誰であろうと、ルルーシュを傷つけさせるわけにはいかない。
幼い日にそう誓った気持ちは今でも変わらない。しかし、人間、誰であろうと二十四時間気持ちを張りつめているわけにはいかないのだ。
だから、この時間は大丈夫ではないか。そう判断していい時間、というのをいくつか作っておいたわけだが、今回だけは裏目に出たかもしれない。
「……授業中は大丈夫だと思ったんだけどね……」
こう呟きながら、スザクはさりげなくルルーシュを側に引き寄せる。
「どうやら、本気で進退窮まったんだろうな」
急遽、クロヴィスが顔を出すという話になったから、とルルーシュはそっと囁き返す。
「だろうね」
クロヴィス――いや、この場合はジェレミアと言うべきか――の過保護ぶりはよく知っていたが、ここまでとは思わなかった。あるいは、ルルーシュがスザクが側にいないことに耐えきれずにここに転入してきたように、彼もルルーシュ不足に陥ったのかもしれない。
そう考えれば、文句も言えないだろう。もっとも、それは何事もなければ、の話だ。
「取りあえず、正気の人たちだけでも避難させないと」
相手がナイトメアフレームに乗り込んでいる以上、生身で立ち向かえるはずはない。それだったならば、安全な場所に一度避難をして体制を整えた方がいいのではないか。そう思ってこう口にする。
「ならば……ラクシャータの所だな」
ルルーシュもこう言葉を返してきた。
「怪我人が出ても、治療もできる」
おそらく、全員が無事に避難できるとは考えていないのだろう。ルルーシュは感情を感じさせない口調で言葉を綴る。
その態度が自分に不安を与えているとは思ってもいないだろう。
「それに……あそこにはランスロットがあるからな」
あれを使えばどれだけの敵が襲いかかって来てもお前なら何とでもできるだろう、とルルーシュはスザクを見上げてくる。
「ルルーシュがそう望むなら」
普通は無茶としか言えないようなことでも必ず叶えてみせる。スザクはそう言い返す。
「だから、それまではしっかりと抱きついていてね」
言葉とともに、スザクはルルーシュを抱きしめたまま後方へと飛ぶ。先ほどまで二人がいた場所にナイトメアフレームの拳がめり込んだ。
「……何を考えている」
士官候補生を殺しても構わないと思っているのか。それとも個人的な感情からの行動なのか、とルルーシュは呟く。
「多分、後者」
ごめん、とスザクは苦笑いを向けた。
「ルルーシュが転入してくる前に、格闘技の実技でね」
名誉に負けたのが本気でいやだったみたい……と口にしながらも、スザクはさらに場所を移動していく。その身軽さは、人を一人抱えているとは思えないものだ。
「……バカだな」
冷笑を含めながら、ルルーシュはただ一言こう呟く。
「そう思うよ」
自分を恨むのは構わない。しかし、それを別方面に向けなくてどうするのか。このままでは、実際に任官した後で困るだろうに。
だが、現実問題として、それよりも先に何とかしないといけない問題がある。
「ルルーシュ。しっかりと歯を食いしばっていて」
この言葉とともにスザクは地面を蹴った。そして、自分たちに向かって振り下ろされたナイトメアフレームの拳に飛び上がる。
それを踏み台にして、校舎に近い場所へと飛んだ。
「何をやっているのよ、バカ!」
即座にカレンの声が耳に届く。
「生身でナイトメアフレームに勝てるつもり?」
貴方ならわからないけど、と付け加えられたのはほめられているのだろうか。
「取りあえず、そういうことをするなら身軽なときにしなさい!」
ルルーシュもスザクに甘えないの! とカレンはさらに言葉を重ねてくる。
「……スザクに運んでもらう方が確実だったからな」
自分では、とっくの昔にあれに潰されていたかもしれない。ルルーシュは苦笑とともにそう告げる。
「目の前で死なれるわけにはいかないでしょう?」
仲間なのだし、それに、今後はルルーシュの指示が必要になるに決まっているから、とスザクはその後に続けた。
もちろん、前半はただの口実だ。この場でルルーシュの本来の立場を明らかにすることができない――たとえ、この後すぐばれるとしても――以上、こう言っておくしかない。
だが、とスザクは心の中で呟く。
今、自分が抱きしめている相手は自分にとってどれだけの貴石と比べても比べものにならないくらい大切な存在なのだ。あるいは、自分の命よりも……と言えるのかもしれない。
「スザク、下ろしてくれ」
ルルーシュの冷静な声が耳に届く。その命令――スザクにとって、ルルーシュの言葉は指示ではない。どのような些細なものでも命令に等しい意味を持っているのだ――に素直に従う。それでも、ルルーシュの体温が離れていくと言うことに少しだけ寂しさと不安を感じてしまった。
ルルーシュの温もりがどれだけ自分を救ってきてくれたのか、本人は知らないだろう。
もっとも、それでいいと思っている。
あの日々を二人で生き抜けた。その事実だけが今は重要なのだから、と心の中だけで呟く。
「正気の者達はこの場にいる人間だけか?」
どうやら、そろそろ《ルルーシュ・ランペルージ》の擬態を脱ぎ捨てる時期だと判断したのだろう。その声には支配者としての力が滲んでいる。
「そのようね」
他にいたとしても、今の自分たちでは確認ができない……とカレンが言葉を返す。
「そうか」
その言葉に、ルルーシュは何かを考えるかのように一度瞳を閉じる。だが、すぐに開かれた瞳には強い光がともされていた。
「ならば、ここにいる者だけでも避難をする。医務室とその周辺には、万が一のことを考えて別系統のセキュリティがあるはずだ」
