少しだけ、二人の距離が縮まったような気がする。
 いや、そう思っているのは自分だけなのだろうか。そう思いながらも、ルルーシュはスザクと空間を共有していた。
「……ちっ」
 今までノートを見つめていたスザクが小さな舌打ちをする。
「どうかしたのか?」
 そこの声にルルーシュは読んでいた本から顔を上げた。
「悪い。宿題の問題がどうしても解けなかっただけだ」
 なんで、こんな面倒なことをしなければいけないんだ……とスザクは本気で忌々しそうに呟いている。
「四則計算ができれば十分だろ」
 さらにこんな言葉までも付け加えていた。
「……日常生活ではな」
 だが、とルルーシュは静かに立ち上がる。そのまま流れるような仕草でスザクの元へと歩み寄っていく。
「それは計算だけを見る問題ではないのではないか? 文章を読み、そこから自分で計算式を導き出していける力を付けるものだろう」
 それはそれで日常生活に必要なものではないのか? と問いかける。
「そうかもしれないけど……」
 だからといって……とスザクはまだ何かぼやき続けていた。そんなところも彼らしいと言っていいのだろうか、とルルーシュは少し悩む。
「落ち着けばちゃんとわかるはずだぞ」
 それでも、隣に腰を下ろしながらこう言ってやる。
「スザクはできないのではなくやらないだけだ」
 面倒くさくなると、放り出そうとするのがいけない。そうも付け加えた。
「……そんなこと言われたのは初めてだ」
 ルルーシュの言葉を聞いた後、スザクはこう言ってくる。
「スザク?」
「学校の先生も、さ。そんなこと、言わないぞ」
 自分だから、できなくてもしかたがないのか。そんな風にため息を吐いていることはあるが……と彼は平然と言い返してくる。その言葉にルルーシュは小さなため息を吐いた。
「しかたがないだろ。俺は体を動かす方が好きなんだから」
 それをどう受け止めたのか。スザクは唇をとがらせるとこう言ってくる。
「別に、スザクをあきれたわけではない。教師の怠慢が気に入らなかっただけだ」
 とける楽しみさえ覚えれば、数学はきちんと割り切れるから楽しい。もちろん、他の教科もそれぞれ楽しみ方はあるが、スザクの性格であれば、数学が一番楽しめるのではないか。
「付き合ってやるから、頑張れ」
 ともかく、スザクがやる気を見せなければ意味はない。そう思って、こうも告げる。
「……ルルーシュが付き合ってくれるなら……」
 その代わり、と彼は言葉を重ねてきた。
「これが終わったら、ルルーシュが俺に付き合えよ?」
「わかったから……早く手を付けないと付き合う時間がなくなると思うが?」
 それでいいのか? と付け加えれば、スザクは慌てたように視線を問題集へと戻す。ルルーシュもまた、同じように視線を向けた。
「まずは、わかっていることを整理するんだ。そうすれば、四則計算のうち、どれとどれを使えば答えが導き出せるのか、見つけられると思うぞ」
 たとえば、と指先で問題文のある箇所を指し示す。
「まずは、数字とその意味だな」
「……この問題だと……あぁ、そうか。距離と一定距離での加算料金がわかっているから……」
 どうやら、それだけで解き方がわかってきたようだ。後は、計算間違いをしなければこれに関しては大丈夫だろう。
 そう思いながらもルルーシュもまた頭の中で計算を始める。
 こんな風に誰かと一緒に勉強するのは楽しいな。心の中でそう呟いていた。

 ルルーシュの教え方がよかったのか。それとも、スザクが頑張ったからか。
 彼の宿題はそれから一時間もしないうちに終わった。
「……丁度いい時間かな?」
 視線をさりげなく置かれた時計――これはスザクがここに来るようになってからいつの間にかそこにあったものだ――を見つめながら彼がこう呟く。
「スザク?」
 どうかしたのか? とそんな彼に向けてルルーシュは問いかける。
「いいから」
 行くぞ、とスザクは立ち上がった。そのままルルーシュに向けて手を差し伸べてくる。
「だから、どこに?」
 説明して欲しい、とルルーシュは言外に問いかけた。
「いいところだって。大丈夫。俺がルルーシュを危険にさらすわけないだろう?」
 信じろよ、と言われたらこれ以上何も言えない。実際、あの日からスザクは妙にルルーシュの安全を気にかけているようなのだ。
「……わかった……」
 これ以上問いかけても何も教えてくれないだろう。それは彼の表情からも推測できた。同時に、何かを期待しているようでもある。だから、今は彼を信じてみようとルルーシュは思う。
「ほら、早く」
