箱根はここがまだ《日本》と呼ばれていたころから観光地だ。
 同様に河口湖も、多くの観光客を受け入れてきた。
「確かに、見事な景観だな」
 ブリタニアにはない起伏に富んだ景色を見つめながら、ルルーシュはこう呟く。だが、それは逆に言えば攻める方には楽でも守る方には辛いと言う事でもあるだろう。実際、クロヴィスがユーフェミアに付けてきた騎士達も、それで苦労をしているようだ。
「ユフィも、いい加減、自分の存在を公にすればいいものを」
 死んだことになっている自分達よりはたやすいだろう。そして、その方が警備がしやすいはずだ。
 だが、彼女はそのようなことはしない。おそらく、考えたこともないのではないか。
 普通の学生としての身分を謳歌しているように思える。
 それが、コーネリアの庇護によるものだ、と彼女は気付いているだろうか。
「どちらにしても、俺には関係ないか」
 クロヴィス以外の皇族の前に姿を現すつもりはない。本音を言えば、こうしてロイドを含む軍人達の前にも姿を現したくはなかったのだ。
 いくら彼等が『誰にも知らせない』と言ってくれても、それ以外の者達の口から自分たちの生存が伝わらないとは限らない。それが、巡り巡って自分たちを疎ましいと思っている人間の耳に入らないとは言い切れないのだ。
 その結果、本国に連れ戻されるだけならばまだいい。
 だが、また使い捨ての駒とされる可能性は十分にある。
「ナナリーだけは……絶対に守らなければいけないんだ……」
 自分ならば、自力で自分の身を守ることができるだろう。しかし、ナナリーには無理だ。自らの力で動くことができない彼女は、目の前で銃口を向けられても逃げ出すことができない。いや、それ以前に彼女の視力ではその事実に気付くことさえできないのだ。
 だから、せめてあの子が幸せになれるまでは、ひっそりと隠れていたい。
 いや、許されるのであれば、この命が母の元に召されるまで、だ。
「……クロヴィス兄上に見つかったは、俺の失態が原因だったからな」
 同じ轍は二度とは踏まない。そのためならば、多少の不便は我慢する……とルルーシュが心の中で呟いたときだ。
「僕。入っていい?」
 ノックの音とともにこんな声が耳に届いた。
「開いている」
 だから、入ってくるなら勝手に入れ……とルルーシュは言い返す。次の瞬間、ドアが開かれた。
「差し入れだって」
 ミレイさんから、と口にしながらスザクは体を滑り込ませてくる。その手には、まだ湯気が上がっているティーカップとイチゴタルトが乗せられたお盆が握られていた。
「食べるでしょ?」
 そのまま大股に歩み寄ってくる。
「そうだな」
 今のところ、何も問題はないらしい。ならば、少しぐらい休憩を取ってもいいだろうか。取りあえず、ユーフェミアの側にはクロヴィスが付けた護衛もいることだし。そうも考えて、ルルーシュは頷いた。
「よかった。自分の分も持ってきたんだ、実は」
 もっとも、こちらは自前だけど……とスザクは苦笑とともにテーブルの上にお盆を置いた。そうすれば、もう一つ、小さなケーキが載せられた皿とコーヒーがなみなみと入れられたおおぶりのマグカップが確認できた。
「……それは?」
「セシルさんの差し入れ」
 プリンはロイドさんに取られちゃったんだよね……と彼は苦笑とともに付け加える。そっちの方がおいしそうだったんだけど」
「そうか……」
 さすがはプリン伯爵、と別の意味でルルーシュは感心してしまう。
「……でも、三つも持ってくのはやりすぎだよね」
 こんなセリフを口にしながら、スザクはイスを引っ張ってくる。
「太るだろうに」
 いくら好きでも、それだけ食べれば……と心の中で呟く。考えただけでも胸焼けがしてくる。
「だよねぇ。それなのに、全然サイズが変わらないらしいってセシルさんが怒っていたよ」
 それは少し違うのではないか。そう言いたくもなってしまう。だが、女性であればそうなのかもしれない、とすぐに思い直した。
「それだけ頭を使っているんだろう」
 脳が取れる栄養は糖分だけらしいからな……と口にしながら、ルルーシュは自分の方にイチゴタルトを引き寄せた。そして、フォークで半分に割る。
「そちらを半分よこせ。代わりに、これをやるから」
 そして、こう口にした。
「ルルーシュ。でも、これはおいしくないかもしれないよ?」
 気持ちはありがたいけど……とスザクがルルーシュを見つめてくる。
「だから食べてみるんだろうが」
 どうしたらまずくなるのか考えてみなければ、自分で作るときに失敗するだろう、ともっともらしいセリフを返す。
「……ルルーシュ」
「いいから。それとも、半分では不満なのか?」
「そんなこと、言わないよ」
 ルルーシュの言葉に、スザクは慌てたように首を振ってみせる。
「だったら、遠慮をするな。俺が『いい』と言っているんだ」
 ここまで言って初めてスザクは行動を起こす。
「なら、遠慮なく」
 自分の分のケーキを同じように半分にして、ルルーシュのケーキの皿に移動させてきた。その代わりに、イチゴタルトを自分の方へと移す。
「……やっぱり、お前は変わったな」
 そんな彼の仕草を見ながら、ルルーシュは思わずこう呟く。
「ルルーシュ?」
 この言葉に、彼は首をかしげてみせた。
「そうかな?」
 そして、こう問いかけてくる。
「そうだ。昔はもっと、遠慮がなかっただろう?」
