部屋に戻ると同時に、ルルーシュは力を失ったかのようにその場に崩れ落ちる。その体を、スザクは慌てて抱き留めた。
「ルルーシュ!」
大丈夫? と問いかけながら彼女の顔をのぞき込む。
「……何で、今更……」
今まで放置していたくせに、と呟きながらルルーシュはスザクの腕をすがるように握りしめた。
「このまま、ずっと放置しておいてくれればいいのに」
自分はここにいられれば、それでいいのに……とルルーシュは呟くように付け加える。
「ルルーシュ……」
彼女が自分の父親をどう思っているのかは知っていた。でも、ここまで拒絶反応のようなものを見せるのはどうしてなのか。あるいは、ルルーシュのトラウマの元凶が彼なのかもしれない。
「大丈夫だよ、ルルーシュ……俺がいるだろう?」
どこであろうと一緒に行く。そう言いながらそっとその頬にキスを贈る。
「いざとなったら、ルルーシュを連れて逃げることぐらい、出来るって」
きっと、その時には協力してくれる人たちもいるだろう。ここには戻ってこられないかもしれないが、ブリタニアの手の届かない場所だってある。
「君が望むなら、何でもするよ」
だから、とさらに言葉を重ねようとした。
「なら……」
きゅっとルルーシュは少しだけ指先に力をこめる。
「しばらく、こうしていてくれ」
スザクに抱きしめられているだけで、落ち着けるから。ルルーシュはそう告げる。
「わかった。でも、移動していい?」
床だと体が冷えるよ? とささや言えば、彼女は考えるように少しだけ首をかしげた。そして、すぐに頷いてみせる。
「じゃ、腕は首に回してくれる?」
その方が抱き上げやすい。この囁きに、ルルーシュは一瞬驚いたように見つめてきた。
「自分で、歩ける……」
すぐに視線をそらすと、彼女は怒ったような口調で言葉を綴る。
「知っているよ」
でも、とそんなルルーシュの頬にスザクはまた唇を押し当てた。
「俺がそうしたいんだ」
ダメ? と問いかけた瞬間、腕の中の温もりが少しだけ上昇をする。
「……ダメ、じゃない」
そして、小さな声でこう告げてきた。本当に素直じゃないんだから、とスザクは心の中で苦笑を浮かべる。それでも、ルルーシュがそう言ってわがままを言うのは自分に対してだけだ。きっと、これが彼女の甘え方なのだろう、と今ではわかっている。
「お許しが出たから」
言葉とともにスザクはルルーシュの背中と膝の裏に手を差し入れた。そして、そのまま立ち上がる。
「ほわぁっ!」
急な行動だったからか。ルルーシュは慌ててスザクの首に抱きついてきた。
「ソファーでいいよね?」
確認のために言葉をかければ、彼女は小さく頷いてくれる。
「……お茶は?」
「後で……自分で淹れる……」
お前が淹れた紅茶は、とても渋い……と言われて、スザクは反論が出来ない。実際、自分でもどうしてこうなのかがわからないのだ。
「日本茶なら、ちゃんと淹れられるんだけどな」
負け惜しみにしかならない言葉を口にしながら、彼はそのまま移動を開始した。
クロヴィスは一人でコーネリアの元を訪れていた。
「……いくら政庁内とはいえ、危険だぞ」
その行動に彼女は微かに眉を寄せている。もっとも、それはある意味予想は出来ていた。
「わかっております。ですが、この話、迂闊なものに聞かせるわけにはいかないのです」
自分が信頼できると思っている者達は、既にそのための準備に走り回っている。だから、自分一人で彼女の元を訪れなければいけなかったのだ。そう言い返す。
「クロヴィス?」
「本当でしたら、姉上お一人に……とも考えました。ですが、姉上がご自分の騎士を信頼していることをよく知っております」
だから、自分も彼等を信用することにしよう。そう判断したのだ。そうも彼は付け加えた。
「……そうか……」
この言葉をどう受け止めたのか。コーネリアはただこの一言を口にしただけだ。
「それで、どのような内容なのだ?」
