ルルーシュは近づいてくる大地を静かに見つめていた。
 これから自分がなさねばならぬこと。負わねばならぬ義務。それらを考えれば、今すぐにでも逃げ出したいというのが本音だ。しかし、自分でなければ出来ないこともある。
 それに、自分が頑張っていれば、いつかが目覚めるかもしれないナナリーを、あの国に招くことも可能だろう。そう考えていたときだ。
「ルルーシュ殿下」
 ライがそっと声をかけてくる。
「大丈夫ですよ」
 自分がいるから。彼はそう言って微笑んだ。
「うん……わかっている」
 それは疑っていない。そっとそう付け加えた。
「だが……あそこは、ブリタニアではないから……」
 どのようなことが待っているのか。それがわからない。そして、ブリタニアで何が起こっていても、すぐに連絡が来ないのではないか。そう考えれば不安なのだ。彼は素直に言葉を口にする。
「それも大丈夫ですよ」
 だからこそ、オデュッセウスやシュナイゼル達は、日本の大使館に勤めている者達を全て、己の手のものに変えたのだ。
 それに、武官としてジェレミアもいる。
 だから、少なくとも大使館はルルーシュの敵ではない。
 そして、ブリタニアがそのような態度を見せている以上、日本側もルルーシュをないがしろに出来ないはずだ。
「それに、私はいつでもお側にいます」
 自分だけは、ルルーシュと共に皇の館まで行くことになっている。だから、何も心配はいらない。そう言ってライは笑う。
「信じている」
 彼がどれだけ有能か、自分がよく知っている。
 それでも、不安を打ち消すことが出来ないのだ。
「……あそこで、何が待っていると言うのだろうか……」
 ルルーシュは小さな声でそう呟く。
「V.V.様がおっしゃっていたことも気になるし」
 ひょっとしたら、その二つは関係しているのかもしれない。だから、自分以外のものにはわからないのだろうか。
「……きっと、あちらから接触がありますよ」
 だが、その相手はルルーシュを傷つけることはない。だから、何も心配はいらない……とライは口にする。
「もっとも……君を利用しようとするなら、私がただではおかないけどね」
 一瞬だけ《ラインハルト》の口調に戻って、彼はこう囁いてきた。
「ライ……」
「必要だというなら、必ず、君のワイヤードも探し出してみせる。あんな孤独、君には味あわせたくないからね」
 それが何を指しているのか、ルルーシュにもわかっている。
「だからといって、無理はするな……ライまでいなくなったら、僕は……」
 寂しいというのとは違う。しかし、自分の語彙ではうまくこの感情を言い表す言葉を見つけられない。その事実がとても悔しい。
「わかっていますよ、殿下」
 いつもの口調に戻ってライは言葉を綴る。
「たとえ、どのようなことが起きようとも……私はあなたの傍にいます」
 その言葉に、ルルーシュは小さく頷き返す。
 まるでそれを待っていたかのように軍人が一人、歩み寄ってくる。
「もうじき、着陸です。ベルトをおしめください」
 彼は確か、ダールトンの養子の一人だったはず。
「わかった」
 こう言うところにも、兄姉たちの気遣いを感じる。そう思いながら、ルルーシュは彼に微笑み返した。

 タラップの下に、赤い絨毯が敷かれている。その左右には、大使館から派遣されてきた者達と本国から付き添ってきた者達が整列をしていた。
 そして、その先に暗い色を身に纏った一団が確認できる。
 あれが、現在、この国を動かしている者達だろう。
 だが、決してルルーシュを歓迎しているわけではない。彼等の表情からライはそう推測をする。
 そして、ルルーシュもそれを感じているのだろう。その頬が引きつっているのがわかった。
「殿下」
 だからといって、このままブリタニアに帰るわけにもいかない。だから、とそっと声をかける。
「わかっている。最初から、歓迎されるとは思っていない」
 あくまでも、自分の存在は保険だ。だから、気にしていない。そう口にしながらルルーシュは背筋を伸ばす。
「それに、この程度のこと。ブリタニアにいても日常茶飯事だったからな」
 むしろ、あちらの方が、悪意を感じられただけ厄介かもしれない。そう言いながら、彼はゆっくりとタラップを降り始めた。
「確かに」
 そうかもしれません、と同意の言葉を口にすると、ライはその背中を守るように後に付いていく。
 ルルーシュの足が絨毯に着くと同時に、軍人達が一斉に敬礼をする。それは彼に対する敬意と言うよりは、今は亡きマリアンヌに対するものかもしれない。あるいは、本国にいる彼の兄姉たちに対するものか。
 だが、それでも十分、日本の首脳陣に対するパフォーマンスにはなったはずだ。
「……どうやら、僕は国から見捨てられた皇子、と思われていたようだな」
 連中には、とルルーシュがあきれたように呟く。
「それとも……連中は、何も知らないのか?」
 ギアスのことも、黄昏の間のことも……と彼は付け加えた。
「可能性はありますね」
 ともかく、それに関してはルルーシュを婿に望んだ人物に確認すればいい。ライのこの言葉に、ルルーシュは頷いてみせる。
「それと、あぁ言う方々には初手が大事だからね」
 バカにされないためにも、と言えば、ルルーシュは小さく頷いて見せた。