 自分がいいと言えば、ためらうことなく行動に移していたはずだ……とルルーシュは言い返す。それどころか、自分で決めたらこちらの答えを待たずに動いていたはずだ、とも付け加える。
「……忘れて、ルルーシュ」
 しばらくのためらいの後、彼はこう口にした。
「スザク?」
 何故、彼はこんなことを言うのだろうか。そう思って問いかける。
「あのころは……君の気持ちをひきたかったんだって……」
 いじめるとルルーシュは自分をにらみつけてきた。その時の表情が可愛いとかナナリーではなく自分を見てくれることが嬉しかったとか、そんなことを考えていたのだ。スザクは微かに頬を赤くしながら口にする。
「……おい……」
 確かに、彼は自分にそのような感情を抱いているというのは本人の口から聞いて知っている。しかし、こんな風に面と向かって言われると気恥ずかしいなどと言うものではない。今すぐに耳を塞いで聞かなかったことにしたいとすら考える。
 何よりも相手が相手だ。
 ナナリーの気持ちもあるし……とルルーシュの脳内で思考がループしている。だからといって、聞かなかったことにもできない。
「それに……俺は、どう反応をしろというのだ?」
 聞いていて、ものすごく恥ずかしいのだが……とルルーシュは言葉を返す。
「だから……忘れてって」
 恥ずかしいから、とスザクはさらに言葉を重ねた。
「お前でも、そういうことがあるんだな」
 別の意味で感心してしまう。
「ルルーシュ!」
 スザクが即座に反論をしてきた。
「早く食べないと……コーヒーが冷めるぞ」
 久々にやりこめることができたからだろうか。少しだけルルーシュは気分が浮上する。もっとも、完全ではないと言うことは否定できない事実だが。
「……本当にルルーシュは……」
 僕の気持ちがわかっているのに、その態度は僕をいじめているの? と口にしながら、彼はざくざくとカップの中に砂糖を入れていく。あれではめちゃくちゃ甘くなるのではないか。そうは思うが、あえて口にはしない。
「そんなつもりはないぞ」
 普通に接しているだけだ、とルルーシュは笑う。
「……そう思えないよ、僕には」
 取りあえず、砂糖を入れるのはやめたらしい。代わりに音を立ててコーヒーをかき回している。
「本当のことを言っただけだろうが。第一、俺が子供の時のことをここまで明確に覚えている人間なんて、ナナリーの他にはお前ぐらいなものだ」
 兄弟達はもちろん、ミレイですら知らないことの方が多いのに……とルルーシュは付け加えた。
「そうかもしれないけど……でも、ね……」
 やっぱり、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ……とスザクは口にする。
「お願いだから、忘れてよ……」
 あのころのことは、と彼は手で顔を隠しながら言葉を重ねてきた。
「忘れてもいいが……そうしたら、何を話せばいいんだ?」
 共通の話題と言えばあのころのことだろう、とルルーシュは聞き返す。
「そうなんだけど……なんて言えばいいのかな」
 今聞くと、転げ回りたいくらい恥ずかしいんだって……とスザクはため息をつく。
「あきらめろ」
 自分の側にいる以上、と言い返す。それがいやなら、離れていっても構わないのだ、とも。
「そんなこと、できるわけないだろう!」
 ようやく再会できたのに! とスザクは叫ぶ。
「僕がどれだけ君達に会いたかったのか……その気持ちだけが、唯一の支えだったのに」
 まさか、彼がここまで激昂するとは思わなかった。
「……だから、離れたくないならあれこれ言われることはあきらめろ、と言っているだろうが」
 誰も、離れていけとはいっていない……とルルーシュはため息をついてみせる。
「……ルルーシュ……」
「お前が側にいることは、迷惑だとは思っていないからな」
 さりげなく付け加えれば、それだけでスザクは態度を豹変させた。
「ルルーシュ、好きだよ」
 満面の笑みとともにこう言って寄越す。本当に浮き沈みが激しい奴だ、とそんな感想を抱いてしまう。
「わかっている」
 言葉を返しながらルルーシュはカップに手を伸ばした。そして、少しぬるくなった紅茶を口に含む。
 それにつられたのだろう。スザクも自分のカップに口を付けた。
「……甘」
 しかし、すぐに顔をしかめる。
「自分で入れたんだろうが。責任を持って全部飲めよ」
 ルルーシュはそういいながらケーキにフォークを突き刺そうとしたときだ。
「失礼」
 表情を強ばらせたままのロイドが飛び込んできた。
「ロイドさん?」
 何かあったのか、とスザクが彼に声をかけている。
「……ルルーシュ様。ご無礼を。ですが、大至急、トウキョウにお戻りください、とバトレー将軍からの御伝言ですよぉ」
 ヘリを用意させたから、と彼は付け加えた。
「……何があった?」
 彼が自分に対してそのような依頼をしてくるのは珍しい。逆に言えば、そうしなければならないような緊急事態だ、と言うことなのだろう。
「……総督閣下とナナリー様が、事故に遭われたそうです。詳しいことはわかりませんが、すぐにお戻りくださいと」
 間違いなく、ユーフェミアにも同じ連絡が行っているはずだ。そうもロイドは付け加える。
 その言葉の意味を認識した瞬間、ルルーシュの手からフォークが滑り落ちた。




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07.06.22up