目の前の女性から逃げるように、ルルーシュは腕の中のナナリーとともにゆっくりと位置を変えていく。それは、ロイドと打ち合わせていた通りの動きだ。しかし、それはルルーシュが意識をしての行動ではない、と言うことも事実。
「美しいだろう、彼女は」
低い笑いとともにゼロは言葉を口にする。同時に、彼女の体を自分の腕の中に引き寄せた。
「彼女は、貴方のために作られたのですよ。ルルーシュ殿下」
貴方の母君、聖女と呼ばれたマリアンヌ后妃のコピーとして……とゼロは口にしながら、そうっと彼女の首筋から頬へとなで上げていく。その動きがとても不快だ、と感じるのはどうしてなのだろうか。
「……コピー?」
その感情を振り払おうとするかのように、ルルーシュはこう呟く。
「まさか……クローンか?」
体細胞からなのか、それとも生殖細胞から育成したのか。それはわからない。だが、ブリタニアの科学力であれば十分に可能だろう。そして、目の前の少女は間違いなく母と同じ存在だろうという確信がルルーシュにはあった。
「……クローンって……でも、どうして、お母様の」
ナナリーが疑問の言葉を口にする。
それに対する答えは推測できていた。しかし、それを自分が口にすることはできない。そうすれば、自分が《ルルーシュ・ランペルージ》ではなく《ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア》だと認めることになってしまう。それだけは、してはいけないのだ。
「簡単ですよ、ナナリー殿下」
だが、ゼロは違う。
何があっても、この男は自分に《ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア》だと認めさせたいのか。
「その方が、生まれたときから《男性》だったからです」
だが、それは秘めなければいけないこと。しかし、永久に秘めておくことはできない。人間には性差というものがある。いずれ外見からもルルーシュの存在が《男》だと知られてしまう日が来ることはわかりきっていた。だから《ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア》の代わりに死ぬものが必要だったのだ。
「だから、彼女が作られた……違いますか? ルルーシュ殿下」
彼女の髪を指に絡めながらゼロは問いかけてくる。
「……残念だが、俺に聞かれても答えられないぞ」
父や他の者達が何かを画策しているのは知っていた。だが、その内容までは教えられていなかった。ただ、いずれ自分は父の元を離れランペルージの名を継がなければいけない。ルルーシュが知っていたのはそのことだけだといっていい。だから、決して嘘を付いてはいないのだ。
「なるほど。あのブリタニア皇帝でも、このような非道なことをしていたと知られたくなかった訳か」
一片の良心はあると見える……とゼロは低い笑いを漏らす。
「もっとも、その良心も、他国の民には向けられないようだがな」
むしろ、それを侵略の道具に使ったようだが。その言葉に、ルルーシュは微かに眉を寄せる。いったい、どこからその話を聞いたのか。そう思ったのだ。
「貴方を《殺す》ことで、この国を侵略する口実を作った。違いますか?」
前日まで、あれほど友好的な態度と見せていたのに。卑怯なことを……と彼は続ける。
「枢木スザクも不幸なことだ。父親を殺した相手にいいように利用されているとは」
「スザクを愚弄するな!」
とっさに、ルルーシュはこう叫んでしまう。
「あいつはそんな愚かな存在ではない!」
おろかだったならば、自分を守るなどとは言わないはずだ。いや、それ以前に、自分のことを『好き』になるはずがない。ルルーシュはそう言い返す。
「貴様こそ、どこでそんなことを吹き込まれたんだ?」
そんな妄想を……とルルーシュはあきれたように口にした。
「妄想?」
「妄想だろう」
ルルーシュはきっぱりと言い切る。
「貴様はその場にいたわけではない。自分の目や耳で確認したわけでない以上、真実とは言い切れないのではないだろうが」
誰かの妄想を吹き込まれただけではない、といいきれるのか! と付け加えればゼロは一瞬、言葉に詰まったようだ。
「では、何故彼女がここにいる?」
彼女が《マリアンヌ》そのものであることは、遺伝子検査ではっきりとしている。ゼロはこう反撃をしてくる。
