既に、あの衝撃は抜けたものだ……とルルーシュ自身は思っていた。しかし、そうではなかったらしいと改めて思い知らされる。
それとも、ここがブリタニアではないからだろうか。
「ルルーシュ様」
そんなことを考えながら、天井に刻まれた装飾を目で追っていたときのことだ。神楽耶がそっと声をかけてくる。
「よろしければ、お茶をお飲みになりません?」
紅茶ではなく緑茶だが、と彼女は続けた。
「少しは気分がすっきりとされますわよ?」
その言葉に、ルルーシュはゆっくりと身を起こす。その体を誰かの手が支えてくれた。
いったい誰だろう。
そう思いながら視線を向ける。
「藤堂……鏡志朗……」
確か、そのような名前であったはず。そう思いながら口を開けば、彼は小さく頷いてみせる。
「ご気分はいかがですか」
そのまま彼が口にしたのはブリタニア語だった。
「大丈夫、だ。休ませて貰ったから、かなりよくなっている」
静かな環境だったこともよかったのかもしれない、と付け加えながら視線を神楽耶へと戻す。
「あなたのおかげですね。ありがとうございます」
微笑みを浮かべながらこう告げた。
しかし、何かが気に入らなかったらしい。彼女は頬をふくらませている。
「神楽耶様?」
どうかしたのか、とルルーシュは問いかけた。
「このようなときまで、そのような言動をされなくてもいいではありませんか」
それに、彼女はこう言い返してくる。
「もう少し、ワガママを言ってくださっても……」
「神楽耶様」
そんな彼女を藤堂が静かな声音でたしなめた。
「わかっています。ですが、これから共に暮らすのですから、少しは肩の力を抜いて頂きたいと思ってはいけませんか?」
スザクのように抜きすぎては困るが。そう付け加える彼女に、藤堂は苦笑を浮かべる。
「申し訳ありません。私の教育が行き届かずに」
その表情のまま、彼はこういった。
「気にすることはありません。何度同じ話を聞いても頭に刻みつけられないお従兄さまが悪いのですもの」
だから、ルルーシュにも迷惑をかけてしまったではないか……と彼女はため息を吐く。
「ですから、今回のことで少しは懲りてくださればいいのですが」
無理だろうな、と小さな声で呟く。
「ともかく、お従兄さまのことは、桐原のおじいさま達に任せておけばよろしいですわね」
それよりも、と彼女は笑みを浮かべる。
「ルルーシュ様のご気分がよろしいのでしたら、お茶にお付き合いくださいませ」
喉が乾きましたから。そう言う彼女に、ルルーシュは小さく頷いて見せた。
国が変われば色々と作法も変わってくる。もちろん、味覚もだ。
「……これは……」
元は同じお茶の葉から作られているはずなのに、口に含んだときの味わいはかなり違う。
爽やかな中にもほんのりとした甘みを感じる飲み口に、ルルーシュは目を丸くする。
「ぬるかったでしょうか」
そんな彼の表情を見てどう判断したのだろうか。神楽耶がそう問いかけてくる。
「だとしたら、申し訳ありません。その温度が一番おいしくいただけるものですから」
「いえ。同じお茶の葉を使っているはずなのに、ずいぶん味が違うな、と」
感心していただけだ、とルルーシュは言葉を返す。
「製造方法が違うのでしょうが……」
それ以上に、水そのものが関係しているのだろうか。そう言って首をかしげた。
「そうかもしれません。特にここは日本でも有数の名水の地ですから」
ここの水を飲めば他の地で飲めなくなる。神楽耶は真顔でそう付け加えた。
「そうですか」
それはやはり、周囲の自然が関係しているのだろうか。それを調べるのも楽しいかもしれない、とルルーシュは心の中で呟く。
「こちらのお菓子も味を見て頂けますか?」
ルルーシュの好みが知りたいから、と微笑みながら神楽耶は小皿を差し出してくる。
そこには繊細な細工を施された様々な種類のお菓子が並べられていた。
「我が家の料理人が作ったものです。気に入って頂ければ嬉しいのですが」
しかし、これはどうやって食べればいいのだろうか、とルルーシュは悩む。
「お作法は気になさらなくていいですわ」
と言うことは、本当はあるのだろう。
「興味がおありでしたら、後日、お教えさせていただきます。でも、今はお気になさらずに」
第一、ここは正式の場ではないのだから。神楽耶のこの言葉は正しいだろう。だから、とルルーシュは木で作られたフォークのようなものを手にする。そのまま、それで一番手前にあった菓子を口に運ぶ。
ケーキとは違った甘さが口の中に広がる。
その甘さに驚いて、お茶へと手を伸ばした。
