それから、スザクは時間を見つけてルルーシュと話をするために彼女の元へ足を運ぶようになった。
 暇をもてあましているらしい彼女に将棋を教えても見た。もっとも、実力の方はと言えば、スザクは普通の子供達の中では強い方だといえる。しかし、ルルーシュがすぐに追い越してしまったのはしかたがないことなのか。
「……ちぇっ」
 また負けた、とスザクはふてくされる。
「チェスに似ているから……ブリタニアでも私に確実に勝てるのはシュナイゼル兄上だけだったし……」
 コーネリア姉上とは互角で、クロヴィス兄さんやジェレミアには一度も負けたことはない。少しだけ自慢する口調になりながら、ルルーシュはこういった。
「……そういえば、ルルーシュがきょうだいのことを教えてくれたのは初めてだな」
 何気なくスザクはこう言い返す。
「そう、だったか?」
 どうやらルルーシュの方は無意識のことだったらしい。スザクの指摘に首をかしげている。
「そうだって。まぁ、俺も聞かなかったけどな」
 ルルーシュの母と妹が死んだばかりだと聞いたから……とはあえて口にしない。
 そんな風に気遣われていると知れば、彼女はきっと反発を覚えるのではないか。はっきり言って、ルルーシュのプライドの高さは自分が考えていた以上なのだ。
 それでも不思議とそれだからと言って彼女を嫌いにはなれない。
 将棋を教えたりなんかしてわかったことだが、彼女は自分が傷つくことを怖がっている。少しでもそのリスクを減らすためにプライドの高さを見せつけて相手を拒んでいるのではないだろうか。
 逆に言えば、そういう状況に置かれていたのかもしれない。
 もっとも、これらは全てスザクが推測したことではない。最近、何故か回数が増えた武道訓練のおりに、彼から話を聞いた藤堂が推測してくれたことだ。自分で気付くことができないと言うことにもどかしさは感じるが、それでもルルーシュに警戒心を抱かれるよりはましだろうと自分を納得させている。
「そういえば……私もスザクのご家族についての話を聞いたことがなかったか……」
 父君については、取りあえずブリタニアであれこれ調べてきたが……と彼女は付け加えた。
 それはきっと、ゲンブがルルーシュの婚約者になると誰もが考えていたからだろう。しかし、それを改めて目の前に突きつけられると、やっぱり面白くない。
「うちは見ての通りだ。母さんは俺が三歳の時に死んでいるし……父さんはあんなのだよ」
 だから、こちらに戻ってきたのは小学校に上がったときだ……とスザクはさらりと口にする。
「それまでは、京都の親戚の家にいた」
 それが《皇》という名の、日本では一番高貴な家系だとは口にしなくてもルルーシュは知っているかもしれない。
「そうか……私よりも幼い頃に母君を亡くしたのか……」
 しかし、ルルーシュが口にしたのはこんなセリフだった。
「元々体が弱い人だったからな。俺も、母さんが横になっているところしか覚えてない」
 それでも、髪を撫でてくれる指は優しかったし優しい言葉もたくさん貰った。体調がよかったときには、散歩と称して庭をそぞろ歩いたこともおぼろげだが記憶している。
 何よりも、母が死んだのはまだ《死》と言うものがよくわからない年齢だった。だから、それほど悲しくなかったように思う。
「それに、父さんにしてみれば母さんがいなかった方が都合がよかったのかもな」
 自分の結婚を政治的な道具に使えたから……と心の中だけで付け加える。
 口に出さなくてもルルーシュにはそれがわかったのだろうか。彼女はどこかおそるおそるとした仕草で触れてくる。
「すまなかったな。私みたいなのが来て」
 そして、こんなセリフを口にした。
「そうか? 俺は楽しいけどな」
 将棋も付き合ってくれるし、虫を見てもさわがないし……もう少し体力があれば裏山まで付き合わせたいところだ、とスザクは笑う。
「でも、まぁ……確かに、父さんの婚約者にしては若すぎると思ったけどさ」
 俺よりも年下なんだもんな……とそう付け加えれば、ルルーシュは少しだけ頬をふくらませる。
「半年と離れてないだろうが」
「そうなんだけどな」
 だからこそ、どうしてルルーシュなのかと思っただけ……とスザクは言い返す。
「しかたがないだろう。一番上の姉上は、既にご自分の騎士だった男性と結婚されていたし、コーネリア姉上は日本側から拒まれた、と聞いている」
 そうなると、順番から行けば自分ではないか……とルルーシュは口にした。
「そうなのか?」
「第三皇女は私だぞ。もっとも、認められていないものはいるかもしれないが」
 そういう存在は日本側が断るだろう? と彼女は問いかけてくる。
「そうだろうな」
 父をはじめとした者達が欲しかったのは《ブリタニアの皇女》だ。ブリタニア皇帝の血をひいているだけの存在ではない。
 ブリタニアの皇族でなければ意味がなかったのだ。
 そして、できれば政治的には口を出さない相手がいい。
 それにふさわしいのは《皇女》の身分を持っている存在、それも、ブリタニアではまだ政治的には無力な相手でなければ意味がなかったのだ。
