士官学校の一件がどのような経緯で収束をしたのかまでは、スザクの耳には入ってこない。正式に叙任されていない自分が御前会議の席までともをすることは許されていないのだ。
それでも、ルルーシュの足元がさらにしっかりとしたものになったことは伝わってきている。
スザクの叙任式も、近いうちに行われるのではないか。そうジェレミアが教えてくれたのは先ほどのことだった。
「……でも、こんなことになるなら……」
本国でやらない方がよかったのではないか。
スザクは小さな声でこう呟いてしまう。
「……クルルギ……」
それが聞こえたのだろう。たしなめるようにジェレミアが声をかけてきた。
「わかっています。色々な意味でパフォーマンスが必要だと言うことは。でも、当面の問題としてルルーシュの機嫌が不安なんですが……」
先ほどクロヴィスが運び込んだ荷物の量から判断をして、きっと一着や二着ではないだろう。それを全て着て見せなければ、クロヴィスだけではなくユーフェミアも納得しないのではないか。
しかし、だ。
あの戦火の日本にいたせいか――あるいは、それ以前からかもしれない――ルルーシュは自分が着飾ることに興味がないのだ。
「……そちらの方か、問題は」
ルルーシュの性格についてはジェレミアも知らないわけではない。だから、スザくの言葉に渋面を作る。
「確かに、あの方の忍耐がいつ尽きるかは問題だな」
「はい。エリア11であれば、もう少しドレスの数が少なかったかな、と……」
一度に運び込まれる、だ。それであれば、ルルーシュもクロヴィスに付き合ったのではないか。
「そうかもしれないな」
しかも、本国であればユーフェミアも参加するに決まっている。それでルルーシュの負担が増えることはわかりきったことだ。
「せめて……どなたかストッパーになってくださる方が同席してくださればよかったのだろうが……」
そういわれて思い当たる人物が即座に出てこない、とジェレミアがため息を吐いた。
「せめて、コーネリア殿下がユーフェミア殿下とともにおいでくださっていれば、状況は変わっていたのでしょうが」
スザクがこういった、まさにその瞬間だ。何かが倒れるような周囲に響き渡る。
「ひょっとして……」
ジェレミアの表情が強ばる。
「おそらく、そうだと思いますよ」
こう告げるスザクの耳にはドアの方へと駆け寄ってくる足音が届いていた。そのリズムから、誰のものかもわかっている。
「……せめてドレスを着ていてくれるといいんだけど……」
こう言いながら、さりげなく上着を脱いでおく。
「そうだな……」
ジェレミアもまた肩からマントを滑り落とした。そして、何があっても大丈夫なように広げている。
「スザク!」
まるでそれを待っていたかのように、ドアが勢いよく開かれた。それ以上に勢いよく華奢な体がスザクの胸に飛び込んできた。
「もう、やだ!」
もう我慢できない、と叫ぶ彼女の肩にスザクは自分の上着を掛けてやる。
「落ち着いて、ルルーシュ」
そのまま、彼女の背中をそうっと叩いた。
「コーネリア姉上の時もシュナイゼル兄上の時も、衣装を新調したという話は聞いていないのに、どうして俺に強要するんだ!」
いつもの衣装でいいではないか! とルルーシュは叫ぶ。
「僕もそう思うんだけどね」
そう思っていらっしゃらない方がいるからじゃないかな……と口にしながらスザクは視線を彷徨わせる。いくらなんでも、この状況でこの恰好はまずいと思うのだ。
「ルルーシュ殿下……ともかく、これを」
同じ事を考えていたのだろう。スザクが掛けた上着の上からジェレミアがさりげなくマントを羽織らせた。
しかし、ルルーシュの方はそれにも気付いていないのか。
「俺は兄上の着せ替え人形でもユフィのおもちゃでもない!」
さらにこう叫ぶ。
「……ルルーシュ……」
誰もそんなことは考えていないよ、とスザクはルルーシュをなだめることに専念をしようとした。それとも、他の誰かにこの役目を譲るべきなのか。そう思いながらさりげなくジェレミアへと視線を向ける。
「お二方には、今しばらくお控え頂くようにお願いしてこよう」
彼はこう言って、部屋の中に足を踏み入れていく。
