与えられた住居は一目で全てを見回せるような狭いものだった。しかも、元々は住居として作られたものではないらしい。二階に当たる部分には、片づけきれなかった荷物が置かれている。
「それでも、水も使えるし、浴室もある……プライベートが保てるだけ、ましとするべきだろうな」
 もっとも、監視カメラがどこかに設置されている可能性は否定できないが。そんなことを考えながら、ルルーシュは取りあえずそう多くはない荷物を整理しようと動き始める。
 古いが、ものはいいデスクに歩み寄ると、何気なく引き出しを開けた。
 次の瞬間、その中に詰め込まれていたものを見て、思わず目を見開く。しかし、毒はないと判断をすると、そのままデスクからそれを引き抜いた。
「多分、あいつの仕業だな」
 昼間あった、枢木首相の息子だという少年の顔をルルーシュは思い出す。
「最初から嫌われることは予想していたがな」
 日本人にとって《ブリタニア》という国がどのようなイメージを持った国なのか。ルルーシュにもわかっていた。
 そして、自分はその国の中でも中心的な立場の皇族の一人である。
 ここまで条件がそろってしまえば、自分がどのように思われているかなど、簡単に想像ができるというものだ。
「本国から、見捨てられた存在でも、な」
 皇位継承権はともかく、少なくともまだ《皇女》という身分は残っている。だから、日本人は自分が本国でどのような立場に置かれていたかなど気が付かないだろう。
「……まぁ、それが狙いなのだろうが」
 本国にして見れば……とルルーシュは呟く。
 そのまま、虫が詰め込まれた引き出しを持って土蔵の外へと向かった。
「このまま、私がここで子を産めば、その子を使って日本を取り込むつもりだろうし……そうでなければ、攻め込む口実ができる」
 どちらにしても、ブリタニアの不利益にはならない。
 しかし、自分が子供を産めるようになるまで後どれくらいの年月が必要なのか。そもそも、あの父がそこまで気が長いとは思えない。
「問題なのは、日本の政府がこの状況をどこまで正確に認識しているか、だな」
 自分という存在をここに閉じ込めたことで安心していれば、間違いなく足元を救われる。
 いや、それ以前にこの状況をブリタニアに知られたらどうなるか。
 ひょっとしたら、それすらもわかっていないのかもしれない。
 自分がここに置かれていると言うことは、ブリタニアにしてみれば侮蔑と受け止められてもしかたがないことだ。
 もっとも、今の自分には関係がないことだが……とルルーシュは自嘲の笑みを浮かべた。
 自分を守ってくれる存在も守りたい存在も、生きる意義すら全て失ったのに、自分の命を気にかけることはない。あるいは、ここで死ぬことすら父をはじめとした者達が望んでいることではないのか。
「……ともかく、これをどこに移動させるか、かな、今重要なのは」
 自分と違って、これらは生きていくことが存在意義であるはずだ。たとえ、イタズラの道具だったとしても、これらが悪いわけではない。
 そんなことを考えながらドアを開ける。
 周囲を見回せば、母屋と言われている場所と自分が現在いる場所の間にも林が存在していた。
 だが、そこにはここに入れられているような葉の木々は存在してない。
 では、逆の方向か。
 そう判断をして、裏手にある小高い丘――ここ自体が高台にあるから山と言うべきなのかもしれない――へと視線を向けた。
 目を細めて生えている木を確認すれば、似たような葉があるように思える。だから、ルルーシュはためらうことなくそちらに向かおうとした。
「お前、何をしているんだ?」
 その時、いきなりこんな声が投げつけられる。
 その声の主が、このいえの息子だと言うことは確認しなくてもわかっていた。一度あった相手の顔と名前、それに声を忘れるようでは皇族として失格なのだ。
「これらが引き出しの中にいたので。あの中で成長できるはずがないし、私には育てられそうにないから、本来の生息場所に返してやろうと思っただけです」
 その瞬間、彼の顔に驚きと失望、そしてどこか興味深いといったものが複雑に絡み合った表情が浮かぶ。
 やはり、これらは彼が用意していたものか。
 ルルーシュはその表情からそう判断をする。
「かわいそうだろう。これからさなぎになって成虫にならなければいけないのに、こんな所に閉じ込められていては」
 それでも、それを非難することはもちろん、指摘もしない。代わりにこう口にした。
「……でも、ただの虫だろう?」
 ほっといてもいいじゃないか、と彼は言い返してくる。
「ただの虫でも、生きているでしょう。命を無駄にすることはないでしょう」
 確かに、全てが全て成虫になれるわけではない。他の生き物に食べられたり、力尽きたりするものがいることはわかっていた。
 それでも、そういったもの達がいるからこそ、自然は成り立っているのではないか。
 ルルーシュは自分が知っている日本語の語彙を駆使しながら、何とかそういいきる。
「……変な奴……」
 黙って聞いていたはずのスザクがこう言い返してきた。
「なら、構わないでください」
 あの山までは枢木の所有地であったはず。敷地内から出るなと言われているが、所有地内ならば構わないだろう。そう判断をして、ルルーシュはスザクを無視して歩き出す。
「お前!」
 そんな彼女をスザクは強引に引き留めようとする。
「敷地内であれば、自由に行動して構わないのではなかったのですか?」
 反射的に、ルルーシュは彼をにらみつけた。
「じゃ、ない!」
 だが、スザクの反応は予想していたものとは違う。
「なら、何なのですか?」
 さっさと言え! と心の中で呟く。
 こうしている間にも、これらは弱っていくかもしれない。だから、少しでも早く本来の場所に返してやりたいのに。
「その恰好で行くつもりか?」
 ルルーシュの気持ちに気付いているのかいないのか。スザクはさらにこんなセリフを投げつけてくる。
「構わないのでしょう。汚れたら、洗えばいいだけです」
 別にスザク達に迷惑をかけるつもりはない。ここにも水場はあるし、と言い返す。
「そういう事じゃない!」
 その靴では無理だと言っていっているんだ! とスザクは続ける。
「……だったら、どうしろ、というのですか!」
 貴方が行ってくれるとでも言うのか、とルルーシュは問いかけた。
「そうしてやるよ。ここは、俺の方が詳しい」
 スザクはこう言うと同時に、ルルーシュの手から引き出しを奪い取る。そして、そのままかけだしていった。
「……何なんだ、あいつは」
 その後ろ姿を見送りながら、ルルーシュはこう呟いてしまう。
「自分から先にしかけてきたんだろうが」
 それなのにどうして……と考えても答えは見つからない。だから、ルルーシュはただ静かに彼が去った方向を見つめていた。

