PREV | INDEX

お隣のランペルージさん

50


「陛下……」
 静かなリビングでノネットの声が響く。
「妥協されるべきです」
 帰らないと入っていないだろう、と彼女は続ける。
「それとも、何か言いにくいことでもあるのですか?」
 オデュッセウスがそう問いかけてきた。  それには答えずシャルルは手にしていたグラスに入った日本酒に口をつける。
「……うまいな」
 無意識にこうつぶやく。
「マリアンヌが気に入るはずよ」
 土産はこれにしようか、とそう付け加えた。
「陛下!」
 ノネットが呆れたように彼を呼ぶ。
「陛下。隠しておきたいのはわかっております。ですが、ルルーシュもああ見えてただの子供ではありません」
 オデュッセウスはオデュッセウスでため息交じりに言葉を綴り出す。
「陛下が何かをごまかそうとしておいでのことはわかっていると思いますよ」
 その内容まではわからないようだ、と言われてシャルルはため息をつく。
「……出来れば知らせたくなかったのだが」
 最後まで自分のわがままで帰国させられたと思っていて欲しかった。そうシャルルは続ける。
「本国のバカがあちらと通じておる。そこからお前達がこちらにおることを聞きつけたようでな。中華連邦が動いているらしい」
 最悪連れ去られることを覚悟しなければいけないだろう。そう続ける。
「もちろん、そう易々とさせるつもりはないがな」
 それでも本国ならばともかくこの国では完璧に守り切るのは不可能だ。だから連れ戻したかったのだが、とシャルルは渋面を作る。
「最初からそうおっしゃればいいのに」
 オデュッセウスは呆れたように言葉を口にした。
「そうすればルルーシュも『いや』とは言わなかったでしょう」
 今となっては素直に聞き入れてくれるかどうかわからない。逆に屁理屈で滞在を延ばそうとするはずだ。
「あの子は六年生ですからね。卒業までと言われないだけマシだと思ってください」
 オデュッセウスの言葉にシャルルは目を見開く。
「だが、の……」
「あの子達は日本で初めて友人が出来たのですよ? 私も身分を気にしなくていい友が出来ましたし。せめて『さよなら』言う時間ぐらいは差し上げてください」
 シャルルの言葉を遮ってオデュッセウスがさらに続ける。
「確かに別れの言葉も言えないのはつらいですからね」
 ノネットもそう言ってうなずく。ただ、彼女の場合本当に相手が死んでいる可能性があるところが問題だ。
「……それに、急に引き上げるのでしたら理由が必要です」
 今まで黙っていた咲世子が口を開く。
「理由?」
「学校側にです。たとえばマリアンヌ様が倒れた、と言うような緊急の理由があれば本国に戻っても何も言われないでしょう」
 それ以外の理由ではあれこれと質問される、と咲世子は言う。
「マリアンヌ様が倒れる……」
「あり得ないですね」
 その言葉にオデュッセウスとノネットは口をそろえて否定する。
「マリアンヌ様よりは陛下の方が可能性があるかと」
 さらにノネットがこう付け加えた。
「好き勝手いいおって……」
 そうつぶやいたものの、シャルルも『マリアンヌだけは倒れまい』と言う思いを抱いていたからそれ以上は何も言えない。
「だが、確かに理由は必要であろう」
 シャルルはすぐにこう告げる。
「違うか?」
 そう言いながら彼は視線を咲世子へと向けた。
「学校側へのいいわけであればこちらに戻れない相手が倒れたことにした方が良かろう」
 しかし、誰がいいだろうか。そう考えたときだ。
「陛下が一番よろしいかと」
 咲世子がきっぱりと言い切る。
「今日のことで学校の皆様に陛下がそれなりのお年であると知れ渡りました。そのような方でしたら体調を崩してもおかしくはないと思われましょう」
 ただし、と彼女は言葉を重ねた。
「最低でも一月はお待ちいただかないと、こちらで体調を崩したと大騒ぎになりかねません」
 そのあたりはさじ加減次第だが、と付け加えられて「難しいものだね」とオデュッセウスがつぶやく。
「……まぁ、一月ならば急でも大丈夫でしょう。本当はクリスマスまではこちらにと思っていたのですが」
 ナナリーが楽しみにしていたから、と彼は付け加えた。
「それではルルーシュの誕生日が過ぎてしまうではないか!」
「ナナリーの誕生日はよろしいのですか?」
「……ナナリーの時は涙を呑んで我慢したのだぞ」
 プレゼントも、とシャルルは言う。
「ともかく、ことを起こすのは十二月に入ってからですね」
 それをきれいに無視してオデュッセウスが確認するように問いかけてくる。
「不本意だが仕方があるまい。代わりに護衛を増やすぞ?」
「それは仕方がありません」
 オデュッセウスがうなずいたことでよしとしよう。シャルルはそう考えた。