「お手数でなければ、ドレス以外の着替えを……」
「わかっている」
確かに、今のルルーシュにドレスを勧めるのは逆効果だろう……とジェレミアは苦笑とともに頷いてみせた。後は彼に任せておけばいいだろう、とスザクは思う。
「……ルルーシュ……取りあえず、中に入ろう?」
そして、腕の中の少女に向かってそうっとこう囁く。
「僕は嬉しいけど……他の人にはあまり見せたくないな」
自分でも歯が浮くようなセリフだな、とは思う。それでも、それが本音だと言うことも否定はしない。
「でも、いやだったんだ……」
もう、あそこにいるのは、とルルーシュは口にする。
「別段、着飾らなくても俺は俺だ」
「うん。それもわかっているよ」
でも、ルルーシュが正装したらものすごく綺麗だよね……と、スザクは口にした。
「……お前がそういうと思っていたから我慢していた……」
でも、とルルーシュはため息を吐く。
「ありがとう。でも、ルルーシュがいやなら、それでいいんだよ?」
ルルーシュの気持ちが何よりも優先されるから、とスザクは口にした。
「取りあえず……ジェレミア卿が今着替えを持ってきてくれるはずだから……それを着たら部屋に帰る?」
それとも、クロヴィス殿下達と話し合う? とさらに問いかける。
「……部屋に帰る……」
もう、今日の所はあのドレスの山は見たくない……とルルーシュは呟くように口にした。その言葉から、よっぽど酷い目――あくまでもルルーシュの視点で、だ――にあったのか、と推測できた。
「ルルーシュがそういうなら、そうしようね」
スザクのこの言葉に少しだけでも落ち着いてきたのだろう。彼女は小さく頷いてみせる。それでも、まだスザクから離れようとしないのは不安を感じているからだろうか。どうしたら、それを解消して上げられるのだろう……とスザクは悩む。
そのまま小さなため息を吐いたときだ。
スザクの視界の隅に白いブーツが現れる。
「ルルーシュ! どうしたんだ?」
そう思った次の瞬間、この言葉とともにコーネリアが駆け寄ってくるのがわかった。
それにルルーシュは何と言葉を返すのだろうか。
ユーフェミアが関わっているからか、ルルーシュも悩んでいるようだ。
「クルルギ?」
それを待っていられなかったのだろう。彼女はスザクに疑問の矛先を向けてきた。
「……クロヴィス殿下がルルーシュにとドレスをお持ちくださったのですが……あまりの量に逃げ出してきただけです」
ユーフェミア様も同席されていますが、と取りあえず『元凶はクロヴィス』と言うことにしておく。
「……そうか……」
だが、コーネリアにはそれだけで十分だったらしい。苦笑とともに頷いてみせた。
「すまなかったな、ルルーシュ。私がもう少し早くこちらに来られればよかったのだが……」
しかし、その恰好は……と微かに眉を寄せる。
「今、ジェレミア卿が着替えを取りに行ってくださっていますから」
苦笑とともにスザクはこういった。
「そうか。まぁ、この場にお前がいたからだろうが……」
それにしても、とコーネリアはため息を吐く。
「スザクもジェレミアも……悪くありません……」
彼の胸から顔を上げることなく、ルルーシュがこう呟くように口にした。
「わかっているよ、ルルーシュ。だから、ほどほどにしておけ、と言っておいたのに」
彼らの気持ちもわからなくはないが、ルルーシュの負担も考えて……とコーネリアは苦笑を浮かべる。そのままそうっとルルーシュの髪に手を伸ばしてきた。
「頼むから、あの子達をきらいにならないでやってくれ。お前達を祝おうという気持ちには偽りはないのだから」
髪をそうっと撫でながら告げられた言葉にルルーシュは小さく頷いてみせる。
「あの二人にはきちんと釘を刺しておく。もうじき、シュナイゼル兄上もこちらにおいでになるはずだからな」
その時に、ドレスの件もけりを付けて上げよう、とコーネリアは微笑む。
「心配するな。ようは、何を着るか決めてしまえばいいだけのことだ」
彼女は簡単に言うが、それが可能なのだろうか。スザクは、少しだけ不安になっていた。
しかし、さすがは宰相閣下、と言うべきか。
「ユフィならともかく、ルルーシュならばあまり胸元を露出をさせない方がいいと思うよ」