そこまで周囲の者達を気にしなければいけないのは、と彼女は真っ直ぐにクロヴィスを見つめてくる。
「……皇帝陛下からルルーシュへの本国帰還命令が出ました」
おそらく、近いうちに本国へルルーシュとスザクを送り出さなければいけないだろう。
「皇帝陛下が?」
「……あの子の生存をとっくにご存じだったようです」
それでいて、今まで見て見ぬふりをしていたのだ。それをどう判断すべきなのかはわからないが、とクロヴィスは小さなため息をつく。
「それでも、あの子が自分で『本国へ戻る』と決めたのです」
だから、と彼はさらに言葉を重ねる。
「出来るだけ、あの子を騒音から遠ざけてやりたいのです」
しかし、自分だけでは不可能だ。そして、シュナイゼルでも止められない人物がいる。クロヴィスはそう付け加えた。
それだけで、誰のことを言っているのかわかったのだろう。コーネリアは微苦笑を浮かべた。
「ユフィか……あの子も、ルルーシュが生きていたと知れば何をおいても会いたがるだろうからな」
そこで彼女は辛そうに視線を落とす。
「だが……ユフィの存在すら、あの子には恐怖の対象なのだろう?」
そして、彼女を拒んでしまった事実をルルーシュは後悔する。そして、そのことで自分自身を傷つけるのではないか。
その言葉に、クロヴィスは静かに頷いてみせる。
「……ならば、あの子の心が落ち着くまで、ユフィには我慢をさせるしかないだろう」
ユーフェミアには泣かれるかもしれないが。そう付け加えるコーネリアの表情は穏やかなものだ。
「申し訳ありません、姉上」
「お前が謝ることではない。悪いのは、あの子をあそこまで追いつめた存在だ」
クロヴィスの謝罪の言葉をコーネリアはこう言って遮る。
「だからこそ、私たちはもう二度と、あの子を傷つけさせるわけにはいかない」
ルルーシュが二度と自分たちの前から姿を消すようなことがないように、と彼女はそうも付け加えた。
「……ルルーシュが必死に私たちに歩み寄ろうと努力しているのだ。私たちもそれに応えなければなるまい」
言葉とともに彼女は視線をクロヴィスからそらす。つられるように彼女の視線の先を見つめれば、手作りのものらしい焼き菓子がある。それが誰の手によって作られたものか、同じものを口にしたクロヴィスにはわかってしまった。
「……それは、ルルーシュが?」
「あぁ。ようやく、手渡しをしてくれるようになったな」
もっとも、すぐに逃げられてしまうが……と苦笑と共に彼女ははき出す。しかし、その声音はとても優しいものだ。
「必要なのは、時間だろう?」
それは作ればいい。もっとも、作れる状況であれば、だが。そう続けたのは、彼女にしても父が何を考えているのかわからないからだろう。
「まぁ、いい。お前も、行くのか?」
ルルーシュと共に、と問いかけられてクロヴィスは静かに頷く。
「あの子の盾になる存在が必要でしょう」
自分では頼りないかもしれない。だが、自分が本国に戻ることで貴族達の目を惹きつけることは出来るだろう。後は――多少悔しいが――シュナイゼルに任せるしかないのではないか。
「そうだな」
確かに、クロヴィスが戻れば目先のことしか見えぬ者達は彼に群がるだろう。コーネリアが手を貸したとはいえ、彼は中華連邦の計画を潰したのだ。それがブリタニアにとってどれだけ有利な状況につながるか、多少目端が利くものであればわかるはず。
「……ルルーシュの生存が広まっていない、というのはこう言うときに有利ですね」
いざとなれば――かなり不本意だが――自分の護衛の者達にまぎれさせてもいい。取りあえず、あの子を無事に落ち着ける場所へと届けることが優先だ。
「もっとも、あの子の顔を見れば一目でわかる者もいるだろうがな」
ルルーシュはマリアンヌにそっくりだ。その瞳の色さえ蒼ければ、本人だと言っても疑う者はいないのかもしれない。