 シャルルの説明にナナリーがごねた。しかし、ルルーシュはそれならば仕方がないと納得をする。
「あと一月以上ある。その間に思い出を沢山作るしかないだろうな」
 こう言ってナナリーを慰めながらも視線はシャルルをにらみつけていた。
「最初からごまかさずに言ってくださればいいのに」
 そういえばシャルルは気まずいのか。視線をそらす。そう言うところは相変わらずだな、と思う。
「当面は普通に生活をしていて良い」
 シャルルがそう言う。
「ただ、中華連邦が動いていると言うことだけを覚えているように。出来るだけ一人では行動せぬようにな」
 あれらも一般市民の前では動くまい。少なくとも今は、と彼は続ける。
「……いつ……になりますか?」
 ナナリーがそう聞き返す。
「ルルーシュの誕生日の前には、と考えておる」
 つまりは十二月に入ってすぐに呼び戻されると言うことだ。
 しかし、である。
「それならばクリスマスまで待ってくださってもいいのに」
 ナナリーがそう言って頬を膨らませた。
「確かに。学期の区切りの方がいろいろと都合がいいですね」
 学校側としても、友達との別れにしても。ルルーシュもそう言ってうなずく。
「兄上もそう思われませんか?」
 さらにルルーシュはオデュッセウスに話題を振る。
「そのあたりの親心は察してあげなさい」
 苦笑とともに彼はこう言い返してきた。
「要するに陛下はブリタニアでルルーシュの誕生日を祝いたいのだよ。ナナリーの誕生日は陛下がこちらにおいでのうちに出来そうだからね」
 そう言われてナナリーはぱっとシャルルの方を見つめる。
「お父様?」
 そうなのですか、と彼女の瞳が問いかけていた。
「……それもある」
 そう告げたシャルルの耳が赤くなっていることにルルーシュは気づく。しかし、それは指摘しない方がいいだろう。
「エニアグラム」
「はい、陛下」
 小さく肩をふるわせているノネットにシャルルが何かを命じた。それを受けて彼女は立ち上がると部屋を出て行く。
「少し早いがプレゼントだ」
 受け取るが良い、と続けたところでノネットが手にプレゼントらしき包みを持って戻ってくる。
「お父様、ありがとうございます」
 ナナリーが満面の笑みとともに言葉を口にした。
「そう高いものではない。普段使いにするが良い」
 シャルルは視線をそらしたままそう告げる。しかし、耳がますます赤くなっているから照れているのだろうとわかった。
 ついでに言えば、シャルルの『そう高いものではない』は皇帝としての認識からで、平民からすればそれだけで一年分の収入が跳ぶと言うことをルルーシュは知っている。しかし、それを指摘するのは野暮だろう。
「はい、お父様。大切にします」
 それがわかっているのか。ナナリーはシャルルにそう告げる。
「うむ」
 シャルルも──まだ顔は赤いが──ナナリーの方を向くとまんざらでもないという表情を浮かべてうなずいた。
「……あれで世界の三分の二を統べる皇帝なのだからね」
 オデュッセウスもその光景を見てため息をつく。
「本当に気に入っているお子様方にだけですよ。あのような態度を見せられるのは」
 そして、自分を慕ってくれる皇妃達にだけあのような表情を見せるのだ、とノネットがフォローするように口にする。
「わかってはいるが……」
「さすがにそのギャップになんとも言えません」
 オデュッセウスとルルーシュはそう言ってため息をついた。

 あれこれと騒ぎを起こしてくれたシャルルをノネットが引きずるように帰ったのは昼前のこと。
「……父上のあの様子だと僕の誕生日の前にことを起こすでしょうね」
 ルルーシュは紅茶のカップを両手で持ちながらそう口にした。
「そうだろうね」
 オデュッセウスがそう言ってうなずく。
「……お母様の元に戻れるのはうれしいですけど……お友達と別れるのは寂しいです、スザク以外!」
 最後の一言だけ力一杯叫ぶようにナナリーが主張した。
「そんなにスザクが嫌いか?」
 ルルーシュは思わず問いかける。
「私からお兄様を取り上げようとする方は皆嫌いです。ユフィお姉様にも文句を言いたいと思いますが、お姉様だから我慢しているだけです」
 兄妹は結婚できないから、とナナリーは続けた。
「ナナリー……あと少しなんだから……」
「そうだよ、ナナリー。最後はきれいにいなくなった方が後まで尾を引かない」
 ルルーシュだけではなくオデュッセウスもそう言う。
「でも、嫌いなものは嫌いですから」
 今更仲良くするつもりもない。そう言うナナリーに苦笑を浮かべるしか出来なかった。

