朝から屋敷の中が騒がしい。
その理由はわかっている。これから、あのブリタニアの皇子が来るのだ。
「……別に、あんな奴、勝手に来させればいいだろう」
スザクはそう呟くと口の中にたくわんを放り込んだ。虫歯のない綺麗な歯が音を立ててそれをかみ砕く。
「お客さんじゃないんだろう?」
ここに住むというのだ。ならば、そんなに気を遣う必要なんてないのではないか。
自分なんて、と心の中で呟きながら、最後のご飯を口の中に放り込む。それをみそ汁と共に飲み下した。
「ごちそうさまでした」
箸を置くと両手を合わせてそう口にする。それは、幼い頃からたたき込まれた礼儀作法の結果だろう。
それでも、即座に立ち上がったのは、彼の性格から言えば仕方がないのかもしれない。この場に神楽耶がいれば、イヤミの一つも飛んでくるだろうが、彼女は今、ルルーシュを出迎えるために着替えに精を出しているはずだ。
「馬鹿馬鹿しい」
そんなことをする必要が本当にあるのか。そう呟いた言葉の裏にある感情にはあえて気付かないふりをして、スザクは歩き出す。
しかし、今日の自分が行ける場所なんてない。どこにいても邪魔にされるのだ。
人気がない場所を探していて、たどり着いたのは、例の離れだった。
風を通すつもりなのか。きちんと閉められていたはずの扉が全て開け放たれている。そのせいか、真新しい木の香りが周囲に広がっていた。
それだけではない。
室内には見たこともない家具が置かれている。それらが日本風ではなくぶりタリア風のものだと言うことも気に入らない。
「……ここは、俺の場所だったのに」
なのに、どうして……と思う。
同時に、目の前のあれこれをめちゃくちゃにしてやりたいとも考える。
もちろん、それが許されないことは理解していた。でも、と少しだけ唇の端を持ち上げる。
「憂さ晴らしのイタズラぐらい、許されるよな」
相手にケガをさせない。
家具も壊さない。
そう言うイタズラなら笑ってすまされるのではないか。
いや。許されないはずがない。
「俺があいつを気に入らないって言うのは、みんな知っているしな」
ばれた後でもお小言ぐらいですむだろう。
何と言っても、自分は《枢木》の息子なのだ。放り出されるとか何かと言ったことはないはず。
「何がいいかな」
こう呟くと、スザクはイタズラの内容を本気で考え始めた。
出迎えだという言葉に玄関に向かった。
「妙に嬉しそうですわね」
そこで顔を合わせた瞬間、神楽耶が眉をひそめる。
「そうか?」
満足のいく仕上がりになったから、それが表情に出ているのだろうか。だからといって、それを告げるわけにはいかない。
「気のせいだろう」
朝飯がうまかったからかもしれない。その言葉に、神楽耶はさらに眉をひそめる。
しかし、だ。それ以上の追及を拒んだのは、ブリタニアの皇子が乗っている車だった。
「……ずいぶんと、派手な車だな」
近づいてくるそれに、スザクは素直な感想を告げる。
「ブリタニア大使館の公用車ではないようですわね」
神楽耶もそれには同意してきた。
「皇族専用車、じゃな」
答えを教えてくれたのは桐原だった。
「皇族専用車、ですか?」
と言うことは、わざわざ彼のためだけに日本に運んできたのだろうか。なんて馬鹿馬鹿しいことを、とスザクは心の中で呟いた。だが、あの車は少しだけかっこいいかもしれないとも考えてしまう。
「殿下専用にだそうだ。費用は、ブリタニア側が出すと言っておるが……」
さて、それを受け入れていいものかどうか。桐原は難しい表情でこう告げた。
「まぁよい。それについては、殿下付きの方を交えて相談すればよいことじゃ」
今はルルーシュにこの地に親しんで貰うことが重要だろう。彼はそう続けた。
「そうですわね。わたくしことはともかく、ルルーシュ様には日本を気に入って頂かなければ」
神楽耶もそれに同意をしている。
「……何で、だよ」
何でそんな風に言うのか。スザクにはわからない。
「別に放っておけばいいじゃん」
好きならば、自分で調べるのではないか。だから、別にこちらから働きかける必要はないだろう。
「せーりゃくけっこんっていうのは、そう言うもんなんじゃねぇの?」
自分が聞いている話ではそうだ、とスザクは続ける。