だが、あの子の瞳の色はきょうだい達の誰よりも父である皇帝に似ている。あの色を持つものが皇族以外にいるはずがないのだ。そう考えれば、その顔を見るだけでその正体を思い当たる者がいてもおかしくはないだろう。
「……いざとなれば、特派と共に帰国させればいい。アスプルンドであれば、十分、盾になる」
正確には、あの男の奇行が……とコーネリアは小さな笑いと共に付け加えた。
「それも考えておきます」
どちらにしても、ルルーシュの側にスザクを置いておく必要がある。それならば、特派の方が楽か。
「私も、根回しをしておこう」
「お願いします」
彼女が動いてくれるのであれば、軍の方はかなり抑えられるだろう。
後は、皇族だけか。
そちらは自分でも何とか出来るだろうか。いや、何とかしなければいけないのだ。クロヴィスは心の中でそう呟いていた。
ノックの音が室内に響く。それに真っ先に反応したのはスザクだ。
「どなたですか?」
そう問いかける彼の声に緊張の色が見て取れるのは錯覚ではないだろう。ここで自分の身柄に危険が及ぶことはないのに、とルルーシュはその背中を見つめながら小さなため息をつく。それでも、あの日々に身につけたことはそう簡単に消えるものではないのだろう。自分だってそうなのだし、とそうも心の中で付け加える。
「私よ、スザク君」
外から響いてきたのはミレイのものだ。スザクにもそれがわかったのだろう。どうするのかというように視線を向けてくる。ルルーシュはそれに小さく頷いてみせた。それだけで彼にはわかったのだろう。即座にドアのロックを外した。
次の瞬間、両手に大きな箱をいくつも抱えた彼女の姿が確認できる。
「どうしたんだ、ミレイ」
いったい、何を持ってきたのか。言外にそう問いかけながらも、その手からいくつか受け取った方がいいのではないかとも考えてしまう。しかし、ルルーシュが動きよりも先にスザクが彼女の手から箱を取り上げていた。
「クロヴィス殿下に頼まれていたの。ルルーシュ様の着替えよ」
どれがいいのか選べなくて、こんな量になってしまったけど……と彼女は笑う。
「ミレイ……それは、多いなどと言うものではないだろう?」
第一、それをどうしろというのか。ルルーシュは問いかける。
「もちろん、本国でお召しになって頂きます」
きっぱりとした口調でミレイが言い返してきた。
「……ミレイ、だが……」
「わかっております。だからといって、ルルーシュ様が正装をされてはいけないと言うことはありませんわ」
むしろ、それだからこそルルーシュに似合う服装を整えなければいけない。ミレイはそう力説をする。
「何よりも、話を聞きつけた祖父が張り切ってしまいましたので……老い先短い老人の楽しみだと思って欲しいと」
マリアンヌやナナリーの分までルルーシュには、とそうも言っていたと付け加えられては、もうそれ以上何も言えなくなる。
「ともかく、中を見てみようよ」
ね、とスザクが口を挟んできた。
「……スザク……」
空気が読めているのかいないのか、本当にわからない。それでも、スザクの言葉が室内の雰囲気を変えたのは事実だ。
「そうしましょう! 良くいってくれたわ、枢木スザク」
ルルーシュに選んで貰わないと意味がない。こう言いながら、喜々としてミレイは箱の方へと歩み寄る。そして、蓋を開け始めた。その瞬間、室内に色の洪水が広がる。
「スザク君は、どれがルルーシュ様に似合うと思う?」
そう言いながら取り出されるドレスの数々に、ルルーシュは思わず逃げ出したくなってしまった。しかし、それをミレイが許してくれるはずがない。
「……一番シンプルなのにしてくれ……」
せめてもの自己主張として、こう言ってみた。
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08.05.07 up
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