 帰国するまで一月ほどだ。もちろん、周囲には内緒である。それでもある程度は片付けておく必要があるだろう。
「こうしてみると本がたまっていたな」
「そうですね」
 ルルーシュの言葉にナナリーもうなずく。時間があればあれこれと調べていたから当然かもしれないが、危うく一部屋つぶすところだった。
「どうしましょう」
 そう言いながらルルーシュはオデュッセウスを見上げる。
「本国に送るものとそうでないものに仕分けて、後は咲世子さんに任せよう」
 オデュッセウスがそう言葉を返す。
「問題は周囲へのいいわけだが……」
「兄上の資料が多くなりすぎたので、一度整理をする……でいいのでは?」
 それならば納得してもらえるのではないか。少なくともスザクは納得するだろう。彼さえ納得すれば他の人間は何も言わないだろうし、とルルーシュは思う。
「君が言うなら間違いないね」
 その妙な信頼感はどこから来るのかルルーシュは聞きたい。しかし、問いかけても答えてくれるかどうか。いや、答えてくれるかもしれないが厄介な内容だったらどうしたらいいのかわからなくなる。
「神楽耶様と桐原公だけには本当のことを話しておくべきでしょうか?」
 ふっと思い出してオデュッセウスにそう問いかける。
「うちの恥をさらすようだが、そうしておいた方がいいだろうね」
 いろいろと骨を折ってもらったし、と彼もうなずく。
「私の方から連絡しておこう」
君たちは最後まで楽しんでおきなさい、と彼は付け加える。
「せっかくの機会だからね。沢山思い出を作ればいい」
「はい、兄上」
 しかし、そこまで甘えてしまっていいものだろうか。一瞬そんな考えが脳裏に浮かぶ。
「こういうときだからね。兄らしいことをさせてもらうよ」
 年長者だしね、とそんなルルーシュの気持ちを読み取ったかのようにオデュッセウスが言葉を口にする。
「兄上……僕が何を考えていたかわかったのですか?」
「それなりに経験は積んできたからね。ルルーシュが考えていることぐらいわかるよ」
 何よりも自分はルルーシュ達の兄だからね。そう言って微笑むオデュッセウスはさすがだ、とルルーシュは心の底から彼を尊敬した。

 家の中をスザクに気づかれない程度に片付けながらも今までと変わらない生活を送っていた。
「ルルーシュ。遠足はどうするの?」
 不意にカレンが問いかけてくる。
「遠足?」
 そんな行事あっただろうか、とルルーシュは首をかしげた。
「学校のじゃないわ。道場のよ」
 カレンがそう教えてくれる。同時にルルーシュはますます困惑の表情を浮かべた。
「僕はここの門下生じゃないんだけど?」
 それなのに、何普通に同行することになっているのか。そう問いかける。
「……そうだったわね」
 忘れていたわ、とカレンは目をそらす。
「何時もいるし……スザクを怒ってくれるからてっきり入門しているものだと思っていたわ」
「僕の体力を考えればわかるだろう?」
 運動なんて出来るわけはない。道場に足を運んでいたのもナナリーの様子を見るためだ。そう続ける。
「師匠がそれを許可しているから誰も気にしていないし……何よりもスザクの態度がね」
 ルルーシュがいるときといないときでは違うのよ、と彼女は言い返してきた。
「ふぅん」
 少しお話し合いしないと打目かなぁ、とルルーシュはつぶやく。
「ともかく、遠足だっけ? 藤堂さんの許可が出たならばナナリーの付き添いで行くよ」
 スザクは知らない、ときっぱりと言い切る。
「それでもいいなら参加にしておいて」
「わかったわ」
 それでいいというカレンにルルーシュはうなずいた。
「こういうことは今回だけだから」
 さらにそう続ける。
「……ごめん。誰かが話していると思ったし、ナナちゃんがいたから」
「そうか。ナナリーは知っていたのか」
 後でしっかりと注意しておこう、とつぶやく。ほう・れん・そうは何よりも大切だと。
「……お手柔らかにね」
 今回ばかりはフォローが出来ないの、ごめんね……とカレンがつぶやく声が聞こえた。

