目の前の少年を殴りつけてやりたい。彼はルルーシュを傷つけたのだ。だから、と思う。
だが、彼が悪いわけではないこともわかっている。
彼の言動は、枢木ゲンブのそれをなぞっているだけだ。子供が親の言葉に盲信するのはよくあることでもある。それがわかる程度に、自分は年を重ねてきたことも否定しない。
「……だから、単なるイタズラだってば!」
ゲンブにも同じイタズラをしたことがある。その時は『ただのイタズラだろう』とみんな言ったではないか。
スザクはそう言って桐原にくってかかっている。
「それは、相手がゲンブだったからじゃ」
彼だからこそ許された。
だが、ルルーシュは違う。
「日本と違って、ブリタニアは銃が身近にある。それで大切なものをなくすものも多いのだぞ」
そんな人々にとって、銃声は辛い記憶と結びついている。それを思い出させるようなことは、体を傷つけるよりも悪いことだ。桐原はさらに言葉を重ねた。
「……あいつもそうだって言うのかよ」
少しだけ、スザクの表情が変化をする。
「一月ほど前、テロリストの襲撃で母君を亡くされた。あの方はたまたま兄君の所へおられたからご無事だったが、母君と一緒におられた妹君は未だに意識が戻られていない」
本来であれば、傍にいたいと思っておいでだったはずだ。ライは静かな声音でそう告げた。
「……マジ?」
嘘だろう、と彼は問いかけてくる。その声音が弱々しいのは何故か。
「本当の話じゃ。日本でもニュースになったであろう?」
ブリタニアの后妃が暗殺されたと、と桐原は口にする。
「……そう、だったっけ?」
ニュースなんてあまり見ない、と付け加える彼に、ブリタニアと日本の子供の認識の違いを改めて認識させられた。
ブリタニアでは、国中の者達――もちろん、表面上だけだったものもいるだろうが――がマリアンヌの死を悼んだ。それがあるからこそ、ルルーシュの心が救われたのではないか。
しかし、日本の――しかも、首相の一人息子だというのに――子供は世界情勢を知らなくてもいいと思っているのではないか。そんな認識をライに与えた。
「それなら、何で日本に来たんだよ」
好きなだけ、妹の傍にいればよかっただろう……と彼は直ぐに口にした。
「我らが望んだから、じゃ」
ブリタニア側は、一日でも長く彼を手元に置いておきたかった。しかし、日本の事情がそれを許さなかった。
「無理を強いたのは我らの方。そして、殿下にとって銃声とは辛い記憶を刺激するものじゃ」
神楽耶と共に説明をした記憶があるが、と桐原はさらに言葉を投げつける。
「……そうだったっけ?」
覚えてない、と平然と口にする。
「スザク!」
そんな彼にとうとう桐原の堪忍袋の緒がきれた。
「お前は、何故、京都六家が存在しているのか、その理由すら忘れたか!」
そして、ブリタニアが何よりも大切な皇子を自分たちに預けてくれたのかもわからないのか! と彼は怒鳴る。
それは、間違いなく彼が真実を知っているからだ。年齢も性格も違うが、その言動はオデュッセウスにどこか似ているように思える。
「そんなの……ただの迷信だって、父さんが……」
「ゲンブが言っていることが全て正しいのか! なら、お前の目は何のためについておる。お前の頭は、ただの飾りか!」
さらに彼がスザクを怒鳴りつけたときだ。
「面倒だ。実際に体験させるのが早いだろう」
言葉とともに一つの人影がついたての影から現れる。
「何だ、お前は……」
その気配に気づけなかったからか――それとも別の理由からか――スザクが即座に彼女にくってかかった。そんな彼の頭を桐原が手にしていた扇子で殴りつける。
「申し訳ありません、C.C.様」
そのまま彼女の方に振り向くと、彼は頭を下げた。
「ふん。あいつの子供だからな。あまり期待はしていなかった」
しかし、と彼女はわざとらしいため息を吐く。
「だからといって、他人を傷つけて反省もしないとは……あきれるしかないな」
子供だからと言って、許されることではない。
「本来であれば、資格を持った人間だけが真実を目にすることが出来るのだが……そのバカ息子は自分の目で確認しないと納得しないのだろう?」
だから、特別待遇だ。そう言いながら、C.C.はゆっくりとスザクの傍へ歩み寄ってくる。
「小僧。私は、な。この二人が来るのを非常に楽しみにしていたんだよ」
そして、二人が笑っていてくれる姿を見たかったのだ。二人とも、大切な者の血をひいているのだから、と彼女は口にする。同時に、がっしりとスザクの肩を掴んだ。
「とりあえず、イタズラを見つけたらその場でしつけをしないとな」
次の瞬間、彼女の額に見覚えがある紋章が浮かび上がる。
同時に、スザクの体が硬直した。
いきなり、目の前の光景が切り替わる。
「……何だよ、ここは……」
先ほどまでのあの古くさい室内ではない。それどころか、どこにも敷居など存在していない。スザクの視線の先にあるのは、宇宙だろうか。
そのまま足元を見れば、地球らしいものが確認できる。
しかし、それもスザクが見知っているものとは微妙に異なっていた。
球体を縦横に走っている光の線。それが交差している場所が何カ所か確認できる。その中でも特に集まっているのが二カ所。
