十数時間のフライトを終えて、ルルーシュは日本の土を踏んだ。
「ようこそいらっしゃいました」
言葉ではそういいながらも、その態度は決して自分を歓迎しているとは言えない。そんな大人達の前で、ルルーシュは皇族として誰にも文句を言われないであろう微笑みを浮かべた。
「ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアです。みなさまにはわざわざのお出迎え、ありがとうございます」
ブリタニア語ではなく日本語でそう言い返す。そんな自分に、彼らは一瞬だが驚いたような表情を作った。
「……日本語を……」
やがて、中央にいた人物――彼が現在の日本国首相、枢木ゲンブだと言うことは事前に渡されていた資料で確認してある――が何とか言葉を絞り出す。
「覚えました。必要だと思いますので」
ブリタニア語を話せる日本人はそう多くはないと聞いている。ならば、この地でコミュニケーションを取るためには自分が日本語を覚える方が早いだろう。そう判断をしたのだ、とルルーシュは淡々とした口調で告げる。
「もっとも、読み書きの方までは手が回りませんでしたので、これからこちらで勉強をさせて頂こうと思っております」
語彙も多くはないので、これから増やしていかなければいけないだろう。
さらに言葉を重ねたルルーシュの口調はまったくよどみないものだ。その事実に、ゲンブをはじめとした者達のルルーシュを見る視線が変わる。
しかし、ルルーシュはそれに反応を返すことはない。
相手がどのように自分を見ていようと構わなかった。
誰の視線であろうとも、決して自分を自分自身として見てくれることはない。それは、同じ父の血をひく者達にしてもそれは同じだと言っていい。親しかった兄姉たちですら、自分を見る目は《マリアンヌの子》であったのだ。
同じように、彼らの目には《ブリタニアの皇女》としか映っていないだろう。
しかも、だ。
連中のことだ。皇女であることと年齢のことだけで、自分を組みしやすい存在だと思っているに決まっている。
そんな存在が、あの伏魔殿でここまで無事に成長できるものか、と心の中ではき出す。
あの、誰よりも強かった母ですらあの場所で命を落としたのだ。そして、自分はあの優しかった妹を守ることができなかった。
一瞬、ルルーシュの心を悔恨の情がよぎる。
しかし、ここで弱みを見せるわけにはいかない。
「お手伝い頂ければ、幸いです」
心の奥底にその感情を押し込めると、ルルーシュはさらに笑みを深めながらこう口にした。
この微笑みが、あくまでも表面上のものだと看破できるものはこの中にいるだろうか。
きょうだい達ですら、その事実に気づいたものは多くはない。二番目の兄姉、それにいつも側にいたジェレミアぐらいだろうか。仲がよかった三番目の兄とすぐ下の妹ですら気付かなかったそれを初めて会った目の前の者達が気付くはずがない。
それ以前に、自分の言葉が彼らの耳に届いているかどうかもわからないだろう。
彼らにとって、自分は体のいい人質であるはず。
それがこんな風に賢しい存在だとは思っていなかったに決まっている。
「……取りあえず、いつまでもこのような場で立ち話も何でしょう。控え室にご案内致します。しばらく、そこでおやすみください」
それで慌ててこれからのことを相談するつもりになったようだ。
「お気遣い頂き、ありがとうございます」
この命がどうなろうと、もうどうでもいいこと。
自分がそう考えているとわかっているから、父である皇帝は自分をこの地に追いやったに決まっている。
守るべきものを失った以上、それすらもどうでもいいことだ。
「……私が死んでも、心の底から悲しんでくれるものがどれだけいるか……」
先に歩き出した者達の耳に、ルルーシュのこの呟きは届かない。
あるいは、この賢しげな皇女をどうするべきかで頭がいっぱいなのだろう。
彼らが望むような存在が欲しければ、皇女ではなく皇子を望めばよかったのだ。
目の前の暗い色のスーツを着た男達の背中に向かってルルーシュは心の中ではき出す。
ブリタニア現皇帝、シャルル・ジ・ブリタニアの子供は男の方が多い。その中には、彼らが望んでいたような凡庸で扱いやすいものもいたのだ。
逆に、皇女の方が少ないが故にきちんと自分の意志を持つように育てられる。でなければ、その性別故にただ利用されて終わりだとわかっていたからだ。
それでも、自分が二番目の姉のように力を持っていれば、少なくともナナリーを失うことはなかったのだろうか。
それとも、あの状況ではコーネリアでも彼女を守ることは不可能だったのか。
ブリタニアにいた頃に問いかければ、彼女は教えてくれたかもしれない。だが、心を許したものには甘いコーネリアのことだ。ルルーシュの悔恨を少しでも和らげようと嘘を口にするかもしれない。
そんな姉が嫌いではない。
同時に、彼女をこれ以上悲しませるようなことはしたくはない。
だから問いかけなくてよかったのだ。
自分に向かって言い聞かせるように心の中で呟く。そして、そのまま、彼らに案内させるがまま歩き出した。
土蔵の中を見回してスザクは思いきり顔をしかめた。
気が付けば、一階の部分はそれなりに片づけられて代わりに新しい布団だのなんだのが運び込まれている。
「……ここは、俺の場所だったのに……」
それなのに、どうして見知らぬ奴に明け渡してやらなければいけないのだろうか。それも、あのブリキ野郎に、だ。
「皇女なんて……面倒なだけだろうが」
そんな相手を自分は『母』と呼ばなければいけないのか。
使用人達の話を総合すると、その皇女は父の婚約者としてブリタニアから日本に来るのだという。つまり、自分の《母》になると言うことだろう。
でも、とスザクは思う。
