目の前の図面を見つめるルルーシュの眉間には、深いしわが刻まれていた。
「……脱出機能がないとは、な」
 確かに、今までの脱出装置ではこの機体に組み込むことはできない。だが、これでは万が一の時にデヴァイサーごと使い捨てにする羽目になってしまうだろう。
 そのデヴァイサーが他の誰かであるならばかまわない。
 しかし、あの男達が選んだのは《スザク》だ。
 これが、コーネリア直属の者達であったならば、何の心配もいらない。そういった策略を使える女性ではないことを、ルルーシュはよく知っているのだ。
「スザクを使い捨てにする気はないだろうが」
 情報が少ない以上、あれこれ考えても答えは見つからない。ならば、もっと前向きなことを考えよう。そう考えて、ルルーシュは目の前の図面に意識を戻す。
「これに組み込めるような脱出システムか」
 スペースがない以上、かなり小型にしなければいけないだろうことは一目瞭然だ。
 しかし、とルルーシュは唇をゆがめる。それは不可能ではない。
「スザクを、失うわけにはいかない、からな」
 彼だけが自分の共犯者。
 そして、彼の声だけが自分を闇の中から呼び戻せるのだ。
 彼を失うことは、自分自身を失うことだといっていいかもしれない。
「今回だけは、貴様の思惑に乗せられてやるよ」
 ルルーシュはこう呟く。だからといって、もう直接彼と話をする気にはなれない。だから、後はスザクに押しつけてしまえばいいだろう。そうも考える。
「あぁ……これを口実に会いに行って、驚かせてやるのも楽しいかもしれないな」
 彼の部屋の鍵は当然自分の手元にもある。だから、押しかけていって、ご希望通り手料理を作っていてやるのもいいか。
「まちがいなく、驚くだろうな」
 その時の彼の表情を思い浮かべるだけで、気分が浮上し始める。
 ついでに、あれこれからかってやれ……とも思うのだ。それはある意味、八つ当たりというものかもしれない。しかし、元はと言えば彼があの男を連れてきたセイなのだから、甘んじて受け止めてもらおうじゃないか。
「あきらめろよ、スザク」
 こう言って、ルルーシュは小さな笑いを漏らす。
 そのためには、まずこれを何とかしなければいけないだろう。そう判断をして、ルルーシュは再び意識を図面へと集中させた。

 いったいどうすればいいのか。
 スザクはとっさに抱き留めた相手の正体に気づいて、凍り付いてしまう。
「ありがとうございました」
 しかし、相手の方はそんなスザクに微笑みかけるとこう言ってきた。
「あ……はい」
 お礼を言われても困る、と思いながらも彼はそうっと彼女の体を下ろす。
「当然のことを、しただけですから」
 ようやくこの言葉を口にした。
「その当然のことをできない方が多いのですわ」
 ふわりと微笑む唇から、辛辣とも言えるセリフが飛び出す。こう言うところが、彼に似ているよな……とスザクは心の中で呟く。
「それに……一応、僕は軍人ですし……」
 戦えない人を守るのも自分の役目だ、と笑い返した。
 本音を言えば、ただ一人を守れればそれでいいのだ。だが、いつも側についているだけでは彼の役には立てない。だから、妥協しているのだとも言える。
「……失礼ですが、貴方は……」
 ブリタニア人ではないだろう、と言いかけて目の前の少女は言葉を飲み込む。
「えぇ。名誉ブリタニア人です。あの後、僕を引き取ってくださった方が、そうした方がいいとおっしゃったので」
 自分のためにも、そして、その人の孫のためにも……とスザクは説明をする。そのくらいであれば既に周知の事実だから口にしても大丈夫だろう。そう判断してのことだ。
「まぁ、そうですの」
「はい。その方達は僕がナンバーズだからと言って差別をされるような人間ではありませんでしたが……他の方々は、色眼鏡で見ますから。名誉ブリタニア人になれば、少しはマシになるだろう、と思ったのです」
 もっとも、別の理由で今は色眼鏡で見られているが……とスザクは思う。ルルーシュは気に入らないらしいが、今の部署に移ってよかったかもしれない。あそこであれば、自分が何者でも取りあえず普通に接してもらえるようだし、とそう感じていた。