 少し離れた場所にある自然公園まで行って皆で芋の子汁を食べる。それが遠足の内容だった。
「カレンが熱心に誘うわけだ」
 問題の芋の子汁は自分達で作ると言う一点だ。
「最初から僕に作らせるつもりだったな?」
 そう言って周囲をにらめばカレンだけではなく他の門下生も苦笑いを浮かべている。
「ルルーシュが作れば絶対においしいじゃん!」
 スザクだけがストレートに言う。
「……全員分なんて作れないぞ」
「え〜っ!」
「当然だろう? いったいどれだけの量を作ればいいんだ? 鍋一つじゃ間に合わないだろうが」
 二つも三つも見ていられない、と続ける。
「第一、お前達は小学生の子供にだけ料理を押しつけるつもりだったのか?」
 呆れたように藤堂が口を挟んできた。
「師範!」
「いえ、そのようなことはありません……ただ……」
 なんと言うべきか、と朝比奈が視線をさまよわせる。
「どうせ喰うならうまいものを、と思っただけです」
 毎年微妙なできのものしか口に出来ないから、と彼は告げた。
「だったらばお前達が教えてもらえばいいだろうが」
 ルルーシュに監督をしてもらって門下生が作業をすればいいだけだ、と藤堂は口にする。
「まさか、それも出来ないというわけではないだろうな?」
「いえ……出来ますが……」
 たぶん、と朝比奈は言った。
「皆も出来るだろう? 去年もやったのだから」
 さらに藤堂は周囲にいるもの達を見回す。
「どうなんだ?」
「……出来ます」
 念を押すように藤堂が問いかければ彼らはそろってそう言う。もちろん、ただ一人を除いてだ。
「俺、出来ません!」
 その一人であるスザクは胸を張ってこう言い切る。
「だったら覚えればよろしいでしょう」
 即座にナナリーがこう言い返す。
「え〜〜、無理」
「無理と言うから出来ないのですわ」
 即座にこういうスザクにナナリーが馬鹿にしたような口調で続けた。
「何事も『初めて』はあります。切るのが無理なら他のことをすればいいでしょう?」
 それすらもしないうちに『出来ない』と言うな。ナナリーはそう告げる。
「私はお母様にそう教わりました」
 だから、何でも挑戦していた。とりあえず料理も味付け以外はなんとかなっている。
 ナナリーのその言葉にルルーシュは苦笑を浮かべた。本当にそんなところは似なくて良かったのに、と思う。
「それに……最初から『出来ない』と言うとお母様に怒られますし……」
 そう付け加えたときだ。なぜかスザクが周囲を見回し始める。
「母さんなら来てないぞ」
 ため息とともにルルーシュはそう言う。
「だって、マリアンヌさんだし……」
 それに対してスザクは真顔でこう言い返してきた。
「いつ出てきてもおかしくない」
「……母さんは野生の動物でもバケモノでもないぞ」
 もっとも、とルルーシュは付け加える。
「お前がいつまでもだだをこねていればどこからか出てくるかもしれないが」
 出てきたらまたあの日々が始まるかもしれない。それだけはいやだ、と告げるスザクにマリアンヌは何をしたのかを聞いておくべきではないかとルルーシュは思う。
「では、手分けをして下ごしらえから始めましょう」
 とりあえずと思ってそう告げる。その瞬間、一斉に動き出したのはさすがだと言うべきだろうか。ふっとそんなことを考えてしまった。

 ルルーシュ監修の芋の子汁は今までの中で最高のできだったらしい。しかし、ルルーシュとしては今ひとつ不満だ。
「せめて芋の子だけでも下ゆでしておくべきだったな」
 そうすればもっとほくほくの芋の子だったのに、とつぶやく。
「いいじゃん。おいしかったんだし」
「そうね。去年まではもっとごりごりだったわ」
 食べたけど、とカレンはため息をついた。
「レシピを調べるとか、出来ることはあっただろう?」
「……考えたこともなかったわ」
 カレンが今気がついたという表情を作る。
「っていうか、カレンも飯まずじゃん!」
 即座にスザクが突っ込む。
「アンタねぇ!」
 即座にカレンが反論を試みる。
「ルルーシュ様! ナナリー様!!」
 しかしそれは遠くから聞こえてくる咲世子の声に遮られた。
「咲世子さん?」
 どこから声をかけているのだろう。そう考えて周囲を見回す。そうすれば彼女は頭の上から姿を見せた。
「いったいどこから……」
 出てくるのか、とルルーシュは問いかけようとする。
「シャルル様が撃たれました!」
 その言葉にルルーシュはめまいを覚えた。

