人の気配を感じない。
 その事実に、ルルーシュは微かに眉を寄せた。
 本当に、ここにゼロとナナリーがいるのだろうか。あるいは、自分を処分するためだけにここに呼び出したのかもしれない。そんなことを考えてしまう。
 だが、そうだとするのであれば、いったい誰がそんなことを計画したのだろうか。少なくとも、今のイレヴン達の中心にいる存在は自分を不要とは思っていないはずだ。そして、ブリタニアにいるあの存在も、だ……とそう心の中で付け加える。
 公式に、自分の生存が知られれば、いくらあの存在が現状を認めていようと連れ戻されることはわかりきっていた。しかし、自分はブリタニアに戻るわけにはいかない。そんなことになれば、自分は大切な存在を失ってしまうことになる。
 何より、そんなことをして――個人的な感情は別にして――得するものがいるとは思えないのだ。
「いったい、何が目的なんだ……」
 それさえわかれば、もっと別の手段を使えたかもしれない。
 そう。
 ミレイを通してブリタニア本国に働きかける必要もなかったかもしれない。
 それでも、そうしなければいけなかったのは、指定された時間までの余裕がなかったからだ。
 もし、あの日、普通に部屋に戻っていれば、もっと早くあのカードに気付くことができたかもしれない。それなのに、自分は……とルルーシュは唇を噛む。
「それでも……あの時の俺には、それが必要だったんだ……」
 自分が自分でいるために、とルルーシュは呟く。
『ダメだよぉ、ルルーシュ君。そんな風に暗いことを考えていちゃ』
 それじゃ、いざというときに正確な判断ができないでしょぉ……とロイドの声が耳の中で聞こえる。それが、ヘッドセットからのものだ、というのはわかっていた。自分の呟きが彼に聞こえているかもしれない可能性も、だ。
 だが、せめて聞かないふりの一つや二つできないのか! とそうも思う。
 もっとも、彼にそんなことを言っても無駄だろう、と言うことも想像が付いている。何よりも、ここでロイドにあれこれ反論をして、ヘッドセットのことがばれては本末転倒だろう。せめても抗議の印に、小さなため息をついてみせるのが精一杯だ。
『あっらぁ? 余計なことを、言っちゃいましたかぁ?』
 それがわかっているなら、口をつぐめ! とルルーシュは心の中ではき出す。
 ゼロとの対決前に、自分の気力を削いでどうする気だ! とそうも考えてしまう。それとも、自分がゼロに屈することをこの男は望んでいるのだろうか、とまで疑いたくなってしまった。
『取りあえず、ルルーシュ君の居場所は特定できているから安心してくれていいよぉ。それとスザク君達も即座に出撃できる体制が整っているって』
 だから、ナナリーを確保できたら、できるだけ窓際に近づいてくれる? と彼は続ける。どうやら、これが言いたかったらしい。
「何にせよ……人質を取られている以上、指示には従わなければならないか」
 誰に聞かれても困らないような呟きで、取りあえず了承の意を伝える。
『だいじょぉぶ。君にも殿下にも、傷一つ付けないからぁ』
 そんなことになったら、この子がかわいそうだからねぇ……と付け加えてくる、その一言が余計なんだ! とルルーシュは心の中で怒鳴った。
 こうなったら、この件が終わったら全力で縁を切らせてもらう。ついでに、スザクとも縁を切らせてやる! と決意をする。でなければ、自分の精神が持たない、とも。
 ともかく、今はロイドのことは忘れなければ……とそう思いながら小さなため息をついたときだ。いきなり、あるドアが開かれる。
「……あそこか?」
 わざとらしいそれに、ひょっとして自分はバカにされているのだろうか。そんなことも考えてしまう。だが、ロイドとのやりとりに比べれば、まだまだ可愛いとしか思えない。それを見通しての彼の行動なのであれば、ある意味感心するぞ……とルルーシュは心の中で呟いた。
 もちろん、そんなはずはないだろうが……と思いながら、ゆっくりとそのドアへと近づいていく。
 だが、すぐに足を踏み入れるようなことはしない。
 万が一のことを考えると迂闊なことはすべきでないだろうと判断してのことだ。
 もっとも、その余裕も室内の様子を見た瞬間、吹き飛ばされてしまった。
「ナナリー様!」
 彼女が縛られた状態で部屋の中央に座らされていたのだ。
 それでも、とっさに呼び捨てにしなかった自分をほめてやりたいと、訳のわからないことを考えてしまう。それは、きっと、あまりにも驚きすぎて混乱していたからではないか。
「ルルーシュさん?」
 その言葉に、危険も何も忘れて彼女の側に駆け寄る。
「ご無事ですね? おけがはありませんか」
「はい……でも、どうしてルルーシュさんが?」
 何故、コーネリアではないのか……と彼女は問いかけてきた。それは当然の疑問だろう。だが、何と言えばいいのか……と心の中で呟く。
「私がお呼びしたからですよ、ナナリー殿下」
 だが、それも脇から別の声が聞こえてきた瞬間、解決をしてしまった。いや、これからが始まりなのか。
「……誰だ?」
 反射的にナナリーを抱きしめると、ルルーシュは声がした方向に視線を向けた。
「聞かなくても、わかっていると思うが?」
 影になった場所からゆっくりと人影が進み出てくる。仮面で素顔を隠した男だ、とわかったのは、その男がパイロットスーツのように体の線がはっきりとわかる服を身につけていたからだ。
「貴様が『ゼロ』というのはわかっている。だが、俺が知りたいのは、お前が何者なのか、と言うことだ」
 そして、何故、自分をおびき出すためにナナリーを使ったのか……とルルーシュは心の中だけで呟く。それを知るものは、ごく普通の者達だけだ。そして、彼等に関しては不本意だが――彼等の希望もあって――抑制をかけてある。だから、彼等から情報が漏れるはずがない。その確信だけはあった。
