二人の言葉の意味を、クロヴィス達が理解したのはそれから数日経ってのことだった。
「……ルルーシュ。いいこだから」
お休み? と言ってもルルーシュは首を横に振ってみせる。その目元にはクマが色濃く刻まれていた。
「……本当に、眠れないのです、兄さん。昼間、スザクのところで仮眠をとっていますから」
だから、心配はいらない。この言葉は自分を安心させるためのものなのだろう。しかし、それが逆効果だというのは理解できていないのだろうか。
「そういう問題ではないだろう……」
この子は、とクロヴィスは小さなため息をつく。
「……そういう問題です」
自分にとっては、とルルーシュが言い返してくる。
「それに、俺は最初に言いましたよ? スザクの隣でないと眠れないと」
耳を貸してくれなかったのはクロヴィスではないか。ルルーシュはさらに言葉を重ねてきた。
「まぁ……そうなのだけどね……」
それでも、すぐに受け入れられるような内容ではなかっただろう? とクロヴィスは言い返す。
「ですから、兄さんにお付き合いしているじゃないですか」
夜は一緒にいるだろう、とルルーシュは少しだけ視線に棘を含める。
「でも、君は眠ってないだろう?」
側にいてくれるのは嬉しいが、ルルーシュが眠れないという事実は見ていて辛い。クロヴィスはそうも口にする。
「そもそも、どうして彼でなければいけないんだい?」
どうして自分ではいけないのか。言外にそう問いかける。
「……どうして、でしょうね」
自分でもよくわからない、とルルーシュは首をかしげてみせた。その時に、さらりと流れた黒髪は、以前の長さとは比べものにならないほど短い。その事実にクロヴィスは悲しさすら覚えてしまう。
「きっと、あいつが俺を一番に考えてくれるから、でしょうか」
そんなクロヴィスの内心に気付いているのかどうか。ルルーシュはこんなセリフを口にする。
「私だって……」
「兄さんには無理ですよ。皇族としての立場も総督としての義務もおありでしょう?」
それはそれでしかたがないことだ、と彼女は微笑む。
「でも、ルルーシュ……」
言葉とともにクロヴィスはルルーシュの体を抱きしめる。
「それでも私は、君のことを優先させたいよ」
ようやく帰ってきてくれたのだから、とこう言いながらクロヴィスは彼女に頬ずりをした。
「……それで、総督を首にならなければよろしいのですが……」
ぼそり、と呟かれた言葉がクロヴィスの心に思いきり突き刺さる。
「ルルーシュ……」
それは一番心配なことなのだから、と思わず涙目になりながら訴えてしまった。
「何よりも、これからのエリア支配に関して、兄上と計画していることがあるのだから……私が、このエリアの総督を辞めさせられるわけにはいかないのだよ」
何よりも、ルルーシュがここから離れたくないだろうからね。そう付け加えれば、腕の中で彼女が目を丸くしているのがわかる。
「兄さん?」
「私がここのエリアの総督になったのも、兄上がそれを後押ししてくださったのも、みんな、ルルーシュのため、だからね」
確かに、自分たちは彼女を最優先には出来ないのだが、それだけは覚えておいて欲しい。そうも言葉を重ねる。
「……それは?」
「詳しいことは後で、だよ。それよりも、君が体調を崩しては何のために保護をしたのかわからないだろう?」
この言葉とともに、ルルーシュの体を抱き上げる。そして、そのまま――何とか彼女の体を落とすことなく――側に置かれていたカウチへと移動をした。
「眠れなかったとしてもね。横になって目をつぶっているだけでも少しはましだろう?」
そう言いながらも、できれば眠って欲しいとは思う。
同時に、どうしてルルーシュはここまで追いつめられてしまったのか。それを知りたいとも思う。
「……兄さん……」
「大丈夫。ちゃんと仕事はするから」
ルルーシュが言いたいことはそれではない、とわかっていても、クロヴィスは苦笑と共にこう告げる。
「本当に、知りませんよ……」
この言葉とともに、ルルーシュは静かに目を閉じてくれた。
ラクシャータ・チャウラーがエリア11に到着したのはその日のことだった。
スザクの元へ足を運ぼうとしていたルルーシュが自分の執務室から出る前に到着してくれてよかった。それがクロヴィスの本音だった。
「ラクシャータ?」
だが、ルルーシュには予想外の出来事だったらしい。目を丸くしている。
「ルルーシュ様! ご無事だったのですか?」
だが、それは彼女も同じだったようだ。いつもはどこか斜に構えたような笑みを浮かべているその顔が驚愕に彩られた。しかし、すぐにくしゃりと歪む。
「よかった……てっきり、貴方様まで失ってしまったのかと」
その場に座り込みにそうになった彼女に、ルルーシュは少しだけ困ったような表情を作った。
「俺はここにいる。夢じゃない」
スザク達が守ってくれたからな、と付け加えながら、彼女はそっとラクシャータの側に歩み寄っていく。
「でも、よかったのか?」
ここでは開発環境も十分でないだろうに、とルルーシュはクロヴィスへと視線を向けた。
「君の側に信頼できる者を置いておきたいからてね」