「それに、先ほど貴方は彼女を見て『母上』と言われましたではありませんか」
この一言に、ルルーシュは自分に忌々しさを感じてしまう。無意識とはいえ、相手に現地を与えてしまったなんて……とそう思ってしまったのだ。
「ルルーシュ、お姉様?」
ナナリーが何かの期待をこめて自分に呼びかけてくる。
「兄君ですよ、ナナリー殿下」
小さな笑いとともにゼロが指摘をしてきた。それすらも気に入らない。
同時に、ロイドはまだ来ないのか。そうも考えてしまう。
これ以上、この男と話していれば、ナナリーに聞かせてはいけない話題に触れることになってしまうのではないか。それだけは避けたい。ルルーシュはそう考えていた。
同じ頃、グロースターの中でコーネリアも驚愕を隠せないでいた。
ルルーシュが自分の《異母妹》であった《ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア》と同一人物だ、と確信はしていたが、その存在を隠すために父が何をしていたかまで知らなかったのだ。
『そこにいるのは、間違いなく貴方の兄君。何故《皇女》と偽られたのかどうかはわかりませんが」
間違いなく、それは《ブリタニアの魔女》と呼ばれた、あの后妃のせいだろう。もっとも、彼女の存在自体が既に隠蔽されている。だから、今調べようとしてもそれは不可能だと言っていい。そして、その存在を《ゼロ》が知らない、と言うことは、相手が自分たちよりも若いのだという証拠だろう。いや、もっと正確に言えば、ルルーシュ達と同年と言うことだ。
それ以前であれば、彼女の存在がしっかりと資料に記されている。だが、あの一件の後、父の命令で全ての記録から存在が消された。その日のことを、コーネリアはしっかりと覚えている。
だが、それだけが原因ではないのではないか。
それだけであれば、後からいくらでも理由を付けてルルーシュを《皇子》と認めさせることも可能だったはず。
『……お兄様……』
ルルーシュのすぐ側にいるからだろう。ナナリーの秘やかな声すらもはっきりと耳に届いた。特派で使われているこのヘッドセットは、いずれ自分の部下にも配布しようと、今、考えなくてもいいことを考えてしまうのは、現実をうまく受け止め切れていないからだ。同時に、この場にユーフェミアがいなくてよかったとも思う。
おそらく、ルルーシュはこんな風に自分の存在を知られたくないと考えているに決まっている。それもよくわかっていた。
『それで……貴様の後ろ盾は、EUか、それとも中華連合か?』
京都六家でないことはわかっているからな……とルルーシュはきっぱりと言い切る。その言葉には、自信すら感じられた。だが、何を根拠にそんなことを言うのだろうか。
『何故、そういいきれる』
同じ事を思っていたのだろう。ゼロが問いかけの言葉を口にする。その事実が気に入らない、と感じてしまうのは相手の存在のせいだろう。気に入らない相手の言葉だから気に入らないのだ。
『……俺が生きていること。それが、現状を維持する条件だからだ』
そもそも、この地はブリタニアに征服されるはずではなかったのだ、とルルーシュは付け加える。本来であれば、同盟国という名の属国として、最低限《日本》の名は残るはずだったのだ、とルルーシュは口にした。
ブリタニアから日本の政府を監視する者達は派遣されていただろうが、それでも自治が認められるはずだったのだ、とも彼は付け加える。
『それが……あの日、俺を受け入れてもらう条件だったからな』
父上にしてみれば、最大限の譲歩だったはずだ……という言葉の裏に、ルルーシュの気持ちが滲んでいるように感じられた。同時に、あの父ならばやるだろう、とそうも考える。
『それなのに、あの日、何故かブリタニアの兵が俺を殺しに来た。あぁ、その前に枢木ゲンブがそうしようとしていたな』
その後のセリフを言わせてはいけない。
ルルーシュの声の響きからコーネリアはそう判断をする。
「ロイドは、何をしている……」
何のために、ルルーシュに同行をしたのだ、と歯の隙間からはき出した。
あの子をこれ以上傷つけさせるな、とコーネリアは本気で思う。それなのに、自分もスザクも、今はあの子供の側にいられないのだ。
『お兄様』
ナナリーもそれを感じ取っているのだろう。けなげにも、次の言葉を口にさせないようにと呼びかけている。
しかし、それはルルーシュの決意を翻すことはできなかった。
『そのせいで、スザクは自分の手で父を殺すことになった……』