「詳しいことはわかっているのか」
 拳を握りしめながらルルーシュは問いかける。もちろん、それが詭弁だろうとわかってはいた。それでもシャルルがけがをしたと聞けば足下が崩れるような気がした。
「今、オデュッセウス様が調べておいでです」
 だから、と咲世子は続ける。
「急いでお戻りください」
 彼女はそう続けた。
「わかった。スザク、カレン。そう言うことだから、ここからは別行動だ」
「……仕方がないわね」
 ルルーシュの言葉にカレンはあっさりとうなずいてみせる。
 しかし、だ。
「俺も一緒に行く!」
 スザクはこう言ってだだをこね始めた。
「スザク、アンタねぇ……」
「だって……ルルーシュが心配だから」
「いいから、アンタはおとなしくしてなさい!」
 そう言うとカレンは背後からスザクを羽交い締めにする。
「カレン!」
「いいから、行って! こいつはこれから藤堂先生の所まで引っ張っていくから」
 でないと止まらないだろうし、とカレンが叫ぶ。
「ありがとうございます」
 それに真っ先に咲世子が反応を返す。そして、そのままルルーシュを抱え上げた。
「ナナリー様、走りますよ!」
 咲世子はそう告げると駆け出す。
「咲世子さん、待って!」
 その後をナナリーがついてくる。しかし、だ。
「なぜ、僕がお姫様だっこ〜〜〜!」
 こういうことは普通ナナリーにやらないか、とルルーシュは叫ぶ。
「瞬発力ならばともかく、ルルーシュ様は持久力に難がおありですから」
 こちらの方が早い、と咲世子は口にする。
 その言葉にルルーシュは不審を抱く。シャルルがけがをしたという連絡は以前から決められていたことだ。だからこんな風に彼女が焦りを見せるはずがない。
 しかし、今の彼女は間違いなく焦っている。
 それはどうしてなのか。
 その答えを聞きたいが、今問いかけるわけにはいかないだろう。じりじりとした思いを抱きながらルルーシュは咲世子の腕の中でおとなしくしていた。
 それでも十分かからないうちにエントランスが見えてくる。自分ならとっくに息が切れているところだ。そう考えれば咲世子に運ばれて良かったのだろうか。ただ、男としてのプライドは見事に粉砕されたが。
 そのまま咲世子は一息に玄関まで駆け寄る。そこでようやくルルーシュは降ろしてもらえた。
「申し訳ありません、ルルーシュ様。一刻を争いましたので」
 咲世子がそう言って頭を下げてくる。
「それはかまわない。僕なら途中で動けなくなっていただろうからな」
 だから気にしなくていい、と言外に告げた。
「それよりも何があった?」
 シャルルが撃たれたことは聞いた。しかし、それは嘘ではなかったのか。矢継ぎ早に問いかける。そんなルルーシュの隣ではナナリーが服の裾をぎゅっと握りしめて立っていた。
「撃たれたのは口実ではなく事実だと聞いております。ただ、どの程度のけがを負われたのか、その情報は届いておりません」
 今、オデュッセウス様が大使館から直接本国に連絡をしている。だから、暫くすればわかるだろう。咲世子はそう言葉を締めくくった。
「……最悪の状況も考えておいた方がいいと言うことか」
 ルルーシュが感情を抑えつつそう問いかける。彼の言葉にナナリーが息を呑んだ。
「……はい」
 もしシャルルが死んだら自分達はどうなるのか。マリアンヌがいれば心配はいらないだろう。いや、むしろ安全になるのではないか。
 ただ、とルルーシュか唇をかみしめる。
「今は僕たちの身も危険だ、と言うことか」
 結局の所、自分達には力がない。だから周囲に守られるだけなのだ。その事実が悔しい。
「ナナリー……いつでもブリタニアに戻れるように準備をしよう」
「……はい」
 ルルーシュの言葉にナナリーはうなずく。
「明日帰ることになっても後の荷物は大使館の人に送ってもらえるだろうから、本当に最低限だけでかまわないよ」
 玄関を開けながらナナリーに声をかけた。
「わかっています」
 すぐに言葉が返ってくる。
「でも……皆にさよならを言う時間はありませんわね」
 残念です、と彼女は付け加えた。
「帰ると決まれば学校に連絡を入れなければいけない。そのときに挨拶をする時間ぐらいはとれると思うよ」
「はい」
 ナナリーがうなずいたのを確認してルルーシュは微笑む。そのまま彼らの姿は家の中に消えていった。

 しかし、二人の姿が学校で見られることはなかった。

 あの日からルルーシュ達の姿を見ることはなかった。
 家に行っても明かりはついていない。
 彼らがブリタニアに戻ったのはわかっている。しかし、あれが最後の別れになってしまうとは誰が想像できただろうか。
「ルルーシュ……」
 もう会えないのか、とつぶやく。
 一目惚れだったのに、とスザクは付け加えた。
 ルルーシュがそれをどう思っていたかはもうわからない。それでも自分を完全に拒絶していない以上望みはあったのではないか。そうも考えていた。
 しかし、だ。
 会えなくなっては親しくなることはおろかそれ以上の関係になることすら不可能だ。
「連絡先ぐらい教えていけよ」
 そうつぶやくときびすを返す。このままここにいても何の意味もないとわかっていた。それでもルルーシュの面影を探すにはここに来るしかない。
「……ルルーシュの料理、もう一回食べたいなぁ」
 そんなことをつぶやきながら家への道をとぼとぼと歩いて行く。
 ルルーシュがいるときは行きも帰りもものすごき楽しかった。それなのに、どうして今は帰りたくないんだろう。その理由がわからない。
 同時に理由がわからないからこそいらつく。
 あぁ、ルルーシュ達が来るまではそうだったな。不意にそんなことを思い出してしまった。
 ゲンブは当然叔母も自分のことを空気のように扱っていた。たまに学校に呼び出されるときも頭を下げていればいいと言っていたような気がする。それだけで相手は満足するから、と。
 何よりも肝心の自分の言葉は二人の中ではスルー対象だった。
 そのことを知った瞬間、いい子にする気がなくなった。
 だから、自分はいつでもどこでも《問題児》だったのだと今ならわかる。
 自分が普通の小学生に戻れたのはルルーシュがいてくれたからだ。
 それなのに、放り出された。
 ルルーシュ達の家族は仲がいいから仕方がないのかもしれない。
 せめて一言でもあれば納得できただろう。そして忘れることは出来なくても記憶の中のことに出来た。
 結局はそこか、とスザクはつぶやく。別れの言葉を言えなかったからこだわっているのか、と。
「会いたいよ、ルルーシュ」
 今は無理でもいつかでいいから、と付け加えた。

