それからもスザクは時々ルルーシュを連れ出した。
次第に彼女から警戒の色が薄れていく。あるいは、いつも付いてきてくれる藤堂達を信頼してくれてのことかもしれないが。それでも、やはりその小さな体から力が抜けていく様子を見ていると安心できる。
「ルルーシュ」
そろそろ、聞いても大丈夫かな。そう思いながら、スザクはそっと問いかける。
「何だ?」
読んでいた本から顔を上げると、ルルーシュはこう聞き返してきた。
「……俺が聞いていいのかわからないんだけど……」
自分がどれだけ他人の気持ちを読めないのかわかっているから、とスザクは取りあえず前置きをしておく。
「ルルーシュのお母さんって、どんな人だったんだ?」
藤堂から話を聞いたから、とスザクはさりげなく付け加えた。
「母上は……」
少しだけルルーシュが遠い瞳をする。
「優しくて強くて、美しい方だった」
元々、ナイトメアフレームのテストパイロットをしていたのだ。その功績が認められて騎士候の地位を授けられた。その席でブリタニア皇帝に見初められたのだ、と聞いている。
ルルーシュはそう告げる。
「でも……それが幸せだったのかどうかは、私にはわからないが……」
それでも自分とナナリーは慈しんでくださった。だから、自分たちは辛いと思ったことはない。
母が外でどれだけの苦労をしていたのかも、自分たちにはわからなかった。
「母上は、私たちにそれを知らせたくなかったのだ、と思う」
親しくしてくれた兄姉も自分たちにはそのような話を聞かせまいとしていた。それでも、どこからか聞こえてくるものではあるのだが……とルルーシュは少しだけ皮肉げな笑みを浮かべる。
「私たちにとって父上は遠い方だったから……母上が母親だけではなく父親でもあったのかな?」
実際、強かったし……とルルーシュはすぐに笑みの色を変える。
「同じ条件下であれば、母上に勝てるものはそういなかった」
そう言う方だった、と付け加える彼女の瞳にはどこか優しい光が浮かんでいた。
「そうなんだ」
もっとも、そういう性格はルルーシュを見ているとわかるような気がする。
「ルルーシュに似ていたのか?」
顔は、とスザクは付け加えた。
「兄上達はそっくりだとおっしゃっておられたが……」
自分ではよくわからない。そう言いながら、ルルーシュは細い指で自分の胸元を探った。そして、いつも首に下げているペンダントを引っ張り出す。
「似ているのかな」
そうであれば嬉しいが。そう付け加えながらその蓋を開けた。
「これが、母上とナナリーだ」
唯一手元に残った写真だ……といいながら、中を見せてくれる。そこにはルルーシュによく似た女性と柔らかな色彩を身に纏った少女の姿があった。
いや、それだけではない。
写真が入れられているのとは反対側に何やら細い糸の束が収められている。それは何なのか、とスザクは首をかしげた。
「……母上とナナリーの遺髪だ。それしか、持ち出せなかった……」
これも、二番目と三番目の兄が手を尽くしてくれたから自分の手元に来たようなものだ。でなければ、それすらも持ち出せなかったかもしれない。ルルーシュは寂しさと悔しさが複雑に絡み合った表情を作る。
「ルルーシュ」
ごめん、とスザクは反射的に謝罪の言葉を口にした。
「スザク?」
どうして謝るのか……とルルーシュが不思議そうな表情で問いかけてくる。
「嫌なことを思い出させただろう」
だからだ、とスザクは言い返した。
「……君が気にすることではない……」
母とナナリーが死んだのは現実だから、とルルーシュはため息を吐く。
「でも、俺がいやなんだって」
ルルーシュがそんな表情をしているのを見るのは……とスザクは主張をする。そのくらいなら聞かない方がよかったかもしれない、とそう思う。
「……本当、君は変な奴だな」
ルルーシュのこれはほめ言葉なのだろうか。
そう言いたくなるほど、彼女は自分に向かってこんなセリフを口にする。しかし、スザク本人としては――多少他人とずれているようなこともあるかもしれないが――ごく普通の人間のつもりなのだ。
それとも、とスザクは心の中で呟く。
ブリタニアの皇室というのが普通の常識では考えられない場所なのだろうか。
その可能性が大きいな、とスザクは思う。今のルルーシュの言葉の中にもそう思えることがたくさんあったではないか。
「俺が変なんじゃない。少なくとも、日本では普通だ」
指摘しておいた方がいいよな、と思ってスザクは口を開く。これからずっと、この国で暮らすんだし、とそう考えたのだ。
「そう、なのか?」
この切り返しは予想していなかったのだろう。ルルーシュは目を丸くしている。
「そうだよ。何なら、藤堂先生達にも聞いてみるか?」
自分の言葉だけでは信じられないというのであれば、とスザクは付け加える。自分はともかく彼らの言葉であれば素直に聞き入れるだろうと思ったのだ。
「いや、いい」
スザクがそういうならば信じる……とルルーシュは首を横に振る。
「しかし……国によって慣習が違うとはわかっていたが……むずかしいものだな」
まだまだ学ばなければいけないことがたくさんあるらしい、とルルーシュは付け加えながら、先ほどまで目を通していた本へと視線を向けた。
いったい何の本を読んでいたのだろうか。
そんなことを考えながら何気なく本の表紙を見つめる。そこには、日本古来から続いている――という名目で、スザクもさんざんたたき込まれた――礼儀作法について書かれた本があった。
「……ルルーシュ……」
確かに知らないよりは知っていた方がいいのかもしれないが。でも、とスザクは思う。
「それの意味、わかるのか?」
自分が読んでもちんぷんかんぷんだったんだけど。そう思いながらこう問いかける。
「一応は……所々わからない単語はあるが、辞書には載っているからな」
それに、道場に行けば藤堂達が教えてくれるから……とルルーシュは言い返してきた。その瞬間、スザクは面白くないと思ってしまう。
