年月が、ルルーシュと自分たちの関係を元の形に近づけてくれた。その事実に、クロヴィスは安堵している。
 しかし、だ。
「兄さん……今、よろしいですか?」
 それでも、こんな風に執務室にまで顔を見せてくれるようになったのは最近のことである。
 それを喜ぶべきか。それとも、と悩んでしまうのも事実だ。しかし、自分がそんな風に考えていると、ルルーシュに悟られるわけにはいかない。
「もちろんだよ。今日は何の話かな?」
 代わりに微笑みとともにこう聞き返す。
「……ゲットーの整備について、なのですが……」
 こう言いながら、ルルーシュはそっと歩み寄ってきた。そして、手にしていた書類をそっと差し出してくる。それを受け取ると、クロヴィスはざっと目を通す。ルルーシュらしい、ある意味、過不足なく整えられたデーターにいつものように感嘆をしてしまう。
「……電気と水道の敷設、ね」
 確かに、これは必要なことではないか。クロヴィスもそう思っていた。
 テロが頻発しているのは、イレヴン達が自分たちとブリタニア人のくらしの違いを目の当たりにしているからではないか。そう考えるようになったのは、もちろん、ルルーシュの所に通ってきている藤堂との話からだ。
 だから、と言うわけではないが、ルルーシュを保護してからすぐに無料の治療院と孤児院をゲットーに作った。
 それが功を奏したのかどうかはわからない。だが、その結果、その地域でのテロが減ったことは事実だ。
 逆に言えば、それだけ傷ついていた者達が多いと言うことかもしれない。
 その後も、ルルーシュの元に足を運んで来た藤堂がさりげなくゲットーの様子を話していった。それらの情報からルルーシュが自分で導き出したあれこれを自分に相談してくれるようになったのが、それからすぐのことだった。
 そのセンスがシュナイゼルに似ているような気がする、と思った自分の錯覚ではなかったようだ。
 でも、とクロヴィスは心の中で呟く。
 できればもう少し、政治の世界とは無縁でいさせてやりたかった。
 そう考えてしまうのは、彼女が《政治》に翻弄され、その世界すら壊されてしまったからだ。
 実際、自分たちの手元に戻って数年が経つと言うのに、ルルーシュの体躯は同年代の者達のそれに比べて華奢なままだ。おそらく、幼年時から続いている栄養不足のせいだろう、とラクシャータが顔をしかめながら報告をしてきたことも覚えている。日本でスザク達と共に逃げ回っていた頃ならばともかく、まさかアリエス離宮でそのような状況だったとは、どうして気付かなかったのか……と考えても後悔先に立たず、だ。
 それでも、ルルーシュはしっかりと顔を上げ、前を見つめている。
 そんな彼女をわきで支えているのは、悲しいことに自分ではない。枢木スザクだ。
 だが、それに関しては当然のことだろうと言うこともわかっている。
「兄さん?」
 どうかしたのか、とルルーシュが問いかけてきた。おそらく、黙ってしまった自分に不安を感じてしまったのだろう。
「いつ見ても、ルルーシュが作ってくる書類は見やすいな、と感心していただけだよ」
 他の者達からあがってくるそれは、真意を掴むのも難しい。とっさにこう口にしながら、苦笑を浮かべてみせる。
「そうなのですか?」
 ルルーシュが首をかしげながらこう問いかけてきた。
「残念だがね。それにしても……もう少し、のんびりしていていいんだよ、君は」
 確かに、これらは早急に進めたい事案ではある。だが、それは自分に任せてくれても良かったのではないか。本音を偽ることをせずにそう告げれば、ルルーシュは少し困ったような表情を作った。
「……スザクが、側にいないなら……仕事をしていた方が気が紛れるので……」
 その表情のままこう言われては、言葉に窮してしまう。
 スザクがどうして忙しいのか。確認しなくてもわかっている。元々、その原因を作ったのは自分なのだ。
「そう言えば、皇の姫と桐原公から、君達をキョウトに寄越してくれないか……と連絡があったね」
 わざとらしいとは思いつつも、クロヴィスは少し強引に話題を変えた。
「神楽耶と桐原が、ですか?」
「あぁ。表向きは特派の富士視察だけどね」
