える。
「ヴァルトシュタイン卿」
 きっと、彼自身、ルルーシュを手放したくないのだ。そう思いながらオデュッセウスは口を開く。
「わかっております。ルルーシュ様について日本へ行く者達の選定を直ぐに行わせましょう」
 一個中隊を送ることは、流石に今の国際情勢では難しい。だから、少数でも確実に彼を守りきれる人間を選抜しておく。ビスマルクはそう言って頷いてみせる。
「後は……日本に近い航海上に空母でも控えさせておくべきだろうね」
 そのあたりのことは、シュナイゼル達と相談をして手配をしよう。
「……同時に、大掃除ですわね」
「あぁ。ナナリーが起きたときに、嫌なものを見ないですむようにしないとね」
 ついでに、これ以上、同じ父の血をひくきょうだいたちの中で無駄な争いが起きないようにしなければいけない。
「あの日々を再現してはいけない」
 彼のこの言葉に、ギネヴィアも小さく頷いて見せた。

 ルルーシュの元へシャルルが戻ってきたのは、いつもよりも早い時間だった。
「……父上?」
 こんな時間に彼が戻ってくるとは、何かあったのだろうか。そう思いながら彼へと視線を向ける。そうすれば、その背後にライの姿も確認できた。
「ライ!」
 まだ、あちらこちらに白い包帯が巻かれているのが見える。それでも、こうして自分の足で立っている姿を見れば嬉しいというのは事実だ。
「大丈夫なのか?」
 それでも確認の言葉を口にしてしまったのは、病院での彼の姿を見ているからだろう。
「大丈夫だよ。心配はいらない」
 それに、眠っていられない事態が起きたようだからね……とライは微笑みながら続ける。
「……眠っていられない、事態?」
 何かあったのか。そう思いながら、視線をライからシャルルへと向けた。
「お前の、婚約者が決まった」
 そうすれば、シャルルはこう告げる。
「日本の、皇の姫だ」
 どこか不本意そうな表情で、彼はそう続けた。
「近いうちに、相手の顔を見に、日本へ行ってくるように」
 最後のこの言葉に、ルルーシュは目を丸くする。だが、次の瞬間、絶望にも似た感情に包まれる。
「……僕は、もう、ブリタニアには必要ありませんか?」
 その思いのまま、ルルーシュはシャルルに向かって問いかけの言葉を口にした。
「誰が、そのようなことを言った?」
 次の瞬間、シャルルは驚愕を隠しきれないという表情で聞き返してくる。
「必要ないから、僕を日本へ行かせるのではありませんか?」
 そんな彼に向かって、ルルーシュはさらにこう問いかけた。
「逆だ」
 しかし、そんな彼に向かってシャルルは即座にこう言い返してくる。
「父上?」
「お前の代わりなど、この国には他におらぬ。そして、あの国にも、だ」
 よいか、といいながら、彼は椅子に腰を下ろした。そのまま、ルルーシュを手招く。それにルルーシュは素直に歩み寄る。
「あの国にも、黄昏の間はある」
 そして、本来であれば、そこに入れる存在もいるはずなのだ。しかし、とシャルルは続けた。
「先日、その最後の一人が死んだのだよ」
 そして、その人物はマリアンヌの母のはとこに当たる人物だったのだ。そうも彼は告げる。
「……母さんの?」
「そうだ。そして、そこにおられるラインハルト殿にとって見れば妹君の子孫に当たる」
 だから、彼等は《マリアンヌ》の血筋を皇の姫の婚約者として欲しがっているのだ。
 その条件に当てはまるものはルルーシュしかいない。
「……黄昏の間は、どこであろうと繋がっておる。一カ所のシステムが崩れれば、他も連鎖的に崩れるであろう」
 そうならないようにするのが、自分たちの義務ではないのか。そう言われて、ルルーシュは「そうです」と言い返す。
「この国には、兄さんも儂もおる。だが、あちらには誰もおらぬのだ」
 だから、行かせたくはないがルルーシュを行かせるしかない。
「もちろん、いやであれば戻ってきてよいのだぞ?」
 シャルルはそう言いながらそっとルルーシュの体を己のひざの上に抱き上げた。
「父上?」
 しかし、とルルーシュは言い返す。
「その時は、僕が向こうに残るからね」
 だから、何の心配もいらない。そう言ってライが笑った。
「ライ……でも……」
「大切なのは、君の意志だよ」
 それに、とライは目を細める。
「皇の姫は私の血筋でもある。だから、責任を取るのは当然のことだよ」
 もっとも、ルルーシュがその姫を好きになる可能性もある。全ては、向こうに言ってからのことだ。そう彼は続けた。
「ナナリーのことは、ギネヴィアが責任を持つと言っておる。だから、何も心配するな」
 とりあえずは、一年、向こうで過ごしてくるがいい。シャルルのその言葉は既に決定していると言うことだろう。
「わかりました」
 自分が疎まれて国外に出されるわけではない。それがわかっただけでも十分だ。心の中でそう呟きながら、ルルーシュは頷いて見せた。

 数日後、ルルーシュはライや他の護衛の者達と共に日本へ向けて飛び立った。








09.11.13 up