「……嘘だ……」
 学生風情に、自分が負けるはずがない。そういって目の前の貴族は顔色を失っている。
 しかし、ルルーシュにしてみれば、目の前の相手に自分が負けるはずがないという自信があったのだ。今はともかく、ブリタニアにいた頃は目の前の相手などとは比べものにならない実力の持ち主と、毎日のようにチェスを行っていたのだ。
 もっとも、そんなことを他の人間に伝えることはできない。
「では、これで」
 その代わりにこう言い残すと立ち上がる。
「君! 名前は何だったかね」
 そんなルルーシュを引き留めようとするかのように、彼はこう呼びかけてきた。事前にきちんと名乗っていたのに、記憶の片隅にも残しておかなかったのか……とそう思ってしまう。
「ルルーシュです。ルルーシュ・ランペルージ」
 それでも、こう言えば目の前の男は二重の意味で驚いたと呟いている。
「皇女殿下と同年でしたので、それにあやかって付けられたのですよ」
 女性と同じ名前とは、ある意味、子供にとってはありがた迷惑かもしれないが……と付け加えれば、相手も頷いてみせる。
「と言うことは、今は君がランペルージ家の?」
 現当主なのか、と付け加えた男の目の中に、不穏な光が浮かんでいた。それがルルーシュを直接傷つけようという意図からのものではないと言うことはわかる。だが、彼の脳裏の中では別の思惑が渦巻いているはずだ。
「失礼します」
 それに関しては何も答えずに、ルルーシュは頭を下げる。
「待て!」
 男が慌てて立ち上がった。しかし、その命令に従ういわれは全くない。ルルーシュは男が次の言葉を口にする前に、さっさとその場を後にした。

「気に入らない!」
 本来であれば、そのまま学園に戻るべきだったのだろう。
 だが、今はそんな気持ちにはなれない。このささくれだった気持ちを落ち着けるには、方法が一つしかないことも自覚していた。
「問題なのは、あいつがいるかどうかだな」
 今日は休暇だと言うことは事前に聞いてある。というよりも、ここでチェスをすると伝えれば、自分も付いていくとまで言ったのだ。だが、彼の立場を考えれば、目立つことはまずいのではないか。そう思って断った。
 だから、自宅にいることはまちがいない。
 もっとも、彼にも自分の生活があることはわかっていた。だから、所用で出かけているのではないか。そう思ったのだ。
「待っていれば、帰ってくるか」
 それに、そもそもは自分の家なのだし、文句を言われる筋合いはないだろう。そう判断をしてそちらに足を向けた。
 だが、途中で誰かの視線を感じてしまう。
 それが気に入らない。
 どうするべきか、と考えて、手っ取り早い方法をとることにした。
 ポケットから携帯を取り出す。そして、登録してあるナンバーを呼び出した。
 三回コールが鳴ったところで相手が出る。
「俺だ。迎えに来い」
『ルル……迎えに来いって言われても、どこにいるのかわからないと無理だよ』
 すぐに柔らかな声が返ってきた。その声を聞くだけで安心できるのはどうしてなのだろうか。
「新宿ゲットーとの境にある公園にいる。十分以内に来い」
 そして、彼が相手だとどうしてワガママを言ってしまうのだろう。
『ルル! ゲットーとの境って……』
 だが、相手は別の意味で驚いたらしい。慌てたような声でこう言ってきた。
『わかったから……絶対に動かないでよ』
 今すぐ行くから! と彼は言うと同時に通話が切られる。
「さて……何分で来るかな」
 本当に十分以内で来たら、今日は好きにさせてやろう。そんなことを考えてしまう。
 いや、自分がしたいだけなのか。
 こういう気分の時は、彼のぬくもりを身近に感じたいのだ。
 しかし、お互いの生活がすれ違ってしまっている以上、それは難しい。ついでに、自分自身の性格がそれに拍車をかけていることも自覚していた。
 だから、たまにはいいか。
 そう考えながら、ベンチに腰を下ろす。
「……いい天気だな」
 こう考えられるのは、自分が今はただのブリタニア人としてここに存在しているからだろうか。それとも……とルルーシュは心の中で呟く。
 だが、そんな気持ちもあっさりと消え失せた。目の前をブリタニア軍の輸送車が通っていったのが目に入ったのだ。
「ご苦労なことだ」
 わざわざこのルートを通ったのは、まちがいなく新宿ゲットーにいるイレヴン達に対する威嚇だろう。そうしなければ、この地の平和を守れないと思っているのではないか。
 だが、それは違うような気がしてならない。
 もっと穏やかな方法で……と考えたところでルルーシュはやめる。今の自分は、そんなことを考える立場ではないのだ。
 だが、幼い頃からたたき込まれた思考は、そう簡単には抜けてくれないらしい。
 あの日、あんな現実を見せつけられたというのに、だ。
「しょせん、俺もあの男の子供、と言うことか」
 あの男――ブリタニア皇帝の血をひくもので、他人を蹴落としてでも自分の存在を誇示したい、と考えないものをルルーシュは数多くの兄弟達の中で二人しか知らない。
 一人は、同母妹のナナリー。
 もう一人は異母妹のユーフェミアだ。
 だから、彼女たちだけは今も変わらないでいて欲しい。そんなことを考える。
「ルル!」
 その時だ。待っていた声が耳に届く。
「……五分か……」
 一体どこにいたのか、と思ってしまう。
「お願いだから、一人でふらふらしないで……」
 特にこんな所は……と声を潜めると彼は付け加えた。
「嫌な情報が耳に入ったんだ」
 だから、と言う彼の言葉に、ルルーシュは微かに眉を寄せる。彼がそういうと言うことは、よほどのことなのではないか。そう思ったのだ。
「……いろいろと話もしたいしな」
 他にも、したいことがあるから……とさりげなく付け加える。
「ルル?」
「スザクがいやなら、やめるが……」
「嫌なわけ、ないだろう」
 ルルーシュに最後まで言わせることなく、スザクはこう叫ぶ。次の瞬間、彼は頬を赤らめた。
「なら、かまわないな。行くぞ」
 小さな笑いとともにルルーシュはこう宣言をする。そして、ベンチから立ち上がった。








06.12.27 up