ルルーシュ保護の知らせに、クロヴィスは全ての仕事を放り出した。そして、皇族にあるまじき行為だとわかっていながらも政庁の中を全力で駆け抜ける。
「ルルーシュ!」
そのまま目的地にたどり着いた彼が見たのは、予想外の光景だった。
「俺たちに触るな!」
ぐったりとした少年の体を細い腕に抱きしめながら、愛おしい妹は周囲の者達を威嚇している。
「ルルーシュ様……そのままでは枢木スザクの治療が出来ません」
唯一、ジェレミアの声だけは耳に届くのだろうか。その瞬間だけは動きを止めている。
「そうして……俺からまた大切なものを奪うのか?」
だが、ルルーシュの口から出たのはこんなセリフだ。
その言葉を誰もが予想していなかったのだろう。目を大きく見開いている。
「いいえ。そのようなつもりはございません。ですから、せめて傷の様子だけを確認させてください」
その中で、ジェレミアだけが冷静さを保っているようだ。それは、ルルーシュが一番辛い思いをしていた時期を彼が間近で見ていたからなのかもしれない。
同時に、ルルーシュが何を怖れているのかもわかってしまった。
「ルルーシュ様……そのままでは枢木スザクが不虞になる可能性もあります。そのものの命は、このジェレミアが命をかけて保証をいたします」
ですから、この場は自分に彼を預けて欲しい。そこまで言われて、ルルーシュも心が動いたのか。
「……本当に?」
それでも不安げにこう問いかけている。
「もちろんです、ルルーシュ様。お願いですから、このジェレミアを信じてくださいませ」
ようやく、ルルーシュが少年を抱きしめている腕から力を抜く。それを確認して、ジェレミアがその体を受け取った。
「ドクター」
「わかっております」
そのまま、彼等は治療のためにルルーシュの前から立ち去ろうとする。しかし、それを止めるようにルルーシュの細い指がジェレミアの服の裾を掴んだ。
「ルルーシュ様?」
どうなされましたか、とジェレミアがその場に膝を着く。
「俺も、一緒に行く」
側にいるだけでいいから、と彼女はそう主張している。それにどうするべきか、とジェレミアは考えているようだ。それもこれも、もう大切な存在を失いたくない一身なのだろう、と思えば叶えてやりたいとも思う。
「ルルーシュ」
しかし、自分の存在を綺麗に無視されているのは面白くない。その気持ちのまま、クロヴィスは呼びかける。
だが、その瞬間、その痩躯が信じられないほどびくりと震えた。
「私だよ、ルルーシュ」
いったい何故、ここまで怖れられるのか。その意味がわからない……と思いつつ、クロヴィスは優しい口調を作ってもう一度声をかける。
「……クロヴィス、兄さん……」
表情を強ばらせたまま、ルルーシュが言葉を返してきた。
ひょっとして、自分も彼女にとっては恐怖の対象なのだろうか。そう考えればショックとしか言いようがない。
しかし、逆に言えばそれだけ彼女が追いつめられていたと言うことだろうか。きっと、誰を信用していいのかわからなくなっているのだ。
「無事でよかった……君が生きていてくれて、本当に嬉しいよ」
だから、昔のように自分にも笑顔を向けてもらえるように努力をしなければいけない。そう思い直す。
「その子のことは心配いらない。ジェレミアだけではなく、数日中にチャウラーもこちらに到着するはずだからね」
彼女であれば信頼できるだろう? と付け加えれば、ルルーシュはどう判断すればいいのかどうか悩んでいるようだ。
「それに、君も体を綺麗にしないと。ばい菌が入ったら大変だよ?」
彼のためにもよくない。そう付け加えれば、確認を求めるかのようにルルーシュはジェレミアを見上げる。それは、まだルルーシュがアリエス離宮にいた頃によく見た仕草だ。
「クロヴィス殿下のおっしゃるとおりになさってください。ルルーシュ様がおいでになるまで、私が側を離れずにおります」
だから、スザクのことは任せて欲しい。ジェレミアはこう言い切る。
「それに、枢木が目覚めたときに、ルルーシュ様がそのままでいらっしゃいましたら悲しむと思いますよ?」
お顔も汚れていらっしゃいます……と口にしながら、彼は取り出したハンカチでルルーシュの頬をぬぐった。そのハンカチに汚れが付いたのを見て、彼女はようやく納得したらしい。
「……わかった……」
渋々と言った様子でルルーシュはジェレミアの服から手を放す。
「ルルーシュ」
取りあえず、そんな彼女を驚かせないようにクロヴィスはそうっと歩み寄った。そのままためらうことなく彼女の体を抱きしめる。
「兄さん?」
何を、とルルーシュはクロヴィスの腕の中で固まってしまった。
「本当に生きていてくれてよかった……」
こうしてルルーシュの体を抱きしめて、ようやくその実感がわいてきた……とクロヴィスは構わずに付け加える。生きていると信じてはいたが、それでも、こうして実際に手元に取り戻すまでは不安でたまらなかったのだ、とも告げた。
「……服が、汚れます」
相変わらず、アクシデントには弱いのか。ルルーシュの口から出たのはこんなセリフだ。
「君の無事を確かめられるのであれば、そのくらい何でもないよ」
むしろ、嬉しいくらいだ……とクロヴィスは言い返す。
「兄さん?」
この言葉は予想外だったのだろうか。ルルーシュはさらに固まってしまう。
「大丈夫だよ。もう誰にも君を傷つけさせないからね」
彼のことも、きちんと責任を持って治療をさせる……とクロヴィスは当然のように続ける。
「だから、君は安心していいのだよ」
そのまま、ジェレミア達に視線でスザクを連れて行くようにと指示を出す。彼等が出て行く気配に、ようやくルルーシュの意識は現実に戻ってきたようだ。
「……藤堂達は?」
小さな声でルルーシュがこう問いかけてくる。
「心配はいらない。彼等には危害を加えるな、と命令をしてあるからね」