 言葉とともにスザクはルルーシュの手を掴む。そのまま、彼女の体を引き起こした。
「あまり遅くなると、待たせちゃうだろ」
 誰を、とルルーシュは問いかけたい。しかし、スザクの意識は既にそこから離れている。
「……だから、きちんと説明してくれ……」
 言葉にしてくれなければ、何をどうしたいのかわからないだろう。自分には、まだ、他人の気持ちを推測するなんて言うことはむずかしいのだ。いや、向けられているのが悪意であれば理解できるが、それ以外の感情はわからないという方が正しいのかもしれない。
 こんな風に、純粋な好意を向けてくれる相手がまた自分の前に現れると考えてもいなかったのだ。
 ブリタニアで安心して過ごせていたのはアリエス離宮だけ。
 しかし、それと同じように安心して過ごせる場所が与えられるとは思っても見なかった。
 そんなことを考えながらも、ルルーシュはスザクに連れられるがまま歩いていく。
「……道場に行くのか?」
 いつも通っている光景に確認の言葉を口にする。
「取りあえずは、そうだな」
 ともかく、お楽しみだって……とスザクは意味ありげな口調で言い返してきた。
 いったい何を考えているのか。ルルーシュはそう思う。同時に、勝手な行動を取ってスザクが誰かから怒られなければいいのだが、とも考える。
「ちゃんとあれこれ許可貰ってあるって」
 ルルーシュがあれこれ考えているのがわかったのだろうか。スザクがこう言って笑う。
「父さんが『ダメ』っていってこないから、大丈夫だ」
 さらに付け加えられた言葉に、ルルーシュは一瞬頭を抱えたくなる。そういう問題ではないだろう、と判断したのだ。
 しかし、本当にまずい状況になれば誰かが止めに来るだろう。自分という《駒》はともかく、枢木の跡継ぎを失えるはずがないのではないか。
 今のところ邪魔が入っていないと言うことは、大丈夫なのだろう。
 自分に言い聞かせるようにルルーシュは心の中で呟く。
 それと同時に、目の前に見慣れた建物が現れた。
「……藤堂が来ているのか?」
 だとするなら、いつものように将棋でも指しに来たのだろうか。しかし、それならばそうだとスザクが言うような気もするし、とルルーシュは首をかしげる。
「スザクです。ルルーシュを連れてきました」
 しかし、それなりにしきたりについてはあれこれ気を付けていたが、最近はこんな風に声をかけてから入ることはなかったはず。
 と言うことは、ここにいるのは藤堂ではないと言うことなのだろうか。
「入りなさい。準備はできている」
 しかし、中から響いてきたのは藤堂の声だ。
「失礼します」
 訳がわからない、と思いながらもルルーシュも道場の中へと足を踏み入れる。
「藤堂先生すみません。お手数をおかけしたんじゃないですか?」
 ルルーシュの手を握りながらスザクが壁際に端座をしていた藤堂に向かってこう問いかけた。
「別に、俺があれこれしたわけではないからな」
 本人は楽しんでいたようだが、と彼は微かに微笑む。
「そうなんですか?」
「朝比奈が、その後に墓穴を掘ったようだがな」
 楽しげに交わされる会話の中にも、ルルーシュが欲しがっている答えはない。
「……スザク……」
 本来であれば、他人の会話に割り込むのは不作法だとわかっていた。それでもこのまま自分を無視して物事を進められるのがいやなのだ。
「そういえば、先生。千葉さんは?」
 ルルーシュの言葉で何かを思い出したらしい。スザクが問いかけの言葉を口にした。
「私ならここだよ」
 聞き覚えのない声が不意に更衣室の方から響いてくる。
「いくら婚約者でも、まだ結婚もしていない男性の前で肌をさらすのは姫がおつらいだろう?」
 だから、こちらで準備をしていたのだ。そういいながらショートカットの女性が姿を表す。その言動から、彼女も軍人なのだろうか、とルルーシュは思う。
「私の部下の千葉ですよ、姫」
 信頼して頂いて構わない、と藤堂が微笑む。
「千葉 凪沙と申します」
 その言葉を受けて、彼女はルルーシュに向けて頭を下げた。
「ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア、です」
 彼女の態度や身に纏っている空気が少しコーネリアに似ている。そう思いながらもルルーシュは自己紹介の言葉を口にした。
「姫。早速で申し訳ありませんが、お付き合い頂けますか?」
 こちらに、という彼女に、ルルーシュはどうしようかと悩む。そのままスザクと視線を向けた。
「大丈夫だよ」
