「……ナナリー……」
どうして、と口にしながら、ルルーシュは集中治療室の窓に手をつく。しかし、それでも体を支えきれない。気が付けば、ずるずると膝が崩れ落ちていく。
しかし、そんなことは気にならなかった。
「頼むから……」
俺を置いて逝くな……とそう呟く。
クロヴィスのことも気にならないわけではない。だが、彼の方はその身分から最善の治療が施されているはずだ。しかし、死人である自分たちにはどこまでの治療を望めるのかはわからない。バトレーがこの場にいてくれれば、あるいは……と思うが、こちらに戻ってくる前の様子では難しいだろうと言うことは推測できる。
「ルルーシュ……大丈夫だから」
そんな彼の体をスザクが抱きしめてくれた。
「ナナリーちゃんは、大丈夫だから」
だから、とそう囁いてくれる。
「でも……ナナリーまでいなくなったら、俺は……」
どうしたらいいんだ、とルルーシュは呟く。
「ナナリーだけが、俺の支えだったのに」
あの子を幸せにするということだけが、自分の生きている理由だったのに。その言葉を耳にした瞬間、ルルーシュを抱きしめているスザクの腕に力がこもった。
「ルルーシュ!」
そんなことを言うな、と彼は言いたいのだろう。それは十分に伝わってきている。でも、とルルーシュは付け加えた。
「お前と友達になれる前は……俺にはナナリーだけが支えだったんだよ、スザク」
お前も側にはいてくれなかったのに、とルルーシュは唇を噛む。
「……ごめん……」
ルルーシュが何を言いたいのかわかったのだろう。スザクがこう言って謝ってくる。
「本当、お前、変わったな……」
こんな時に謝れるような性格ではなかったのに。そう考えていたせいか、ふっとこんなセリフが唇からこぼれ落ちてしまった。
「それなりにいろいろあったからね。ルルーシュやナナリーちゃんほどではないかもしれないけど」
こう言ってスザクは微笑む。
「ルルーシュにもう一度会うために、あれこれ頑張ったからね。その間に、性格が変わったとしても普通じゃないかな?」
第一、七年前とは置かれていた状況が違うし……とスザクは付け加える。
「そういうルルーシュだって、昔と比べたらかなり変わったよ?」
「……ナナリーを守らなければいけなかったからな……」
それ以外の理由はなかった、とルルーシュがため息をついたときだ。不意に、ナナリーの脇に数名の医師が姿を現す。
「……何だ?」
今更、とルルーシュが顔をしかめたときだ。
「コーネリア殿下のご命令ですよ。クロヴィス殿下を狙ったテロに巻き込まれたのであれば、当然、同じだけの治療を受けさせなければならないと、姫様が申されましたので」
ルルーシュの疑問に答えるかのように背後から声が響いてくる。
その声にルルーシュは聞き覚えがあった。それは同時に自分たちにとっては破滅への第一歩のように思えてならない。そのせいだろうか。それを耳にした瞬間、ルルーシュの体は自分の意志とは無関係に強ばってしまう。
「ルルーシュ!」
先ほどとは違う意味で自分の体を支えられなくなってしまう。それをスザクの腕がしっかりと抱き留めていてくれた。こんな時には、彼の『体力バカ』ぶりをありがたく思ってしまう。
「……ご心配なく。取りあえず、お二人のことは我々の胸の内だけに納めさせて頂きます」
クロヴィスやバトレーにもあれこれ聞かなければいけないだろうから、と続けられた言葉の意味も、ルルーシュは理解している。それでも、それに言葉を返すことができない。
やはり、あの時に見られていたのか。
だからといって、断れるわけはなかった。
少なくとも、今の自分には、だ。
何よりも、自分が少しでも早くナナリーの元に駆けつけたかったと言うことも否定しない。
しかし、そのせいで自分たちの存在がクロヴィス以外の《きょうだい》に知られてしまうとは……とルルーシュは唇を噛む。
「ルルーシュ……顔色が悪いよ? 少し、休んだ方がいいんじゃないのかな?」
自分の衝撃の大きさに気付いたのかスザクがこう声をかけてくる。
「……いい……」
少しでもナナリーの側にいたい。
同時に、目の前の連中が彼女に何もしないかどうかも確認しておかなければ……そんなことも考えてしまうのだ。
「ここでルルーシュが倒れたら、誰がナナリーちゃんの面倒を見るの?」
だが、スザクはさらに言葉を重ねてくる。
「ここがいいなら、どこからかソファーを持ってくるから。だから、休んで」
その間は、自分がナナリーを見ているから……とも彼は口にした。
「……そうなさってください。詳しい話は、後日。私が信用できないのでしたら、今、バトレーをこちらに寄越します」
彼であれば安心できるだろう。その言葉に、ルルーシュの中で『信じてもいいのだろうか』という気持ちがわき上がってくる。
「……ダールトン卿……」
ルルーシュは掠れ声で彼の名を呼ぶ。
「少なくとも、姫様もユーフェミア様も、あなた方が生きていて嬉しいとは思われても、危害を加えたいとは考えておられません」
何よりも、クロヴィスが二人を保護してきたのだ。彼の意識が戻り、その考えを聞くまでは自分たちは何もしない。そういってダールトンは微笑んでみせる。それは、ルルーシュが幼いころに見たそれと同じものだ。
「そこの……」
そんなルルーシュの前でダールトンは視線をスザクへと向ける。しかし、流石に名前までは出てこないのだろう。少し悩むような表情を作った。