だが、お茶を口に含んだ瞬間、その甘さが心地よいものになった。
だからこの甘さなのか、とルルーシュは納得をする。
「ルルーシュ様?」
「お茶と一緒に食べるとおいしいですね。それに、細工も綺麗だ」
クロヴィスが見れば喜ぶだろうな、と何気なく付け加えた。
「クロヴィス様と申されると、第三皇子殿下、でいらっしゃいましたか?」
確認をするように藤堂が問いかけてくる。
「えぇ。兄さんは、綺麗なもの、手が込んでいるものが好きですから」
芸術作品でなくても、このように見事な細工をされているものは気にいるだろう。そう付け加える。
「他にも、一番上の姉や妹たちは、日本の布に興味があるようなことを口にしていた……」
出迎えの時に神楽耶が身につけていたような、とさらに言葉を重ねた。
「母さんの手元に何枚かあったので、それを見たときに」
おそらく、こちらからブリタニアに嫁がれた姫のものだろう。それらはいずれ、ナナリーが受け継ぐはずだった。そこまで思い出した瞬間、ルルーシュの手が止まる。
「まぁ……それでしたら、今度、出入りの呉服屋に声をかけてみますわ」
反物を持ってきてもらうから、と神楽耶は微笑む。
「その時は、ルルーシュ様もご一緒に」
彼女たちの好みを一番知っているのはルルーシュだから、と彼女は付け加えた。
「そうですね」
確かに、そうして選んだものであれば、彼女たちが邪険にすることはないだろう。神楽耶に対する心象もよくなるのではないか。
「他にも色々と教えてください」
「もちろんですわ」
ルルーシュの言葉に神楽耶はしっかりと頷いてみせる。
「ありがとう」
その言動をどこまで信じていいのかどうかはわからない。それでも彼女とはいい関係――恋愛感情は伴わないかもしれないが――を築くことが出来そうだ。おそらく、結婚をしても、普通に暮らしていけるだろう。
となると、やはり問題は《スザク》かもしれない。
そう考えたのがいけなかったのだろうか。
足音が響いてきた。そう思った次の瞬間、ドアが勢いよく開かれる。
「お前!」
そこに立っていたのは、もちろん、スザクだ。
「お前、あいつとどんな悪だくみをしたんだよ!」
そのまま、彼はそう叫ぶ。
「何の話だ?」
意味がわからない、とルルーシュは聞き返す。
「何の話じゃないだろ! お前の印象をよくするためにあいつと何かしたんだろう!」
あんな馬鹿馬鹿しい芝居までして、と彼は足を踏みならした。
「君が何を言いたいのか、本当にわからない」
ライが何かをしたのか、とルルーシュは逆に聞き返す。
「しらじらしいセリフをはくな!」
あの女があんな所に自分を放置したと思ったら、鏡の向こうにルルーシュの姿が見えた。それに手を伸ばしたらここにもどってこられたのだ、とスザクは言う。
「……あの女?」
それが誰なのかわからない、とルルーシュは言い返す。
「……あの世界と言うことは……あちらに行ってきたのか?」
自分も実際に足を踏み入れたのは一度しかない。それも、ライを迎えに行ったときだから既に五年近く前だ。それなのに、何故、今のスザクに何かできるというのか。
いくつか仮説は立てられるが、その答えを検証することも難しい。
何よりも、スザクが聞く耳を持っていないことが問題だ。そう考えたときだ。
「いい加減にしたまえ、スザク君」
藤堂が低い声で彼をしかりつける。
「殿下はずっとここの奥で休んでおられた。傍に俺が着いていたとしても君は疑うのか?」
「……藤堂先生……」
「そもそも、勝手に人を疑って怒鳴り散らすとは、礼儀をどこに捨ててきたのか。わかるように説明しなさい!」
そこに正座をして、と彼は続ける。
条件反射なのだろうか。スザクはそれに素直に従った。
「……いったい、何を夢見たというのでしょうか」
神楽耶はこう呟く。
「夢では、ないのかもしれません」
詳しいことはライに聞かなければわからないが、とルルーシュは口にする。
「僕も、小さな頃そう思える光景に出逢ったことはあります。しかし、それは現実だった」
ここも太陽宮と同じくあちらへの入り口が存在しているのだろう。だから、と続けた。
「そうでしたわ。お従兄様も、あれでも皇の末裔の一人。なら、何かを見たとしてもおかしくはないのでしょうね」
しかし、その内容がわからない。それを知るべきなのだろうか……と神楽耶が首をかしげた。
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10.02.12 up
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