しかし、保健室の地下にこれだけ大きな空間があると誰が考えただろうか。
そこ中心に存在している純白のナイトメアフレームに歩み寄りながらスザクはそう思う。
「コーネリア姉上が士官学校に入られたおりに、万が一のことを考えて作らせたそうだ」
ダールトンをはじめとした彼女の護衛が詰めていたらしい、とルルーシュが教えてくれる。
「そうなんだ」
何気なく言葉を返して、スザクはすぐに『しまった』という表情を作った。主に対しこんな風に気安く言葉を返すことは許されていない。その事実を思い出したのだ。
「気にするな。お前を騎士にしたのは、誰にも文句を言わせずに側にいて貰うためだからな」
ボイスチェンジャーを外しても、ルルーシュの声は女性にしては低い。だが、その声がスザクの耳には心地よく響く。
「それはわかっていますが、皇女殿下。慣れておかないと……」
今までは事情を知っている者達の前にしか顔を出したことはない。だが、叙任式を終えてしまえば公式の場に出なければいけないのではないか。
その時にミスをしないように、普段から慣れておいた方がいいような気がする。
スザクのこの言葉に、ルルーシュは小さなため息を吐く。
「だから、皇族になんて戻らない……と言ったのに……」
皇族に戻れば、スザクと引き離される。そうでないとしても、以前のような関係は望むことがむずかしくなるだろう。それがわかっていたからこそ、最後まで渋っていたのだ。
ルルーシュはスザクにだけ聞こえるような声でこう呟いた。
「それでも、僕は君の側にいるよ?」
今までも、そしてこれからも……とスザクはそっと告げる。
「わかっている」
そのためにも、この窮地を切り抜けなければ意味がないな……とルルーシュは意識を切り替えたようだ。彼女の表情に厳しさが戻る。
「……カレン」
その表情のまま、彼女は視線を先ほどまで同級生だった少女へと向けた。
「何?」
無意識に今まで通りの口調で言葉を返してしまったことに気が付いたのだろう。カレンが『しまった』というような表情を作っている。
「気にするな。いきなり『変えろ』というという方が無理だとはわかっている」
それに、今はそれは重要ではない……とルルーシュは付け加えた。
「それよりも、使えそうか?」
紅蓮弐式は、と言う問いかけにカレンは頷いてみせる。
「大丈夫だとは思うわ。ただ、今まで操縦したことがある機体とはコクピットの配置から違うから、戦闘中にミスが出ないとは限らないけど」
「かまわん。スザクがいるし……おそらく、我々が動くと同時にジェレミアあたりが応援に来るだろう」
何よりも、とルルーシュは笑う。
「私は母上にそっくりだそうだからな。教官達の中には母上の姿を覚えているものもいるだろう」
それがきっかけになって暗示から逃れられるものもいるのではないか、と彼女は続けた。
「ルルーシュ!」
「危険です、殿下!!」
スザクだけではなくラクシャータもこう叫ぶ。あまりに焦っていたせいで、スザクは自分が彼女を呼び捨てにしていると言うことを自覚してなかった。
「お前達がいるのにか、スザク」
そんな彼に向かってルルーシュは笑いかける。
「それに、後方で震えているようでは指揮官として不適切なのだろう?」
教官の話であれば、と彼女はさらに付け加えた。確かに、それは今日の講義の際に教官からいわれた言葉ではあった。しかし、このような場でいって欲しくはない。
「ここには他にグラスゴーもある。そうだな……リヴァルには私の護衛に徹して貰うことにしよう」
それでも不安ならば、ジェレミアを急かすのだな……と言うルルーシュにもう何を言っても無駄だな、とスザクは判断をする。それよりも、さっさと敵を片づけた方が早そうだ。そして、その後でクロヴィスか誰かに彼女を叱って貰おう。ジェレミアに協力をして貰えば何とかなるのではないか。
スザクはそう考える。
「……いざとなったら、カレンも殿下の護衛に回ってくれるかな?」
あちらを動作不能に持ち込むだけならば、自分一人でもできるだろうから……と彼は言葉を重ねた。
「大丈夫なの?」
カレンが冷静に問いかけてくる。
「コーネリア殿下の親衛隊の方々よりは弱いでしょ?」
そんな彼女に向かって、スザクは真顔でこう言い返した。
「当たり前でしょ!」
「なら、大丈夫だよ……さんざん、しごかれたから」
ルルーシュを守るために必要だとわかっていたから、素直にしごかれたけど……と付け加える。
「……貴方もだけど、殿下も何をするために士官学校に入学したのよ」
必要ないじゃない、と言うカレンに、
「必要だよ。僕は、正式な訓練を受けたことがないんだよ?」
と言い返す。だから、最低限の知識を身につけてこいと言われたのだ、とも付け加える。
「ルルーシュ……殿下は、その後であれこれ調べて、この事に気付かれたみたいだね」
本当は穏便に済ませるつもりだったらしいよ、と取りあえずフォローの言葉も口にした。何事もなければ、証拠だけを持って帰るはずだったと言っていた、とも付け加える。
「……チャウラー先生は?」
「新型のパイロット探し」
事前に話を聞いていたから、こちらも即答する。
「どのみち、新型の開発は特派の管轄だから、殿下の指揮下に入るのは同じだけどね」
だから、自分の目で確認したい……とルルーシュが言っていたことも事実だ。だから、どちらにしてもルルーシュは士官学校に編入をしてきただろう。
本当は、自分と一緒に入学をしたいと言っていたのだ。
しかし、クロヴィスやコーネリア、それにシュナイゼルと言ったルルーシュと親しい皇族がそれを止めた。きっと、それはルルーシュの中で眠っている爆弾を怖れてのことだろう。