「特派のクルルギ准尉です」
さりげない口調でスザクが自己紹介をする。
「では、クルルギ。その方は私が見ている。ソファーを用意できるなら用意してこい」
病院側がごねるようであれば自分の名前を出してくれて構わない……と彼はさらに言葉を重ねる。
「かしこまりました。そのような状況になったときには、お言葉に甘えさせて頂きます」
すっとスザクの背が伸びた。
「……ルルーシュ」
そのまま、心配そうに問いかけてくる。
「大丈夫だ……行くなら、さっさと行ってこい……」
そのくらいなら、まだやせ我慢もしていられるから……と言外に告げれば、スザクは苦笑を返してきた。
「すぐに戻ってくるから」
それでも不安そうに腕を放しながら、こう囁いてくる。
「あぁ」
その言葉に頷くと、ルルーシュは今にも力が抜けそうな膝を無理矢理伸ばす。
「では、ダールトン卿。一度失礼をさせて頂きます」
ルルーシュのやせ我慢に小さなため息をつきながらも、スザクはこう口にした。そして、足早に離れていく。それでも、病院内で走らない程度の理性は残っていていたらしい。
そういうところも昔とは違う。
昔なら、こう言うときは周囲の迷惑を考えずに突っ走っていったのに……と心の中で呟く。
「……ナナリー様のお命も、必ず助けさせましょう」
スザクの背中を見送っていたルルーシュの耳に、ダールトンの声が滑り込んでくる。
「お二方とも、よく、生きていてくださいました」
この言葉を信頼してもいいのだろうか。ルルーシュはすぐに判断ができなかった。
面白くない。
それが、スザクの本音だった。
「せっかく、ルルーシュが俺のことを見てくれそうだったのに……」
ルルーシュの不安を少しでも和らげて、自分に対して好印象を与えたかった。もちろん、ナナリーも心配だったが、それ以上にルルーシュの気持ちを自分に向けたかったのだ。
それは成功しそうだった……と言うのは自分だけの勝手な思いこみではなかったのではないか。
「……でも、無駄じゃなかったよな」
きっと、とスザクは呟く。少しは自分の株が上がっただろう、と思いたいのだ。
「でも、急がないといけないかも」
ルルーシュの気持ちをゆっくりと自分の方に向けていけばいい。そう考えていたが、コーネリア達がこの地にいるのであれば、状況が変わってくるのではないか。
ルルーシュの影響だろう。クロヴィスは比較的イレヴンには寛容だった。もちろん、それは従順であれば……と言う前提が付くが。それでも、医療関係や教育関係に関して充実している今は、イレヴン達もそれほど不満を覚えていない。多くの民衆は、自分たちが平穏に暮らせればそれでいいと考えているのだから。
しかし、コーネリアは違うのではないか。
実際に自分で確かめたわけではない。それでも、噂だけは耳に入ってくるのだ。
「あの方は、純血派らしいから……あのあたりの方々が気を上げるんだろうな」
そうなったら、自分はルルーシュの側に近づけなくなるかもしれない。
やっと、彼の側にいられるようになったのに、それは困る。
「ルルーシュが反対をすれば大丈夫だとは思うけど」
そのためには、やっぱり彼の中で自分の立場を少しでもいいポジションにおけるように努力をしないといけないだろうな。そうも心の中で呟く。
「まずは、ソファー、と」
また『体力バカ』と言われるかもね、と苦笑を口元に刻みながらようやく見つけたソファーを抱え上げる。
「後、どこからかブランケットを見つけてきた方がいいかな? きっと、ナナリーちゃんの容態が安定するまで、ルルーシュは側を離れないって言うだろうし」
空調が効いているとはいえ、風邪をひかないとは限らないのだ。
いざとなったら、それを理由にベッドに押し込んでしまえばいいかもしれない。風邪をひいていれば、面会できるようになってもナナリーの側に行かせてもらえないと言えば、妥協してくれるかもしれないし。そうも思う。
「うん。そうしよう」
でも、今は早々に戻らないと。そう思うと、スザクはソファーを抱えたまま歩き出す。
「あの……」
そんな彼の耳におそるおそると言った様子で声をかけてくるものがいる。視線を向ければ、清掃を請け負っている名誉ブリタニア人のようだ。
「お手伝い、しましょうか?」
「いえ。大丈夫です」
即座にこう言い返す。
「お仕事の邪魔をするわけにはいきませんし……あちらには現在、許可されたものしか近づけないと思いますから」
さらにこう付け加えれば、相手はほっとしたような表情を作る。
「そうですか」
では、お言葉に甘えます。そういって、相手は離れていく。どうやら、彼の中では、同じ《名誉ブリタニア人》でも、軍人であるスザクの方が立場が上だと思っていたようだ。
そんなことはないのに、とスザクは心の中で呟く。
ただ一人の存在の側にいられようになるために、この立場を選んだだけなのだから、と。
「……でも、あの連中は邪魔、かな?」
連中のせいでルルーシュが悲しんでいるんだから。そういう人間は必要ないかもしれない。
ぼそっと呟かれた言葉は、誰の耳にも届かなかった。
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07.07.06up
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