「俺に聞けばいいのに」
自分だって、ちゃんと教えてやれる。スザクはそう思う。
「その前に、君は自分の宿題を終わらせないとダメだろう?」
真面目にやればきちんとできるのに、とルルーシュに反論をされる。
「そうだけど、さ」
でも、自分が側にいるのに……とスザクは頬をふくらませてしまった。
でも、ルルーシュの表情からさっきまでの辛そうな色が消えたからいいのか。大切そうに胸元にペンダントをしまう彼女の様子を見ながら、スザクはそんなことを考えていた。
それにしても、とスザクは眉を寄せる。
「最近、やたらと父さんの所に澤崎が来るな」
目の前を案内されていった男の姿を思い出してこう呟く。
ゲンブの元で閣僚を務めている彼が父を訪ねてくるのはおかしくないのかもしれない。だが、こんなに頻繁に来るのはおかしいのではないか。
「それに……時々ルルーシュのいる蔵をにらみつけているし」
何かおかしい。
「藤堂先生に相談してみようかな」
彼であれば何かを知っているかもしれないし、とスザクは心の中で付け加える。
何よりも、藤堂は大人達の中では間違いなくルルーシュの味方だ、と思える人間だ。だから、何かあれば彼女を守るためのいいアイディアを教えてくれるだろう。
それでも、最終的にルルーシュを守るのは自分だ。
軍人である以上、藤堂だってルルーシュを傷つけるような場面がないとは言い切れないとわかっている。
だが、自分にはそんなしがらみはない。
それに、とスザクは表情を引き締める。
「妻を守るのは夫として当然のことだからな」
そのためにはもっともっと強くならないといけないだろう。
こんなことを考えながら、スザクは取りあえず自室へと足を向けた。
「……そうか……」
スザクの話を聞いた藤堂はこの呟きの後腕を組んでしまう。それは、彼が何かを考えているという時の仕草だ。
「先生……」
と言うことは、何か思い当たるものがあるのだろうか。そう思って、スザクもまた姿勢を正す。
「もうじき、サクラダイト分配のための国際会議がある。確か、澤崎氏は中華連邦に太いパイプを持っておいでだったはずだ」
あくまでも自分の推測だが、中華連邦から何かを依頼されているのかもしれない……と彼は口にした。
「当然、姫のこともあちらには伝わっているだろう」
それに関してあちらが何を考えているのか、自分にはわからない。そうも付け加える。
「……ルルーシュを?」
「流石にそのようなことはない、と思いたいがな」
もっとも、と藤堂は少しだけ表情を和らげた。
「中華連邦やEUが動いているようにブリタニアも動いている。中には姫のことを心配しているものもいるだろう」
実際、ここの周囲にもブリタニア人が姿を現している。さりげなくそう付け加えられて、スザクは別の意味で眉を寄せた。
『母上は、テロという名の暗殺で亡くなられた。ナナリーは……母上がその命をかけてかばってくださったから、その時は命を取り留めた。でも……病院で毒殺されたんだ……』
ルルーシュが先日小さな声で囁くように口にした言葉が不意に脳裏に浮かんでくる。
『二人とも、世界で一番安全だという場所で命を落としたんだ』
どうして彼女が思い出したくないであろうことを教えてくれる気になったのか。それはわからない。
ただ、ブリタニアにもルルーシュの敵がいると言うことはわかった。
『そんな表情をするな。ブリタニアにも私を守ろうとしてくれたものはいる』
そう言いながらルルーシュが教えてくれた名前にはスザクもよく知っているものも含まれていた。でも、知らないものもある。
『ユーフェミアに、ジェレミア?』
待てよ。ジェレミアというのは前に一度聞いたことがあった……とスザクは首をかしげた。
『ユフィは妹だ。コーネリア姉上と同母の。ジェレミアは私たちの護衛だった』
今はきっと、兄姉たちの誰かの元にいるのではないか。ルルーシュはそうも付け加える。
『ブリタニアで、私の味方になってくれそうなのはそのくらいだ。ここだと、もっと少ないかもしれないが』
それでも、スザクがいてくれるからいい。
こう言ってルルーシュは微笑んだ。
「……それでも、できるだけ君は姫の側にいる方がいいだろうな」
流石に、枢木邸の中で何かがあるとは思わない。しかし、外ではどうなるかわかったものではないから……と藤堂は口にした。
「俺たちもできる限りフォローはするが……軍の方も忙しくなってきそうだからな」
警備や何かで、と付け加える彼に、スザクは静かに頷く。
「わかっています。ルルーシュを守るのは俺の役目です」
だから、と彼が付け加えたときだ。
「そう思うなら、自分一人で宿題をできるようになってくれ」
不意にルルーシュの声が耳に届く。いったい、どこから話を聞いていたのだろうか、とスザクは焦った。
「そうおっしゃらずに。姫も何かを感じ取っておられるから、私に基本を教えて欲しいと言ってこられたのではありませんか?」
「……たんに、運動不足を痛感しただけだ」
藤堂の言葉にルルーシュはこう言い返す。よくよく見れば、彼女も胴衣を身につけている。どうやら千葉に着せて貰ったらしい。
「スザクに付き合うのは大変だからな」
道がないところでも平気で歩く、と言うルルーシュに千葉だけではなく藤堂も眉を寄せた。
「……スザク君。あまり姫をとんでもないところに連れて行かないように」
君とは違うのだから。
「わかっています」
きちんと道があるところだと思っていたのだ、と口にしても、誰も同意をしてくれないだろう。それがわかっているから、スザクはこの一言だけを口にして終わらせることにした。
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08.01.25 up
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