させるとしても、背中のラインを見せる方がルルーシュの魅力をより引き立たせるのではないか。微笑みとともにそう告げる。
「胸元はドレープかシャーリングを施して……背中は少し大胆にカット。色は……白か淡い藤色にアクセントは赤かな?」
黒だときつくなりすぎるからね……と口にする彼に、クロヴィスをはじめとして誰も反論ができない。
確かに、それはルルーシュには似合うだろう。
しかし、どうしてそこまで具体的なイメージを彼は口にできるのだろうか。確かに、公的な場面に数多く出席している彼の目が肥えていることは否定できない事実ではある。それでも、そちら方面に才能を見せているクロヴィスよりもさらにルルーシュに似合うそれを提案できるとは、とスザクは別の意味で感心してしまう。
「君がデザインしたドレスも悪くはないと思うよ、クロヴィス」
シュナイゼルはさらに笑みを深めた。
「わかっていますが……でも、ルルーシュの首のラインは美しいと思うのですよ。それを隠すのはもったいないような……」
胸元にボリュームを持たせるには……とクロヴィスは小さくうなっている。
「お前なら大丈夫だ」
それはフォローなのか。そういいたくなるような言葉をコーネリアは口にした。
「……もちろんです。ルルーシュのドレスは、絶対に私がデザインしたものを着せるつもりですから」
もちろんスザクのものもセットでデザインしてやろう。
「ありがとうございます」
自分がおまけなのはしかたがない。それでも、この場合は感謝の言葉を口にしておくべきだろう。
「何。当然のことだよ」
ルルーシュと色をそろえるか。それとも反対色を使うか……とクロヴィスはあれこれ呟いている。
「しかし、叙任式を終えたらエリア11に戻ってしまうんだよね。クロヴィスにだけ独占させるのはつまらないな」
話題を変えようとするかのようにシュナイゼルはこういう。
「シュナイゼル兄上……」
そんな彼に、困ったようにルルーシュが呼びかける。
「君の気持ちもわかっているからね。無理強いはしないよ」
自分たちがあちらに足を運べばいいだけだ、と彼は微笑みかけた。
「ロイド達を押しつけてしまうことになるし……こまめに連絡を入れてくれると嬉しいな」
もちろん、スザクが代行してくれても構わない……とさりげなく続ける。その方があれこれ聞き出せるから、と付け加えられなくてもわかってしまうのは何故だろうか。
「そうだな。エリア11であれば、補給で足を運ぶことも多い。その時に顔を合わせることもできるか」
ルルーシュが落ち着いて過ごせることのほうが重要だ、とコーネリアも頷いてみせた。
「……学校がお休みになりましたら、遊びに行きますから」
ユーフェミアもこう告げる。
それは、ルルーシュの心にまだ口を開けている傷のせいだろう。エリア11でも彼女を傷つけることはたくさんあった。それでも、この国で受けたそれよりは軽いのかもしれない。
「その時は歓迎するよ、ユフィ」
「そうですね。仕事は全て、クロヴィス兄さんに任せてしまえばいいでしょうし」
構いませんよね、とルルーシュは誰もが見ほれる微笑みを彼に向ける。
「ルルーシュ、それは!」
間違いなく、これは今日のことに対する嫌がらせだろう。怒りの矛先がユーフェミアに向けられないのは、彼女が妹だからだろう。本当にこのきょうだいは年下――特に妹――には無条件で甘い、と思う。
しかし、とスザクは心の中でそうっと付け加える。
自分がこのような場面に同席することになるとは思っていなかった。しかし、そのことを後悔していない。あの時取った行動についても、だ。
ルルーシュだけが自分にとっての唯一で絶対。
それは、彼女にあったその時から自分の中に芽生えた感情なのかもしれない。もっとも、自覚したのはもう少し後だったのだが。
微笑みとともに、スザクはあの日々のことを思い出していた。
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07.11.16 up
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