もっとも、別の爆弾が破裂しそうになって慌てて許可を出したのは先日のことだったが。その結果、全ての事態が動いたというのは事実だろう。
それがよかったのかどうかはわからない。
しかし、今回のことがうまく片づけば、皇族としてのルルーシュの立場が強くなる。ルルーシュ自身にとってそれがいい言葉なのかどうかはわからないが、これから彼女が行動をしやすくなることだけは事実だ。
そして、それは特派にとってもプラスになる。
それ以上に、彼等は今は亡きルルーシュの母、マリアンヌ・ヴィ・ブリタニアに心酔していたと言うことも否定できない事実だろう。
そのマリアンヌの遺児であるルルーシュに協力してくれているのは、それもあるのかもしれない。もっとも、今は違うはずだ。
「……取りあえず、生き残ってからのことよね……」
ルルーシュと友達づきあいできないのは少し残念だけど、とカレンは笑う。
「それについては大丈夫だと思うけどね」
特派に来たらびっくりすることばかりだよ、と口にすると同時に、スザクは彼女の肩を叩く。
「と言うわけで、そろそろ騎乗しないとね」
ルルーシュの方は準備ができたようだから、とスザクはさりげなくカレンを促す。
「そうね」
確かに、自分たちの準備ができなければ動けない。それでは好機を逸してしまう可能性もあるわね、とカレンも頷く。
「でも、殿下の一番お側にいるのがリヴァルだなんて……少し不安だわ」
粗忽者だし、何よりもルルーシュよりも操縦技術が下だもの! と彼女が叫んだ。
「……やはり、近いうちに複座のナイトメアフレームを開発しようかね」
二人の話を聞いていたのだろう。ラクシャータが口を挟んでくる。
「そうなると、またパイロット探しが面倒ですよ」
「ジェレミアを引き抜くしかないんじゃない?」
でなければ、別の誰かを捜すか……だが、良さそうな人材がすぐには思い出せない。だったら、次善策でいいのではないか、と彼女は続けた。
「ジェレミア卿がルルーシュを崇拝に近い思いで見ているのはわかっていますけどね」
だからこそ問題なのだ、とスザクは思う。
何よりも、彼は今、クロヴィスの直属の部下なのだ。
その事実が他の者達からの糾弾の理由にならなければいいと思う。
「でも、特派は一応シュナイゼル殿下の直属ですから……」
もっとも、現在は……である。
正式にルルーシュが騎士を持った時点で、特派の全権は彼女に移ることになっていた。それはそれでまた問題かもしれない。しかし、シュナイゼルがその時にはきちんと手を打ってくれると言っていたから心配をする必要はないのではないか。
「な〜に。それに関してはプリン伯爵に任せておけばいいさ」
殿下には、それよりも優先しなければいけないことがあるはずだから……とラクシャータは笑う。
「ほら。そろそろ、ここも気付かれたようだよ」
まったく。教官の誰かが漏らしたね……と彼女は吐き捨てるように口にした。
「カレン!」
スザクは行動を開始しながら傍らの少女に呼びかける。
「わかっているわ」
同じように、彼女も与えられた機体へと駆け寄っていく。
「逃げたいものは、今すぐ逃げろ。そのことで私はお前達を非難しない。非難させない」
そんな彼等の耳にルルーシュの凛とした声が届いた。
「残るものは、無条件で私の指示に従え!」
そうすれば、勝てる! という彼女の言葉を信じるものがどれだけいるだろうか。
だが、ルルーシュの声は他人を従わせられるだけの《力》を持っている。
「……ずいぶんなセリフね」
「でも、嘘じゃないよ」
ルルーシュの指示に従えば、どれだけ不利な条件でも勝てる。それをスザクは何度もこの目で確かめていた。
「それは疑っていないわよ。ただ、皇女殿下の口調にしては雄々しいな、と思っただけ」
もう少したおやかな存在なのかと思っていた、とカレンは言い返してくる。
「コーネリア殿下とクロヴィス殿下の影響が大きいと思うよ」
そして、あの戦争の……と心の中だけで呟く。
初めて出逢った頃のルルーシュは本当にたおやかな口調で話をしていた。でも、あのころの彼女を思い出すのは辛い。
それよりは、多少がさつになったものの今のルルーシュの方が魅力的だとも思う。
「ともかく、準備は?」
本気で気分を切り替えないとまずい。言葉とともにスザクはランスロットを起動させた。
「大丈夫よ!」
どうやら、彼女も完全に意識を切り替えたらしい。これならば、大丈夫だろう。
そう判断をして、スザクはルルーシュへと意識を戻す。
リヴァルが操縦しているらしいグラスゴーの肩の上に彼女のほっそりとした姿が確認できる。碧の黒髪がその動きに連れて緩やかな曲線を描いている。
「ランスロットと紅蓮弐式は前衛に。他の者達は非常口を守るように半円形に」
身につけた規律はこう言うときにも発揮されるもののようだ。ルルーシュ達を中心として即座に陣形を取った。
もっとも、それは当然なのかもしれない。
士官学校を卒業しても、皇族の指揮下に入れるとは限らない。まして、このように直接皇女殿下を守れるような状況なんてそうあるはずもないだろう。これをチャンスと思っている人間も多いのではないか。
「よいか? 私がここにいる以上、必ず救援は来る。諸君らがしなければならないことは、それまで生き残ることだ」
自分を守ることではなく、生き残ること。
そう言える皇族は多くはない。
「Yes,Your Heighness!」
だからこそ、自分たちは彼女を守るのだ。その意識をこの場にいる全ての者達が固めたことを、スザクは気付いていた。
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07.11.02 up
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