 その間に、自分も準備しておくから……とスザクは笑う。彼がそういうのであれば大丈夫だろうか。こう考えながら、ルルーシュは素直に千葉の方へと歩み寄っていく。
「では、スザク君。姫を少しお借りするよ」
 そのまま彼女に導かれて更衣室へと足を踏み入れれば、そこには衣桁にかけられた着物があった。
「……着物?」
「浴衣、ですよ。既製品で申し訳ありませんが、多分姫にはお似合いだと」
 今回は急な話だったので、仕立てが間に合わないだろうと判断したのだ。彼女はそういいながらそれを手にする。
「私?」
「えぇ。スザク君の見立てですよ」
 そういうわけですので、一度服を脱いで頂けますか? そう告げる彼女の声音は柔らかい。
「……私には、似合わないと思うが」
 日本人であればともかく、ブリタニア人である自分に和服は……とルルーシュは思う。
「似合いますよ、姫は」
 断言しますから、一度着て見せてください。その言葉に、ルルーシュは気おされるようにボタンを外し始めた。

 着替えて道場の方へと戻ってみれば、同じように着替えたらしいスザクと藤堂がいる。もちろん、千葉もきちんと浴衣を身に纏っていた。
「……スザク……」
「お祭りがあるんだ。藤堂先生と千葉さんが護衛に付いてくれるから、と言うことで許可を取った」
 だから、一緒に行こう……と彼は笑う。
「そういうことなら、最初に言っておけ」
 それだけで安心できたのに……とルルーシュはため息を吐く。
「いいじゃないか」
「許可が出なかった可能性を考えて内緒にさせて貰っていたのですよ、姫。ですから、スザク君だけ責めないでやってくれ」
 他にも、浴衣の準備ができるのかどうかもわからなかったし……と藤堂にまで言われたらそれ以上文句も言えなくなる。
「……わかっていますが……」
 それでも、少しぐらいヒントをくれてもよかっただろう。そうすれば、もっと早く宿題に付き合ってやったのに。それとも、あのタイミングも計画されたものだったのだろうか。ルルーシュは悩む。
「でも、さ。こうしていると、親子に見えるのかな、俺たち」
 雰囲気を変えようとしたのか。スザクがいきなりこんなセリフを口にした。
「スザク。それでは、千葉さんに申し訳ないだろうが」
 そういうのであれば「お姉さん」だろう、とルルーシュは言い返す。母というには彼女は若いのではないか、とも。
「気にしなくていいですよ、姫。そういうことなら、そのつもりで行きましょうか」
 しかし、千葉はどこか嬉しそうだ。ひょっとしたら、そういうことなのだろうか。ルルーシュは微かに首をかしげながら考える。
「そうした方が良さそうだ」
 その方が楽しめるだろう、と藤堂にまで言われてしまえば納得するしかない。
「わかりました」
 でも、自分だけが異質な存在だ、と言うことはわかっている。そのせいで彼らに迷惑がかからなければいい。
 こんなことを考えながら、ルルーシュは歩き出した。
 しかし、それが杞憂だと言うことはすぐにわかる。
 周囲が暗いせいか、ルルーシュの肌の色も瞳の色も、そう目立たないですんだのだ。あるいは、マリアンヌ譲りのこの黒髪のおかげだったのか。
「……花火……」
 ひょっとしたら、現在天空に花開いているそれのおかげだったのかもしれない。
「綺麗だろ」
 スザクが自慢げに口にする。
 確かに、ブリタニアにはここまで千差万別の形をした花火はない。クロヴィスがこれを見たら間違いなく絵にするだろう。
「……あぁ……」
 ナナリーにも見せてやりたかった……と無意識のうちに唇からこぼれ落ちてしまう。
「ルルーシュ?」
「なんでもない」
 スザクの問いかけに、ルルーシュは即座に笑みを作る。
「それよりも、凄いな。どうしたら、あんな風に色々な色が表現できるんだろう」
 それ以前に、どうやって作るのか。その工程を見てみたいな、とルルーシュは話題をそらす。それにスザクは一瞬だけ眉根を寄せる。しかし、すぐに打ち上げられた花火にスザクの意識は引き戻されたようだ。
 その事実にルルーシュは少しだけ安堵をする。
 自分もまたそのまま意識をそちらに戻そうとした。
 しかし、それを邪魔するものがある。
 突き刺すような視線。反射的にそちらの方を確認するが、人が多すぎて誰のものかがわからない。
「大丈夫ですわ、姫」
 自分たちがいるから、と囁いてきたところから判断をして、千葉も何かを感じ取っていたのだろうか。
「あぁ。信頼している」
 小さく頷き返すと、ルルーシュは視線を花火へと戻した。




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08.01.18 up