今日の所は、ブリタニア側が用意したホテル――もちろん、兄姉たちの息がかかった場所だ――へ泊まることになった。
そこへの移動中、ルルーシュは己の手を見つめていた。
「何か?」
不審に思ったのだろう。ライがこう問いかけてくる。
「わからない……ただ……」
「ただ、何ですか?」
「あいつと握手をした瞬間、何かが見えたような気がした」
それが何だったのか。確認する前に消えてしまったが……とルルーシュは続けた。
「……彼も《皇》の血をひいているそうですから……」
あるいは、ルルーシュやライのように明確な形の《ギアス》を持っていないものの、それに近い《何か》を受け継いでいるのかもしれない。
そう言ったときだ。ライが何かに気が付いたかのような表情を作る。
「とりあえず、V.V.様にお聞きしておきましょう」
彼であれば、何か思いあたる事柄があるかもしれない。それに、とライは言葉を重ねる。
「殿下がご無事だと言うこともご報告しなければ」
本国には大使館から連絡が行くだろうが、彼の方はそうではない。だから、きっと、心配していることだろう。その言葉に、ルルーシュは頷いてみせる。
「確かに。V.V.様にご報告しないと……」
しかし、可能なのか……と言外に問いかけた。
「大丈夫です。ホットラインを一つ、確保してあります」
しかも、盗聴対策も万全だ……と彼は笑う。
「どこにいても、あの方を捕まえられますよ」
そして、彼であれば厄介ごとを全て飛び越えてルルーシュの元へ駆けつけてこられる。もちろん、シャルルも他の者達も、それを全力でバックアップするだろう。
「……何を考えておられるのか……」
そこまでしなくても、自分にはライが傍にいてくれるのに……とルルーシュはため息を吐く。
「それだけ、君はみんなにとって大切な存在だ、と言うことだよ」
苦笑と共に、ライが耳元でこう囁いてきた。
「それに……どうやら、この国の人々も一枚岩ではないらしい」
厄介なことに、と彼はさらに声を潜めて続ける。
「だから、十分に注意しないと」
何があっても直ぐに対処を取ることが出来るように。そう言われて、ルルーシュは頷いてみせる。
「まずは、誰が信頼できるのかを見極めればいいのだな?」
全員が全員、敵ではないはずだ。少なくとも、自分を必要としてくれている人間が一人はいるからこそ、シャルル達が自分をこの地に向かわせたのだろう。
「えぇ」
その通りだ、とライが頷いてみせる。
「しかし……僕に、それが出来るだろうか」
敵を見分けることは出来るかもしれない。しかし、とルルーシュは顔をしかめた。
「出来ますよ」
少なくとも、自分はそう信じている。そう言ってライは笑う。
「あなたは、今まで誰も出来なかったことをした。だから、不可能はないはずです」
言葉とともに彼はそっとルルーシュの頬に手を添える。
「私が傍にいますよ」
そして、おそらく、これから出逢うであろうルルーシュの《ワイヤード》も……と彼は言葉を重ねた。
「……見つからないかもしれないけど……」
それは、とルルーシュは言い返す。
「見つかるよ。いや、見つけてみせる」
決して、あの孤独をルルーシュに味合わせはしない。ライはそう言いきった。
「もし、見つからなかったとしても、今度は私が迎えに行くよ」
決して、ルルーシュを一人にはしない。そう言って、彼は笑った。その言葉は嬉しい。しかし、人の命なんて、あっさりと失われるものだ。それを自分は知っている。
「……期待している……」
だから、こう言い返すことしかできなかった。
自分の体を抱きしめるようにして、ルルーシュは眠りについた。そのまつげには涙の雫が絡んでいる。
「……あんなに、人なつっこい子だったのに」
今は、喪失におびえるようになってしまった。
その理由はわかっている。
マリアンヌの死とナナリーが目覚めないと言う事実だ。
それがルルーシュにとって天地をひっくり返すような衝撃だったのだろう。
その上、親しくしていた者達から引き離されて異国への婿入りだ。いくら望まれたとはいえ、まだ幼い彼にしてみれば家族から引き離されたという感情の方が強いのではないか。
それを、自分一人で埋めることなど出来るはずがない。
自分ですら、家族が既にこの世にいないと知ったときの衝撃から抜け出すのにしばらくかかったのだ。しかも、あの時の自分には、ルルーシュだけではなくマリアンヌやナナリー達もいてくれたの……とライは心の中だけで付け加える。