「政略結婚ならそうでしょう。ですが、今回のことは政略結婚ではありません」
少なくとも、自分は彼を必要だと思っているから。神楽耶はそう言いきった。
「何度もそう説明してきたはずですが……貴方の記憶力は鶏並みですか?」
三歩歩くと忘れてしまうのか、とあきれたように彼女は付け加える。
「そこまでバカじゃねぇ!」
「なら、いい加減、わたくしがあの方を歓迎していると理解してくれませんか?」
周囲にいる誰かが何と言っていようとも、と自分がそうしたいのだ。
「第一、あなたはあの方の本質をご存じなのですか?」
何も知らずに《ブリタニアの皇族》だからという理由でルルーシュを毛嫌いしているのであれば、それはスザクが嫌悪している《大人》と同じではないか。そうも続ける。
「……そうは言うけど……」
でも、ブリタニア人なんて、みんな同じなのではないか。そう言おうとしてスザクは言葉を飲み込んだ。
そう言えば、ルルーシュは日本語を話していた。
他のブリタニアの連中――と言っても、ルルーシュ以外でスザクがあったことがあるのは、せいぜい貴族までだ――はこの国でも平然とブリタニア語を使っていたのに、だ。
「あの方のことがわかるまで絶対に悪口を言わないでください」
いいですね、という神楽耶の言葉を合図にしたかのように、彼等の前で車が停止する。即座に助手席から降りてきた人間――その服装から判断をして、彼も騎士なのだろうか――が後部座席のドアを開けた。
先に降りてきたのは、空港でルルーシュの傍にいた銀髪の青年だ。彼に手を取られながらルルーシュが姿を現す。今日もまた、彼は黒い衣装に身を包んでいた。
そんな彼の視線が周囲を見回す。そして、ふわりと笑みを浮かべた。
「お出迎え、ありがとうございます。お待たせしてしまったのではありませんか?」
その表情のまま、やはり綺麗な日本語でこう問いかけてくる。
「いえ。ルルーシュ様をお迎えできるかと思えば、気がせいてしまいましたの」
是非とも、家の中を案内したいと思っていたから。そう言って神楽耶は微笑む。
「それは楽しそうですね」
ルルーシュもそう言って笑みを深める。
「とりあえず、中へお進み頂いたらどうじゃ?」
ここではゆっくりと話しもできないだろう。桐原が口を挟む。
「そうですね。そうされた方がよろしいでしょう」
さらに、ルルーシュの傍にいた青年が同意をするように言葉を口にする。
「ライ?」
それに、一瞬だけルルーシュは首をかしげた。
「わかった。そうさせて頂こう」
だが、直ぐに頷く。
「ご案内頂けますか?」
神楽耶様、とルルーシュは視線を彼女に戻して告げる。
「ですから『神楽耶』とお呼びくださいと申し上げたではありませんか」
少しだけ頬をふくらませながら、神楽耶がこう言い返す。
「ですが……」
「わたくしはいいのです。ルルーシュ様はわたくしの旦那様になられるのですもの」
日本では、それが慣例なのだ。しれっとした口調で大嘘を吐くのは流石神楽耶だ、としかいいようがない。
「そうなのか?」
だが、それをどうして自分に確認してくる。真顔で見つめられて、スザクは意味もなく心臓が跳ね上がるような気持ちになってしまった。
しかも、だ。
神楽耶が神楽耶で『自分の言葉が正しいと言え』と言うかのようににらみつけてきている。
しかし、こいつに嘘を教えていいものかどうか。ふっとそんなことを考えてしまう。
「そう言うとこもあるってことだ」
全部が全部、そうだというわけじゃない。とりあえず、無難だと思う言葉を口にする。
「そうか……色々と難しいのだな」
学ばなければいけないことはたくさんあるのか、とルルーシュは呟く。
「まぁ、何とかなるだろう」
だが、彼はすぐにこう言ってまた微笑んだ。
「色々と教えてくれると嬉しい」
だから、どうして自分に言ってくるんだ……とスザクは思う。
それでも、誰かに頼られるのはいやではない。しかも、かなり丁寧に頼まれているようだし。
「気が向いたらな」
だから、スザクはこう口にした。
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10.01.15 up
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