無事にキョウトに戻っていれば、そのうち会えるから……と言葉を返す。
「それよりも、取りあえずシャワーを浴びて着替えないとね」
でなければ、スザクの側に戻れないよ……と微笑みながらクロヴィスはルルーシュの体を抱き上げた。その瞬間、彼女の体重の軽さに微かに眉を寄せる。一つ年下のユーフェミアの方がルルーシュよりも抱き上げたときに重かったように思う。
それは、間違いなく、今までの生活環境の違いだろう。
だが、とクロヴィスは心の中で呟く。それでもルルーシュの髪にも肌にも不摂生の陰りは見られない。つまり、彼女を守ってくれていた藤堂達は、出来る限り最高の環境を子供達に与えてくれていた、と言うことだろう。
それに関しては感謝するしかない。
同時に、自分たちの計画が成功する可能性が高くなった、と心の中で呟く。
「……兄さん?」
そのまま、クロヴィスは歩き出した。その事実に、ルルーシュが腕の中で暴れ始める。
「ルルーシュ……大人しくしていてくれないと、落としてしまうよ?」
「なら、最初から下ろしてください!」
即座に彼女はこう反論をしてきた。
「ようやく君らしくなってきたね」
嬉しいよ、と笑うクロヴィスにルルーシュは憮然とした表情を作る。
「もう少しだけ、このままでいてくれるかかな?」
お願いだから、と続ければ、そのまま腕の中で大人しくなった。その事実にクロヴィスは笑みを深めると、そのまま歩き出す。
「……今の君であれば、どのような服装が似合うかな」
用意していたドレスはひょっとしたらルルーシュには大きいかもしれない。いや、去年の分と思っていたものならばサイズは合うのだろうか。そんなことを考えてしまう。
「……暇なのですか、兄さんは」
ルルーシュのこんな呟きすらも、クロヴィスには嬉しいものだった。
シャワーを使い着替えると同時に、ルルーシュはスザクの元へと駆け出して行ってしまった。
「……まぁ、それはしかたがないのだろうけど、ね」
少しでも早く彼の無事を確認したい。そう思う彼女の気持ちを優先してやらなければいけない。何よりも、自分がそう約束したのだ。
「でも、やはり寂しいかな」
ルルーシュが頼っているのが自分ではなく他のものだと言うことが……とため息をつく。
それでも「……探してくれて、ありがとう……」と言ってくれた。それで十分ではないか。そうも思う。
「ともかく、藤堂達の無事を確認しなければいけないね」
スザクの無事だけではまだ、彼女の不安は完全にぬぐい去ることはむずかしいはずだ。
それに、とクロヴィスは心の中で付け加える。
彼等であれば、彼女がどのような状況に置かれていたのかを知っているはずだ。その中には、ルルーシュに問いかけるにははばかれるような内容もあるに決まっている。
「あの子がいったいどのような状況に置かれていたのか。それを確認して排除しなければ……また同じようなことがおきるだろうからね」
それではいけない。
ようやく取り戻した宝物を失ってしまうかもしれない要素は、全て取り除かなければ安心できないから、とクロヴィスは付け加えた。
「その前に、兄上に連絡を入れておかないと……」
ルルーシュの無事を伝えなければいけない。
彼も彼女の無事を祈っていた一人だ。何よりも、自分の共犯者は彼なのだし、とそう心の中で呟く。
「今後のこともあるからね」
自分がルルーシュを守るためには隠すしかない。
だが、シュナイゼルの協力があれば、間違いなくルルーシュをあの太陽宮に連れて行くことが可能だろう。あるいは、またアリエス離宮で微笑んでいる彼女の姿を見られるかもしれない。もっとも、それを当人が望むかどうかはまた別問題だが、それでも選択肢は残しておきたい。
「問題は、兄上がお暇かどうかだ」
宰相である彼はとても忙しいことをクロヴィスも知っている。しかし、万が一のことを考えれば、本人に直接知らせなければいけない。
「……いざとなれば、言付けておけばいいだけか」
時間ができ次第、こちらに連絡を入れてもらえばいいだろう。彼よりも自分の方が時間の融通は利くから……と少しだけ自嘲の笑みと共に呟く。もっとも、それだからこそ、ルルーシュの側にいられるのだろうが。
「まずは動かないとね」
行動をしなければ結果は出てこない。だから、と思いながら腰を上げる。
「クロヴィス殿下」
即座に側に控えていたバトレーが指示を求めるように呼びかけてきた。
「シュナイゼル兄上に通信を入れてくれないかな、バトレー。それと……内密であの子の部屋を用意してくれ」
できれば、自分の部屋の側に。そして、迂闊なものは近づけないように、とそう指示を出す。
「かしこまりました」
バトレーがこう言って頭を下げる。それを確認して、クロヴィスは歩き出した。
その足取りが軽いのは、もちろん、ルルーシュが手元に戻ってきたからだろうと思う。
「……近々、ルルーシュと兄上が会話を出来る機会を作らないとね」
それも内密に、とそう呟く。
「あぁ……桐原にも連絡を取らないといけないかな?」
考えれば考えるほど、やらなければいけないことが出てくる。努力などと言ったものは苦手だがそれでもルルーシュのためであれば構わないと思える自分に、クロヴィスは苦笑を浮かべた。
「私も、姉上のことは言えないかもしれないね」
ルルーシュは可愛い。だから、妹のために何でもしてやりたくなるのは……とそう呟く。それでも、そうできることが幸せなのだ。だから構わないだろう。そう結論を出すと、彼はさらに笑みを深めた。
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08.03.14 up
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