 枢木も一緒に行かせるから、久々にゆっくりとしておいで。そう言って微笑む。
「それは嬉しいのですが……何か、私をここから遠ざけたい理由でもおありなのですか?」
 本当に、この子は聡い。自分の口調から何かを感じ取ったようだ。
「姉上が、おいでになるのだよ」
 隠していてもしかたがない。そう判断をして、クロヴィスはまだ発表されていない内容を口にする。
「……コーネリア、姉上……ですか?」
 確認するようにルルーシュが一つの名前を口にした。それに、クロヴィスは小さく頷いてみせる。
「姉上達は、私のことを……ご存じない、のですか?」
 ひょっとして、自分の声が震えていることに本人が気付いていないのだろうか。親しかった彼女の名前にまでそんな反応を見せるとは、ルルーシュの心の中に根付いているブリタニアに対する不信感は大きいのかもしれない。
「教えてないからね」
 だからこそ、自分が頑張らなければいけないのだ。そう考えながら言葉を口にする。
「枢木のことを含めて気を遣ってくださっているシュナイゼル兄上にも、回線越しに顔を見せられるようになったのは一年近く経ってからのことだった、と記憶しているしね」
 コーネリアが、ルルーシュの生存を喜ばないはずはない。
 だが、彼女が異母妹の側にナンバーズ――日本人がいることを喜ばないだろう。どれだけ、ルルーシュ本人がその存在を必要としていても、だ。
「君と彼等の存在が、私たちにとっては必要なのだよ。もちろん、それがなかったとしても、私は君達を守るつもりだけどね。でも、シュナイゼル兄上のお力があれば、それは確実さを増す」
 それに、とクロヴィスは続ける。
「兄上のお言葉であれば、多くの者が従う。コーネリア姉上も例外ではない」
 シュナイゼルの言葉で動かせないのは、自分たちの父だけだ。
 それがわかっているからこそ、彼も慎重に物事を進めているのだろう。
「その兄上が、君の生存を姉上には伝えておられない。つまり、まだ、その時期ではないと思われていると言うことだ」
 だから、ルルーシュが気に病むことではない。そう言って、クロヴィスは笑みを深めた。
「枢木も頑張ってくれている。いくら他の者達のフォローがあっても、彼に対する風当たりは強いだろうからね」
 イレヴンでありながら、皇女の一番近くにいる存在。
 たとえ、ルルーシュがまだ表に出られない存在だとしても、彼女の体の内を流れている血を思えば、その程度は障害にならない。むしろ、今のうちに側に近づきたい。そう思っている者がいることも否定できない事実だ。
 だからこそ、ジェレミア達を彼女の側に付けているのだが。
「だからね。たまには息抜きも必要だろう?」
 彼の地であれば、彼も顔見知りの者達がいる。
 信用できる者も多い。
 だから、羽を伸ばすにはちょうどいいのではないか。
「……本当に、よろしいのですか?」
 しかし、誰よりも喜んでくれると思っていた愛おしい妹は不安を隠せないという様子でこう問いかけてくる。
「もちろんだよ。アスブルンド伯とチャウラーにも同行してもらうからね。口実も十分だ」
 新型ナイトメアフレームの開発担当の二人が表立って動けば、ルルーシュとスザクの存在ぐらい感嘆に隠蔽できる。キョウトの協力があればなおさらだろう。
「だから、安心して行っておいで」
 コーネリアの相手は自分がするから。
 この言葉に、ルルーシュはようやく小さく頷いてみせる。
「あぁ、そうだね。君の負担にならないというのであれば、綺麗だと思う光景を、写真に撮ってきてくれるかな?」
 そして、土産話をしてくれればいい。
 写真があれば、自分が絵を描くときの参考にもなるだろうからね。
「わかりました」
 自分が出かけることで、少しでもクロヴィスの役に立てるのであれば……とルルーシュは淡い笑みと共に付け加える。その言葉に、クロヴィスは衝撃を受けてしまった。
 どうして、この妹は自分よりも他人を優先するのだろうか。
 もっと甘えてくれてもいいのに。
 それなのに、彼女が甘えてわがままを言う相手と言えば、スザクだけだ。
