七年ぶりに踏みしめたブリタニアの大地は、ルルーシュにはどこかよそよそしいものに感じられた。
「こちらですよぉ、ルルーシュ様」
特派の軍服に身を包んでいるせいか――それともクロヴィスとコーネリアが同時に帰国したからか――彼女たちに視線を向ける者は誰もいない。その事実にほっとしながら、ルルーシュはスザクの陰に隠れるようにしてロイドの側へと歩み寄った。
「シュナイゼル殿下が車を用意してくださっているそうですからぁ、それでさっさと移動しましょお」
そう言いながら彼は微笑む。
「……任せる」
ルルーシュは小さな声でこれだけを告げた。その声音が無様に震えていなければいいのだが。そんな風にも思う。
しかし、自分の手が震えていることをルルーシュは気付いていた。その手に、そっとスザクのそれが重ねられる。視線を向ければ、気遣うような翡翠が確認できた。
それだけで安心できる。
「大丈夫だ」
だから、この言葉とともに微笑みを向けた。
「無理はしないでね?」
それに彼はこう言い返してくる。
「ルルーシュは、時々自分が無茶をしていることに気付かないから」
苦笑と共に付け加えられた言葉に、ルルーシュは思わず首をかしげてしまう。
「そうか?」
「そうだよ。だから、僕やジェレミアさんがルルーシュから目を離せないんじゃないか」
本当にもう、とため息をつきながら、スザクは彼女の手をしっかりと握りしめてくる。そのまま彼は歩き出した。
「おっ、おい!」
彼に引きずられるようにルルーシュも歩き出す羽目になる。
「まぁまぁ。いいじゃないですかぁ」
それよりも、あまり騒ぐと目立ちますよ? とロイドが笑いながらさりげなくルルーシュを隠すような位置に移動してきた。
「そうですわよぉ。今更ですわ」
さらにラクシャータまでもがすぐ側でこう言ってくる。
「もっとも、私が側にいる間はきちんと体調を管理させて頂きますけどねぇ」
少なくとも食事と睡眠だけはきちんと規則正しくとってもらう。そう彼女は笑った。
「でないと、私が殺されそうですからぁ」
誰に、と問いかけなくても想像が出来てしまう。おそらく、クロヴィスもコーネリアも、あの者達を振り切ってまで自分の元へ訪れることはしないだろう。そうすれば、自分の存在が白日の下へとさらされてしまいかねない、と彼等はわかっているからだ。
「まぁ、その心配はいらないんじゃないかなぁ」
即座にロイドが口を挟んでくる。
「ルルーシュ様はシュナイゼル殿下の離宮に滞在されるんだしぃ」
「だからこそ厄介でしょ?」
シュナイゼルはともかく、その使用人は信頼できるのか。それを確認しなければいけない。そうラクシャータは力説をする。
「……それは、大丈夫だと思うよ? 離宮の中でも別館だと聞いているから」
あそこにいる者達ならば大丈夫だ。何かを知っているのか。ロイドはそう言い切る。
「あんたがそこまで言うなら、信じてもいいけどぉ」
でも、秘密にされているのは気に入らない……と彼女はさりげなくロイドの頭を手にしていたキセルで叩く。それに今度はロイドの方が文句を言い返した。
「……逆に目立たない?」
目の前の大人の、大人げないその態度を見ながらスザクが呟くようにこう問いかけてきた。
「お互いを無視するか、でなければケンカをしているのがロイドさんとラクシャータさんの日常だったのよ。だから、逆に誰も気にしないわ」
むしろ、この光景に逃げ出す人の方がおおい。こう言ってセシルが微笑んだ。
ひょっとしたら、それを狙ってのことなのか。そう考えてルルーシュは即座にその考えを否定する。彼等にしてみれば、それこそ息をするのと同じくらいのことなのだ。あまり深く考えていないと思える。
「……母上とナナリーの所へ、顔を出せればいいのだが……」
だから、ついつい現実を逃避するようにこう呟く。
「大丈夫だよ、きっと」
それに、スザクが即座にこう言葉を返してくる。
「その時は、お前も一緒だからな」
二人に彼の存在を紹介したいのだ。だから一緒に来てもらわなければ困るのだが。ルルーシュはそう心の中で呟いていた。
ロイドの言葉の意味はライブラ離宮の別館に着いた瞬間、理解できた。
「……みな……」
そこにいたのは、アリエス離宮で自分たちに使えていた者達だったのだ。懐かしいその姿に、ルルーシュは思わず目を潤ませる。
「おかえりなさいませ、殿下」
こう言ってルルーシュの目の前で頭を下げたのは、あの日、アリエス離宮で自分を見送ってくれた執事だ。
「無事で……」
てっきり、あの後、ブリタニア宮を追われたと思っていたのに。ルルーシュは口の中だけでそう付け加える。
「シュナイゼル殿下が、必ずルルーシュ殿下がお戻りになるとそうおっしゃいまして……」
その言葉を信じた者達を自分の宮に引き取ってくれたのだ。彼はそう言って微笑む。
「それよりも殿下。どうぞ中へ」
いつまでもここで話をしていれば、誰に見られるかわからない。いくら、ここがシュナイゼルの離宮でも、だ。こう言われて、ルルーシュはようやくここがエリア11ではなくブリタニア本国であることを思い出した。