「つかぬ事を伺いますが」
 神楽耶がため息とともに口を開く。
「ルルーシュ様にここの住所を教えられました?」
 その言葉にスザクは首をかしげる。
「ルルーシュならここの住所ぐらい知っているだろう?」
 この言葉に神楽耶は呆れたような表情を作った。
「神社の住所はご存じでしょう。しかし、屋敷がある方の住所はご存じないはずですわ」
 そしてと彼女は続ける。
「神社に来たものはすべて中を確認されます。その者が『不要』と判断すれば手元に届きません」
 そこに本人の意思は介在していない、と神楽耶は言い切った。
「……つまり?」
「ルルーシュ様は手紙を出しておられる。それがお従兄様の元には届いていないだけですわ」
 しかし、と神楽耶はさらに言葉を重ねる。
「だからといって神社のものを責めるのは違います。彼らにとってブリタニアからの手紙というのは忌避すべくものなのですから」
 そう考えているものが多いし、教育もされている。だから彼らにとっては当然のことだ。恨むのならば自分を恨むしかない。そう神楽耶は言い切る。
「……納得できない」
 それに関しては、とスザクはつぶやく。
「それじゃ、俺はルルーシュの別れの言葉をずっと知ることが出来ないじゃないか!」
 スザクはそう叫ぶ。
「諦めてください。お従兄さまのミスです」
 しかし、神楽耶はとりつく隙を見せない。
「でも、それではかわいそうですから唯一慈悲を差し上げますわ」
「……なんだよ」
「せめて小学校を卒業するまで問題を起こさなければ、お従兄様とルルーシュ様が直接連絡が取れるように取りはからいましょう」
 それまでは自分が間に入って手紙のやりとりをすればいい。そうすればいくら神社の人間であろうと捨てることはない。
 彼女の言葉はもっともだ。
 いったい六家のどこに皇本家の姫が持ってきたものを捨てる人間がいるというのか。
 しかし、なぜか釈然としない。
 今ここで神楽耶がルルーシュの住所を教えてくれればいいのに。そうすれば自分で謝ることも可能だろう。
「今教えてくれよ」
 その気持ちのまま言葉を口にする。
「ダメです。お従兄様に教えてもすぐになくすでしょう?」
 最悪、それが原因でルルーシュ達に迷惑がかかるかもしれない。そう言われては黙るしかなかかった。
「小学校を卒業する頃にはもう少し常識が身につくでしょうし、文字だってきれいに書けるようなっているのでは?」
 それからならば手紙を出してもどこにも迷惑をかけないだろう。その言葉に反論が出来ないスザクだった。

 神楽耶の言葉通り、中学に上がる頃にはルルーシュとの手紙のやりとりが可能になっていた。もっとも、実際に手紙のやりとりが出来たのは数ヶ月に一度と言ったところだろう。それでもスザクには十分だった。
 そして同じ頃、スザクとゲンブ達との関係は悪化していた。三者面談や学校行事に誰も顔を出さなくなったのだ。それを聞いた桐原がわざわざ足を運んだほどだ。
 その関係が決定的に壊れたのは叔母の妊娠だったかもしれない。
 彼女の元に男の子が生まれた。そして、その子供を神社の跡取りにしようと画策し始めたのだ。
 このままでは何が起きてもおかしくはない。桐原ですらそう言いだした。
「さて……どうしたものかの」
 ため息交じりに桐原がそうつぶやく。
「……いっそのことブリタニアに留学しますか?」
 不意に神楽耶がこう問いかけてくる。
「神楽耶?」
「そうすれば、少なくともゲンブ様達から離れられます」
 その言葉にスザクは少し考え込んだ。ルルーシュに会えるかもしれない。しかし、迷惑になるのではないか。その二つの思いの間でスザクの心は揺れる。しかし、すぐに答えは出た。
「留学する」
 もう二度と日本には戻らない。そう付け加える。
「……戻ってこないのはまずいの」
 さすがに、と桐原が苦笑を浮かべた。
「気持ちはわかるが」
「そうですね。あの方々はもうダメです」
 自分の感情を家の権利と混同している。特に叔母は自分が産んだ子供を枢木神社の宮司にしたいと考えているらしいのだ。それは本家の乗っ取りだろう。だが、それをゲンブが認めていればどうか。
「六家から追放することも考えなくてはいけません」
 ため息交じりに神楽耶は付け加える。
「そのためにもお従兄様には日本から離れてもらわないと」
「確かにの」
 ゲンブ達に巻き込まれないためにも日本から離れていたという事実を作らなければいけない。それも出来れば年単位で、と桐原もうなずく。
「そう言うわけでブリタニア留学なのだが……こちらで手続きは済ませておこう」
 彼はそう続ける。
「おぬしはいつも通りの学校生活を送っておれ」
 ゲンブ達が何を言ってきても無視してかまわん。その言葉にスザクはうなずく。しかし、心はすでにブリタニアに跳んでいた。