「俺の母さんは、一人だけだ……」
誰が何と言おうと絶対にそんなことは口にしない。
そもそもブリタニア人を《母》と呼べるか! とそんなことも思う。
第一、父やその周囲の人々だって、ブリタニアを良くいっていない。それなのに、あの国の人間――しかも、皇女だ――を嫁に貰うことはないじゃないか。
そう思ってスザクはゲンブにそう言った。それなのに『お前は、まだまだ子供だからな』と鼻で笑われてしまった。
「どうせ、俺は子供だよ」
だからこそ許せないことがあるのだ、とどうしてわかってくれないのか。スザクはそれが不思議でならない。
「父さんだって、他の人たちだって……みんな、子供だったじゃないか」
それなのに、どうして大人になると子供の時の感情を忘れてしまうのだろう。
それとも、忘れなければ大人になれないのか。
「……考えてもわかるわけないよな」
自分はまだ子供なんだから、とスザクはため息を吐く。
だからといって、今すぐ大人になりたいわけではない。厄介なしがらみに縛られるくらいなら、ずっと子供のままでいいとまで考えている。
もちろん、それが不可能だと言うことは十分理解していた。
誰だって大人になるのだし、昨日までは、さっさと大人になりたいと思っていたことも事実だ。
「全部、父さんが悪いんだ!」
勝手にあれこれ決めて、自分には事後承諾ですませるから……とスザクは父に責任を転嫁する。
「俺は、父さんの人形じゃない!」
きちんと説明をしてくれれば、納得できたかもしれない。ここだって、その皇女に明け渡すことを妥協できたかもしれないのだ。
「でも……絶対に、そいつを母屋には上げてやらない!」
土蔵であれば、昔は座敷牢として使われていたこともあるから、ゲンブもそのつもりでいるに決まっている。女中頭が自分をなだめるためにそういってきたことをスザクは覚えている。
確かに外から鍵をかけてしまえば、どうあがいても中から開けることは不可能だ。何度も閉じ込められた経験があるから、それは身にしみてわかっている。
だから、その皇女もここに閉じ込めてしまえば自分は顔も見なくてすむだろう。
忘れたふりをして自分がかけてしまってもいいかもしれない。
そんなことを繰り返していれば、いずれはブリタニアに帰るのではないだろうか。
「そうしたら、ここはまた俺のものだよな」
今までとは違って、一階の床は綺麗にされている。いらないものも片づけられているから、ずっと快適に過ごせるだろう。
簡易とはいえ、トイレと風呂もあるし……とスザクは笑う。
「そうすれば、父さん達にあれこれ言われそうなときは逃げ込めるよな」
自分のその考えがとてもよいもののように思える。
「うん、そうしよう」
ブリキ野郎――女性でも『野郎』なんて言っていいのかどうかはわからないが――相手なら、何をしても怒られないだろう。だから、取りあえず、挨拶代わりに引き出しに虫でも詰めておいてやろうか。
女性であれば、その多くがいやがるに決まっている。
それを繰り返せば、きっと『帰る』と言い出すだろう。
もちろん、それでゲンブ達に怒られるかもしれない。しかし、自分は仲良くなりたくてプレゼントをしただけだ。そういいきればいいだろう。
こう言うときだけ《子供》という立場は使えるよな、とスザクは笑みを浮かべた。
「今の時期だと、何がいるかな」
取りあえず、無難にカブトムシとか何かだろうか。
それとも、蝶の方がいいのか。
どちらにしても、裏山に行けば見つかるだろう。
そう考えて、スザクは足をそちらに向けた。
しかし、その考えが僅か半日後に覆されるとは思ってもいなかった。
「ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア、です」
こう言って頭を下げたのは、黒い髪に白い肌の少女だった。
身に纏っているワンピースの色は黒。
首に下げているペンダントは銀だろうか。いや、皇女という身分を考えればプラチナかもしれない。
どちらにしても、その瞳の色を除けばモノトーンしか身に纏っていない目の前の相手は、どう見ても自分と同じくらいの年齢としか思えない。
この事実をどう判断すればいいのだろうか。
「……父さん……」
反射的に視線を向ければ、珍しくゲンブも困ったような表情を作っている。と言うことは、彼にしてもこれは予想外の事態だったと言うことか。
「取りあえず、殿下は我が家でお預かりする。失礼のないようにな」
それでも、来てしまった以上、即座に放り出すわけにはいかないのだろう。追い返すにはそれなりの理由がなければいけないのか。
しかし、と思う。
目の前の相手は自分が置かれている立場を認識しているのだろうか。
ここに来てから、彼女が浮かべている笑みは、あくまでも儀礼的なものだ。もちろん、こんな状況で心からの笑みを浮かべられるはずがない。
でも、と心の中で呟いてしまったのはどうしてなのか。スザク自身わからなかった。
いや、それ以上の爆弾発言があったからかもしれない。
「と言うことで、後のことは任せたからな、スザク。殿下のお相手をして差し上げるように」
言葉とともにゲンブは腰を上げる。そのままドアの方に向かって歩いていく彼を見て、ようやくスザクは言葉の意味が飲み込めた。
「このくそ親父! 逃げるつもりだな!!」
卑怯者、と叫んでも古狸には通用しない。彼はそのまま姿を消してしまう。
二人だけで残された室内を、妙な沈黙だけが支配していた。
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07.11.30 up
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