 しかし、結果的に一番守られなければならないナナリーが自分をおびき出す餌としてこの場にいる。
 もし、この男が真実を知っているのなら、それはそれでもかまわない。問題なのは、他にも知っているものがいるのかどうか、だ。
 だとするなら、その者達もまとめて《処分》しなければいけない。そんなことも考えてしまう。
「すでに、わかっておいでだ……と思っていたのだが。それとも、私の買いかぶりでしたか? ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア皇女殿下?」
 ゼロはためらうことなく、ルルーシュが捨て去ったはずの名前を口にする。その瞬間、腕の中のナナリーが身を強ばらせた。
「その方は、あの戦争の時に亡くなられた……と聞いておりますが?」
 だが、ルルーシュにしてみれば、それは最初から予測していた範囲内のセリフだといっていい。冷静な口調でこう言い返す。
「そこまで隠さなければならないわけですか。ご自分の罪を」
 しかし、このセリフにはそうも言っていられない。
「俺の罪?」
 何のことだ? とそれでも冷静な口調で言い返す。
 他の誰に知られても、この腕の中の存在にだけは気付かれてはいけないのだ。
「……そう、君の罪だよ。君を生かすために、ランペルージやアッシュフォード……そしてブリタニア皇帝が何をしてきたのか」
 もっとも、君自身は知らされていないのかもしれないね……とゼロはいやな笑い声を響かせた。
 しかし、ルルーシュにはそれよりも父達がいったい何をしたのか……という方が気にかかる。彼等が自分という存在を死なせたくないと考えていたことは知っていた。いや、そのおかげで《ブリタニア第三皇女》の存在はこの世から消えても、自分はここにいる事ができると言うべきだろう。
 だが、彼が言っている内容はそれではないはず。
 では何が『罪だ』と言っているのだろうか。
「……もう一人のルルーシュ?」
 だが、それは……とルルーシュは呟きを漏らしてしまう。
「どうやら、存在だけは知っているようだね」
 満足そうな、というのだろうか。それとも勝ち誇ったと言った方が正しいのか。すぐには判断が付かない口調でゼロは言葉を口にする。
「では、その目で確認するがいい」
 言葉とともに彼はマントの下に隠していた手を差し出す。
「おいで」
 そのまま、今までとは打って変わった柔らかな口調で誰かを招く。それに導かれるように新たな人影がルルーシュの視界の中に姿を現す。
 その人物の顔がはっきりと認識できた瞬間、ルルーシュは思わず息をのんだ。
「……まさか……」
 その顔に、ルルーシュは嫌と言うほど見覚えがある。
「母上……」
 それは、自分が姿を消す前にこの世から旅立っていった女性のそれにあまりにも似すぎていた。

 ルルーシュとゼロの会話を耳にしながら、スザクは必死に自分を抑えていた。
 今飛び出していっても、ルルーシュを危険にさらすだけだ。それがわかっているからこそ、こうして我慢している。でなければ、今すぐにでもゼロを殺すために飛び出していたのではないか。
 だが、その自制も、ルルーシュのこの呟きで打ち砕かれる。
『母上……』
 いったい、ルルーシュの前に誰が現れたというのか。
 スザクにもそれはわからない。
 だが、ルルーシュの呟きにはまるで救いを求めるかのような響きがにじみ出ていた。それを耳にした瞬間、スザクは反射的にランスロットを起動させてしまう。
『ダメよ、スザク君!』
 即座にセシルが制止の言葉を投げつけてくる。
「でも、セシルさん!」
 ルルーシュの目の前に最悪の状況が繰り広げられているはずだ。それは、自分にとってのあの時の光景と同じものだと言っていい。それでも、自分のそれはルルーシュの言葉で消すことができる。彼を守るため、という名目がそれにはあったからだ。
 でも、ルルーシュの記憶はそうではない。
 そして、その記憶が彼をどれだけ苦しめていたのか、側にいた自分がよく知っている。そして、それがルルーシュから冷静を奪うものだと言うことも、だ。
『スザク君がルルーシュ君を心配しているのはよくわかっているわ。でも、今出て行けば、逆に彼を危険にさらすことになるかもしれないのよ?』
 だから、ロイドの指示がでるまでがまんをしろ! と彼女はいつもとは違って厳しい口調で付け加えた。
「……わかっています……でも、ルルが……」
 彼が苦しんでいるのを黙ってみていられないのだ、とスザクははき出す。
「僕にとって、至上の存在はルルーシュなんです」
 不敬と言われてもしかたがないようなセリフを口にしても、セシルはあえて何も言ってこない。
「彼だけが、僕にとって生きる意味なのに」
 それなのに、どうして、今、側に行けないのか。
 スザクはそんな気持ちでいっぱいだった。
『今は我慢して。待つことも、大切な事よ』
 あんな男でも、二人の命を守りたい……と思ってくれているのは疑いようがない事実だから……と彼女は付け加える。
「……わかりました……」
 こう言い返すものの、スロットルを握るスザクの指からは、あまりに強く握りしめすぎているせいか血の気が失せていた。それだけではなく、細かな痙攣を起こしている。
『大丈夫。先ほど、総督閣下のご命令でダールトン卿が出撃なさったわ』
 おそらく、この周囲にいるはずのテロリスト達の目を惹きつけるためだろう……と彼女は付け加えた。だから、いざというときには行く手を遮るものがいないだろう。そちらの方が確実にルルーシュ達の元にいける。そういう彼女の言葉も、今のスザクを落ち着かせてはくれなかった。








07.03.14 up