 ブリタニアの学校は十月始まりだ。それでも四月にブリタニアに渡ったのには言葉に慣れるという意味がある。
 しかし、スザクにしてみればルルーシュに会いに行く時間がとれたと考えていた。
「住所は完璧に暗記してあるし……手紙で連絡してあるし、大丈夫だよな」
 訪ねていっても、とつぶやく。せめてメールぐらいは聞いておくべきだったか。しかし、途中で変わっていたら困るし。そんなことをつぶやきながら入国審査を終える。
 そのまま入国ゲートから出たときだ。目の前に見覚えのありすぎる人物がいた。
「……咲世子さん?」
 多少年齢は重ねているがその雰囲気まで変えることは不可能だろう。
「お久しぶりです、スザクさん」
 彼女は微笑むと頭を下げる。
「マリアンヌ様とルルーシュ様のご命令でお迎えにまいりました」
 そのまま付け加えられた言葉にスザクは目を丸くした。
「えっと……」
 どういうこと、と首をかしげる。
「学校では寮に入られるとのことですが、それまではマリアンヌ様が身元引受人をされるそうです」
 だから迎えに来たのだ、と彼女は続けた。
「いいのですか?」
 自分なら適当な場所を用意してもらえればそれで十分だが、と問いかける。基本的な家事はたたき込まれたし、と付け加えた。
「桐原公からも頼まれていると聞いております」
「……マジ?」
「えぇ。本当です」
 ブリタニアは日本と違って民間人も銃を持っている。それを考えれば安全のためにマリアンヌの元にいた方がいいだろう。彼はそう言っていたと聞いている。咲世子はさらに言葉を重ねる。
「そんなこと、一言も言わなかったのに……」
「保護者としては当然の配慮でしょう」
 危険があればそれから少しでも守ろうとするのは、と咲世子は付け加える。
 本当に自分の保護者は優秀だ。父親は当てにならない──どころか足を引っ張ってくれそうだけれど彼はいる限り大丈夫だろう、と心の中でつぶやく。
「ご納得いただけたところで移動してよろしいでしょうか?」
 いつまでもここに突っ立っているわけにはいかないし、と咲世子は首をかしげながら口にする。
「……わかった」
 案内をお願いします、とスザクは頭を下げた。
「マリアンヌ様のご命令ですから」
 顔なじみでもあったし、と咲世子は告げる。
「ですから、誠心誠意お手伝いさせていただきます」
 マリアンヌの命令がなければスザクのことはどうでもいいと言うことか。だが、その方が気が楽でいい。
「マリアンヌさんには顔を合わせたら御礼を言わないと」
 そう告げれば咲世子は笑みを深める。
「車を用意しております。こちらにどうぞ」
 その表情のまま彼女はこう告げた。そのままきびすを返すと彼女は歩き出す。
「あ、はい」
 自分でも間抜けだと思う言葉を口にするとスザクもその後を追いかける。
 エントランスから外に出ればなぜかリムジンが待っていた。まさかこれではないよな、とスザクは心の中でつぶやく。しかし、咲世子はまっすぐにリムジンへと向かっていく。そして、ドアを開けた。
「どうぞ」
 咲世子がそう言って促す。
 素直にスザクは乗り込む。シートに座ると同時に咲世子が向かい側に腰を降ろす。それを運転手が確認をして車を発進させた。さすがはリムジンの運転を任されるだけはある。少しの振動も感じない。
 しかし、とスザクは心の中でつぶやく。
 いくらマリアンヌが優秀でも軍人の給料だけでは車の維持費だけでも大変ではないだろうか。それとも、と彼は付け加える。この六年あまりで貴族位をもらったのだろうか。それならば納得できるかもしれない。
 そんなことを考えているうちにリムジンは貴族街と思える場所へと入り込んでいた。
「……でっか!」
 そして無駄に豪華だ、とスザクはつぶやく。
「この先はもっと豪華ですよ」
 咲世子が冷静に告げる。
「古い建物も多いですし、一見の価値はあるかと」
 もっとも、毎日見ていれば飽きるだろうが、と彼女は続けた。
「中を見られないならそうだね」
 外見だけなら見慣れれば景色になっていくだろう。そう答える。