自分なんか、捨て置けばよかったのに。
ルルーシュの唇からこぼれ落ちてはいない言葉がコーネリアには聞こえたような気がした。そして、それはナナリーにも同様だろう。
後一人。回線越しにこの声を聞いているであろうあの男も、だ。
「そうか……それほどまでに、ルルーシュが大切か。枢木スザク」
かつて、この地が《日本》と呼ばれていた頃に彼が呼ばれていた呼び方で、コーネリアはスザクの名を口にする。
「それだからこそ、あの子もお前をあれほどまでに必要としているのだろうな」
でなければ、認めてやるつもりなどないが……とそうも付け加えた。
「だから、これが終わったら……あの子を慰めてやってくれ」
これは、姉としての想い。しかし、今はそれを表に出すことは許されない。だから、その後の言葉をコーネリアは飲み込んだ。
「もっとも、枢木ゲンブも、誰かに操られていたようだが」
いったい、それは誰だったのか……とルルーシュは乾いた笑いを漏らす。そうする以外に、どのような表情を作ればいいのかわからなかったのだ。
「……お兄様……もう、それ以上は……」
何も言わなくていい、とナナリーが腕の中から訴えてくる。そんな彼女の髪の毛を、ルルーシュは昔そうしていたようにそうっと撫でてやった。
だからといって、言葉を止めるわけにはいかない。
目の前の人間を、後ろから操っているのは誰なのか。それを知らなければいけないのだ。そうでなければ、自分たちの今までの努力は無駄になってしまうだろう。しかし、父の元から、あの少女を奪うことができた存在……となればさらに限られてくるはず。それも、皇族の誰かが関係しているのではないか。
「ランペルージやアッシュフォードが俺たちを見つけ出すまで、俺たちをかくまってくれたのは、京都の手の者だからな」
いくらスザクが武勇に優れていたからとはいえ、あの当時はまだ十歳の子供だったのだ。彼一人でルルーシュを守れるはずがない。あの場に、京都から派遣されてきた者達がいなければ、間違いなく自分たちは死んでいただろう。そして、京都から内密に自分の生存が伝えられなければ、ブリタニアの侵攻はあの程度では収まらなかったはず。おそらく、戦う術を持たない者達も含めて全ての命は失われ、全土が焦土と化していたかもしれない。
しかし、日本は余力を残したままエリア11と名を変え、ブリタニアに逆らわなければかつてとそう変わらない生活を民衆は送ることができる。いずれは……もっと違う形の衛星エリアとして発展を認められるのではないだろうか。
もちろん、それはルルーシュが勝手に思っていることではあったが。
「……だが、それは全て歴史の影の部分として処理されたことだ。それを知っているお前は何者だ!」
ルルーシュはそういってゼロをにらみつける。
「私はゼロ。全てを無にしたものだよ」
名前も何もかも、全て捨てた……とゼロは笑いとともに口にした。
「私に残されているものは、彼女だけだ」
それはブリタニアの罪。ルルーシュが持って生まれた原罪。
「だから、君には罪を償って貰おう」
言葉とともにゼロは少女の体をそうっと手放す。そのまま、ルルーシュとナナリーの元へと歩み寄ってくる。
それから逃れるように、ルルーシュはナナリーを抱きしめたまま、さらに窓の方へと移動していく。いい加減、ロイドが出てきてくれると思ったのだ。
もっとも、この男の背後にいるのがシュナイゼルで、ロイドもまたその一翼を担っているというのであれば、その言葉は翻されるかもしれないが。
「どうやら、君を従わせるにはナナリー殿下に協力をして頂くしかないようだ」
怒りを滲ませた声が耳に届く。
それなのに、自分たちの背後には既に空間がない。
決して使ってはいけないと、国を出るときに誓ったのに。そう思いながら、ルルーシュは左目に力を集める。そして、自分の意志を言葉にこめた。
「ナナリーに触れるな!」
まるで何かに気おされたかのように、ゼロが動きを止める。
その時を待っていたかのように、いきなり壁が崩れ落ちた。
「早く!」
ロイドの声が耳に届く。反射的に、ルルーシュはガウェインへと駆け出していた。
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07.03.16 up
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