 しかし、ルルーシュを見ていると本当に無能なのかどうかがわからなくなってくる。
 どう考えても、現在、父の側にいる政治家達よりは世界が見えているような気がするのだ。もし、ルルーシュが父に釣り合うような年齢だったなら、きっと、日本はブリタニアに乗っ取られていたかもしれない。
 なら、ルルーシュが今の年齢だったことを感謝した方がいいのだろうか。
 そんなスザクの内心に気付いているのかどうか。彼女はさらに言葉を重ねた。
「ブリタニアは、一応、男女同権だ。強ければそれでいい。しかし、そう考えない后妃達も多いと言うことだ」
 第一子は男がいいと思っているらしい、とルルーシュは冷笑と共にはき出す。
「そうではないことをコーネリア姉上が証明していらっしゃるのにな」
 彼女ほど強い女性を、母以外に知らない……と表情を和らげながら口にした。
「政治的な面で言えば、シュナイゼル兄上が一番だろうな。芸術面ではクロヴィス兄さん以上に才能を持っていらっしゃる方を知らない」
 もっとも、自分が親しくしていたきょうだいは、他にコーネリアの妹であるユーフェミアぐらいだ、とルルーシュは付け加えた。
「……チェスで一番強いのが……」
 頭がこんがらがってきた、と呟きながらスザクは情報を整理しようとした。しかし、どうしてもうまくできない。それに助け船を出してくれるかのようにルルーシュが口を開いた。
「シュナイゼル兄上だ。一度も勝てたことはない」
 コーネリアであれば三回に一度ぐらい勝てたし、クロヴィスには負けたことがない。ユーフェミアとナナリーには自分が教える立場だった……と彼女は微かな笑みと共に口にする。
 あの日からよく、こんな風に彼女が微笑んでいる光景を目にしてきた。しかし、それは指摘すればすぐに消えてしまう。本当に淡雪のようなそれが、スザクは気に入っている。  でも、満面の笑みはもっと好きになるのではないか。
 そうは思うが、どうすればそれが見られるのか、未だにわからない。
 こうして一緒の時間を過ごしてくれるようにはなったが、未だにルルーシュが警戒心を捨てていないことは気付いていたのだ。
「……俺にも覚えられるかな」
 将棋で勝てないのは悔しいが、最初から知らないゲームであれば勝てなくても気にならないだろうし、とスザクは口にする。
「将棋とよく似ているからな。もっとも、取った駒は自分で使えないが……」
 そう考えると、将棋の方が戦略面ではいいのだろうか……とルルーシュは呟く。
「まぁ、どちらにしても、今、私の手元にはチェスのセットはないし、お前だってそう簡単に手に入れられないのではないか?」
 むしろ《枢木》だからこそ入手がむずかしいのではないか、とルルーシュは口にする。
「そんなことはないと思うけど……」
 でも、自分ではどこに売っているのかわからない。そうなれば、誰かに頼まなければいけないのだろうが、確かに自分が使うようなものではないから誰のためのものかはばれてしまうだろう。
 食事に関しては嫌がらせはなくなったが、それ以外の点での嫌がらせは未だに続いているようだ。
 いや、自分が見ていないところでは余計に酷くなっているのかもしれない。
「ごめん、ルルーシュ……」
「何故、お前が謝ることがある? 別に、お前が悪いわけではないだろう?」
 人の心はすぐに変えることはできない。それはしかたがないことだ、とルルーシュは口にする。
「でも、ルルーシュはチェスの方が好きだろう?」
「……と言うよりも、なれているだけだ」
 スザクが将棋が好きなように、だ……とルルーシュは視線を向けてくる。
「もっと色々な人間と対戦してみたい、とは思うが……」
 それも無理だと言うことはわかっているから、と彼女は付け加えた。
「だから、スザクが付き合ってくれればいい」
 ルルーシュにしてみれば何気ない一言だったのだろう。しかし、それが自分にとってどれだけ嬉しい言葉なのか彼女は気付いているだろうか。きっと気付いていないんだろうな、とスザクは小さなため息を吐く。
「……取りあえず、俺より強そうな人で、ルルーシュのことをいじめない人を探しておくよ」
 それまでは自分で我慢してくれ……とスザクは口にする。
「……気長に待っているよ」
 この言葉の裏に『期待しないで』という言葉が隠されているような気がするのは自分の錯覚だろうか。
 どうして、ルルーシュは最初から全てを諦めているのか。もう少し手を伸ばしてくれればいいのに。そう思うスザクだった。

 スザクの手は悪くはない。ただ、真っ直ぐな性格のまま指してくるから自分には彼の作戦が読みやすいだけだ。
 しかし、彼はどうしてこのような立場にもかかわらずに、これほど真っ直ぐに育つことができたのだろうか。時々、そんなことを考えてしまう。
「……馬鹿な……」
 そのたびにルルーシュは慌ててこう呟く。
「私は別に、スザクのことを気にしているわけではない……」
 彼と付き合っているのは、好意とかそういったものとは関係ない。確かに、好意は持っていた方がいいのかもしれないが、それでも、半分は義務だと思う。彼にしてみれば、間違いなく自分は彼の生活の中に無理矢理食い込んできた邪魔者でしかないはずなのだ。