「日本と、ブリタニア?」
脳内の地図と重ね合わせなくても、その位はわかる。
「でも、何で……」
「決まっている。そこに我らがいるからだ」
不意に、先ほど聞いた声が後頭部に投げつけられた。
「あれは思考エレベーターの回路。あれが正常に動いているうちは、世界は何の心配もない」
その声の方向へと視線を向ければ、彼女がある一点を指さしているのがわかった。
「だが、あのように乱れていれば……世界そのものに支障が出てくる」
確か、あそこは現在、紛争が起きていたな……と彼女は続ける。
「……あそこは」
「中東だ。桐原達がどうやって民間人を救助すべきか、相談していたろう?」
それはお前も覚えているはずだ、と言われてスザクは反論できない。確かに、そのことはしっかりと覚えていた。
「あちらは、災害が起きた場所だな」
そう言いながら、今度は別の場所を指さす。南アメリカのそこは、確かに自然災害が起きてやはり大騒ぎになった場所だ。
「……それがどうかしたのかよ」
だからといって、対策が取れないなら意味がないじゃないか……とようやくスザクは反論の糸口を見いだしたような気がする。
「だから、ルルーシュを無理矢理日本に連れてきたのだろうが」
しかし、それに彼女はあきれたようにこう言い返してきた。
「ブリタニアの方はシャルルがなんとかするだろう。しかし……彼女が死んでから、この国にはこの流れを正せるものはいない。だから、ブリタニアの皇族の中でも力が強いあの子にこの地の守を任せるしかない」
せめて、神楽耶かスザクにその才能があれば、母を失ったばかりの子供を他の家族から引き離すようなことはしないですんだのだが。微かに顔をしかめながらC.C.は言葉を重ねた。
「まぁ、いい。後は自力で帰ってくるんだな」
連れてきてやっただけでも感謝しろ。そう言い残すと、彼女は姿を消す。
「お、おい!」
スザクは慌てて彼女を捕まえようとした。しかし、彼の手はむなしく空を掴んだだけである。
「……自力で帰ってこいって言われても……」
そもそも、どうやってここまで来たのかわからないじゃないか……と彼は呟く。
同時に、これが彼女なりの嫌がらせなのだとわかっていた。
「……そもそも、あいつが来たから悪いんだ……」
ルルーシュさえ来なければ、今までと変わらない生活を送れたはずなのに。そうは思うが、あの光景と彼女の話を聞いてしまえばその気持ちも萎えてしまう。
現在、京都六家で《子供》と言えるのは自分たちだけだ。
桐原には直系の孫はいない。代わりに、刑部に嫁いだ孫が産むであろう子供が彼の後の桐原となるはず。
他の二家も、藤堂達と同年代のものはいても、その後に続く子供がいないという状況だ。
だからこそ、自分たちにあれを正すことが出来ない以上、他の誰かを迎え入れなければいけなかったのだろう。そして、それが出来るの同じような立場のはブリタニアの皇族の中でもルルーシュだけだった。
母を失い、妹もまだ生死の境を彷徨っている状況なのに、自分たちに力がないから国を離れざるを得なかった。
「……父さんは、そんなこと、一言も言っていなかったのに……」
いや。彼は何も知らないのではないか。そして、知ろうともしていない。そう神楽耶が言っていたような気がする。
「だって、父さんにはもっと別にしなければいけないことがあったから……」
死からがないのだ。祖言う呟くが、それでは納得できないと思う自分がいることにスザクは気付いていた。
だからといって、C.C.の言葉を鵜呑みに出来たわけではない。
自分の目で確認しないと、とは思うのだが……目の前には最大の関門がある。
「あぁ、もう。どうすれば帰れるんだよ!」
こう呟いたときだ。
視界の隅で何かが揺れている。それが何であるのか確認しようと視線を向けた。
「……鏡?」
何故、ここにそんなものが。そう思いながらスザクはそれに歩み寄っていく。そして、のぞき込んだ。
「ルルーシュ!」
しかし、そこに写ったのは自分の姿ではない。黒い髪に紫の瞳。そこにいたのは、間違いなく《ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア》だった。
「何で……」
しかも、彼の姿に何か違和感を感じる。それはどうしてなのか。そう思いながら目をこらす。そうすれば、さっき顔を合わせた彼よりももっと幼いのだとわかった。
鏡の中のその彼が一瞬、視線を向けてくる。その瞬間、足元にあった何かにつまずいたらしい。
「危ない!」
何故そんなことをしたのか、自分でもわからないまま、スザクは反射的に手を伸ばす。その指先が鏡に触れた。そのはずなのに、指は鏡の表面をすり抜けてしまう。
「マジ?」
それだけではすまなかった。
スザクの体はそのままその中に吸い込まれてしまう。
「馬鹿野郎!」
その声もまた、むなしくどこかに吸い込まれていった。
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10.02.05 up
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