「そのために、出来る努力はしてきたつもりだ」
 だから、絶対に侮られなどしない。何よりも、自分はブリタニアの皇子だ。唇からこぼれ落ちた言葉は、自分に言い聞かせるためのものだろうか。
「ここにいる者達を失望させるわけにはいかないからな」
 さらにこう付け加える。だが、彼の握りしめられた手が小さく震えていることにライは気付いてしまった。
「あなたは一人ではありません。私も、そして本国にいらっしゃる殿下方も、あなたの味方です」
 自分たちは、ルルーシュがどのような行動を取ろうとも彼の味方だ。ライはそう囁く。それに、ルルーシュは首を縦に振ってみせる。次の瞬間、彼は一瞬だけ目を閉じた。しかし、それは直ぐに開かれる。そこには、力強い意志がたたえられていた。
 そのまま真っ直ぐに日本の首脳陣の元へと進んでいく。
「ようこそ、ルルーシュ殿下」
 中央にいた男――事前の資料から、彼が現在の日本国首相、枢木ゲンブなのだとわかっている――が慇懃無礼な態度でこう言ってくる。その事実に、ルルーシュの背後に整列した軍人達が殺気立つ。
 そんな彼等の気配を無視するかのように、完璧なロイヤル・スマイルをルルーシュは作っている。
「初めまして、みなさん。ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアです。若輩者で、何も知らぬ身ですから、何かとご迷惑をおかけすると思いますが、よろしくお願いいします」
 流れるように口にされた挨拶に、日本人達は驚きの表情を浮かべた。
「……日本語が、お出来になるのですか?」
 ようやくと言った様子でゲンブが言葉を口にする。
「これから必要になるでしょうから」
 だから、学んだ……とルルーシュは言い返す。
「もっとも、まだ、自由に本を読むところまでは行き着けませんでしたが」
 ひらがなとカタカナは覚えたが、漢字が難しい。真顔で彼は付け加える。
「そうですか……」
 何と言えばいいのかわからない。そう言う表情でゲンブは言葉を返している。あるいは、何か当てが外れたのかもしれない。ルルーシュが日本語を学んだように彼等もブリタニア語を学んだのだろうか。だとするなら、彼を甘く見たな……とライは心の中で付け加えた。
 しかも、この程度のことで礼儀を忘れるとはあきれるほかない。
「申し訳ありませんが、殿下は長旅でお疲れです。お休み頂ける場所へご案内頂けませんか?」
 そう思いながら、ライもまた日本語で相手に声をかける。それとも、このまま一度、大使館の方へ向かった方がいいのか。
「……それは……気が利かぬことを……」
 ようやく自分たちの立場を思い出したのだろう。
「部屋を用意させております。そちらに、殿下の婚約者になられる方もいらっしゃいます」
 まずは、顔合わせを……とゲンブは口にする。そんな彼の言動に、ルルーシュは一瞬だけ顔をしかめた。
「わかった」
 だが、直ぐにそれは消える。ひょっとしたら、日本の首脳陣はその事実に気付いていないのかもしれない。
 それでも、自分にも気付かせたのはまだ甘いな、とライは思う。もっとも、それが自分に対する信頼から来るものなら喜ばしい。
 ある意味、矛盾した考えだが、それが本音だ。
「ライ。みなには通常の業務に戻るように伝えてくれ」
 視線を向けながら、ルルーシュがこう言ってくる。
「では、殿下の親衛隊以外はそうさせましょう」
 親衛隊のものは、ルルーシュが安全に目的地に着くまでは、決して側を離れることはないはずだ。
「……それは……」
 困る、と言ってきたのは誰だろうか。
「あなた方のSPと同じようなものです。それとも、殿下のご年齢では彼等の存在は無用だとお考えですか?」
 ルルーシュは既に、自分という騎士を持っているのに……とライは続ける。
 こちらの不穏な空気を感じ取ったのか。背後にいる軍人達がざわめき出す。
「……いえ。ただ、室内には……」
「私以外の者は同行しません」
 自分はルルーシュから離れるつもりはない。ライはそう宣言をする。
「それに関しては、既に許可をいただいているはずですが?」
「あぁ……もちろん、だ」
 ライの気迫に気おされたのか。相手は頷いてみせる。
「では、そのようにお願いします」
 その言葉を合図に、彼等が動き出す。そして、ルルーシュの出迎えに来たブリタニアの軍人達も、だ。
 しかし、気に入らない。
「ライ」
 そう考えていた彼の耳に、ルルーシュの不安そうな声が届く。
「大丈夫です、殿下」
 近いうちに大使館にいるオデュッセウス達の手の者と話をしなければいけない。そう考えていただけだ。そう言って微笑む。
「そうか?」
 そうは見えないが……とルルーシュは言い返してくる。
 本当に彼は聡い。
「それにしても……どうやら、僕は彼等に歓迎されていないようだな」
 歓迎の言葉を口にしなかった。そう彼は続ける。
「……彼等には彼等なりの理由があるのでしょう」
 それについても調べさせなければいけない。何が原因で平穏が崩れるか、わからないのだ。
 自分が過ごしたあの日々を、ルルーシュには味あわせたくない。そのために何が出来るだろうか。ライはいくつもの方策を脳裏で組み立てていた。








09.12.18 up