 それでも、と小さく主張する声がある。
 彼の方も自分を気にしているだろう。だから、それは自分の考えすぎではないか。その声はそう告げている。
「あいつは……たんに、私という存在が珍しいだけだ……」
 だから、気になっているだけだろう。でなければ、自分に興味を抱くはずがないのだ、と自分自身に言い聞かせるように呟く。
「あいつの訪問を待っているのも……あいつ以外に、私を見てくれる存在がここにはいないからだ」
 だから、彼の存在が気になるだけに決まっている。そう結論づける。
「ブリタニアにいた頃だって、同じだったはずなのに……」
 こう呟いた瞬間、ルルーシュはその考えを否定した。
 少なくとも、ブリタニアにいた頃は母と妹が側にいてくれた。それに、自分を見てくれるきょうだいたちも、数は少ないが存在していただろう。
 だから、と呟きながら、彼女は首にかけられたロケットをそっと握りしめる。
「いつ、私の存在を彼らが不要だ、と判断するかわからないのに……」
 今は、まだ、日本はブリタニアとの関係を悪化させることは望んでいない。しかし、これからもそうだとは限らないのだ。その時、自分がどうなるかはわかっている。そして、覚悟もできているつもりだ。
 しかし、そのせいでスザクが悲しむのはいやだと思う。
「あいつが、いい奴すぎるからだろうな、そう思うのも」
 自分の側に、そういう他人はいなかったから……と口にしながら、ルルーシュはロケットの蓋を開く。そこには母と妹と自分が、まだ幸せだった頃の笑みを浮かべてこちらを見つめている。
「……そうですよね、母上……」
 自分によく似た容姿の母に思わず問いかけてしまう。もちろん、答えは返ってこないことはわかっていた。
「私は……」
 それでも問いかけずにはいられない。
 自分は強くあらなければいけないのに、とそうも付け加える。
「……どうして、答えを見つけられないのだろう……」
 いくら考えても答えは出てこない。その事実がとてももどかしいと思う。
「答えが出てこないのは、きっと、まだ答えを出せるほど情報が集まってないからだろうな」
 悔し紛れにこう呟いた言葉にルルーシュは自分で納得をしてしまった。

「今日はちょっと付き合え!」
 顔を出したと思えば、すぐにスザクはこんなセリフを口にする。
「スザク?」
 どうかしたのか、とルルーシュは彼に問いかけた。
「いいから。付いてくればわかるって」
 にやりと笑いながらスザクはルルーシュの手を引っ張る。それに渋々ながらルルーシュは立ち上がった。
 おそらく屋敷内のどこかなのだろう。そう思っていたのに、スザクは構わずに門の方へと向かっていく。
「スザク?」
 今までは、門の外に出ようとすると誰かに止められていた。それはきっと、自分が外に出ることを日本政府がよしと思っていないからだろう。その理由はいくつでも思いつく。
 自分は、あくまでも《婚約者》という名前の人質なのだからしかたがないことだ、とルルーシュは納得していた。
 それなのに、と思う。
「大丈夫だ。遠くに行くわけじゃない」
 それに、家の中だけに閉じ込められていると息が詰まるのではないか……とスザクは笑う。彼やナナリーのように活発な人間ならばそうも考えるのではないか。しかし、自分はどちらかというと部屋で静かに本を読んでいる方が好きなんだが……と心の中で呟く。
 しかし、その間にもスザクはルルーシュを引っ張って階段を下りていった。そして、ある建物の前までたどり着く。
「……ここ、は?」
 ここ最近、ろくに散歩もしていなかったせいだろうか。完全に息が上がっている。その事実に、ルルーシュは微かに眉を寄せた。
「やっぱ、運動不足だよな、ルルーシュは」
 もう少し運動をしないとダメだろう……とスザクが言ってくる。
「悪かったな」
「っていうか……そのことを忘れていた俺のミスかもな」
 ルルーシュのことを頼まれているのに、とスザクは顔をしかめた。
「スザク?」
「まぁ、それについては後で考えればいいか」
 言葉とともに、スザクは扉のまえですっと背筋を伸ばす。
「藤堂先生、スザクです。ルルーシュを連れてきました」
 そして、中に向かってこう呼びかけた。
「入りなさい」
 落ち着いた声が、それにこう返してくる。その声に聞き覚えがあるような気がするのはルルーシュの錯覚だろうか。
 そう考えているも、スザクは静かに扉を開く。その仕草は、ルルーシュが今まで見ていたものとは違って落ち着いたものだ。
「ルルーシュ」
 しかし、振り向いた彼の表情はいつもの彼のものである。
「藤堂先生はお忙しいんだ。でも、俺が知っている人の中で、一番将棋が強いからさ」
 先生に相手をして貰った方がルルーシュも楽しめるだろうから……と彼は笑う。その言葉に、一瞬、どのような反応をすればいいのかルルーシュはわからなくなる。
「……あ、りがとう……」
 ようやく、この一言だけを彼女は口にした。




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07.12.21 up