「……何か、愚痴ですね、これは」
 彼女の言うべき言葉ではなかったな……と気付いて、スザクは苦笑を浮かべた。
「いえ。お気になさらないでくださいませ」
 むしろ、教えてくださって嬉しかったですわ……と彼女は言い返してくる。
「実際に目にしないとわからないことも多いのですわね」
 そして、こう呟く。
「ところで、今日は?」
 お仕事ですの? と不意に表情を変えると少女は問いかけてくる。
「今日はもう終わりです。これから、自宅に帰ろうか、と」
 それが何か? と聞き返しながら、スザクは嫌な予感を感じていた。同時に、片親だけとはいえ兄妹というのは、ここまで似るものなのだろうか、とそんなことも考えてしまう。
 はっきり言えば、目の前の少女の表情は、ルルーシュが何かよからぬことを考えている時のそれとそっくりなのだ。そして、それを無視した場合、とんでもないしっぺ返しが来ることもよくわかっていた。
「でしたら、ご迷惑をかけてしまったついでに、一つ、お願いがありますの」
 この言葉に、スザクは心の中でため息をつく。
「お聞きするだけは、お聞き致します」
 叶えられるかはわかりませんが……とそう付け加えた。
「ひょっとして、私の正体をご存じなのですか?」
 スザクの態度に、彼女はこう問いかけてくる。
「上司から、先ほど写真を見せられたばかりです」
 本当は彼ではない。
 一番最初に彼女の写真を見せられたのは、まだ、この地が《日本》と呼ばれていた頃だ。そして、その写真を見せてくれたのは、彼女の《異母姉》である。
 最近の写真は、彼女たちがこちらに向かうとわかったときに、ルルーシュがどこからか入手してきた。
 それは、彼女たちの今の姿を確認したい。その気持ちだけではなかったはず。むしろ、あのころのルルーシュに一番近しい存在だったからこそ、逆に注意をしなければいけない。そう考えての行動だったのではないだろうか。スザクはそう考えていた。
「あらあら……そうなのですか」
 そういえば、貴方のお名前を聞いていませんでしたわ……と目の前の少女――ユーフェミアは呟くように口にする。
「教えて頂けまして?」
「……お望みでしたら」
 殿下、とそっと付け加えれば、彼女は微笑みに苦いものを含ませた。
「命令ではなく、お願いなのですけど……今はまだ、正式にその地位を得ているわけではありませんから」
 だからこそ、今でなければいけないのだ。ユーフェミアはそういってスザクを見つめる。
「シンジュクゲットーに案内してください。ここから行ける、一番近いゲットーに」
 自分はこの目で確かめなければいけない、と彼女はきっぱりとした口調で告げた。そして、何をなすべきなのかを確認しなければいけないのだ、とも。
「……ご命令のままに」
 その言葉に、スザクはそっと頭を下げた。

 スザクが疲れた体を引きずって戻ってみれば、何故か部屋の明かりがついていた。
「……泥棒?」
 まさか、とは思う。
 だが、自分が《名誉ブリタニア人》でなおかつ軍に属しているものだ、と言うことを知っているものは多い。ここがランペルージとアッシュフォード、二つの庇護を受けている場所だ、としても――いや、それだからこそ、何か勝ちがあるものが存在しているのではないか。そう考えるものがいたとしてもおかしくはないだろう。
 もちろん、そんなものはない。
 スザク個人としては、何よりも貴重だと思うものもある。しかし、それは他の人間達からすれば意味がないもののはずだ。
 でも、それを壊されるのは困るな。
 そんなことを考えながら、そっとフォルダーから銃を抜き去る。そして、それをかまえながら、ドアへと近づいた。
「誰?」
 そのまま、一息にドアを開ける。
「ようやく帰ってきたようだな」
 反射的に銃口を向けた先には自分の一番大切な宝物がいた。
「……ルル?」
 何でここにいるの? と思わずそう呟いてしまう。
「説明をする前に、銃を下ろせ。相手がお前でも、あまり気持ちがよくない」
 むしろ不快だ、と彼は言い切る。
「ごめん……ひょっとしたら、泥棒かと思ったんだ……」
 何か、変な噂が流れているようで……とスザクは慌てたように口にした。