「それで、マリアンヌさんの家は?」
 どこだろう、とスザクは問いかけた。
「秘密です」
 さらりと咲世子が言い返してくる。
「秘密って……」
 なんだよ、それ……とスザクは咲世子を見つめた。
「その方が楽しめるからとのお言葉です」
 何を、と思う。
「マリアンヌ様のお言葉ですから、あまり深く考えられない方がよろしいかと」
 そんな会話を交わしている間にもリムジンはさらに進んでいく。どう見ても周りは高級貴族の住宅街になってきた。
 ひょっとしてシャルルは死んでいてその後で再婚をした相手が偉い人なのか、とスザクは推測をする。マリアンヌは美人だったからその可能性はあるな、と。では、ルルーシュ達はどうしているのだろうか。不安を感じてしまう。
 でも、自分を呼んだと言うことは不幸な目に遭っていないと言うことではないか。
 希望的観測かもしれないがそんなことを考える。
 そうしている間にリムジンはとうとう貴族街を抜けた。この先にあるのはなんだったっけ、とスザクは事前に学習してきたこの地の地図を思い出す。
「太陽宮?」
 確か、とつぶやいた瞬間、スザクは凍り付いた。つまり、皇族が住んでいる場所だ。もっとも、それ以外の人間もいないわけではない。護衛の騎士も住んでいるはず。つまりマリアンヌは皇族の護衛騎士に選ばれたのだ、とスザクは考える。だからランペルージ家はここに屋敷を賜ったのだろう。
 それならば納得できる。同時に少しだけ気分が浮上した。改めて周囲に視線を向ければここは自然が多く残されている場所だとわかる。ブリタニアの庭園はもっと人工的なものだとばかり思っていたのに、と首をかしげたときだ。
「ついたようです」
 咲世子がこう言ってくる。
 目の前にあるのは品の良さそうな白い建物──離宮だろうか──その正面玄関へとリムジンは止まっていた。
「ここですか、本当に」
 車をここまで近づけられるのはここの主の賓客だけだ。だが、自分は違う。そう考えて問いかける。
「はい。詳しいことは中で皆様からお聞きください」
 ドアを大きく開けて咲世子はそう言う。
「お荷物はお任せください」
 新たに近づいてきた侍女の言葉にどうしようかと悩む。
「スザクさん、こちらです」
 そんな彼を促すように咲世子が声をかけてきた。仕方がないとスザクは彼女についていこうとする。だが、すぐに足を止めた。
「すみません。その刀だけは取り扱いを慎重にお願いします」
 居合い用にと持ってきた刀に手を伸ばした彼女に慌てて声をかける。
「武器なのですね。かしこまりました」
 あっさりとそう言われてスザクの方が驚いた。その間にも咲世子は先を進んでいく。それについても聞けばいいか、とスザクは慌てて追いかける。
 まっすぐに進んでいけば応接間らしき部屋にたどり着いた。
「失礼いたします。スザクさんをご案内してまいりました」
 しっかりと閉め切られているドアに向かって咲世子がそう告げる。
『入れ』
 聞き覚えのある声が帰ってきた。あれは確かルルーシュ達の父親のものではなかっただろうか。
「スザクさん、どうぞ」
 ひょっとして前提から間違っているのか、と思いながら足を踏み入れる。
「よう来た。儂がブリタニア皇帝シャルル・ジ・ブリタニアである」
 堂々と胸を張ってそう宣言をする彼の背後に見覚えがある人達が並んでいた。
「そして、ここにおるのが儂の第五皇妃とその子供達である」
 マリアンヌ達が手を振っている。
 それらの情報を総合すれば導き出される結論は一つ。
「ルルーシュは皇子様だったのかぁ!」
 その事実に思わず叫んでしまう。
「大成功ね!」
 マリアンヌがいらずらが成功したという表情で手を叩いている。
「やっぱりこうなりましたわ」
「だから、悪趣味だって言ったんだよ」
 凍り付いてしまったスザクを見ながらナナリーとルルーシュは顔を見合わせると言葉を口にした。その光景をスザクは呆然と見つめている。なんと言っていいのかわからなかったのだ。
 スザクの脳みそが再起動するまで暫くかかった。


20.04.20 up
PREV | INDEX