ジェレミアだけではそろそろ手薄になってきそうだし……と微笑み返す。
「兄さん?」
「それに、彼女は医療系の資格も習得している。枢木のことを預けるには十分だろう?」
この言葉に、ルルーシュはさらに目を丸くしている。
「……兄さん……」
「気にすることはない。チャウラーが希望する設備ももちろん用意するよ。そのうち、特派も来ることになっているしね」
この地の技術者達も使えるようであれば使ってみたいし……とクロヴィスは微笑んでみせた。
「兄上の許可もいただいているから、心配はいらないよ」
だから、とさらに言葉を重ねようとする。
「って、ルルーシュ様! 何なのですか、そのお顔!」
何でそんなに隈が! と彼女が叫び声を上げた。
「……眠れないから」
ぼそり、とルルーシュは彼女に言い返している。
「スザクの側でないと眠れない、と言うのに、兄さんが許可してくれないし……」
さらにため息とともに彼女はそう付け加えた。
「……ともかく、それに関しては私にお話を聞かせてくださいませ」
それから、必要であればそのスザクとやらと一緒にいられるように医師として指示を出させてもらう。その程度の権限は与えてもらえるのだろうか、とラクシャータはクロヴィスを見つめてきた。いや、にらみつけてきたといった方が正しいのだろうか。
「……ラクシャータ。それは許可できない……」
「それでルルーシュ様に万が一のことがどうなさるおつもりですか!」
ともかく、ルルーシュに関する全権をよこせとは言わないが、彼女の健康に関することは自分の言葉を優先して貰おう。そう詰め寄ってくる。
「殿下は、ルルーシュ様を失いたくない、と思っておいでなのですよね?」
それは間違いではないからクロヴィスは素直に首を縦に振ってみせた。
「なら、多少の無理は通してください! そのくらいの権限はお持ちでしょう?」
違いますか? と言う言葉に、クロヴィスは返す言葉がない。
「取りあえず、ルルーシュ様がお休みになってから報告はさせて頂きますわ」
それで妥協をしろ、と彼女の視線が告げている。
「……あまり無理はしないように」
小さな声でこう口にするのがクロヴィスには精一杯だった。
ラクシャータが戻ってきたのは三時間ほど経ってからのことだった。
「あのボーヤのケガは取りあえず医務室でなくても大丈夫だから。環境なんかも考えてルルーシュ様の部屋へと移動させましたわ」
そう言いながらラクシャータはキセルを唇に運ぶ。
「……それで?」
何かわかったのか、とクロヴィスは問いかける。
「ルルーシュ様にとって、一番怖いのは……大切な存在を失うことのようですね」
まぁ、それは最初から想像が付いていたが……とラクシャータはため息をつく。
「同時にあの方が怖れているのは、一人で残されることです」
自分が見ていない場所で大切な存在を失わなければいけないかもしれない、と言う可能性。それがルルーシュに恐怖を与えているのだ。
「枢木スザクでしたっけ? あのボーヤがルルーシュ様にとって特別だというのは見ておわかりでしょう?」
そして、彼女にとって病院というのは、決して信頼できる場所ではない。
いや、理性では『大丈夫だ』とわかっていても、深層心理下ではそうではなかったのだ。
だから、余計に眠ることが出来なくなってしまっていた。
「こればかりは、ご本人の努力だけでは意味がないのですよ、殿下」
クロヴィスがあの二人を引き離してくれたせいで、ルルーシュの中で不安が増大してしまったのは事実だ。ラクシャータはきっぱりとした口調でそう言いきる。
「ラクシャータ、それは……」
「殿下のお気持ちもわかりますけどね。それでも、ルルーシュ様がきちんと納得出来るまでお待ちくだされば、もう少しましだったとは思いますよ」
つまり、ルルーシュの症状を悪化させたのは自分だと言うことか……とクロヴィスは唇を噛む。
「だが……」
不意に、ジェレミアが口を挟んでくる。
彼のことはルルーシュも認めているから、だろう。だから、ラクシャータも彼の言葉を制止しようとはしていない。
「いったい、何がルルーシュ様をそこまで追いつめたのだ?」
それに、彼の疑問はルルーシュに関わるものだ、と予想できていたからかもしれない。
「残念だけど、そこまではわからないね」
ルルーシュから聞き出せなかったから、とラクシャータは顔をしかめる。
「……二人とも、それに関してはかなりの拒否反応を見せてくれたからさ。無理強いは出来なかったよ」
それでルルーシュの心の傷を広げては意味がないだろう。そうも彼女は続ける。
「……こうなれば、少しでも早く彼等が出てきてくれることを祈るしかないね」
間違いなく事情を知っているであろう大人達。
桐原が彼等を説得してくれればいいのだが。
クロヴィスは小さなため息とともにこう呟いた。
その願いは、すぐに叶えられた。
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08.03.24 up
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