 自分に気を許してくれていると思っていたのは錯覚だったのだろうか。そんなことすら考えてしまう。
「……兄さんにはよくして頂いているのに、私にはこのくらいしかお返しできることがありませんし……」
 だから、どうしてこんなセリフを口にするのか。
「ルルーシュ……」
 それとも、彼女にそう思わせるような言動を自分がとっていたのか……とクロヴィスは心の中だけで呟く。
「君がそこにいて笑っていてくれること。それ以上に嬉しいことはない、と何度口にしたら信じてくれるのかな?」
 ルルーシュが手伝ってくれるのは嬉しいことだけどね、と呟くように口にした。
「ですが……」
 父は、無能な者はいらないと……といつも口にしていたではないか。何よりも、自分たちはクロヴィスにとって負担にしかなっていないのではないか……と彼女は視線を落とす。
「それは違うよ、ルルーシュ」
 やはり、元凶はあの男か……と自分たちの父である皇帝の顔を思い浮かべながら眉根を寄せる。
 だからといって、自分ではどうしようもないのだ。自分では力も気概も足りない。だから、シュナイゼルの力を借りなければいけなかったのだ。
 それでも、とクロヴィスは心の中で呟く。ルルーシュにとっての優しい世界を守れるのは自分だけだ。そのためには何でもする、とそうも付け加える。
 だからこそ、自分に総督の地位は重荷にしかならないとわかっていても、この地に赴いたのだ。
「君がそこにいてくれるから、私は頑張れるのだよ。コーネリア姉上にとってのユーフェミアのように、と言えばわかるのかな?」
 本当は、もっと的確なたとえがある。しかし、それをルルーシュに告げることは出来ない。だから、仲のよかった異母姉妹のことを引き合いに出したのだ。
「……兄さん……」
 少しだけルルーシュの様子が変化する。
「何かな?」
「コーネリア姉上とユフィには、今のセリフを告げない方がよろしいかと」
 言いたいことはわかるが、最終的にとんでもないところに着地しそうだ……と彼女はため息をつく。
「大丈夫だよ。私だってその程度はわきまえている」
 自分も、ある意味、ユーフェミアと似たような存在だったのだから……と自嘲の笑みと共にクロヴィスは続けた。
 絵を描くことと社交術以外には無能な存在。母親の身分がもう少し低ければ、間違いなく皇位継承権争いからとっくの昔に脱落していただろう。そう言われていたことを、クロヴィス自身も知っている。
 だが、今の彼にそういう者はいない。
 ルルーシュが生きているかもしれないという可能性に気付いたあの日から、この地位を得るために努力を重ねてきた。
「それでも、何とか君を守れるだけの力を手に入れられたのだからね」
 確かに、政治面はシュナイゼルに、軍事面ではコーネリアに遠く及ばない。それでも、このエリアの総督の座から引き下ろされることはない程度の実力を身につけることは出来たのではないか。
「全ては、君がいてくれたからだよ」
 だから、少なくともこのエリアでは、胸を張っていてくれていい。この言葉にルルーシュは少しだけ驚いたように目を見開いた。
「ルルーシュ」
 おいで、とそんな彼女をクロヴィスは手招く。素直にそれに従ってくれるようになったのは、再会してからどれだけの時間が経ったときだったろうか。その時のうれしさは覚えているのに、日付まではすぐに思い出せない。
 そんなことを考えているうちに、ルルーシュはすぐ側まで歩み寄ってくれていた。
 驚かさないように、そうっと彼女を自分の膝の上に座らせる。
「兄さん?」
 ルルーシュは少し不審そうな眼差しを向けてきた。
「君は、私の栄養剤のようなものだからね――もちろん、枢木をはじめとした者達もそう思っているだろうが――だから、少しだけこうしてきてくれるかな?」
 そうすれば、また頑張れるだろう。
「……本当に兄さんは……」
 そんな彼の気持ちが伝わったのか。ルルーシュは小さなため息を漏らす。それでも、彼女はそっとクロヴィスの胸にその小さな頭を預けてくれた。




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08.04.04 up