「……ルルーシュ……」
スザクもまた「そうした方がいい」というようにそっと背中に手を添えてくる。
「あぁ、そうだな……」
この七年間の話や母やナナリーの墓のことも含めて聞きたいことはたくさんあった。だが、それは落ち着いてからでも出来るだろう。何よりも、自分がここにいれば彼等はいつまでも仕事に戻れないのだ。
「すまないが、案内をしてくれ」
取りあえず、これからしばらくいることになるであろう部屋を確認したい。スザクのそれも、と思いながら言葉を口にする。
「お望みのままに」
執事はこう言って、すっかり白くなってしまった頭を下げた。
「みなは、すぐに準備を。殿下と枢木卿に差し上げるお茶は私が淹れる。準備だけをしてくれ」
そのまま顔を上げると、彼は即座に指示を出す。その姿も懐かしいと思ってしまうのは、彼が本当に変わっていないからだろうか。
「お二方とも、こちらに。チャウラー博士もおいでになり次第、ご案内するように言いつけてあります」
だから、安心してくれていい。そう告げる彼にルルーシュは静かに頷いてみせた。
「……本当にいいのかな……」
案内された部屋の中を見回しながらスザクはこう呟く。
「確かに、この方が都合がいいんだけど」
それでも、普通はここは自分がいられる場所ではない。エリア11の総督府が特別なのだ、とスザクにもわかっていた。
だから、ブリタニア本国ではルルーシュと引き離されると思っていたのだ。もちろん、その時はこっそりとルルーシュの部屋に忍び込むつもりではあったが。
しかし、スザクが与えられたのはルルーシュに与えられた部屋の続き部屋だ。廊下に出ることなく行き来できるこの部屋はとてもありがたいと言える。だが、同時に『どうして』という疑問もわき上がってくるのだ。
「……シュナイゼル殿下にはばれていることは知っていたけど……」
まさか、公認? などと呟いてしまう。
その時だ。ルルーシュの部屋に続くドアから小さなノックの音が響く。
「スザク……」
そして、不安そうな彼女の声がその後に続いた。
「いるよ、ルルーシュ」
どうしたの? と口にしながらスザクは足早にドアへと歩み寄る。そして、そのままドアを開けた。
次の瞬間、華奢な腕が彼の体に回される。
「ルルーシュ?」
「……しばらく、このままでいてくれ……」
そう言いながら、そっと胸に頬をすり寄せてきた。
「それはいいけど……」
言葉とともに、そっとその背中に手を添える。そのまま静かに撫でながら、スザクは言葉を口にする。
「どうせなら、いすに座らない?」
その方が疲れないと思うよ? と取りあえずこう囁いてみた。
「……わかっているが……」
でも、とルルーシュは口ごもる。どうやら、移動する間、体が離れるのが嫌なようだ。
先ほどまではそんな気配は感じさせなかったが、やはりこの国にいることが彼女にとって強いストレスになっているのだろう。
「大丈夫。こうすればいいだけだから」
言葉とともにルルーシュの体を抱き上げる。
「スザク?」
お尻の下に手を当てて抱き上げている体勢に、彼女は少しだけ不安そうな表情を作った。
「すぐそこまでだから、落としたりしないよ」
安心して、と微笑みながら歩き出す。
「重くないか?」
おずおずとそう問いかけてくる。
「ルルーシュは、もう少し重くなってもいいよ」
今は軽すぎるくらいだ。そう口にしながらも、出来るだけ彼女にものを食べさせようとスザクは決意をした。エリア11にいた頃はバランスのよい食事を、と思っていたが、ここではそれよりもカロリーをとること優先した方がいいのではないか。後でラクシャータと相談をしなければいけないだろう。
そんなことを考えている間にも、スザクはソファーへとたどり着いていた。彼女を抱きしめたまま、その上へと腰を下ろす。
「……スザク……」
己の膝の上に座るような形になったルルーシュがそのまま彼の胸へと体重を預けてくる。
「眠っていてもいいよ。誰かが来たら起こしてあげるから」
そんな彼女の髪にそっと指を絡めながらスザクは囁く。それに、ルルーシュは小さく頷いてみせた。
小さな吐息と共に彼女は体の力を抜く。
「スザクは、暖かいな……」
そして、こんな呟きを漏らす。
「そう?」
指先で彼女の髪をそっと梳きながら聞き返した。だが、ルルーシュの耳にどれだけ届いているだろうか。
「でも、ルルーシュだけだよ。こうして僕が抱きしめたいと思っているのは」
それ以外の人は知らない。そう言いながらさりげなく彼女の背中を抱きしめる腕に力をこめた。
気が付けば、ルルーシュの唇からは寝息がこぼれ落ちている。
「ルルーシュ、愛してる」
その事実に微笑みを浮かべながらも、スザクはこう囁いていた。
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08.05.10 up
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