「変な噂?」
 何なんだ、それは……とルルーシュは問いかけてくる。
「何かね。ここにランペルージの秘密が隠されているとか、精製方法のデーターがあるとかって、ね」
 もちろん、あくまでも噂だ。それでもそれを欲しがっている連中には魅力的なのだろう。しかし、そんなものがあるはずもないし、第一、ここのセキュリティがどれだけ厳しいものなのかは自分がよく知っている。だから、ここに入り込めたものは今まではいない。
 しかし、万が一の可能性があったから……とスザクは口にした。
「ルルが来てくれている、とわかっていたら、警戒なんてしなかったんだけど……」
 でも、今日はどうしたの? と心配そうに彼を見つめる。何かあったのだろうか、とそう思ったのだ。
「……お前の所の上司が『今日はもう帰った』とわざわざ連絡を寄越したからな。この前の約束を果たしてやろう、と思っただけだ」
 本当に、一体どこから……とルルーシュは呟く。その言葉に改めて室内を見回せば、テーブルの上には既に食事の用意ができていた。
「ルル」
 嬉しい、と素直に口にする。そうすれば、ルルーシュはふいっと視線をそらした。
「気が向いただけだ」
 うっすらと染まった頬と、テーブルの上に置かれた手の込んだ料理が、その言葉が真実ではないと教えてくれる。しかし、それを指摘すれば彼が本気ですねてしまうことも知っていた。
「すぐに着替えてくるから!」
 だから待っていて……と付け加えると、寝室へと飛び込む。そして、手早く着替えを始めた。

 二人だけの穏やかな晩餐を終え、食後のお茶へと手を伸ばす。
「あぁ……忘れるところだった」
 ルルーシュはこう言いながら鞄の中から一枚のディスクを取り出す。そして、それをスザクの前に放り投げた。
「何?」
「あいつのおもちゃの改修案だ。できるものならやってみろ、とそういっておけ」
 わざわざ学校にまで足を運んでケンカを売っていったぞ……と付け加えれば、彼は小さなため息をつく。どうやら、そこまでするとは予想していなかったようだ。
「……セシルさんに言っておく……」
 そして、こう付け加える。
「スザク?」
「あの人の補佐をしている女性だけど……どうやら、特務で彼女に頭が上がる人間はいないみたいだから」
 ルルーシュがただの学生でいたいと考えているのだ、とそう説明しておけば、きっとそれなりの対処を取ってくれると思う。そういって、乾いた笑いを漏らした。
「僕が側にいられれば……ルルを守りきれるんだけどね」
「それはしかたがないことだ……前にそう結論を出しただろうが」
 スザクをただの使用人として扱うことができないのだ。そうも付け加える。
「うん。わかっているんだけどね……」
 スザクはこう言って、また小さなため息をついた。その様子から、彼がまだ何かを隠しているように思える。それとも、話すタイミングを見つけられないだけなのだろうか。
「スザク?」
 何かあったのか、と問いかける。隠し立てをしないで正直に話せ、とも。
「……ユーフェミア皇女殿下に、お会いしたよ」
 そうすれば、彼はためらいながらもこう口にした。
「シンジュクを見たい、とおっしゃられて……案内と護衛をしてきたよ」
 ルルの妹だから……と彼は言外に付け加える。
「そうか。それで遅かったのか」
 彼がどうしてそのような行動を取ったのか、ルルーシュにも想像が付く。
 自分にとっての一番で唯一はもう、スザクしかいない。それでも、妹たちを大切だと思う気持ちもコーネリアを尊敬しているという気持ちも捨てたわけではない。ただ、彼女たちの前に姿を現すことができないだけだ。
「スザク」
 いきなり全身を包んだ感情を打ち消したくて、ルルーシュは彼に手を伸ばす。
「後かたづけ、してないけど……」
 そういいながらも、彼はルルーシュの希望通り側に寄ってきてくれる。そのまま、そっと彼の体を抱きしめてきた。
「そんなの……後でやれ」
 それよりも今は……とそう囁く。
「ご希望のままに」
 僕のお姫様。
 幼い頃のようにスザクはそう口にする。そして、そのまま軽々とルルーシュの体を抱き上げた。








07.01.23 up・07.02.06修正