「傍にいること以外に、出来ることはない……と言うのは歯がゆいな」
ため息とともに彼は呟く。
特に、こんな風にルルーシュが一人で泣いているところを見つけてしまえば、だ。できれば、もっと自分を頼って欲しいのに。そう思いながら、指先でそっとその涙をぬぐってやる。
「せめて、夢の中でだけは幸せな世界にいてくれればいいが」
それも難しいかもしれない。
そう思いながら、そっと髪の毛を撫でる。そうすれば彼の表情が少しだけ軟らかくなった。
ひょっとしたら、誰かと間違えているのかもしれない。
それでも、彼の心が少しでも和らぐならばそれでいい。そう思いながらライはルルーシュの髪をなで続けていた。
いったい、どれだけの時間そうしていただろうか。
ライは不意にその動きを止めた。代わりに側に置いてあった剣を握りしめる。自分たちのものではない気配を感じたのだ。
「心配するな。お前にもその子にも危害を加えるつもりはない」
静かな声と共にその気配の主が姿を現す。
鮮やかな花緑青の髪の毛をした女性だ。その姿に見覚えがあるような気がするのは錯覚だろうか。
「……誰、だ?」
警戒を解かずにライは問いかける。
「魔女、だ」
くつり、と笑いを漏らしながら彼女はこう言い返してきた。
「とりあえずは、昔なじみの息子の顔を見に来ただけだからな。正式な挨拶は後日させて貰おう」
特に、その小さな皇子には……と彼女は言葉を重ねる。
「……お前は……」
以前、母から話を聞いたことがある存在なのか。ライはそう問いかけようとした。
「しかし、あいつが小うるさく注意を寄越す理由もわかるな」
確かにこんな稚い子供では心配だろう。彼女はため息とともにそう告げる。
「だが、こちらもお前の成長を待っている余裕がなくてな」
あれがぎりぎりまで頑張ってくれていた。それでも、かなりまずい状況まで追いつめられている。だから、と彼女は顔を歪めた。
「すまんな」
この言葉とともに、彼女はそっとルルーシュの頬を撫でる。その指先は、本当に愛おしいと告げているように見えた。
「とりあえず、私と桐原が、出来る限りの便宜は図ろう」
何かあったならば声をかけるがいい。その言葉とともに彼女はきびすを返す。
「それと……枢木ゲンブには気をつけるのだな」
あれは、古いもの、目に見えぬものに意味があると思っていない。吐き捨てるようにこう付け加える。
「まぁ、出来るだけ顔を合わせないように配慮させるが……」
あれでも京都六家の当主の一人だ。完全にシャットアウトすることは不可能だろう。そう続ける。
「息子の方は、まだましなようだが」
これからの教育次第だろうな。そう言われて、ライは今日会ったばかりの少年の顔を思い浮かべる。
その瞬間、ルルーシュの言葉が脳裏によみがえった。
「彼は……」
いったい、と問いかけようと口を開きかける。しかし、視線の先に彼女の姿は既になかった。
「……唐突だな」
もう少しゆっくりしていけばよいものを、とライはため息を吐く。
「それとも、あれはあの方々、共通の性質なのか?」
考えてみれば、V.V.の行動も唐突だ。しかし、彼の方がまだ常識的のような気がする。それもルルーシュのためなのかもしれないが。
「だが、とりあえず警戒すべき人間はわかったな」
彼を中心に調査させれば当面の危険は避けられるのではないか。
「あぁ……そろそろいい時間かな?」
ふっと視線の隅をかすめた時計の針がシメしている時刻を見て、こう呟く。
「シュナイゼル殿下であれば、確実に調査してくださるだろう」
そして、的確な処理をしてくれるに決まっている。彼の政治能力は感嘆に値するから、と思いながらライは立ち上がる。
その瞬間だ。
離れていく温もりを引き留めようとするかのように、ルルーシュの指が彼の服の裾を掴んだ。
「ルルーシュ」
無意識のその仕草に苦笑を浮かべるしかできない。
「どこにも行かない。私は君の傍にいる」
大丈夫。用事を済ませたら直ぐに戻ってくるから。そう囁けば、ようやく彼の手が離れていく。
「……本当に君は……」
言葉とともに、そっとその髪を撫でる。そして、今度こそ彼の傍から離れた。
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10.01.08 up
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