 ルルーシュがスザクのことを『変な奴』と呟いていたように、彼もまた彼女のことを同じように認識していた。
「こんな虫のことなんか、どうでもいいじゃないか」
 虫なんてたくさんいるんだから、とスザクは思う。
 それなのに、ルルーシュの言葉を聞いているうちに何故か罪悪感を感じてしまった。それはどうしてなのか。
「……ひょっとして、ルルーシュの声にそんな作用があるのか?」
 口に出してからそんなはずがないよな、と苦笑を浮かべる。では、どうしてなのか……と考えたときに真っ先に思い出されたのは彼女の紫紺の瞳だった。
「ひょっとしたら、あいつの表情のせいか?」
 ものすごく悲しそうな表情をしていた、と小さな声で呟く。虫には何の反応も見せなかったのに、生き物の命についてはどうしてあんな風に真剣になるのだろうか。
「ブリキ野郎は、他人の命なんてどうでもいいと思っているって……」
 そう聞いていた。
 あるいは、ルルーシュが《女の子》だからだろうか。
「……でも《ブリタニアの魔女》って呼ばれているのも女だよな」
 皇女と言うことは、ルルーシュの姉なのだろう。
 ならば、性格の違いなのか。それとも、ルルーシュがまだ子供と言っていい年齢からなのか。
「どっちが正しいんだろうな」
 いくら考えても答えなんて出るはずがない。だったら、意識を切り替えた方がマシではないか。
「しかし、虫はダメだったか」
 嫌がらせにもならなかった、とそう呟く。
「となると、蛙かなぁ。それとも、蛇か」
 でも、どちらも同じ結果に終わるような気がするのは錯覚ではないだろう。
 しかし、普通の女の子なら、絶対にいやがる生き物でも平気だなんて、やっぱりルルーシュは変わっている。
「怪談、なら怖がるかな」
 でも、ルルーシュがどこまで日本語がわかるかどうかわからない。だから、怖さがわからない可能性があるな、とそんなことも思う。
 その間にも、目的の場所までたどり着いてしまった。
 適当に引き出しをひっくり返して中身を捨てる。
「時間はあるんだから、後で色々と試してみればいいだけだよな」
 そのくらいのことであれば、ルルーシュは父はもちろん、他のものにも何も言わないのではないか。そんな確信がスザクにはあった。
 でも、それはどうしてなのだろうか。
 言葉の問題だけではなく何か他の理由があるような気がしてならない。
 それを知りたいと思ってしまうのはどうしてなのか。別に仲良くなりたいわけではないのだ。
 自分に言い聞かせるように心の中で呟く。
 ただ、敵を知らなければ的確な攻撃を加えることができない。人間にしてもそれは同じ事だろう。そう心の中で呟いてみるものの、これもただのいいわけでしかないと自分でもわかっていた。
 では、どうしてなのか。
 何か、ものすごく恐い結論が出てきそうなので速攻で考えるのをやめた。
「父さんに『後を頼んだ』って言われたからだよな、きっと」
 でなければ、誰がブリキ野郎のことなんか……とわざとらしい口調ではき出す。それでも、どうしても自分で納得できない。
 それでも、責任だけは果たさないといけないだろう。ルルーシュが自分たちのことをどう思っていようと勝手だが、だからといって日本人が無責任だと思われるのは許せない。
「……ともかく、引き出しがないと困るか」
 壊されたと言われるのもしゃくだから、とスザクは自分に向けて告げる。
 そのまま、彼は今通ってきた道――ただの獣道だが――を戻っていった。




INDEXNEXT




07.12.07 up