それだけが理由ではないことを、スザクは知っている。だが、それを今この場で口にするのははばかられる、とルルーシュは考えているのだろう。
「……確かに、その方が安心かも」
リヴァルがルルーシュに同意を示す。カレンもまたそれに賛同するかのように頷いている。その状況認識の早さは好ましいものだ、と思う。
「では、そうしよう」
スザク、とルルーシュが呼びかけてくる。
「しんがりは任されるよ。カレンが先頭で、ルルーシュはリヴァルと一緒に」
他のみんなは適当に並んで、とスザクは指示を出す。それに合わせて誰もが動き出した。
「急いだ方が良さそうだな」
外に目を向けたルルーシュが柳眉をしかめている。
「マジ?」
釣られたように視線を外に向けたリヴァルの表情もすぐに凍り付いた。一瞬遅れたスザクとカレンも、それに文句を言えない。
「……今すぐ、駆け足!」
即座にスザクが叫ぶ。
反射的に周囲の者が従う。
「スザクも、もう指揮官としてやっていけるんじゃねぇ?」
その様子を見て、リヴァルがこう言ってくる。
「まだまだだよ」
指揮官としてふさわしいのはルルーシュの方だ。というよりも、既に指揮官としての実績を持っていると心の中だけではき出す。
「……そうかぁ?」
「それよりも、ルルーシュをお願い」
「はいはい」
大丈夫だと思うんだけどな、とリヴァルは苦笑とともに告げる。それでも、即座に行動を開始してくれた。
スザクはとっさにシャッターの下に滑り込む。彼の体がルルーシュ達の元へたどり着くと同時に音を立てて通路が遮断された。
「……酷いですよ、ラクシャータさん」
小さなため息とともにスザクはその操作をした相手に文句を告げる。
「何を言っているんだい? あんたなら大丈夫だろう?」
しんがりをつとめていたのがスザクでなければ、もっと後までシャッターを閉めなかったさ……と彼女は笑う。
「もっとも……そのシャッターもいつまでも保たないねぇ」
と言うことで、移動しよう……と彼女は視線をルルーシュに向けて告げた。
「そうだな」
即座にルルーシュは頷く。それを確認して、ラクシャータが歩き始める。
「あぁ、そうだ」
だが、そんな彼女の背中に向かってルルーシュが言葉を投げつけた。
「紅蓮弐式のマニュアルをカレンに渡しておいてくれ。おそらく、必要になる」
いくらスザクが有能でも、一人では守りきれないものがある、と言うルルーシュの言葉はもっともなものだ。それでも、そう言わせてしまう自分にふがいなさを感じてしまうことも事実である。
「わかりました。でも、すぐにジェレミア卿が駆けつけてくると思いますよ」
それを待っても……とラクシャータが聞き返す。
「……その前に、俺たちを殺すだろうな。そうなれば、禁止薬物を不正に使った者達の暴走、で話が終わる」
もちろん、裏で糸を引いていたものまでは追及の手が伸びないはず、と思っているはずだ……とルルーシュはさらに言葉を重ねた。
「わかりました。確かにこのメンバーであれば彼女が適任でしょうね」
「スザクとためをはれる人間は貴重だからな」
確かに、前線で自分の動きに付いてきてくれる存在がいれば楽だとは思う。でも、とスザクはため息を吐く。
「僕はごく普通の人間のつもりなんだけど……」
そのままこう呟いた。
「どこがよ」
それが耳に入ったのだろう。カレンが即座に反論をしてくる。
「俺もそう思うよ」
彼女ほどではないが、リヴァルも控えめに同意を示した。
「それ以上に……ルルーシュって何者?」
この疑問も当然だろうな、とスザクは思う。本来であれば上官に等しいラクシャータにあれこれ命令をしているし、さらにジェレミアの名前を聞いても平然としている。何よりも、新型のナイトメアフレームのパイロットを独断で決定できるとあれば誰であろうとも疑問を抱かないはずがない。
しかし、今はそれ以上に不審な動きをしているルルーシュの方が気にかかった。
「……ルルーシュ?」
ラクシャータからワタされたマニュアルの厚さに目を白黒させているカレン達を尻目に、スザクは呼びかける。
「目に塵が入ったみたいだな」
いたい……とルルーシュは呟く。
「外す?」
「そうだな。それが無難か」
スザクの問いかけに即座に頷き返す。
「流石に……もう学生のまねごとは無理だろうからな」
なかなか楽しかったのだが、と口にしながらルルーシュは目元に手を移動させる。そして、その両眼からカラーコンタクトをはずした。
落ち着いた翠の代わりにその瞳を彩っているのは高貴な紫。
その色の深さに誰もが視線をそらせない。
紫の瞳は、ブリタニア人であれば皇族以外でもごくまれに生まれることがある。だが、ここまで濃い色であれば、それ自体が皇族の証だと言っていい。
どうやら、ここまで来れば何をしても同じだと思ったのだろう。そのまま髪型をごまかすために付けていたウィッグも取り去る。ふわり、と黒髪が翻った。その下でルルーシュが微笑む。
「我が騎士スザク」
そのまま、甘い口調でスザクに呼びかけてくる。
「はい」
その声にひかれるままにスザクはルルーシュの前に跪く。
「ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアの名において命じる。万難を排して、現状を打開せよ。ただし、殺すなよ」
後が厄介になるからな……と付け加える己の主にスザクは苦笑を返した。
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07.10.26 up
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